ショパン 幻想即興曲 嬰ハ短調 Chopin Impromptu Cis-Moll WN 46(Op.66)

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映像はショパンの自筆譜ですが,演奏はエキエル版を使用しています。
一般に普及しているフォンタナ版ではなく,ショパン自筆の最終決定稿による原典版による演奏です。
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  1. ショパン 幻想即興曲 概要
    1. ショパンが生前に出版しなかった作品
    2. フォンタナによる遺作の出版
    3. 標題『幻想即興曲』
    4. 幻想即興曲は即興曲4曲中,最初に作曲された作品
    5. ショパンが幻想即興曲を生前に出版しなかった理由
      1. ベートーヴェンの月光ソナタ第3楽章に似ていたから
      2. モシェレスの即興曲 op.89に似ていたから
      3. デステ男爵夫人に依頼されて贈呈した作品だから
      4. ショパン自身は失敗作だと思っていた。
    6. 稀代のメロディメーカーショパンによる美しいメロディー
    7. ショパンが愛した嬰ハ短調
    8. モンポウ『ショパンの主題による変奏曲』の第10変奏
  2. ショパン 幻想即興曲 原典資料
    1. 失われた自筆譜
    2. 失われた自筆譜の写譜
      1. フランショームによる写譜(1つ目)
      2. フランショームによる写譜(2つ目)
      3. Fernando da Costaによる写譜
    3. 現存する自筆譜(最終的な決定稿)
  3. ショパン 幻想即興曲 フォンタナ版と原典版
    1. フォンタナ版
    2. 原典版
      1. ポーランド・ナショナル・エディション(エキエル版)
      2. その他の原典版
        1. ウィーン原典版
        2. ペータース原典版
        3. ペータース新校訂による原典版(新批判版)
        4. ヘンレ原典版 ツィンマーマン編
        5. ヘンレ原典版
  4. ショパン 幻想即興曲 構成
    1. 単純な構成
    2. 音楽的解決によって聴くものを一気に惹き付ける序奏
    3. 異名同音調による一体感
    4. ポリリズムの魅力
    5. 遠くからかすかに聞こえる中間部のメロディ
    6. 各所に散りばめられた仕掛けによって繰り返し聴きたくなる
  5. ショパン 幻想即興曲 自筆譜を詳しく見てみよう!
    1. 全景
    2. 冒頭
    3. 17小節目~ sempre piu animato
    4. 23小節目~ poco ritenuto
    5. 35小節目~ con forza
    6. 39~40小節目 繰り返し記号
    7. 41小節目~ 中間部冒頭
    8. 57小節目~ poco ritenuto と sotto voce
    9. 59小節目 左手伴奏が読み取りづらい
    10. 72小節目 修正忘れ
    11. 81小節目 smorzando
    12. 121~122小節目 大胆な記譜の省略
    13. 終結部分
  6. ショパン 幻想即興曲 演奏上の注意点
    1. ペダルの使用は控えぎみに
    2. 36~37小節目,114~115小節目のタイ
    3. 中間部の左手伴奏のテンポを一定に
    4. 自然なテンポの変化は重要
    5. ノクターン風の場面は伴奏が肝
    6. トリルは拍と同時に演奏する
    7. ターン・カデンツァはあわてずゆったりと,軽くなめらかに演奏する
    8. 前打音も拍と同時に演奏する
    9. 付点リズムと3連符は同時に演奏する
  7. ショパン 幻想即興曲 原典版による実際の演奏

ショパン 幻想即興曲 概要

ショパンの作品の中でも特によく知られた名曲です。
ショパンの作品の中でというよりも,あらゆるピアノ曲の中でも特に有名な作品の一つでしょう。

映画,ドラマ,アニメ,ゲーム,CMなど様々なメディアで頻繁に使われており,
この曲がショパンの作品であることは知らなくても,
この曲を聴いたことがないという人はいないでしょう

ピアノを習っている子どもたちにとっても,
ある程度上達したら弾いてみたいと憧れる作品の一つです。

後述しますが,一般に親しまれている演奏や録音はショパンの死後1855年に出版されたバージョンです(ショパンの死は1849年,39才)。
ショパンの友人であったフォンタナによって編集されたものになります。

ショパンの死後100年以上も後になって,1962年にショパンの自筆譜が発見されました。
これが最終決定稿になるのですが,フォンタナ版とは大きく違っています
フォンタナ版はもっと古い自筆譜が元になっているのと,
フォンタナが校訂の際に大幅に手を加えていることが原因です。

『幻想即興曲Fantaisie-Impromptu』という題名をつけたのもフォンタナでした。
Fantaisie-Impromptuはフランス語では後置修飾なので,即興的幻想曲と訳すのが正しいそうです。

フォンタナによる初版は,カール・チェルニー,そしてショパンの優秀な弟子だった,マルツェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人によって,出版された年にパリで初演されています

作曲家でもあったフォンタナの編曲はよくできていて,
『幻想即興曲』というキャッチーなタイトルのおかげもあって,
世界中で愛されるポピュラーな作品となりました。

今となっては,ショパンの自筆譜を元にしたオリジナルの演奏は,聴衆に「何か変だ」「おかしい」と違和感を生じさせるようになってしまいました。

ショパンを愛する者として,どんなに優れていても,やはり別人の編曲版ではなく,ショパンのオリジナルに触れ,ショパンの崇高な音楽を感じ取りたいです。

今回,原典版(エキエル版)の演奏を録音し公開しましたので,ぜひお聴きください

ショパンが生前に出版しなかった作品

ショパンの作品は全部で(おそらく)258曲ですが,そのうち生前に出版されたのは162曲

Op.4のピアノソナタ ハ短調はショパンが生前に出版するつもりだったのですが,
出版社が無名の作曲家の出版を渋ったため,結局は出版されたのがショパンの死の2年後の1851年になってしまいました。

Op.4のピアノソナタもふくめると,ショパンが生前に出版するつもりだった作品は,全部で163曲となります。
そのうち156曲には,Op.1からOp.65まで,ショパン自身が作品番号をつけています

