ショパン 前奏曲集 Op.28 各曲解説への目次
《24の前奏曲Op.28 各曲解説への 目次》
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ショパン 前奏曲集 当サイト管理人の演奏
※当サイト管理人,”林 秀樹”の演奏です。2020年11月25日録音。
◆24曲全曲再生リスト
ショパン 前奏曲集 基本情報
- 作品番号;Op.28 *Op.28はショパン自身がつけた作品番号です。
- BI100 Op.28-7イ長調,Op.28-17変イ長調
- BI123 Op.28-2イ短調,Op.28-4ホ短調,Op.28-10嬰ハ短調,Op.28-21変ロ長調
- BI124 Op.28-1ハ長調
- BI107 上記以外の17曲
- ※BI番号はモーリス・ブラウンが作成した作品目録の番号です。
- 作曲年;1839年 *1839年1月にマジョルカ島で完成。ショパンは29才でした。
*正確には,ショパンは誕生日直前の28才でした。
《作曲年まとめ》 Op.28-1 ハ長調 1839年 Op.28-2 イ短調 (1831年) ~ ~ ~ 1838年 Op.28-3 ト長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-4 ホ短調 1838年 Op.28-5 ニ長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-6 ロ短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-7 イ長調 1836年 Op.28-8 嬰ヘ短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-9 ホ長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-10 嬰ハ短調 1838年 Op.28-11 ロ長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-12 嬰ト短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-13 嬰ヘ長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-14 変ホ短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-15 変ニ長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-16 変ロ短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-17 変イ長調 1836年 Op.28-18 ヘ短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-19 変ホ長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-20 ハ短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-21 変ロ長調 1838年 Op.28-22 ト短調 1836年 ~ 1838年 Op.28-23 ヘ長調 1836年 ~ 1838年 Op.28-24 ニ短調 (1831年) ~ 1836年 ~ 1838年 - 形式;前奏曲(プレリュード)
- 初版;
- フランス初版;パリ,A.カトラン,1839年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,1839年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル,1839年
- 献呈;
- フランス版;カミーユ・プレイエル
- ショパンが愛用した,フランスのピアノ制作会社,プレイエル商会の2代目社長です。父であるイグナツ・プレイエルが創業したプレエル社の経営権を,1813年,25才のときに譲られています。
ショパンは1831年,21才のときにパリではじめてプレイエルのピアノと出会い,それ以来プレイエルのピアノを愛用していました。 - 1832年の2月25日に,ショパンのパリデビューコンサートも,プレイエルの好意でプレイエル・ホール (サル・プレイエル) が会場となりました。その後も,ショパンがパリでリサイタルを開く際は主にプレイエル・ホール (サル・プレイエル) が会場となりました。
- 1837年,ショパン27才のときには,マリア・ヴォジニスカに婚約を破棄されて意気消沈していたショパンと共にロンドンまで傷心旅行を共にしています。
- ショパンの葬儀の際には棺をかついでいます。
また,音楽の女神エウテルペーが壊れた竪琴に涙を流す姿をかたどったショパンの墓石はプレイエルの発案によるものです。 - このように公私ともに親しい友人だったプレイエルですから,最高傑作である前奏曲集が献呈されたことも頷けます。
- ショパンが愛用した,フランスのピアノ制作会社,プレイエル商会の2代目社長です。父であるイグナツ・プレイエルが創業したプレエル社の経営権を,1813年,25才のときに譲られています。
- ドイツ版;ヨーゼフ・クリストフ・ケスラー
- ドイツのピアニスト,作曲家です。
- 1829年,ショパン19才のとき,ワルシャワに来ていたケスラーの音楽に触れています。
- 前奏曲集Op.28の平行短調を挟みながら5度ずつ上がっていく配置や,エチュードOp.10そしてOp.25にメトロノームによる速度指示を書き込んでいるのは,ケスラーの作品からの影響だと言われています。
- ケスラーは1827年に作曲した前奏曲集をショパンに献呈しており,そのお返してとして,ショパンも前奏曲集をケスラーに献呈したのです。
- 同じ作品が複数人に献呈されているのは,前奏曲集Op.28だけです。
- フランス版;カミーユ・プレイエル
- 自筆譜;ワルシャワ国立図書館所蔵
曲の配置
