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※当サイト管理人,”林 秀樹”の演奏です。2020年11月25日録音。
◆Op.28-7のみ再生
◆24曲全曲再生リスト
ショパン 前奏曲 Op.28-7 概要
前奏曲集 第2幕の幕開け
第1番より,
- 奇数番号=長調の速い曲
- 偶数番号=短調の遅い曲
という流れが続いていました。
第7番は,第6番に続いて遅い曲で,ここから順番が逆転します(例外はありますが)。
第2幕の幕開けといった印象です。
第7番→第8番の2曲を通して,
- 奇数番号=儚くも美しい長調の曲
- 偶数番号=激しく悲劇的な短調の曲
という,これ以降の曲集の性格付けがされます。
テレビコマーシャルでお馴染み
この第7番は太田胃散のテレビコマーシャルで長年使われていることもあり,日本人には馴染み深い曲です。
日本では,この曲を聴いたことがない人はいないのではないでしょうか。
ショパンの曲だとは知らなくて,太田胃散のCM曲だと思っている人もいることでしょう。
《参考リンク》
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ショパンの魅力があふれるキャッチーな旋律は心に残ります。
コマーシャルで使用されるのもうなずけます。
たった16小節の珠玉の名曲
たった16小節,1分に満たない小品ですが,繊細にしてエレガント。優美なマズルカ。
こんなにも少ない音符で,こんなにも美しい作品をつくってしまうショパン。
これぞショパン!という珠玉の名曲です。
主旋律はもちろん,対旋律が見事です。
主旋律と対旋律が協和して最初から最後まで美しい和声が愛らしく響きます。
12小節目の嬰ヘ短調の属七の和音(広い音域の和音)から13小節目にロ短調へ転調されるところは,
何度弾いても(聴いても)感極まります。
美しい旋律は上品で愛らしいだけでなく,切なさや儚さも漂います。
第4番,第6番と,情緒あふれる短調の名曲が続きました。
世の無常を静かに受け入れるような,美しい諦めの境地がそこにはありました。
その直後に演奏される第7番は,暗闇の中に愛おしく咲く一輪の花のようです。
dolce;甘く,優しく,柔らかに
冒頭に「dolce;甘く,優しく,柔らかに」の指示が書き込まれています。
前奏曲集全24曲の中で「dolce」の指示があるのは,唯一この曲だけです。
第7番以降,奇数番の曲はすべて長調の穏やかな曲が続きます。
どの曲も,ショパンが指示を書き込んでいなくても「dolce」で演奏することは当然といえます。
その中で,ショパンは唯一この曲に,あえて「dolce」と書き込んでいるのです。
ショパンのこの曲に対する愛おしい思いが伝わってきます。
モンポウ『ショパンの主題による変奏曲』
フェデリコ・モンポウが,この第7番まるごとそのまま1曲を主題として,長大な変奏曲を作曲しています。
12の変奏からなる,演奏時間25分の大曲です。
たった1分で終わってしまう珠玉の名曲を,お腹いっぱいになるまで何度も楽しむことができます。
第10変奏には幻想即興曲Op.66の中間部も使われています。
作曲されたのは1957年(1938年に第1,2,3,5変奏は完成していたそうですが)。
近代的な和声法で作曲されていますが,ショパン作曲の主題の和声もその色彩の豊かさでは引けを取りません。
ショパンがこの曲を出版したのは1839年。
100年以上前に作曲された主題が,色褪せずに近代的なモンポウの和声と同じように豊かな色彩を帯びていることには驚きます。
ショパン 前奏曲 Op.28-7 構成
基本情報
- イ長調
- Andantino;Andante(歩くような速さで)より速く。
- 4分の3拍子
- 典型的なマズルです。
- dolce;甘く,優しく,柔らかに
- ショパンがdolceを書き込んだのは,24曲の前奏曲集の中で,唯一この曲だけです。
シンプルで分かりやすい形式,マズルのリズム,属調から主調への解決の繰り返しと一瞬の平行調への転調,曲の短さ。
キャッチーな曲の教科書のような作品です。
教科書通りで分かりやすい曲なのに,天からの啓示を受けたような崇高さがあります。
あらためて,ショパン最高!です。
シンプルで分かりやすい形式
たった16小節の小品ですが,形式もはっきりしており,誰にでも分かりやすい作品になっています。
8小節+8小節の2部形式。
さらに,4小節ごとに区切って”起承転結”の分かりやすい構造です。