ショパンの生前に出版された作品の中には,ショパンが作品番号をつけなかった曲が7曲あります。

ショパンが作品番号をつけずに出版した作品7曲
  1. チェロとピアノのための,マイヤベーアのオペラ「鬼のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲
    1833年(ショパン23才)作曲,同年出版。
    チェロパートはフランショームが作曲しています。
  2. 変奏曲「ヘクサメロン」の第6変奏
    1837年に,リスト主催で5人の作曲家による合作の変奏曲「ヘクサメロン」が作られました。
    ショパンは第6変奏(最後の変奏)を担当しています。
  3. 3つの新しい練習曲
    1839年秋,モシェレスからの依頼で3つの新しい練習曲を作曲し,1840年には出版されています。
  4. マズルカ『ノートルタン』と『エミール・ガイヤール』
    1839年ごろから2曲のマズルカが作曲され,1841~42年に出版されています。

作品番号をつけなかった7曲をふくめて163曲はショパンが生前に出版することを決めた作品です。
現在知られている作品のうち95曲は,ショパンは出版するつもりがなかった作品ということになります。

幻想即興曲もショパン自身は出版するつもりがなかった作品の一つです。

フォンタナによる遺作の出版

完璧主義だったショパンは,死ぬ直前に『未出版の作品は全部破棄してほしい』と遺言していました。

ショパン
ショパン

未出版の作品は全部破棄してね

しかし,ショパンの音楽を愛するものたちにとって,未出版の作品は,生前に出版された作品と同じ用に宝物です。

生前,ショパンの写譜や清書,出版(さらには多くの雑用までも)を長年手伝っていたフォンタナが,ショパンの遺作の整理のためにアメリカからパリへ呼ばれます。

遺された原稿の中から42曲がフォンタナに選出され,Op.66からOp.74までの作品番号が割り振られて,1855年に(Op.74は1857年に)出版されました。

フォンタナは遺作の出版にあたって,真っ先に幻想即興曲を出版することにしたようで,
ショパンの死後出版された作品番号の最初の番号であるOp.66がつけられました

現代のショパン愛好家が,失われるはずだったショパンの遺作に触れることができるのは,
フォンタナの献身的な仕事のおかげ
です。
フォンタナには感謝の気持ちでいっぱいです。

しかし,この出版には大きな問題もありました。
出版するにあたって,フォンタナが手を加えすぎているのです。

フォンタナによる遺作の出版では,恣意的に手が加えられ,さながら「フォンタナ編曲版」となっています

フォンタナ
フォンタナ

音楽家として再起をかけて渡米していた時期だったので,

作曲家としての魂に火がついちゃった。

ショパンの死後100年以上もたって1962年に,ショパンによる幻想即興曲の自筆譜がアルトゥール・ルービンシュタインによって発見(パリのオークションで落札したらしいです)されるまで,フォンタナ編曲版が決定稿として世界中で出版されてきました。

レコードやCDの普及によりフォンタナ版の演奏が世界にあふれ,
我々の耳はフォンタナ版の演奏にすっかり馴染んでしまっています

『幻想即興曲 Fantaisie-Impromptu』という題名もショパンがつけたのではなく,
フォンタナが出版する際につけたものでした

標題『幻想即興曲』

フランショームの写譜には「即興曲Impromptu」のタイトルがつけられています。
「即興曲」という形式名はショパンにも受け入れられていました

1837年に変イ長調の作品Op.29を出版する際に,
こういった性格の作品につけるべき形式として「即興曲」がふさわしいとみなされ,
その後,Op.29,Op.36,Op.51の3曲が「即興曲」として出版されました。

1834年にフォンタナからショパンの姉ルドヴィカへ送ったの手紙の中に,出版される予定の作品のリストが書かれています。
そのリストの中に『fantasy for Mme. d’Este デステ男爵夫人のための幻想曲』と書かれていました。

作品に標題的なタイトルをつけることを嫌っていたショパンは,
この文学的な標題を受け入れなかったことでしょう

ショパンの死後1955年に,フォンタナの手によって初版が出版される際に,
『幻想即興曲 Fantaisie-Impromptuという標題がつけられて出版されました。

なお,フランス語のFantaisie-Impromptuを直訳すると『即興的幻想曲』と訳すのが正しいそうです。

自身の作品に標題をつけることを嫌っていたショパンですが,
後世の人々によって,多くの作品に標題がつけられています
それだけショパンの作品が魅力的だということでしょう。

『英雄ポロネーズ』『雨だれのプレリュード』『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』『革命のエチュード』など,
音楽にあまり興味のない一般の方にも馴染みのある標題がつけられています。

ショパンの本意ではなかったにしても,これらの標題は作品の魅力をわかりやすく表現し,作品が世に広まる一助となっています。

『幻想即興曲』という標題も人の心を惹きつけ,覚えやすい,良いタイトルだと思います。

幻想即興曲は即興曲4曲中,最初に作曲された作品

ショパンは生前「即興曲(アンプロンプチュ)」を3曲出版しています。

  • Op.29 変イ長調 1837年(27才)作曲・出版「即興曲第1番」
  • Op.36 嬰ヘ長調 1839年(29才)作曲,1840年出版「即興曲第2番」
  • Op.51 変ト長調 1842年(32才)作曲,1843年出版「即興曲第3番」

1835年(25才)完成の幻想即興曲は,即興曲の中では最初に作曲された作品です。
しかし,ショパンの死後1855年に出版されたため,一般には「即興曲第4番」とされています。

デステ男爵夫人に献呈された決定稿は1835年の作曲ですが,
フォンタナが出版する際の元となった原稿は,それよりも1~2年前に書かれていたと思われます。

ショパンが幻想即興曲を生前に出版しなかった理由

幻想即興曲は,数あるショパンの作品の中でも代表作の一つです。

これだけ魅力的な作品を,ショパンは何故出版しなかったのか。
ショパン自身はその理由を語っておらず,後年,様々な説が生まれました。

ベートーヴェンの月光ソナタ第3楽章に似ていたから

たしかに,この部分だけ切り取って見れば完全に一致していますね。
しかし,これだけで「盗作だ」「モノマネだ」とはならないです。

モシェレスの即興曲 op.89に似ていたから

確かに見た目はそっくりですね。
しかし,演奏してみるとまるで違う曲です(当たり前ですが)。

即興曲の譜面って,似たような感じになるんじゃないでしょうか?