ショパンが敬愛していたJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集から啓示を受けて作曲したのは明らかですが,曲の配置は異なっています。
平均律クラヴィーア曲集で使われた調とその順番 | |||||||
長調 | 短調 | ||||||
平均律で使われた調 | 異名同音調 | 平均律で使われた調 | 異名同音調 | ||||
ハ長調 | ハ短調 | ||||||
嬰ハ長調 | 変ニ長調 | 嬰ハ短調 | |||||
ニ長調 | ニ短調 | ||||||
変ホ長調 | 嬰ニ短調 | 変ホ短調 | |||||
ホ長調 | ホ短調 | ||||||
ヘ長調 | ヘ短調 | ||||||
嬰ヘ長調 | 変ト長調 | 嬰ヘ短調 | |||||
ト長調 | ト短調 | ||||||
変イ長調 | 嬰ト短調 | 変イ短調 | |||||
イ長調 | イ短調 | ||||||
変ロ長調 | 変ロ短調 | 嬰イ短調 | |||||
ロ長調 | 変ハ長調 | ロ短調 |
前奏曲集Op.28で使われた調とその順番 |
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長調 | 短調 | ||||||
前奏曲集Op.28で使われた調 | 異名同音調 | 前奏曲集Op.28で使われた調 | 異名同音調 | ||||
ハ長調 | イ短調 | ||||||
ト長調 | ホ短調 | ||||||
ニ長調 | ロ短調 | ||||||
イ長調 | 嬰ヘ短調 | ||||||
ホ長調 | 嬰ハ短調 | ||||||
ロ長調 | 変ハ長調 | 嬰ト短調 | 変イ短調 | ||||
嬰ヘ長調 | 変ト長調 | 変ホ短調 | 嬰ニ短調 | ||||
変ニ長調 | 嬰ハ長調 | 変ロ短調 | 嬰イ短調 | ||||
変イ長調 | ヘ短調 | ||||||
変ホ長調 | ハ短調 | ||||||
変ロ長調 | ト短調 | ||||||
ヘ長調 | ニ短調 |
平均律クラヴィーア曲集が,ド→ド♯→レ→ミ♭(レ♯)→・・・と半音ずつ上がっていくのに対して,
ショパンの前奏曲集では5度ずつ上がっていくように配置されていて,調号の♯が1つずつ増えていき,やがて調号が♭に変わって,調号の♭が1つずつ減っていく,というようになっています。
ショパンが自筆譜に書き込んだ発想記号,速度記号,強弱記号
- ショパンが自筆譜の何小節目に,どんな発想記号,速度記号,強弱記号を書き込んでいるのかまとめました。
- クレッシェンド,ディミヌエンド,アクセント,フェルマータ,フォルツァンドは拾い上げていません。
小節 | 発想・速度記号 | 強弱 |
||
第1番 | Agitato | 1 | mf | |
17 | stretto;だんだん緊迫して速く | |||
第2番 | Lento | 1 | p | |
18 | slentando;だんだん遅く | |||
21 | sostenuto;音符の長さを十分に保って、テンポを少し遅く | |||
第3番 | Vivace | 1 | leggieramente=leggiero | p |
28 | leggiero;軽く優美に | p | ||
第4番 | Largo | 1 | espressivo;表情豊かに | p |
16 | stretto;だんだん緊迫して速く | |||
17 | f | |||
19 | p | |||
21 | smorz.;だんだん静まって | |||
24 | pp | |||
第5番 | Allegro molto | 38 | f | |
第6番 | Lento assai | 1 | sotto voce;ささやくように,音量を抑えて | |
25 | pp | |||
16 | sostenuto;音符の長さを十分に保って、テンポを少し遅く | |||
第7番 | Andantino | 1 | dolce;甘く,優しく,柔らかに | p |
第8番 | Molto agitato | 13 | f | |
15 | ff | |||
17 | p | |||
18 | poco ritenuto;少しだけ,ただちに速度を緩めて | p | ||
19 | molto agitato e stretto ;非常に激して,そしてだんだん緊迫して速く |
|||
22 | ff | |||
27 | p | |||
29 | pp | |||
第9番 | Largo | 1 | f | |
8 | ff | |||
9 | p | |||
11 | ritenuto;ただちに速度を緩めて | |||
12 | ff | |||
第10番 | Allegro molto | 1 | leggiero;軽く優美に | |
第11番 | Vivace | 1 | legato;切れ目なくなめらかに | |
第12番 | Presto | 1 | f | |
21 | ff | |||
41 | f | |||
53 | f | |||
71 | poco ritenuto;少しだけ,ただちに速度を緩めて | |||
80 | ff | |||
第13番 | Lento | 1 | legato;切れ目なくなめらかに | p |
21 | sostenuto;音符の長さを十分に保って、テンポを少し遅く piu lento;さらにもっとlento(遅く) |
|||
29 | Tempo I;初めの速さで | |||
第14番 | Allegro | 1 | pesante;重々しく | |
11 | ff | |||
第15番 | Sostenuto | 1 | p | |
28 | sotto voce;ささやくように,音量を抑えて | |||
40 | ff | |||
43 | p | |||
56 | ff | |||
60 | p | |||
71 | f | |||
76 | p | |||
79 | smorzando;だんだん静まって | |||
80 | slentando;だんだん遅く | |||
81 | f | |||
84 | p | |||
88 | ritenuto;ただちに速度を緩めて | pp | ||