解決を繰り返す和声進行
主調はイ長調ですから,属調はホ長調です。
属調から主調への解決こそ,音楽における最高の喜びといえます。
譜例のように,ホ長調からイ長調への解決が何度も繰り返されます。
音楽的な”気持ちよさ”が繰り返され,安らかな天上の喜びを感じます。
前半8小節はだんだん音域が下がっていきますが,
後半に入って,属調から主調への解決ののち,いっきに高音域へ駆け上がります。
この,曲中の最高音域で鳴らされるのが,イ長調の平行調である嬰ヘ短調の属七の和音です。
天国のような属調→主調の繰り返しは,確かに心地よいですが,刺激もほしくなります。
その絶妙なタイミングでの平行短調への移調は脳がシビレます。
嬰ヘ短調はロ短調の属調です。
嬰ヘ短調のたった1つの和音,しかし強烈で心揺さぶる和音は,すぐにロ短調へと解決されます。
その後ロ短調からホ長調へと転調されますが,この転調は曲中で唯一,あまり関係の近くない調への転調です。
しかし内声部のB→A→G♯,そして低音部のF♯→Eが,無理なく自然にホ長調へと導いています。
そして,最後もホ長調からイ長調へと解決して,最上の喜びと安心感の中,曲は終わります。
このように和声進行は型どおりで,旋律もほぼその和音の構成音(いわゆるコードトーン)のみでできています。
にも関わらず,その旋律はキャッチーで聴くものの心を掴み離しません。
その和声は,印象派のような近代的和声法に比肩する豊かな色彩があります。
嬰ヘ短調の属七の和音
この嬰ヘ短調の属七の和音は,通常ショパンが扱わないような広い音域で書かれており,小さな手では弾きにくい和音が使われています。
”演奏法”のところで後述しますが,小さな手でも弾きやすいように様々な奏法が存在します。
でも,ショパンが記譜したとおりに弾いてみると,「これしかない」という絶妙な配置で音が置かれています。
ショパンが記譜した完成形の和音を弾いて(聴いて)しまうと,これ以外の和音は味気なく物足りないものに感じます。
例えば,モンポウはその変奏曲で,Op.28-7を1曲まるごとそのまま主題にしていますが,
この嬰ヘ短調の和音は,小さな手でも弾きやすいように,中音域のA♯が省略されています。
オリジナルとモンポウの省略版とを弾き比べて(聴き比べて)みると,その違いに驚きます。
モンポウの省略版でも十分に感動的な響きがあります。
しかしたった1音,A♯が加わるだけで,その響きは天上界の音のようです。
嬰ヘ短調の属七の和音といっても,ピアノでは様々な鳴らし方があります。
ショパンは誰よりも試行錯誤と推敲を重ねる作曲家です。
この和音に至るまでに,どれほどの時間と労力,精神力を費やしたのかは想像に難くありません。
この和音は,1の指(親指)一つでA♯とC♯の2音を抑えるという特殊な弾き方をします。
何気なくピアノを弾いていて,偶然弾いてしまうような和音ではありません。
例えばモンポウが記譜したような和音に至ったとき,ほとんどの作曲家はこれで満足してしまうのではないでしょうか。
ところがショパンはさらなる高みを目指して,時間をかけて音を探し続けます。
- さらなる高みがあることを感じ取り気づくことができる
- その消えてしまいそうな天からの啓示を逃すことなく,とらえるまで諦めずに追い求め続けることができる
これこそが,ショパンの天才です。
ショパン 前奏曲 Op.28-7 版による違い
自筆譜自体に臨時記号が抜けている箇所があるため,後世の楽譜に様々な間違いを残してしまっています。
11小節目 Dの♯が抜けている
自筆譜,フランス初版,ドイツ初版では,D音(レの音)の臨時記号♯が抜けています。
これは明らかに必要な臨時記号です。
ジェーン・スターリング,そしてシェルバトフ(Marie de Scherbatoff)がレッスンで使用していたフランス初版のコピーには,ショパンが臨時記号を書き加えています。
13小節目 ナチュラルが抜けている
自筆譜,フランス初版では,必要な♮が抜けています。
カミーユ・デュボワ(旧姓オメアラ)のレッスンで使用されていたフランス初版のコピーでは,ショパンがナチュラルを書き加えています。
15小節目 ドイツ初版のみ間違い
ドイツ初版のみ,2箇所の間違いがあります。
- 3拍目の左手の和音に,余分なE音(ミの音)がある
- 長前打音が短前打音になっている(斜め棒が入っている)
ドイツ版の間違いですね。
ショパン 前奏曲 Op.28-7 自筆譜を詳しく見てみよう!