デステ男爵夫人に依頼されて贈呈した作品だから

現在最も有力な説です。
自筆譜には‘Composé pour Madame Ia Baronne d’Este par F.F.Chopin(デステ男爵夫人のために作曲。F.F.ショパン)’というショパンのサインが遺されています。

デステ男爵夫人には,Op.22『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』も(正式に)献呈されています。

献呈

当時の音楽界では「献呈」という文化がありました。

「献呈」とは作曲家が作品を特定の個人に捧げる行為です。
献呈者の名前は初版楽譜の表紙に明記されます。
お気に入りの作曲家や人気の作曲家の作品の表紙に名前が記載されることは,
大変名誉なことだったでしょう。

作曲家が貴族の保護なしには活動ができなかった時代です。
お世話になっている貴族へ献呈の打診をし,楽譜表紙に名前を入れて,初版楽譜を贈呈する,という貴族とのお付き合いは,昭和時代の日本のお歳暮やお中元のように欠かせないものでした。

ショパンが作品を献呈した献呈者をみると「~公爵」「~令嬢」「~男爵夫人」などと貴族の名前がずらりと並びます。

また,ショパンの時代には音楽家どうしで互いに作品を献呈しあうことで友情を深めるという付き合いもありました。

「献呈」は作品を出版する際に行われる行為です。
幻想即興曲は出版はされずに個人的に進呈されたので正式には「献呈」になりません。
Op.22『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』は出版される際に正式にデステ男爵夫人に「献呈」されています。

↑↑ショパン作品一覧では献呈者も確認することができます!↑↑

幻想即興曲がデステ男爵夫人に個人的に贈られた作品なので,
後から出版することができなかったのだろう,という説になります。

確かに有り得そうな説です。

ショパン自身は失敗作だと思っていた。

当サイト管理人はこれが一番の理由だと思っています。

A(急)-B(緩)-A(急)の3部形式で,Aの部分はまったく同じ(繰り返し記号で省略されている)。
中間部もababaという単純な繰り返しです。

単純な構成,というのはショパンの作品の美学の一つですが,
幻想即興曲はあまりにも単純すぎて,冗長だと言って良いでしょう。

伴奏も同じ音型が延々と繰り返されます。

ピアノ上級者は冗長だと感じられないように,弾き方を工夫するのですが,
そういった工夫が必要な時点で失敗だと言えます。

ショパンの作品は,もっと完成度が高いからこそ,特別なのです。

出版する(=ショパンの作品として世にのこる)ほどの意気込みはなく,
気軽に作曲して,プレゼントした

そういった作品なのだと思います。

ショパン自身は,まさか死後に出版されて,こんなにも人気の曲になるとは思っていなかったことでしょう

しかも決定稿としてデステ夫人にプレゼントしたバージョンではなく,
放っておいた古い自筆譜の写譜から,友人のフォンタナによって大幅に改変されたものが,
まるで代表作のように世界中で愛されるようになるなんて,ショパンも驚き
でしょう。

稀代のメロディメーカーショパンによる美しいメロディー

ショパンは人類史上最高のメロディメーカーでした(当サイト管理人の個人的な意見です)。

別れの曲,葬送行進曲の中間部,数々のノクターンなど,
美しくも儚さが感じられる旋律を数多くのこしました。

幻想即興曲の中間部の旋律も,ショパンの生み出した最高傑作の一つです。

左手伴奏6音に対して,右手旋律4音というポリリズムにより,
伴奏者とメロディ奏者の2名が協演しているような効果を生んでいます。

ショパンが切望した幸せな家庭

ショパンが生涯追い求めたのは「幸せな家庭」でした

ショパンというと,病弱ながら祖国ポーランドの復活の大志のために,
祖国ポーランドの音楽によって,ポーランド人の心を支えた偉大な人物だということいなっています。

ショパンが祖国ポーランドの復活を願い,ポーランド復活の活動への協力を惜しまなかったのは事実ですが,ショパンが本当に切望していた願いは,そんな大きなものではありませんでした。

幸せな家庭をつくりたい。そんなささやかな夢の実現こそがショパンの生涯にわたっての願いでした

幼少時代のショパンは幸せでした

愛国心が厚く,人格者で教養豊かな父ニコラスは,良心的できわめて徳望の高い人物でした。
母ユスチナの愛情は深く,明るい姉ルドヴィカは病弱なフレデリックをこの上なく可愛がってくれました。

二人の妹との仲も良く,姉妹3人に囲まれて,騒がしさや乱暴とは無縁の子ども時代を過ごしています。

20才でワルシャワを去り,生涯2度と祖国に帰ることはありませんでした。

当時の音楽家や芸術家は前衛的な人物が多かったですが,
ショパンは保守的でした。

「女性らしい」純潔で愛らしい女性,できればポーランド人の女性と結婚し,
幼少時代自分が育ち過ごしたような暖かい家庭をつくることこそが望みであり,
切望していました

1835年,25才のショパンは理想の女性に出会います。
マリア・ヴォジニスカはピアノも歌も絵も上手で,芸術に深い理解があり,育ちが良くて可憐で上品,なんといっても同じポーラーンド人でした。

やがてショパンはマリアに求婚し,マリアも求婚を受け入れました。
場所はドレスデン。1836年9月6日の夕暮れ,フレデリック26才,マリア17才のことでした。

しかし翌年1837年には,ショパンの健康を心配した家族からの反対を受け,
婚約が破棄されます。

作曲家・ピアニスト・ピアノ教師として名声も生活力も得た若きショパンが,
幸せな家庭を築きたいという切なる夢の実現を目指した恋でしたが,
この恋が叶うことはありませんでした。

その後,前衛的で偉大な女性,ジョルジュ・サンドと10年もの間,内縁関係となります。
ショパンとサンドは互いに互いを必要とし,愛し合っていたことは間違いありません。