第16番 | Presto con fuoco | 1 | f | |
18 | ff | |||
30 | stretto;だんだん緊迫して速く | |||
34 | sempre piu animato;引き続き,もっと勢いよく速く | |||
45 | ff | |||
第17番 |
Allegretto |
1 | p | |
11 | f | |||
35 | ff | |||
43 | p | |||
55 | f | |||
65 | sotto voce;ささやくように,音量を抑えて | pp | ||
84 | perdendosi;ペルデンドシ,だんだん遅く、そしてだんだん弱く。しだいに消えるように。 | |||
第18番 | Allegro molto | 17 | ff | |
20 | fff | |||
第19番 | Vivace | 1 | legato;切れ目なくなめらかに | |
70 | ff | |||
第20番 | Largo | 1 | ff | |
5 | p | |||
9 | pp | |||
12 | ritenuto;ただちに速度を緩めて | |||
第21番 | Cantabile | 17 | f | |
25 | pp | |||
39 | ff | |||
57 | f | |||
第22番 | Molto agitato | 1 | f | |
17 | ff | |||
30 | piu animato;もっと勢いよく速く | |||
40 | ff | |||
第23番 | Moderato | 1 | delicatissimo;とても繊細に | p |
12 | poco ritenuto;少しだけ,ただちに速度を緩めて | |||
13 | in tempo;正確な拍子で | |||
20 | smorz.;だんだん静まって | |||
第24番 | Allegro appassionato | 1 | f | |
19 | sempre forte;引き続き,フォルテで | |||
42 | con forza;力強く | |||
46 | p | |||
51 | f | |||
55 | ff | |||
60 | stretto;だんだん緊迫して速く | |||
61 | fff | |||
66 | sempre ff;引き続き,フォルテッシモで | |||
72 | stretto;だんだん緊迫して速く | |||
73 | fff |
ショパン 前奏曲集 概要
長期にわたって推敲が重ねられた最高傑作
ショパンの全作品258曲の中でも(ショパンの作品数については【ショパンの作品数~ズバリお答えします!~】をご覧ください),最高傑作を一つ選ぶとしたら,当サイト管理人は迷わず,この前奏曲集Op.28を選びます。
今際の際に聴きたい曲,人生の最後にピアノで弾きたい曲,それは,この前奏曲Op.28です。
完成したのは1839年の1月ですが,少なくとも1836年から,一説では1831年から書き始められ,長きにわたって天才ショパンが推敲に推敲を重ねた完全無欠の作品です。
悲劇のような悲惨な状況の中生まれた最高傑作
29才の青年ショパンは,作り物の悲劇のような悲惨な状況にありました。
祖国ポーランドはロシアに占領され,亡命者となったショパンは二度と祖国に足を踏み入れることはできません。
幸福に包まれた幼少時代の家庭をなつかしく思いやりながら,祖国の家族と会うことはできません。
望郷の念にかられながら,同じような幸せな家庭を築こうと求婚したマリアからは婚約を破棄され,理想的な家庭を築く夢は叶いませんでした。
ジョルジュ・サンドと恋仲にはなりましたが,ショパンが理想としていた家庭を築くための伴侶としては,あまりにも先進的で前衛的な女性でした。
サンドのような女性と深い関係になったことは,ワルシャワの家族に秘密にしてしまうような,後ろめたいものでした。
幼少の頃から弱かった身体は肺病に冒され,喀血を繰り返します。
医者からは結核だと診断され,そんな診断は間違いだと思ってはいましたが,心のどこかで,自分は結核なのかもしれないと気づきはじめていたかもしれません(現在では,ショパンはやはり結核を患っていたのだと結論づけられています)。
日光とさわやかな空気に恵まれた南国の楽園を夢見て訪れたマジョルカ島では,雨季が訪れ,天候は大荒れで悲惨な冬となりました。
結核と診断されたことで,滞在先の別荘から,家の消毒代やベッドの焼却と買い替えの代金を請求された上で追い出され,古い空き家のヴァルデモーザ修道院に引っ越すことを余儀なくされます。
村人たちには「男は肺病だそうだ」「あれは夫婦ではないらしい」「女がズボンをはいていた」「女が煙草をふかしていた」などと奇異の目で恐れられ,食料や日用品も普通には売ってもらえません。
作曲に使用しているピアノは借り物の安いピアノで,お気に入りのプレイエルのピアノは税関が法外な関税を要求して足止めをくって届きません。
暴風雨の中,サンドとその子どもたちの帰りを待って一人でいるときなどは,不安と絶望から幻覚と幻聴におそわれて涙します。
肺病に対する島民の迷信的な恐怖は異常になり,彼らはショパンが地獄に落ちる運命であることを信じ,このまま死ぬことがあっても島内に埋葬することは許さぬと脅します。
この島を脱出して文化的な街へ行かなければ,本当に死んでしまいそうなほど病状は悪化していました。
しかし,まずは航海に耐えられるまでに体力が回復しなければ,それは叶いません。
さらに,冬の地中海は時化る危険があります。
ショパンはこのとき,もしかしたらこのまま死ぬのではないかとの予感もあったと思います。
そんな中,やっと届いたプレイエルのピアノのおかげで少し元気が出て,書き溜めていた前奏曲に推敲を繰り返して,大作,前奏曲集Op.28を完成させました。
曲集が完成した後,マジョルカ島を脱してフランスを目指すことになりますが,その道中も悲惨でした。
肺病がうつってしまうからと,村人からは馬車を貸してもらえず,スプリングのない荷車で港までいき,ショパンは酷く喀血してしまいます。
港から船で出港しますが,ここでも結核だからと一番悪いベッドしか与えられず,船室は百頭もブタが積み込まれているデッキにありました。
