2022年4月6日
なんでも鑑定団で ショパンの手紙が紹介されていました!
本日 2022年4月6日,ショパンの生涯 ジョルジュ・サンドとの生活1836年26歳~1847年37歳など一部の記事にアクセスが急増していることに気が付きました。
![しょくぱん しょくぱん](https://fchopin.net/wp-content/uploads/2021/07/%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%88.jpg)
何かあったんだろうか?
と思い,調べてみると,
昨日の夜,テレビ東京の “お宝 なんでも鑑定団” でショパンの手紙が紹介されていました!
既に放送は終わってしまっていますが,以下のリンクより視聴することができます。
視聴期限は 4月12日(火)21:53 となっています。
番組で紹介された手紙
![2022年4月5日 テレビ東京 “開運 なんでも鑑定団” で紹介された ショパンの手紙 2022年4月5日 テレビ東京 "開運 なんでも鑑定団" で紹介された ショパンの手紙](https://fchopin.net/wp-content/uploads/2022/04/image2.png)
上の画像が 番組で紹介されていた ショパンの手紙です。
番組内では,画面いっぱいに拡大された映像も確認することができます。
当サイト管理人が見たところ,ショパンの他の手紙の筆跡と比べると やや乱筆な印象でした。
しかし 番組の最後,専門家が「ホンモノ」だと判定し 400万円という鑑定額がつけられましたので,おそらく本物なのでしょう。
本物だとしたら,おそらくショパン研究家たちにも その存在がほとんど知られていない手紙だと思います。
番組ではマジョルカ島の僧院や,マジョルカ島にあるショパンのピアノ,ノアンにあるサンドの別荘などの高解像度の映像も映されています。
最近ではすっかりテレビを見なくなっていましたが,やっぱりテレビはすごいですね。
手紙の来歴
高校で世界史の教員をなさっていた方が,生徒に興味を持たせるために,エジソンやヘレン・ケラーなど 偉人の手紙や直筆のサインを収集し,授業で生徒に見せていたとのこと。
今回,この元高校教師の方が番組に出演され,コレクションの中でも最も高額だった ショパンの手紙を持参されていました。
20年ほど前に 海外のオークションで140万円で落札したものだということです。
このオークションでは他にもショパンの自筆譜も出品されていたそうで,そちらに人気が集まったため,運良く手に入れることができた とのことです。
手紙の内容
宛先
![テレビ東京 "なんでも鑑定団" にショパンの手紙が登場! テレビ東京 "なんでも鑑定団" にショパンの手紙が登場!](https://fchopin.net/wp-content/uploads/2022/04/image4.png)
宛先は Monsieur Maurice Schlesinger モーリス・シュレサンジェ となっていました。
ショパンが生前出版した フランス語版の楽譜の大半を出版した出版社ですね。
文面
![テレビ東京 "なんでも鑑定団" にショパンの手紙が登場! テレビ東京 "なんでも鑑定団" にショパンの手紙が登場!](https://fchopin.net/wp-content/uploads/2022/04/image5.jpg)
![手紙,レター 手紙,レター](https://fchopin.net/wp-content/uploads/2020/12/image-12.jpg)
親愛なる友へ
もしサン=ラザール通りを通ることがあれば,
5番地にある我が家に
少しだけ立ち寄ってもらえないでしょうか。
風邪を引いてしまって遠出ができないのです。
いつでも,都合の良い時に来てくださって結構です。
もし忘れずに来ていただけたなら,
大変うれしいです。
![テレビ東京 "なんでも鑑定団" にショパンの手紙が登場! テレビ東京 "なんでも鑑定団" にショパンの手紙が登場!](https://fchopin.net/wp-content/uploads/2022/04/image3.png)
「5番地にある我が家」と書かれています。
おそらくショパンがショセ=ダンタン通り5番地に住んでいた1833年~1836年ごろに書かれた手紙なのでしょう。
手紙に書かれているサン=ラザール通りとショパンが住んでいたショセ=ダンタン通りの位置関係は 上の地図のようになっています。
ショパンがポーランドを旅立って,パリに流れ着いたのが1831年の9月末~10月ごろ。
ショパンが初めてフランス語版の楽譜を出版したのが1833年でした。
このときの出版社もモーリス・シュレサンジェでした。
後年になると,譜面の清書や出版社とのやり取りは友人に任せっきりになってしまいますが,
この頃は,フランス語版の出版にはショパン自身が積極的に関わっていました。
おそらく作品の出版についての打ち合わせや書類のやり取りをするための連絡だったのだろうと想像できます。
今回は以上です!