しかしショパンが夢想していた家庭とはかけ離れたものでした。

長年にわたるサンドとの関係は周知のことになっているにもかかわらず,
常に後ろめたさを感じ,ワルシャワの家族にも正式には伝えていませんでした。

1847年,ショパン37才のとき,サンドとも破局します。

その後,美しい貴族の令嬢,ジェーン・スターリング嬢から熱烈なアプローチを受けますが,
ショパンは肉体的にも精神的にも,新しい恋をするような力は残っていませんでした。

1849年,39才でショパンは亡くなっています。

結局は「幸せな家庭をつくりたい」というささやかな夢は叶うことなく,
幼少時代の家族や友人と再会したいという思いだけを胸に,
結核で苦しみながら亡くなりました。

祖国を去って年月が過ぎるほどに,幼少のころの家庭の思い出はますます神格化され,病苦に満ちた亡命生活の,唯一の魂の故郷となりました。

幸せだった幼少時代のショパン家の思い出同じような幸せな家庭を築きたいという夢そんなささやかな夢が叶えられない儚さそんな思いがショパンの旋律にはこめられています

神をたたえたり,究極の「美」を求めたり,世界平和を願ったり,といった壮大なテーマの作品も感動的ですが,
ショパンの作品にこめられた思いこそ,現代人の心には響くのではないでしょうか。

ショパンが愛した嬰ハ短調

ショパンはその生涯の中で異名同音調も含めて25の調を作曲に使いました。

ショパンは15曲もの作品に嬰ハ短調を用いていて,
これは変イ長調(28曲),ハ長調(17曲),イ短調(16曲)に次いで4番目に多いです。

ハ長調やイ短調の作品は小品がほとんどで主要作品は少ないですが,
嬰ハ短調の作品は主要作品ばかりです。

嬰ハ短調の作品15曲中,13曲はショパン自身が作品番号をつけて生前に出版した作品です。

  • マズルカOp.6-2,Op.30-4,Op.41-4(多くの版ではOp.41-1となっている),Op.50-3,Op.63-3
  • エチュードOp.10-4,25-7
  • ポロネーズOp.26-1
  • ノクターンOp.27-1
  • 前奏曲Op.28-10
  • スケルツォ第3番Op.39 ※大曲
  • 前奏曲Op.45
  • ワルツOp.64-2

死後出版された2曲も,現在ではCMなどで頻繁に使われているポピュラーな作品です。

  • 幻想即興曲Op.66
  • ノクターン『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』

こうしてショパンの嬰ハ短調の作品を並べてみると,名曲ばかりです。

夢の中の水墨画の世界のような嬰ハ短調の響きが,
ショパンの作品に適していたのでしょう。

モンポウ『ショパンの主題による変奏曲』の第10変奏

フェデリコ・モンポウが,ショパンの前奏曲第7番イ長調を,まるごと1曲そのまま主題として,長大な変奏曲を作曲しています。
12の変奏からなる,演奏時間25分の大曲です。

この変奏曲の第10変奏では幻想即興曲の中間部が使われています

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ショパン 幻想即興曲 原典資料

失われた自筆譜

現存する自筆譜よりも古いバージョンの失われた自筆譜です。
3種類の写譜がのこされていて,フォンタナが編集した初版の元にもなっています。

1834年にフォンタナからショパンの姉ルドヴィカへ送った手紙の中に幻想即興曲についての記述があったことから,少なくとも1934年にはこの自筆譜が存在したと考えられます。

失われた自筆譜の写譜

失われた古いバージョンの自筆譜の写譜は3種類のこされていて,そのうちの2つはオーギュスト・フランショームによる写譜です。

Auguste Franchomme オーギュスト・フランショーム

1808年生まれの,フランスのチェリスト・作曲家です。

ショパンと親交を結び,1830年作曲の『ピアノとチェロのための,序奏と華麗なるポロネーズOp.3』ではチェロパートの手直しを手伝っています。

1833年作曲の『チェロとピアノのための,マイヤベーアのオペラ「鬼のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲』ではチェロパートを作曲しました。

ショパン最後の大作となった,1847年作曲の『チェロソナタト短調Op.65』はフランショームに献呈されています。

オーギュスト・フランショーム
オーギュスト・フランショーム

フランショームによる写譜(1つ目)

フランショームによる5ページの写譜をパリのフランス国立図書館が所蔵しています。

幻想即興曲だけでなく,「春」ピアノ版,マズルカイ短調Op.67-4も写譜されています。

フランショームによる写譜(2つ目)

フランショームの1つ目の写譜から,さらにフランショームが写譜したものです。
ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。

1849年1月の日付が書かれていて,幻想即興曲初版の初演をしたマルツェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人のために写譜されたものです。

Fernando da Costaによる写譜

Fernando da Costaという人が,Marie Liechtensteinという人のために書いた写譜を,ライプツィヒのドイツ国立図書館が所蔵しているそうです。

フランショームの写譜とは細部が異なっているということです。

エキエル版では古いバージョンの自筆譜も再現

エキエル版では,現存する決定稿の自筆譜の再現だけでなく,
古いバージョンの自筆譜の再現もされています。

フランショームの写譜を元に再現されています。

フォンタナもこの自筆譜をもとに初版を作成したはずですが,
再現された自筆譜をみると,フォンタナ版(フォンタナによる初版)は大幅に手が加えられていることがわかります。

現存する自筆譜(最終的な決定稿)

ショパン自身の手によって献辞「Composé pour Mme.[Madam] Ia Baronne d’Este par F.F.Chopin デステ男爵夫人のために,ショパン」と日付「パリ,1835年金曜日」が書かれています。

長年失わたと思われていましたが,1962年に名ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインがパリのオークションでこの自筆譜を発見し落札しています。