死生観と対峙させられる作品
ショパンは,天性の和声的感覚を持ち,天から授かったような美しい旋律を生み出す天才でした。
それ以上に,ショパンが際立っているのは,納得のいく音楽ができるまで,何度でも推敲を重ねることができる,その完全主義にありました。
神からの啓示を授かる幸運と,受け取った天啓が具現化されるまで徹底的に推敲を重ねることができる完璧主義,これ以上ないほどの悲劇的な境遇,死の予感,力強いサンドの愛(サンドの介助がなければ作品の完成を前に死んでしまった可能性が高い),これら奇跡的な出会いによって,この曲集は生まれました。
冬の雨季の僧院の,寒さと雨音。侘びと寂び。美しい諦めの境地。
静かな夜にこの曲集を聴いていると,死生観と対峙させられます。
このような曲集を完成させたのが,29才(正確には誕生日直前の28才)だというのは驚きです。
ショパン 前奏曲集 曲集全体の構成
※各曲の詳細は,それぞれ別の記事を書きます。
- 第1番 ハ長調 アジタート,8分の2拍子。
- 正に前奏曲という曲調で,何か素敵なことが始まりそうな予感を感じさせ,聴いていると期待に胸が膨らみます。
- シンプルでエレガント,きらびやかで繊細,ハ長調なのに色彩豊か。バッハの平均律第一巻を彷彿とさせる珠玉の一曲目です。
- 中盤から出てくる5連符が心にぐっと迫りまる。
- 曲集は第6番まで,「急」の長調,「緩」の短調という,緩急の対比が続きます。
- 第2番 イ短調 レント,2分の2拍子。
- 終始調性が不明調で,終結部になってようやくイ短調であったことが判明します。19世紀前半の作曲ですから,当時としては極めて斬新で前衛的な作品だったと思われます。
はじめてこの曲集を耳にした当時の人々の驚きや戸惑いを想像すると興趣ひかれます。 - ホ短調→ニ長調→ト長調→ロ短調→・・・と調性が変わり続け,調性が感じ取られない状況は,聴いている側を不安にさせます。
- 調性の混沌からくる不安感と,音域の低さ,リズム感のなさなどが相まって,重苦しくおどろおどろしいグロテスクな世界が現れています。
- 2曲目にこんな曲を入れてしまう,ショパンのある意味挑戦的な,この曲集にかける意気込みと野心が伝わってきます。
- 終始調性が不明調で,終結部になってようやくイ短調であったことが判明します。19世紀前半の作曲ですから,当時としては極めて斬新で前衛的な作品だったと思われます。
- 第3番 ト長調 ヴィヴァーチェ,2分の2拍子。
- 2曲目の鬱々とした重苦しさがパーっと晴れわたるようで,2曲目との対比が鮮やかです。
- 軽やかな伴奏にのって,青空を飛翔するような旋律。まるで空を自由に飛んでいるような気持ちの良さがあります。
- 第1曲ハ長調と同様に,バッハの平均律第1巻が想起されます。
- 諧謔的な伴奏と,牧歌的な旋律,そして冒頭だけ10度の音程で始まる,玉を転がすようなユニゾンのエンディング。洒落ています。
- 第4番 ホ短調 ラルゴ,2分の2拍子。
- 「果たして、彼の不安は激しいものであったが、凍りついてしまったように、絶望の果ての落ち着きのなかにあった。そして、涙を流しながら、美しいプレリュードを弾いていた。」
~ジョルジュ・サンドの回想より~ - No.2イ短調とNo.3ト長調との見事な対比を経て,次は,No.4ホ短調,No.6ロ短調と,しっとりと情緒あふれる短調の曲が続きます。
左手伴奏・右手メロディのNo.4と,右手伴奏・左手メロディのNo.6で,対になっています。
No.4もNo.6も,単独で演奏される機会も多く,2曲とも”ピアノの詩人”ショパンの真骨頂とも言える名曲です。
この2曲は,2曲ともショパンの葬儀の際にもオルガンで演奏されました。 - いくら名曲とはいえ,同じ曲想のNo.4とNo.6が連続で演奏されると,どうしても,くどく感じてしまいます。
そこで間に挟まれる,演奏時間40秒ほどのNo.5ニ長調が絶妙な口直しとなります。No.4→5→6と3曲連続で配置されていることで,思う存分,ショパンの涙の雨音に心を震わせることができます
なお,No.4,5,6の3曲は,3曲とも「B(シ)」の音から曲が始まります。 - さて,第4番ですが,左手の伴奏は,和音を等間隔に鳴らすだけ。右手の旋律も,ほぼ同じ2音を交互に奏でるだけ。削ぎ落とせるものを,削ぎ落とせるだけ削ぎ落とした,究極の純粋音楽がここにあります。
左手伴奏の半音階的下降推移は見事で,右手の単純な反復旋律に色彩を与えます。
その憂鬱なハーモニーは常に色調を変化させ,感傷的だが,決してロマンチシズムに堕することがありません。人の世の本質的な儚さがそこにはあります。 - 残された僅かな精神力を振り絞るような,悲痛な叫びも束の間で,無気力に萎えるだけの絶望の果てに至り,終わります。
- 「果たして、彼の不安は激しいものであったが、凍りついてしまったように、絶望の果ての落ち着きのなかにあった。そして、涙を流しながら、美しいプレリュードを弾いていた。」
- 第5番 ニ長調 アレグロ・モルト,8分の3拍子。
- 速い曲想が短く凝縮されている優雅で楽しい作品。この曲単体でも十分に佳作なのですが,No.4ホ短調,No.6ロ短調という2曲の名曲を繋ぐ名脇役として,なくてはならない存在価値があります。
- 第6番 ロ短調 レント・アッサイ,4分の3拍子。
- 「彼の天才は自然の不思議な和音に満ちていましたが、それらの和音は、彼の楽想のなかにあるそれと等価値の崇高なもので置き換えられたものであり、外部の音の単なる模倣の繰り返しではありませんでした。その夜の作曲は雨滴れの音に溢れたものでしたが、その音は僧院の屋根に音をたてて落ちた雨だれであっても、彼の幻想と歌の中に、心の上に空から落ちる涙によって置き換えられた雨だれだったのです。」
~ジョルジュ・サンドの回想より~ - 第4番と対になっており,第6番は,右手伴奏,左手旋律で,逆転しています。また,第1番から続いた「奇数番目は長調の速い曲,偶数番目は短調の遅い曲」という流れが,いったんここで終了します。第一幕が終幕,といった感じでしょうか。
- 第4番では,メロディが極限まで簡素化されていましたが,第6番では,左手のメロディが,まるでチェロのように,豊かに歌い上げられます。
