2021年7月に,譜例や画像をすべて刷新しました!
また,文章の書式にも大幅に手を加えました。
今までよりもさらに読みやすくなったと思います。
ぜひご覧ください!
- ショパン 英雄ポロネーズ 基本情報
- ショパン 英雄ポロネーズ 概要
- ショパン 英雄ポロネーズ 構成
- ショパン 英雄ポロネーズ 楽譜による違い
- 数多くの原典資料
- 版による違い
- 冒頭から各版,違うところがたくさん(1-3小節目)
- 5小節目 フランス初版だけ音が違う
- 17-18小節目と21-22小節目 ペダル指示が各版バラバラ
- 19-20小節目 アルペッジョの付け方がバラバラ
- 28小節目 音に違い 各版バラバラ
- 29小節目 左手アルペッジョの付け方がバラバラ
- 30小節目 ペダル指示が各版バラバラ
- 44小節目 フランス初版のみ音が抜けている
- 46小節目 イギリス初版のみ音が違う
- 50小節目 イギリス初版のみ最低音の動きが違う
- 58-59小節目 ドイツ初版のみ音が違う
- 61小節目 フランス初版のみ音が違う
- 64小節目 スケールカデンツァの記譜されている場所がバラバラ
- 81-82小節目 アルペッジョの記譜が各版バラバラ
- 82小節目 フランス初版のみppではない
- 85小節目 フランス初版だけ演奏指示がない
- 81~119小節目(中間部の前半部分) ショパンこだわりのアーティキュレーション
- 94小節目・114小節目 イギリス初版のみ音が抜けている
- 96小節目 フランス初版だけ音が違う
- 97小節目,117小節目 各版バラバラ
- 129-130小節目 フランス初版のみpがない
- 136小節目 スラーの付け方が各版バラバラ
- 141小節目 32分休符があったりなかったり
- 143小節目~ C音へのアクセントのつけかた
- 148小節目,150小節目 間違えて♮をわざわざつけている
- 155小節目 フランス初版のみff
- 170小節目 各版バラバラ
- 175小節目 イギリス初版のみ音が違う
- 楽譜を1冊だけ買うなら,エキエル版一択!
- 自筆譜・初版譜が閲覧できるサイト
- ショパン 英雄ポロネーズ 演奏上の注意点
- ショパン 英雄ポロネーズ 実際の演奏
ショパン 英雄ポロネーズ 基本情報
- 俗称;英雄ポロネーズ
- この俗称は広く一般に浸透していますが,ショパン自身がつけた標題ではありません(ショパン自身は作品に標題をつけることを嫌っていました)。
- 作品番号;Op.53 *Op.53はショパン自身がつけた作品番号です。
- BI147 *BI147はモーリス・ブラウンが作成した作品目録の番号です。
- 作曲年;1842年 *ショパン32才の作曲
- 形式;ポロネーズ
- 調性;変イ長調 (独)As-Dur (英)A flat major
- 初版;
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジュ,1843年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,1843年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル,1845年
- 献呈;オーギュスト・レオ
- ショパンと親しい付き合いのあった銀行家です。音楽ファンで,ショパンの大ファン。ショパンの経済状態が悪いときには惜しみなく資金援助をしていた人です。
- 自筆譜;ニューヨーク,ハイネマン財団(ピアポント・モーガン・ライブラリー)が所蔵
ショパン 英雄ポロネーズ 概要
ノアンで傑作の数々を生み出した1842年の夏
ジョルジュ=サンドとの交際も5年目となる1842年の夏の作曲。
ジョルジュ=サンドとの交際期間は,夏はサンド所有のノアンの別荘で過ごし,以外の季節はパリで暮らす生活を送っていました。
3度目のノアンでの夏となる1842年の夏,ショパンはノアンの別荘で数々の傑作を生み出しています。
サンドとの交際は1838年にはじまりましたが,1838年の夏はマジョルカ島で過ごし,1840年は経済的問題からノアンに行くことができなかったので,1842年の夏が3度目のノアンになります。
1841年の4月に続き,1842年2月のパリでの演奏会が大成功を収めており,経済的な余裕のあった年でした。
5月,学生時代からの友人だったヤン・マトゥシンスキが亡くなり,ショパンはショックで体調を崩します。
ショパンは生来体が弱く(結核を患っていた),精神面が体調に影響する性格で,このときもずっと床に伏したままになるほど衰弱してしまいました。
静養のため,サンドとショパンはノアンへいき,6月に親友のドラクロワが遊びに来たことで,ショパンは元気を取り戻しました。
この夏に作曲された傑作の数々は,ドラクロワとの芸術談義の影響が色濃く反映されています。
技巧的な余分なものが徹底的に排除され,あくまでも簡潔に処理されていながら,より大きな構想のもとに綿密に組み立てられ,細部にまで分析的な心遣いが示され,驚くばかりに豊かで強烈な印象深い作品が作り上げられています。
この夏は,英雄ポロネースOp.53,バラード第4番ヘ短調Op.53,スケルツォ第4番Op.54,即興曲第3番変ト長調Op.51などの傑作が生み出されています。
芸術のための最高難易度の演奏技術
この夏の作品には最高難易度の演奏技術も求められます。
例えば,英雄ポロネーズの中間部の低音のオクターブの連打,バラード第4番のコーダなど,技術的な難所として有名です。
しかし,芸術として完璧に完成されるように音を配置したら,技術的に演奏困難になってしまっただけであり,決して大道芸的パフォーマンスで観客ウケを狙うものではありません。
演奏技術の未熟な演奏者が演奏すると,「なんか,難しそうなことを大変そうにやってる!すごい!」とまるでサーカスのような演奏になってしまいます。
ショパンが思い描いた音楽を再現するためには,技術的な問題がクリアされ,余裕を持って演奏できることが前提となるため,ピアノ曲としては,ほぼ最高レベルの難易度の作品だと言えます。
ポーランド民族精神の象徴
「ポロネーズ」はフランス語で「ポーランド風の」という意味です。
宮廷舞踏音楽として,国際的に認めらたポーランド発祥の文化で,ポーランドの民族精神の象徴です。
ショパンの祖国ポーランドは地図上から消え,ショパンの故郷ワルシャワはロシアに占領されています。
亡命してパリ市民となったショパンは2度と祖国に入ることができません。
パリ市内にはショパンと同じ境遇の,亡命したポーランド文化人が集結していました。
祖国が失われようとも,ポーランドの民族精神は芸術の最高到達点として力強く生きて輝いている!