今もルービンシュタインの遺族がこの自筆譜を個人所有していると思われます。
コピーをワルシャワのショパン協会が所蔵しています。

演奏指示やアーティキュレーションなど細部まで注意を払って清書されていて,
失われた自筆譜とは異なる点が多数あります。

この自筆譜が幻想即興曲の決定稿です。

見開き2ページに収めるために,複数の様式の繰り返し記号が多数使われており,
注意深く読み取らないと,勘違いする可能性の高い記譜
になっています。

自筆譜の所有者であったルービンシュタイン自身も,
この自筆譜に従った録音をのこしていますが,
間違えて読譜したままの演奏を録音してしまっています

現在では,出版者が細部まで入念に読譜した上で,読みやすい譜面に再現した原典版が複数出版されています
良い時代になったと思います。

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ショパン 幻想即興曲 フォンタナ版と原典版

フォンタナ版

1855年7月にフランスとドイツで出版された初版です。
現存する自筆譜(1962年にアルトゥール・ルービンシュタインがパリで発見した自筆譜)とは別の,現在は失われてしまった自筆譜が元になっています。

フォンタナ版の元となった自筆譜は,ショパン自身は放棄しており,
現存する自筆譜の1~2年前に書かれたものだと思われます。

現存する自筆譜には1835年のサインがあり,
ショパン自身の手できれいに清書されていて,
デステ男爵夫人にプレゼントされた譜面で,
この現存する自筆譜が,最終的な決定稿になります。

フォンタナ版の元となった自筆譜は,フランショームなどが写譜したものは現存していて,
最終稿である自筆譜とは大きな違いがあります。

フォンタナは出版時にさらに恣意的な編集を加えており,
初版として出版された譜面は,ショパンが意図したものとは大きく違ったものとなりました。

『幻想即興曲 Fantaisie-Impromptu』というタイトルも,
初版が出版される際にフォンタナによってつけられたものです。

フォンタナは単調な繰り返しに少しずつ変化を与えていて,
この曲の弱点である冗長さを見事になくしています。

『幻想即興曲』というキャッチーな題名も功を奏して,
現代では,ショパンの作品の中でも,というよりも世界中のあらゆるピアノ曲の中でも,
特によく知られた作品となりました。

現在,たくさんの出版社から,数え切れないほどの種類の幻想即興曲の楽譜が売られています。
そのほとんどがフォンタナ版やフォンタナ版を元に編集されたバージョンになります。

一昔前まで音大生がこぞって使っていたパデレフスキ版に収録されていたのもフォンタナ版でした。

原典版

1962年にアルトゥール・ルービンシュタインがパリのオークションで発見した,
現存する自筆譜を元にした版がいくつか出版されています。

フォンタナ版の元になったと考えられる失われた自筆譜よりも後の時代の自筆譜で,
ショパン自身の手によってきれいに清書されており,
この自筆譜こそが幻想即興曲の決定稿になります。

ポーランド・ナショナル・エディション(エキエル版)

ポーランド・ナショナル・エディションはポーランド人でショパン研究家のヤン・エキエル氏を中心に,ポーランドの国家事業として1959年から2010年まで半世紀をかけて完成されました。

2005年にはショパン・コンクールの正式な推奨楽譜となっています。

生前出版された作品をまとめたAシリーズ(表紙がベージュ色)と,
没後に出版された作品をまとめたBシリーズ(表紙が白色)に分かれていて,
幻想即興曲はBシリーズの5番目『[B5]様々な作曲集』の中に収録されています。

Aシリーズの『[A3]即興曲』には収録されていないので気をつけてください。

幻想即興曲の自筆譜は複数種類の繰り返し記号が多用されていて,
読み取りが難しい
譜面になっています。

エキエル氏を中心にナショナルエディションの編集チームの智慧によって,
ショパンの意図が完全に再現された譜面となっています。

巻末には,フォンタナ版の元となった自筆譜も再現されています。
この自筆譜は失われていますが,フランショームなどの写譜は数種類現存しており,
現存する写譜から紐解いて「おそらく,こうだったであろう」という譜面が再現されています。

この譜面を見ると,古い方の自筆譜自体が,決定稿の自筆譜と大きく異なっていたことや,
フォンタナが大幅に手を加えていることなどが読み取れます。

フォンタナ版そのものは収録されていないので注意ください。
一般に広く普及しているバージョンの演奏を楽しみたい場合は,
フォンタナ版を購入しましょう。

書店などで販売されている楽譜はほとんどがフォンタナ版なので,
安価に入手できます。

フォンタナ版はIMSLPで無料でダウンロードすることもできます。

その他の原典版

ウィーン原典版

赤色の表紙が目印のウィーン原典版です。
アルトゥール・ルービンシュタインが発見した自筆資料が付録として収録されています。

ペータース原典版

緑色のバロック様式の枠線が目印のペータース版です。

原典版の幻想即興曲単独での出版譜です。
ページめくりが1回で済むように工夫されています。

付録にモシェレスの即興曲が収録されているのも面白い試みです。

ペータース新校訂による原典版(新批判版)

緑色のバロック様式の枠線が目印のペータース版です。

こちらは即興曲が4曲全て収録されていて,
幻想即興曲はフォンタナ版と原典版が両方収録されています。

ヘンレ原典版 ツィンマーマン編

青灰色の表紙が目印のヘンレ原典版です。

原典版とフォンタナ版の両方の幻想即興曲が収録されています。

ヘンレ原典版

青灰色の表紙が目印のヘンレ原典版です。

こちらは即興曲が4曲全て収録されていて,
幻想即興曲はフォンタナ版と原典版が両方収録されています。

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ショパン 幻想即興曲 構成

単純な構成

序奏主部A(aba)中間部B(ccdcdc)再現部Aコーダという典型的な複合三部形式でできており,アナリーゼはまったく不要です。

単純である,というのはショパンの美点の一つですが,
この作品はあまりにも単純すぎて単調になっている感があります。

再現部は「Dal segno al piu lento e poi」と繰り返しの指示があるのみで,音符や演奏指示は一つも記譜されていません。

ショパンは三部形式の作品も多いですが,再現部には省略や変化を与えて,非対称の美しさを創りだすことが多いのですが,
幻想即興曲では単純に主部を繰り返すだけなので,どうしても単調になります。