しかし,伴奏は,第4番よりもさらに簡素化されています。第4番では”和音”の連打だったのですが,第6番ではさらに簡略化され,単音の連打になります。 - 単音の連打,と言っても,”タン,タン,タン,タン,タン,・・・・”と単純に連打するのではなく,”ターン・タン,ターン・タン,ターン・タン,・・・・”と,抑揚がつけられ趣があります。これこそが,僧院の屋根に落ちる雨だれの音ですね。
凛として静かに奏でられる雨だれの音。ここには”侘び寂び”の心があります。 - 30年近い昔ですが,ポーランドの方とお話する機会があり,日本人の印象についてお聞きしたところ,「日本人はみんなショパンが好き,ショパンのおかげで,日本の観光客がポーランドに来る」と言っていました。
なぜ日本人はショパンを好むのか。それは,ショパンの音楽に”侘び寂び”を感じるから,かもしれません。
- 「彼の天才は自然の不思議な和音に満ちていましたが、それらの和音は、彼の楽想のなかにあるそれと等価値の崇高なもので置き換えられたものであり、外部の音の単なる模倣の繰り返しではありませんでした。その夜の作曲は雨滴れの音に溢れたものでしたが、その音は僧院の屋根に音をたてて落ちた雨だれであっても、彼の幻想と歌の中に、心の上に空から落ちる涙によって置き換えられた雨だれだったのです。」
- 第7番 イ長調 アンダンティーノ,4分の3拍子。
- 第1番より,奇数番号=長調の速い曲,偶数番号=短調の遅い曲,という流れが続いていましたが,第7番は,第6番に続いて遅い曲で,ここから順番が逆転します(例外はありますが)。第2幕の幕開けといった印象です。
- No.7→No.8の2曲を通して,”奇数番号=落ち着いた明るい平穏な長調の曲”,”偶数番号=激しく情熱的な短調の曲”という,これ以降の曲集の性格付けがされます。
- さて,この第7番はテレビのコマーシャルで使われていたこともあり,日本人には馴染み深い曲です。1分に満たない小品ですが,対旋律が秀逸で,愛らしい優美なマズルカ。こんなにも少ない音符で,こんなに美しい作品を作ってしまうショパンは流石です。
- モンポウがこの曲を主題にして長大な変奏曲を作曲しています。
- ショパンの作品には珍しく,後半に非常に大きな和音が出てきます。この和音が大変に美しいです。才能といえば,手の大きさぐらいしか備わっていない私ですが(私は無理をすれば11度が届きます),この和音をアルペジオにせず,美しく響かせることのできる手を持つことに,感謝しかありません。
- 第8番 嬰ヘ短調 モルト・アジタート,4分の4拍子。
- 嵐のような激情的な作品。しかし,暴力的な激しい作品ではなく,寂寥感を感じます。
- 同じ音型の分散和音が続くだけの単純な構成ですが,和声進行が素晴らしいので,まったく単調には感じません。
- フランツ・リストは,この曲こそが「雨だれの前奏曲だ」と言っていたそうですね。第6番とも,第15番とも違う,情熱的な雨音です。一瞬だけ長調に移行する場面が美しいです。
- 第9番 ホ長調 ラルゴ,4分の3拍子。
- 付点リズムと三連符とをどう合わせるかが,よく議論になります。結論からいくと,ずらさずにタイミングをあわせて弾くのが正解です(各曲解説で詳しく述べます)。
- No.7,No.8で”奇数番=穏やかで平和な長調の曲””偶数番=情熱的な短調の曲”であるとの宣言がなされたあと,No.9,10,11と,何気ない短い曲が続きます。前半クライマックスのNo.15,16が近づいてきていることもあり,ともするとこの3曲は聞き流してしまいますが,短いながらも,よく聴けば印象的な曲が続きます。
- さて,この第9番ですが,楽想の変化こそあまりないですが,リヒャルト・ワーグナーの管弦楽のような荘厳な響きが,雄大に奏でられます。
- 第10番 嬰ハ短調 アレグロ・モルト,4分の3拍子。
- 急降下するフレーズと,合間に挿入されるマズルカ風の合いの手の対比が愉しいです。駆け下りるフレーズの低音部伴奏もマズルカのリズムになっています。
24の前奏曲という大曲の中の一曲として,一瞬で過ぎてしまう場面になりますが,短いながら魅力的なマズルカです。
- 急降下するフレーズと,合間に挿入されるマズルカ風の合いの手の対比が愉しいです。駆け下りるフレーズの低音部伴奏もマズルカのリズムになっています。
- 第11番 ロ長調 ヴィヴァーチェ,8分の6拍子。
- No.10とともに,”繋ぎ”としての役割の色合いが強く,中間部に,次の第12番の嬰ト短調があらわれることからも,一層,そのように感じさせます。次のNo.12,No.13と力の入った作品が続くので,その導入という位置づけです。
- 何気ない小品ですが,随所に多声的な書法が用いられ,密度が濃く,美しい作品です。
- 第12番 嬰ト短調 プレスト,4分の3拍子。
- 情熱あふれる舞踏的な作品。緊迫感と迫力と躍動感。激しく踊り狂うような音響世界からは,狂気すら感じます。夢のように穏やかで美しい第13番との対比もすばらしいです。
- 第2番から続く,偶数番号の短調の曲も,これで6曲目。徐々に悲劇的要素が強まってきました。ここから偶数番号の短調の曲は,幾何級数的に悲劇的色合いを強めていきます。そして,奇数番号の長調の曲は,後になるほど,さらに穏やかに,さらに儚く,その幻想的な美しさを増していきます。
- 第13番 嬰ヘ長調 レント,4分の3拍子。
- 淡い色調の変化が味わい深い,夢のような美しい曲です。
- Lento.ではじまるのに,中間部はさらにPiu lento.ともっと遅くなるところが,良い意味で驚かされます。まるで美しい幻想の世界に引きずり込まれて,意識を奪われるかのようです。そして元のテンポに戻るところも,深い幻想の世界から,心地よい夢の世界へ引き戻されるようで,印象的です。
緩→急→緩,または急→緩→急のような,鮮やかで分かりやすい対比ではないのですが,Lento.→Piu lento.→Tempo I.の繋がりが実に印象的です。 - ショパンの自筆譜を見ると,拍子や速度標語を記入するのに,かなりの迷いがあったことが伺われます(当時はインクによる書き込みなので,消しゴムで消すような修正はできないので,修正の後が残されています)。拍子は,最初6/8と書かれ,その後それを消して,3/2に書き改めているようです(現在出版されている版では,ほとんどが4/6に改められています)。速度標語は初めにLento ma non troppo と記入され,その後Lentoだけを残してma non troppoは消され,さらにその後,その上にnon troppoが記入され,結局はこのnon troppo も消されています。