全景
たった16小節の小品です。
3段にきれいにおさめられています。
冒頭
- ローマ数字で「Ⅶ」
- 何かが塗りつぶされて,Andantinoに書き換えられています。
- 丁寧に塗りつぶされているため,もともとが読み取れません。気になります・・・
- dolce;甘く,優しく,柔らかに
- dolceの指示は,24曲の前奏曲集で,唯一この曲のみ。
- 4分の3拍子
- 曲中唯一の強弱記号「p(ピアノ)」
- ペダル指示も丁寧です。
9小節目 推敲の跡
一度消して,余白の五線譜に書き直したあと,さらに塗りつぶして,結局はもとに戻したようです。
もとに戻す前,どのように変更されていたのかは,丁寧に塗りつぶされていて読み取れません。
気になります・・・
11~12小節目 1の指で2つの音を抑える
- 右手の1の指(親指)で,A♯とC♯を同時に抑えることが明確に指示されています。
- こんな和音にたどりついてしまうショパン。天才です。
- 音符の位置をずらしただけのような訂正が見られます。
13小節目~最後 ペダルを離す記号が消されている
各調性の根音となる1拍目の音が1オクターブ下に下げられています。
長前打音のあと,わざわざ塗りつぶして音符の位置をずらしています。
最後,ペダルを離す記号(φのような記号)がわざわざ消されています。
これは,ショパンの他の作品を研究するときにも重要な事実です。
ショパンは,曲の最後の和音ではペダルを離す記号を書いたり,書かなかったりしています。
曲の最後にペダルを離すのか,ペダルを踏んだままにするのか。
ショパンはきまぐれではなく,熟考の上で決定していることが分かります。
演奏者は曲の最後にペダルを離す指示があるのか,ないのかをよく確認し,
演奏に反映させるべきだということです。
ショパン 前奏曲 Op.28-7 演奏上の注意点
初心者におすすめ!
技術的に容易な曲で,初心者におすすめです!
それでいて,幸福感に包まれるような天上の喜びにあふれる名曲です。
ショパンへの入門曲として,難しいことは考えずに,楽しんで弾いていただきたい曲です。
大きな手が必要な箇所がありますが,小さな手でも弾くことができる奏法があります。
これは後ほど紹介します。
Andantinoなのでゆっくりすぎないように
Andantinoは「4分音符=90」ぐらいで演奏するのが標準です。
この速さですと,30~40秒ほどで1曲が弾き終わります。
まさにCM曲にぴったりですね。
この速さで,付点のリズムをやや鋭く演奏すると,典型的なマズルカ(マズル)になります。
しかし当サイト管理人はかなり遅く演奏しています。
その理由は,
- あまり速くしすぎると,第4番Largo,第6番Lentoとの対比で実際より速く聞こえる。
- 第7番→第8番の2曲を通して,奇数番は”ゆっくり”,偶数番は”速い”という性格付けがされる。
ためです。
当サイト管理人は,24曲の前奏曲集全体のバランスを考えてゆっくり演奏していますが,これは標準的な演奏ではありません。
まずは標準的な速さで,優雅な舞曲マズルカをイメージして演奏するべきではないかと思います。
12小節目 音域の広い和音
ショパンの作品にはめずらしく,音域の広い和音が出てきます。
この和音は,この作品の肝(きも)となる重要な和音です。
この和音が美しく響くかどうかが,この作品の演奏の成否を分けます。
幸運にも当サイト管理人の手は日本人としてはかなり大きいです。
(私は無理をすれば11度が届きます。)
苦もなくこの和音を美しく響かせることがでいる手を持つことに感謝しかありません。
そもそもショパンの時代はピアノの鍵盤の幅がもっと狭かったそうです。