フォンタナ版では,主部はアレグロ・アジタート,再現部にはプレストの指示を(勝手に)書いて,
この単調さを回避しようとしています。

中間部は典型的な複合三部形式ではc-d-cという三部形式にするのですが,
この作品はc-c-d-c-d-cと何回も同じところを繰り返すため,冗長と言わざるを得ません。

中間部を譜面通り単調に弾いてしまうと,聴く方はタイクツになります。
演奏には単調な繰り返しにならないような工夫が必要です。
こういった工夫が必要であるというのが,ショパンの作品にふさわしい完成度に至っていない証拠です。

一度完成したものを,そこからさらに一歩上の次元にたどり着くまで推敲を重ねるのがショパンの天才なのですが,幻想即興曲はさらなる高みへ至る一歩前の状態といえるでしょう。

主部もa-b-a’という単純な三部形式ですが,a部とa’部とが非対称になっており,
ショパンらしいすばらしい完成度です。

構成の単調さはあるものの,作品全体に魅力的な工夫が散りばめられており,
各所の魅力的な仕掛けによって,ここまで世界中で愛され
るようになったのでしょう。

音楽的解決によって聴くものを一気に惹き付ける序奏

キャッチーな序奏で始まります。
冒頭から属音Ⅴから主音Ⅰへ,という典型的な音楽的解決によって,聴くものを一気に惹きつけます

属音から主音への解決こそ,音楽上の最高の喜びの瞬間といえます。
いきなり低音オクターブで鳴らされる嬰ハ短調の音楽的解決は,メチャクチャカッコ良くてシビレます。

異名同音調による一体感

嬰ハ短調,2分の2拍子,アレグロ・アジタート。
中間部は変ニ長調です。
当サイト管理人は,ショパンの変ニ長調が大好きです

嬰ハ短調と変ニ長調は異名同主調なので,曲全体の一体感につながっています。

理論的には嬰ハ短調の同主調である嬰ハ長調になるところですが,
嬰ハ長調は調号に♯を7個も使うため,あまり使われません。
ショパンも嬰ハ長調の作品を書いたことはなく,異名同音調の変ニ長調を使っています。

嬰ハ短調と変ニ長調の主和音「C♯EG♯」と「D♭FA♭」は,C♯とD♭G♯とA♭は同じ音,異名同音です。主和音の真ん中の音EとFが半音違うだけで,ここまで和音の響きが変わるというのは音楽の不思議です。

ポリリズムの魅力

主部は6:8,中間部は6:4のポリリズムになっていて,
この微妙なリズムのズレが「即興(アドリブ)」性を生み出しています。

また,この微妙なリズムのズレが,割り切れないような複雑な心象を生み出し,聴くものの心をグッとつかみます。

ポリリズムの効果により,主部では駆け抜ける疾走感や,駆り立てられる焦燥感が生まれています。
中間部では伴奏者とメロディ奏者の2名が二重奏を奏でているような効果を生み出しています。

遠くからかすかに聞こえる中間部のメロディ

曲の最後,中間部の美しいメロディが遠くからかすかに聞こえてきます。
そして曲は静かに終わります。

感動的なラストです。

各所に散りばめられた仕掛けによって繰り返し聴きたくなる

一気に惹きつけられる序奏,ポリリズムにより心に迫ってくる主部,儚くも美しい懐かしく響く中間部のメロディ,異名同音調による曲全体のまとまり,中間部の美しい旋律が遠くから淡く聞こえてくる終結部など,魅力的な仕掛けが随所に散りばめられています。

この魅力的な仕掛けの数々により,聴くものの心をとらえ,記憶に残り,また繰り返し聴きたくなる作品となっています。

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ショパン 幻想即興曲 自筆譜を詳しく見てみよう!

全景

繰り返し記号が多用され,見開き2ページにちょうど収められています。

冒頭

右上に,ショパン自筆の献辞「Composé pour Madam Ia Baronne d’Este par F.F.Chopin デステ男爵夫人のために F.F. Chopinより」が書かれています。

拍子は2分の2拍子です(縦棒が入っています)。
現在売られている楽譜の中には4分の4拍子になってしまっているものがたくさんあります。

左手伴奏は拍の頭と最高音(4番目の音)にアクセントがつけられています。

記譜は丁寧で,粗原稿ではなく,最終的な清書です。

主部にはペダルの指示がありません。
中間部の冒頭にはペダルの指示が丁寧に記譜されていますので,
暗に「主部はペダルの使用を控えるように」という指示になります。

17小節目~ sempre piu animato

主部の中間部,17小節目からsempre piu animato 常に今までより速く の記譜があります。

フォンタナ版(初版)では書かれていません。

23小節目~ poco ritenuto

35小節目~ con forza

36小節目から37小節目にかけての左手の和音は,
内声のC♯音とE音はタイでつながれています。

自筆譜の所有者であったルービンシュタインの演奏では,このタイを無視して,
37小節目1拍目の音も4音を鳴らしてしまっています。

39~40小節目 繰り返し記号

主部の最後,39~40小節目では,という記号を用いて2箇所の記譜が省略されています。

これは直前の1拍を繰り返すものだと勘違いしてしまうと,
2回目のと弾いてしまうことになります。

ここは2箇所のは両方ともと演奏するのが正解でしょう。

41小節目~ 中間部冒頭

piu lento;今までより遅く
sostenuto;音価を十分に長く保って
con anima;活気をもって(イタリア語を直訳すると魂を込めて)

中間部の冒頭41~44小節目には丁寧にペダル指示が記譜されています。

他の部分はペダルの使用を極力控えて,この部分は思い切りペダルを使用することになります。

57小節目~ poco ritenuto と sotto voce

59小節目 左手伴奏が読み取りづらい

59小節目の左手伴奏ですが,修正の跡があって,記譜が読み取りづらいです。
同様の箇所である71小節目はきれいに読み取れるので,
59小節目も同じ音型が意図されていたと思われます。