- 第14番 変ホ短調 アレグロ,2分の2拍子。
- いよいよ前半のクライマックス,No.15とNo.16がやってきます。その前置きとして,疾風のように過ぎ去ってしまう短い作品。この曲を単独で演奏しても,なんら完結した表現はなされませんが,No.13と,No.15とNo.16との間にこの曲が演奏されることで,絶大な効果を発揮しています。
- 陰鬱に,そして重々しく奏でられるオクターブユニゾン。第2番に匹敵するおどろおどろしさ。夢のように美しいNo.13との対比がすばらしく,また,No.15”雨だれの前奏曲”の甘美さを最大限引き出します。
- 第15番 変ニ長調「雨だれのプレリュード」 ソステヌート,4分の4拍子。
- 24曲からなる曲集の前半のクライマックスがやってきました。変ニ長調-変ロ短調の組み合わせも,ショパンらしくて良いです。
- 以降,偶数番号の短調の曲は,最終曲No.24へ向けて,悲劇的度合いを増していきます。とともに,奇数番号の長調の曲は益々儚く美しくなっていき,その対比から,穏やかで優美な奇数番号の作品も,涙なくして聴くことができません。
- 曲集の中でも最も有名な作品。ショパンの作品の中でも最も有名な作品の一つです。
「ショパン名曲集」の定番。曲集の中で最も演奏時間が長いです。 - 終始続く「変イ音」(中間部は嬰ハ短調で異名同音の「嬰ト音」)が”雨だれ”を連想させます。
- 甘くロマンチックな主部と,中間部の荘厳で古典的な厳格さとの対比もすばらしいです。
- この曲が単独で演奏されるならば,ただの幸福感に満ちた美しい曲になってしまっていたかもしれません。しかし,この曲集の,この場所に配置されることで,その甘美な儚さは「もののあわれ」を感じさせ,聴くものの心に染み入ります。
- 第16番 変ロ短調 プレスト・コン・フォコ,2分の2拍子。
- 曲集中の最難曲で,前半のクライマックスを担うとともに,技術的難易度の頂点となっています。その超絶技巧で聴くものを圧倒します。1~2分の短い曲ですが,その迫力は,最初の和音から最後の和音まで,息をするのも忘れてしまうほどです。
- いきなり叩きつける,6個の和音。疾風怒濤のごとく駆け巡る16音符。低音部伴奏も,和音の厚みと跳躍が凄まじいです。最後はユニゾンで,当時のピアノのほぼ最低音から最高音まで一気に駆け上がります。
- ”超絶技巧”が,人ならざる,大いなる存在を感じさせ,抗うことができない畏怖の存在に圧倒され,茫然自失となります。
しかし,実際に演奏してみると,意外と弾きやすく作られています。最も弾きにくい調がハ長調(白鍵ばかり使うので,人の5本の指を音階に載せようとすると窮屈になる)ならば,最も弾きやすい調が変ロ短調(人の手をそのまま鍵盤に乗せると,自然に音階が演奏できる)と言われていますが,最もなことだと感じます。変ロ短調だからこそ,人智を超えた超絶技巧を表現できるのだと言えるでしょう。
- 第17番 変イ長調 アレグレット,8分の6拍子。
- 和音連打の伴奏に牧歌的な美しいメロディ。和声的にも非常に凝った作りになっています。平和的で柔らかな響きが心地よい作品です。しかし魔王の技のごとき超絶技巧で圧倒されるNo.16と,恐ろしい音響世界のNo.18に挟まれ,このNo.17からも,美しい悲壮感が漂います。曲集も終盤になり,奇数番号の長調の作品が美しさを増すごとに,気高い悲しさが感じられます。
- 最終部は,No.15”雨だれ”で終始鳴らされた「変イ音」が,低音部で地響きのように何度も打ち鳴らされる中,美しい旋律が霧の中のように淡く聞こえてきます。
- 第18番 ヘ短調 アレグロ・モルト,2分の2拍子。
- 不協和音とユニゾンによる,即興的,狂乱の音響世界。聴くものを不安と恐怖に追い込む恐ろしい音楽です。後半の転調が常軌を逸しており,正気の沙汰とは思えません。
- オペラのレチタディーヴォ的で,音楽というよりは,高次元の存在が,未知の言語で,自然の摂理の非情を叫んでいるようです。
- この作品の最後の2つの和音は,fffで打ち鳴らされます。fffが登場するのはこの曲集で初めてになります。また,fffが登場するのは,このNo.18と最終曲No.24だけになります。
- 第19番 変ホ長調 ヴィヴァーチェ,4分の3拍子。
- 幼子が嬉戯するような,流麗で可憐な作品。No.18との懸隔が甚だしく,それが互いをより引き立てています。
- 子どもの遊戯のような可愛らしい作品ですが,実は演奏者泣かせの難曲です。延々と広い跳躍を繰り返すので,相当手の大きなピアニストでも演奏は大変です。実際,私は無理をすれば11度が届く手を有していますが,それでもちょっと力んでしまうとすぐに腕が疲れてしまって演奏ができなくなってしまいます。やっぱりピアノ演奏は,脱力が肝心です。
- しかも,いかにも難しいことを克服して頑張って演奏していることが伝わってしまうと大道芸的パフォーマンスで終わってしまい,この曲の持つ雰囲気や役割が台無しになってしまいます。難しいことをやり遂げていることを悟られないように,涼しい顔で,気軽に音遊びを楽しんでいる風でなければならず,そこがこの曲の演奏の最大の難しさです。
- No.16が実際は弾きやすいわりに人技離れた超絶技巧を表現しているのに対して,対極です。この作品で理想的な演奏をするためには相当の演奏技術と練習時間を要しますが,にも関わらず,理想的な演奏をしてしまうと,特に印象に残らず,爽やかに過ぎ去ってしまいます。ちょっと下手で雑な演奏のほうが,ピアニスティックで,単純に「すげ~!」と称賛を得ることができます。しかし,「すげ~!」と思われた瞬間,この曲集の大切な流れが,プッツリと途切れてしまい,結局はそれが大失敗なのです。
- 「すごい!」と思われないための努力。ピアニスト泣かせです。
- 第20番 ハ短調 ラルゴ,4分の4拍子。