詳細はOp.28-2の解説記事の「ショパンの時代はピアノの鍵盤が細かった!」をご覧ください。
高身長で手の大きな男性ピアニストに合わせて作られている現代ピアノでは,この和音は弾きにくいですね。
小さな手でも演奏可能な奏法が2つあります。
上の譜例を参考にしてください。
- 1つは,ジェーン・スターリングのレッスン用の楽譜に,ショパン自身が書き込んだ奏法です。
- もう1つは,モンポウ『ショパンの主題による変奏曲』の主題に書かれている奏法です。
また,音を省略せずに,すべての音をアルペッジョで演奏する方法もあるでしょう。
いずれにせよ,これらの奏法では天から啓示を受けたような,この和音の響きは失われてしまうことは避けられません。
物理的に届かないものは努力では変えられませんが,できるだけオリジナルの和音を響かせたい場面ではあります。
15小節目 長前打音
長前打音は拍と同時に
ショパンの前打音は拍と同時に演奏します。
先取りで演奏してしまうと,そこだけ音が詰まって,つまずいたような,あわてたような感じになり,ズッコケます。
ところが,このズッコケ演奏が世界中にあふれているため,今や,ズッコケ演奏が標準のようになっています。
天上界の昼下がりのようなまどろみの中,最後の最後にいきなりタップダンスを踊るような違和感。
どんなに素晴らしい演奏でも,最後に「ツッッタタ,ターン」と変なリズムがやってきてしまうのではないかという恐れで,
落ち着いて聴いていられない曲になってしまっています。
そのせいで,安心感に包まれるはずのこの曲で,最後までドキドキハラハラしながら,この前打音のときを待たねばなりません。
著作権の切れたショパンの作品を,どのように演奏するも演奏者の自由です。
しかし,この前打音だけは,拍と同時に演奏することが世界標準になることを心から祈っています・・・
また,長前打音は短前打音ではありません。十分に音を長く伸ばします。
長前打音はもともと,バロック時代には記譜された通りの音価で弾かれていました。
しかしバロック時代の様式で演奏すると,さすがに音価が長すぎます。
しかし短前打音ではないので,十分に音を長く伸ばします。
具体的には上の譜例のように演奏するのがベストです。
ショパンがここに長前打音を書いたのは何故か。
それは,旋律がオクターブ上へ飛ぶためです。
いきなりぽんぽんとオクターブ上へメロディが飛んでしまうと,電子オルゴールのように機械的になります。
長前打音を入れることで,しゃくり(ベンドアップ)の効果が生まれて,歌うように旋律を奏でることができるのです。
一度,声に出してこの部分を歌ってみることをおすすめします。
そして歌うようにこの旋律を弾こうとするとき,この長前打音がいかに重要かがわかります。
dolce;甘く,優しく,柔らかに
ショパンは24曲の前奏曲集の中で,唯一この曲だけに,あえて「dolce」と書き込んでいます。
このあと,前奏曲集の奇数番目の作品は,長調の穏やかな作品が続きます。
ショパンの作品ではどれも「dolce」で演奏するのは当然です。
そんな中,ショパンはあえて「dolce」と書き込んでいるのです。
優しく,柔らかに,愛らしく,流麗に。
ショパンがこの曲に込めた愛おしい思いを感じ取りましょう。
ショパン 前奏曲 Op.28-7 実際の演奏
当サイト管理人の演奏です。
※当サイト管理人,”林 秀樹”の演奏です。2020年11月25日録音。
◆Op.28-7のみ再生
◆24曲全曲再生リスト
本来,前奏曲集は24曲全曲を通して演奏するべきなのですが,今回は各曲の解説が目的なので,1曲ごとに区切って演奏を公開していきます。
ショパンの意図を忠実に再現しようとしています。
(なかなか難しいですが・・・)
ぜひ,お聴きください!
今回は以上です!