72小節目 修正忘れ

72小節目の左手伴奏ですが,このまま演奏するとA♭とE♭がユニゾンになって,随分と目立ってしまいます。

ショパンは60小節目の同様な箇所ではユニゾンにならないように修正しています。
同様の箇所である72小節目も,60小節目と同じように演奏するべきです。

60小節目を修正したショパンですが,72小節目は修正を忘れたのだと思います。

81小節目 smorzando

121~122小節目 大胆な記譜の省略

自筆譜をみると,120小節目のあと,譜面の右端にが書き込まれています。

この不自然な記譜は,119小節目の1拍目をに変えて,119~120小節目をもう一度繰り返して演奏することを意図して書き込まれたものになります。

エキエル版は省略をせずに正しい譜面を再現しています。
121~122小節がまるごとの記譜だけで省略されていたことになります。

121小節目が119小節目の単なる繰り返しだとすると,左手の4番目の音はG#になるのですが,
ここはE音にするほうが音楽的に自然です。

エキエル版ではちゃんとE音に修正されています。

自筆譜の所有者であったルービンシュタインの演奏では,譜面右端のは完全に無視されて,
120小節目のあと,いきなり123小節目にとんでしまっています。

終結部分

accel.=accelerando;だんだん速く
sotto voce;ささやくような声で
rall.=rallentando;だんだん遅く

最後に,Paris, Vendredi 1835 パリ,1835年,金曜日のサインが書き遺されています。

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ショパン 幻想即興曲 演奏上の注意点

ペダルの使用は控えぎみに

ショパンは中間部の冒頭をのぞき,ペダル指示を書いていません。
暗に,ペダルを使用しすぎないように,と指示されていることになります。

左手伴奏にはsempre legatoの指示が書かれていますが,
ペダルに頼らずに,レガートを実現しましょう。

ペダルは使用を控えるだけで,まったく使わないわけではありません。
ピアノが豊かに響くように浅くペダルを使用します。

36~37小節目,114~115小節目のタイ

左手の和音ですが,内声のC#音とE音はタイでつながれています。
ショパンの指示を蔑ろにせず忠実に演奏に反映させましょう。

中間部の左手伴奏のテンポを一定に

ショパンの演奏は《ルバート》が重要
ショパンのルバートは《テンポ・ルバート》である
などと,よく言われます。まったくその通りです。

テンポ・ルバートとは「盗まれた時間」という意味で,音符の長さを一部盗み取ることを指します。つまり,音の時間的長さを音符どうしでやり取りするだけなので,全体のテンポは変化しません

例えば,神童モーツァルトがソナタのアダージョを弾くとき,自由に揺れ動く右手のメロディーに引きずられることなく,その左手は拍子を正確に保って伴奏しました

ショパンは弟子たちに「左手の伴奏はいつでも正確なテンポを保持する様に」と言っています。

テンポ(リズム)は,メロディー(旋律),ハーモニー(和声)とともに,音楽の重要な要素の一つです。
メロディーを歌わせるためだからといって,テンポを狂わせてしまっては,音楽そのものが崩れます

テンポ・ルバートは幻想即興曲の中間部のように,伴奏にのせて旋律を歌い上げる場面で重要となります。

左手伴奏のテンポが,くねくね・ねちねちと変化すると,ショパンらしい上品さが失われます
左手伴奏はテンポを一定に保ちましょう。

その上で,右手旋律は自由に歌いあげましょう。

自然なテンポの変化は重要

ショパンは,テンポ・ルバートとは別に,自然なテンポの揺れも重要視していました

ritenutoやrall.などの演奏指示でテンポの揺れを指示することもありますし,
装飾音によって自然にテンポの揺れを発生させることもあります。

また,前項で「左手のテンポは一定に」と書きましたが,
当然,機械的にテンポを一定に保ってしまっては音楽になりません

例えば,幻想即興曲中間部の左手伴奏の音型でしたら,
ややゆっくり弾き始めて,音が高くなるにつれて加速しながら音量を上げていき,
音が下がってくるにつれて減速しながら音量を下げるのが自然な演奏
です。

テンポを一定に保つことと,自然なテンポの揺れを発生させることと,
上手に両立させましょう。

ノクターン風の場面は伴奏が肝

幻想即興曲中間部のように,伴奏にのせて旋律を歌い上げるノクターン風の場面は,
ショパンの作品に頻繁に出てきます。

指が速くまわって,難しい箇所も器用に演奏する演奏者でも,
ノクターン風の場面ではからっきしダメ!という演奏者も多いです。

ノクターン風場面が,自然に流れるように美しく演奏できるかどうかが,
ピアノ上級者か,そうでないかの差だと言えるかもしれません

ピアノ連弾では上級者が低音パートを担当することが多いです。
音楽にとって,旋律パートよりも伴奏パートの方が重要だからです。

伴奏は音楽全体の土台となります。
音楽の重要な3要素は,旋律と和声とリズムですが,伴奏はこのうち和声とリズムを担っています。

伴奏がしっかりしていれば音楽が成立すると言っても良いでしょう

ノクターン風の場面が美しく演奏できない演奏者は,
旋律を歌い上げることばかりに気がいって,伴奏には注意が向いていないことが多いです。

幻想即興曲の中間部も,中々美しく演奏できない方は,
左手伴奏の練習に力を入れてみてください。

旋律を声に出して歌いながら,両手で伴奏を演奏する練習がオススメです

上手く演奏できるようになったら,今度は左手だけで伴奏を演奏しながら,メロディを声に出して歌う練習をしてみましょう。

主部も,右手の速いパッセージがよく練習されていて上手に弾けていても,
左手伴奏がたどたどしいと,音楽全体がまとまりません。

どうしても右手の速いパッセージに気持ちが向いてしまいますが,
左手伴奏の練習に力を入れることで,上級者の演奏に近づくことができるかもしれません。

トリルは拍と同時に演奏する

中間部にトリルが数回出てきます。

2種類の記譜法が使われていますが,基本的には奏法は同じです。
も同じように演奏します

なお,幻想即興曲の中間部のように複数の記譜法が混在する場面では,
記譜法によって奏法を変えることもできます。
当サイト管理人は特に区別せずに演奏します。

そんなことよりも重要なのは拍と同時に演奏することです。
拍と同時に演奏することで,「こぶし」をまわすような,もしくは「しゃくり(ベンドアップ)」で歌い出すような効果を旋律に与えます