- たった13小節からなる,単純な構造の作品。にも関わらず,崇高な嘆きと悲しみに満ちており感動的です。
- 最後の小節以外の12小節は,すべて”ターン,ターン,ターン・タ,ターン”という同じリズムで和音が鳴らされます。
- 同じリズムで和音を鳴らすだけの小節が,4小節で1フレーズを構成し,4小節+4小節+4小節+1小節で一つの作品となっています。
- しかも,2回目の4小節と,3回目の4小節はまったく同じ。最後の小節はハ短調の和音を一つ鳴らすだけ。
- こんなにも単純な作品なのに,深い悲哀が心に残る,印象的な作品となっています。ラフマニノフはこの曲を主題とする長大な変奏曲を作曲しています。
- ただ和音を鳴らすだけの音楽ですが,和声進行と内声の動きが素晴らしいです。
- 最初の4小節はffで荘厳に響き,続く4小節はpで悲しみを噛みしめるように静かに響きます。さらにもう一回ppで同じフレーズを繰り返し,最後はクレッシェンドして,最後にハ短調の主和音を鳴らす。強弱のつけ方が見事です。
- Largo.で始まるのに,riten.でさらに遅くしていく。速度の変化による表情づけも見事。
- 第21番 変ロ長調 カンタービレ,4分の3拍子。
- 左手伴奏の音型が,一音から始まって上下に分かれていく珍しい音型。そして晴れやかな旋律。牧歌的で幸福感あふれる美しい作品です。しかしNo.20の崇高な嘆きと,No.22の悲劇的な叫びに挟まれ,美しいからこそ,の儚さを感じます。
- 中間部の左手が,鐘がぐわらん,ぐわらんと鳴り響くようで,論理的思考がすべて真っ白にかき消されるようです。
- 第22番 ト短調 モルト・アジタート,8分の6拍子。
- 悲劇的な激しさが極まってきました。低音部旋律は執拗なまでにオクターブのみ。高音部の和音伴奏も強烈です。
- 中間部には強引に変ニ長調に転調されます。もはや正気とは思えません。
- 阿鼻叫喚,業火に焼かれるような,地獄の音楽です。
- 第23番 ヘ長調 モデラート,4分の4拍子。
- 曲集最後の長調の曲です。幻想的な美しさは,儚さが極まり,残滓の余韻しか残っていません。
- 分散和音とトリルが溶け合い,色彩はぼんやりと明度を上げていき,明清色となって淡い余韻だけが微かにのこります。
- 第24番 ニ短調 アレグロ・アパッショナート,8分の6拍子。
- いよいよ”24の前奏曲”の最終曲。最後を飾るにふさわしい,壮大な力作です。
- No.23の余韻を打ち破るような低音部伴奏から始まります。
- 幅広い音域を打ち鳴らす,迫力の低音部伴奏。主和音の三音を,一音ずつ叩くだけのような単純なメロディ。原始の細胞が煽動されるような,プリミティブな音楽。
- 手を伸ばし,引き戻され,それでも必死に抗って,微かに残る希望と意志を掴もうとするかのようにまた駆け上がる,悲痛なスケールとアルベジオ。
- そして,台風の目のような静寂ののち,3度の半音下降で,壁が崩れ落ち,すべてが崩壊します。
- 最終部はfffが登場。この曲集でfffが登場するのは,ほぼこの場面のみ。ショパンがいかに情熱的な表現を要求しているのかが分かります。オクターブによるメロディは激しくも下降の旋律。
- その後,2度にわたって下降音型があらわれ,最後は当時のピアノの最低音に近い「D音(ニ音,レの音)」を3度,強打して終わります。24曲からなる曲集の最後に相応しい,鬼気迫る最後です。
ショパン 前奏曲集 原典資料
自筆譜
1839年1月22日に,マジョルカ島からフォンタナの元へ送られた,24曲全ての自筆譜が現存していて,ワルシャワ国立図書館が所蔵しています。
この自筆譜を元にフランス初版が出版されました。
24曲全ての自筆譜が失われずに残っているなんてラッキーだわ!
フレデリックが書いては消し,書いては消し,入念に推敲した結果,随分見にくい箇所もあります。
ショパンが捧げた労力に比例するように,塗りつぶしたり,訂正を書き込んだり,といった修正箇所が多くみられます。
この自筆譜には様々な誤りや表記の不正確さが残っていて,臨時記号は多数省略されています。
フォンタナの写譜
ショパンの自筆譜をフォンタナが清書した写譜が,現物は失われていますが,コピーをワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
これを元にドイツ初版が出版されました。
注意深く写譜されてはいますが,写し間違えもたくさんありました。
特に重大なミスは,Op.28-12嬰ト短調と,Op.28-21変ロ長調の,それぞれの終わりに近い部分で,1小節丸ごと写し忘れて削除してしまっています。
フォンタナの写譜へのHermann Scholtzによる書き込み
フォンタナの写譜を長く所有していたHermann Scholtzが,鉛筆で,主に臨時記号を埋める書き込みをしています。
フランス版
フランス初版
- フランス初版
- 1839年6月出版。
- ショパンの自筆譜を元に出版されていて,ショパン自身による校正はされていません。
- フランス第二版
- 初版のすぐ後に出版。
- フランス初版の間違えが修正されています。フォンタナによる校訂がなされていると思われます。
- フランス第三版
- 1846年12月か,それよりも後の出版。
- 中身は第二版と同じです。
ショパンの生徒が使用したフランス版のコピー
ショパンが,生徒のレッスンで使用したフランス版のコピーには,間違えの修正や,運指,バリエーションなどが書き込まれています。
- カミーユ・デュボワ(旧姓オメアラ)のレッスンで使用されていたフランス初版のコピー
- Op.28-1, 3, 4, 6, 7, 9, 11-13, 15, 17-21, 23 & 24,
- パリ国立図書館が所蔵しています。
- 元々カルクブレンナーに師事していて,1843年から5年間ショパンにレッスンを受けた,プロのピアニストです。
- ジェーン・スターリングのレッスンで使用されていたフランス初版のコピー
- Op.28-2-4, 6, 7, 9, 11, 13-15, 17, 20, 21 & 24,
- パリ国立図書館が所蔵しています。
- シェルバトフ(Marie de Scherbatoff)のレッスンで使用されていたフランス初版のコピー
- Op.28-7, 11 & 16.
- ハーバード大学ホートン図書館が所蔵しています。
- ショパンの姉,ルドヴィカが使用していたフランス初版のコピー
- Op.28-4, 6, 9, 11, 15, 17 & 21,
- ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
ドイツ版
- ドイツ初版
- 1839年9月出版。
- フォンタナの写譜が元になっていて,たくさんの(勝手な)改訂と,間違えがあります。
- ショパンは校正をしていません。
- 前奏曲を6曲ずつ,4冊に分冊したバージョンもあるとのことですが,中身は同じです。
- ドイツ第二版
- 1852年より後の出版。
- たくさんの(勝手な)改訂がされているそうです。
- ドイツ第三版
- さらに小さな変更がされたバージョンです。
イギリス版
- イギリス初版
- 1839年8月出版。
- 14曲と10曲の分冊になっています。
- ショパンは校正をしていません。
- いくつかの前奏曲に運指が(勝手に)追加されています。
- イギリス第二版
- 1846年より後の出版。
その他の原典資料
作品全体ではなく,各曲ごとに個別の原典資料が存在しています。
- 曲全体の速記スケッチ
- Op.28-2,4
- 個人が所有していて,ワルシャワのショパン協会がコピーを所蔵しています。
- ジョルジュ・サンドが,おそらくフランス初版から写譜したもの
- Op.28-2,4,6,7,9
- 個人が所有していて,その写真が掲載されている書籍があるそうです。
- Op.28-3
- 失われてしまったもっと早い時期の自筆譜のフォンタナによる写譜を,ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
- Op.28-7
- 写譜者不明の筆写譜をオーストリア国立図書館が所蔵しています。
- Op.28-17
- ショパンの自筆で,モシェレスのアルバムに,65~72小節の断片が,「パリ,1839年11月9日」のサインとともに書き込まれています。
- 失われてしまったもっと早い時期の自筆譜のフォンタナによる写譜を,ウィーン楽友協会が所蔵しています。
- Op.28-20
- 「パリ,1840年1月30日」のサインとともに,Alfred de Beauchesne(アルフレッド・ド・ボーシェンヌ)にプレゼントされた自筆譜を,フランス国立図書館が所蔵しています。
この自筆譜は9~12小節目がなく,早い時期のバージョンだと思われます。 - 「パリ,1845年5月20日」のサインとともに,Anna Cheremeteffのアルバムに自筆譜が書き込まれていて,モスクワのロシア国立図書館が所蔵しています。
- ジョルジュ・サンドが,おそらく別の失われた自筆譜から写譜したものを,個人が所有しており,その写真が掲載されている書籍があるそうです。
- 「パリ,1840年1月30日」のサインとともに,Alfred de Beauchesne(アルフレッド・ド・ボーシェンヌ)にプレゼントされた自筆譜を,フランス国立図書館が所蔵しています。
前奏曲集Op.28は自筆譜を鵜呑みにできない!
上記の通り,前奏曲集OP.28は,ショパン自身の自筆譜が全て現存しているものの,明らかな間違えや,省略,間違えだと思われる箇所などがあるため,自筆譜を鵜呑みにすることはできません。
フォンタナの写譜も間違いが散見されるため,信用できません。
かといって,どの出版譜もショパン自身の校正がされておらず,しかも勝手に改訂されている部分も多く,ショパンのオリジナルを知る手段にはなりません。
自筆譜の完成から,写譜の作成,初版の出版という段階から,間違えのない完全な状態での楽譜は存在しなかったということになります。
現在,書店で販売されている前奏曲集の出版譜(数え切れないほどの種類の楽譜が流通しています)も,これらの間違った原典資料が出発点となって,コピーと改竄,そのまたコピーと改竄,とコピー・改竄が繰り返されて出版されている楽譜ばかりです。
ショパンが4年間(9年間)にわたって精力を傾けて推敲を重ねて完成させた作品ですから,ショパンのオリジナル,ショパンの本当の意図を知りたいです。
そこで,やはり頼りになるのが,エキエル版になります!
やはりエキエル版一択!
ポーランドのナショナル・エディションであるエキエル版は,自筆譜をもとにしながら,ショパンが間違えていると思われる箇所は,他の資料を比較検討して修正されています。
ショパンの,生徒の楽譜への書き込みまで丁寧に調べながら校訂作業がなされており,これぞ,ショパンの意図した完成形だと信頼できる楽譜です。
前奏曲集は自筆譜も読みにくく(ショパンの苦闘の痕跡は鬼気迫るものを感じます),ぱっと見ただけでは読み取りにくい箇所が多いです。
そして,各初版は,なぜそうなっているのか,納得できない箇所が多くあります。
エキエル版は隅々まで本当によく考えられていて,どこを見ても納得できる校訂になっています。
日本国内の書店で購入しようとすると高いですが,アマゾンなどで検索すると,海外から少し安く購入することができます。
このあたりの購入のコツは後日まとめたいと思います。
ショパン 前奏曲集~次から,1曲ずつ全曲解説をしていきます!~
今回は,ショパンの前奏曲集Op.28全体について解説しました。
次回からは,Op.28-1から順番に1曲ずつ,全曲を詳細に解説していきます!
今回は以上です!