間違えて拍よりも早く先取りで演奏すると,主音に不自然なアクセントをつけてしまうだけになります。「歌うような」旋律を奏でることはできません。

ターン・カデンツァはあわてずゆったりと,軽くなめらかに演奏する

中間部にはターンやカデンツァも書かれています。
演奏上の注意点が2点あります。

  1. あわてずゆったりと演奏する。
    そうすることで流れるようにテンポが自然と変化します。
    なお,このテンポの変化はテンポ・ルバートではなく,テンポそのものの変化です。
  2. 軽やかになめらかに演奏する。
    大きな音符で書かれた主要な音符とは,明確に弾き分けます。

前打音も拍と同時に演奏する

中間部には前打音も書かれています。
トリルと同様に,前打音も拍と同時に演奏します。

プロの演奏家でも,間違えて先取りで演奏していることがほとんどです。
名盤としてのこされている録音の数々もほとんどが間違えて先取りで演奏しています。

ショパンの前打音には,ピアノの打撃音をやわらげる役割があるのですが,
先取りで演奏すると,逆に打撃音を強めることになってしまいます。

CDなどの録音を手本に演奏すると間違えることになる可能性が高いので気をつけましょう。

付点リズムと3連符は同時に演奏する

左手の3連符(6連符)の伴奏にのせて,右手は付点リズムの旋律を奏でます。
この付点リズムと3連符は同時に演奏します。

ただし,機械的に同時に合わせる必要はありません
テンポが一定に保たれた左手伴奏にのせて,右手旋律はテンポ・ルバートによって自由に歌い上げて構いません。
テンポ・ルバートの結果,タイミングがずれて音が鳴らされるのは,自然な演奏です。

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ショパン 幻想即興曲 原典版による実際の演奏

フォンタナが恣意的な編集を加えた初版が出版された1855年から100年以上たった1962年,
アルトゥール・ルービンシュタインがパリのオークションでショパンの自筆譜を落札しました。

その後ルービンシュタインは自筆譜を元に録音をのこしています

フォンタナ版の演奏が長年,世界中で親しまれてきたことと,
自筆譜とフォンタナ版との差異があまりにも大きかったこともあり,
「ルービンシュタン版」と呼ばれて,フォンタナ版とは区別されました。

ルービンシュタインが所有していた自筆譜による演奏のため,音の相違があるので購入には注意が必要”などと紹介され,
まるでフォンタナ版が正規の楽譜で,自筆譜を元にしたルービンシュタインの演奏はキワモノのような扱いをされることも多かったです。

20世紀は「原典」よりも「伝統」を重んじる傾向にあり,
過去の偉大なピアニストの演奏に準じた演奏こそが正統派で,
ショパンの自筆譜を再現しようとしたルービンシュタインの演奏は異端視されました。

21世紀になり,作曲家が作曲したときの「原典」こそがホンモノであると考えられるようになりました。
ショパンの作品も,ポーランド人でショパン研究家のヤン・エキエル氏の努力により,ポーランドの国家事業である「ショパン・ナショナル・エディション」が出版され,現代の我々は,ショパンのオリジナルに触れることができるようになりました。

ショパンの自筆譜は複数種類の繰り返し記号が使われて,無理やり見開き2ページに収められています
入念に研究しなければ勘違いしてしまう記譜もあり,
ルービンシュタインもショパンの記譜を勘違いして読譜した演奏になってしまっています。

ルービンシュタインの演奏は装飾音の演奏も「伝統的な」間違えた奏法になっています。
ルービンシュタインは自筆譜をせっかく所有していたにも関わらず細部まで読譜がされておらず,
タイを無視していたりもします

「ショパン・ナショナル・エディション」ではエキエル氏をはじめとしたショパン研究家たちの深い考察を経て,ショパンの「原典」が完全に再現された譜面になっています

2005年にショパンコンクールがエキエル版を正式採用したことで,
ショパンの作品も「原典に忠実な」演奏が増えてきました。

しかし幻想即興曲は

  • フォンタナ版があまりにも普及してしまっている
  • 一般に知られるフォンタナ版と原典であるエキエル版との差異が大きい

以上の理由から現在(2021年)でも,プロの演奏家でもフォンタナ版での演奏がほとんどです。
聴衆のほとんどはショパンの原典のことなど深く考えたことがないでしょう。
何の知識もなくエキエル版の演奏を耳にすると「何だこれは」「ヘンだ」「おかしい」と感じてしまいます。

幻想即興曲はショパンの作品の中で,音楽的に重要な作品ではありません。
「原典に忠実に」「ショパンの本当の意図はこれだ」などと真剣に研究する対象にはなりません。

演奏者も聴衆も,肩の力を抜いて気軽に音楽を楽しむのなら,
世界中の人々が慣れ親しんでいるフォンタナ版の演奏の方がふさわしいのかもしれません。

最近ではYou Tubeなどでアマチュア・ピアニストの演奏もたくさん配信されています。
当サイト管理人もチャンネルを開設しています。

そんなアマチュアのピアニストの中には,原典版の演奏を公開している方もたくさんおられます。
こういった演奏を気軽に楽しめる時代になったことは喜ばしいことです。

今回,当サイト管理人も原典版による幻想即興曲の演奏を公開しました

  • 動画内に表示されているのはショパンの自筆譜の画像ですが,
    演奏はポーランド・ナショナル・エディションの『エキエル版( https://amzn.to/35awIa2 )』を使っています。
  • ショパンの自筆譜をご覧いただきながら,エキエル版に忠実な演奏を楽しんでいただけるようにしました。
  • エキエル版を使用しているため,自筆譜の繰り返し記号の読み取り間違いはありません。
    正しくショパンが意図した通りの演奏になっています。
  • アクセントやスラーなどのアーティキュレーション,強弱の指示,発想記号,タイなどの演奏指示も,エキエル版(自筆譜)を完全再現しました。
  • 中間部に装飾音が多数出てきますが,伝統的な間違えた奏法ではなく,
    正しい奏法で演奏しました。

ぜひお聴きください!

今回は以上です!

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