憂国の士を慰め,奮い立たせる,魂の音楽なのです。
大衆にも分かりやすい名曲
英雄ポロネーズは,ショパンの作品の中でも芸術的頂点の一つです。
しかし決して難解な音楽ではありません。
繰り返されるキャッチーで壮麗な旋律,16小節をかたまりとする簡明な形式。
部分部分がすべて起承転結の分かりやすい構成で,アナリーゼ(楽曲分析)など不要。
誰でも1度聴いただけで,この曲の魅力が理解できます。
雄大,華麗でありながら,決して暴力的ではなく,健康的で明るい曲調の奥からは,闘志と共に深い絶望が,そして僅かながらも美しい希望が伝わってきます。
ジャズやポップミュージックのように気軽に楽しむことができ,なおかつ,
万人に崇高な感動を与える名曲です。
ショパン 英雄ポロネーズ 構成
- Maestoso(荘重に)
- 4分の3拍子
- 複合三部形式(序奏-A’ABA-CD-A-コーダ)
- 分かりやすい起(序奏)-承(A’ABA)-転(CD)-結(A-コーダ)の構造をしています。
- 各部分もそれぞれのレベルで起承転結の構造をしており,有機的に密接につながっています。
- 起承転結の分かりやすい構造を軸に,たくさんの起承転結を立体的に織り合わせることで,分かりやすさと,深い精神性を兼ね備えることに成功しています。
序奏16小節
起承転結の分かりやすい序奏
英雄ポロネーズは16小節の長く壮大な序奏から始まります。
4小節×4つの部分に分かれており,明快な起承転結の構造を持っています。
作品全体の「起」を担う
序奏部分16小節全体が,作品全体の「起」の部分を担っています。
次々に転調するも主調があらわれない
次々に転調を繰り返し,2小節ごとに色彩がめまぐるしく変化します。
音楽理論などが分かっていない人でも,この序奏を聴いているあいだ,変イ長調の和音を聴きたい欲求に駆られます。
焦らしに焦らされ,変イ長調が聴きたい!変イ長調はまだか!とワクワク感がどんどん膨らんでいきます。
いきなりの技術的難所
英雄ポロネーズを弾いてみたい,というピアノを習っている学生やピアノ愛好家も多いですが,それを阻む壁となっているのが,この序奏でしょう。
右手4度の半音階,左手8度のスケール,演奏には大変な技術を要します。
祖国ポーランドの魂を壮大に雄々しく謳い上げる名曲ですから,余裕を持ってゆとりを感じさせるレベルで演奏できなければなりません。
16小節×4の主題
16小節の序奏の次に,16小節×4からなる主題が続きます。
主題も,A'(起),A(承),B(転),A(結)という起承転結構造になっています。
主題A’「起」
キタ―――(゚∀゚)―――― !!!!
長い長い序奏を経て,とうとう変イ長調にいたります。
高らかに謳い上げられる,誰もが聴いたことのある,あの雄大な旋律。
焦らしに焦らされた末の,主題突入の瞬間は,何度聴いても鳥肌がたちます。
主題の構成も起承転結
フランス初版の譜例をご覧いただいたら一目瞭然。
主題も起承転結の分かりやすい構造をしており,一度聴いただけで,万人がこの作品の意図するものを理解し,心を奮わせることができます。
主題全体の「起」
主題A’部分16小節が,主題全体の「起」の部分となります。
主題A「承」
ff(フォルテシモ)で謳い上げられるポロネーズ
主題がもう一度,ff(フォルテシモ)で高らかに謳い上げられます。
和音も,音が増えて音域が広がり,ポーランドの魂の歌を全世界に届けようとしているかのようです。
主題全体の「承」
主題A部分16小節が,主題全体の「承」の部分となります。
主題B「転」
不安と希望の繰り返し
不協和音の多用と,切迫した鋭いリズムにより,曲調が一変します。
「起」の4小節は,切迫した2小節のあと,天井へ駆け上がるような希望と意思に満ちた2小節,
続く「承」の4小節も,不安感のある2小節のあと,健康的な曲調の2小節があらわれ,
不安と希望が2小節ごとに繰り返される構造になっており,焦燥感に駆られます。
そして,崩れ落ちるように下っていき,「転」の部分では平行調であるヘ短調となります。
平行調による対比は,これも大変分かりやすい構成です。
キタ―――(゚∀゚)―――― !!!! (2回目)
英雄ポロネーズでは,序奏からここまで一貫して明らかなポロネーズのリズムの使用を避けてきました。
よく聴けば,ポロネーズのリズムを感じ取ることができますが,明確にポロネーズのリズムを刻む箇所が一向にあらわれません。
ショパンの他のポロネーズを聴いたことがあれば,もっと明確なポロネーズのリズムを聴きたいという気持ちが高まってきているところです。
そんな絶妙なタイミングで,単純明快なポロネーズのリズムが繰り返し刻まれます。
ポロネーズのリズムに乗って歌われる,哀しくも,力強い意思を感じさせる崇高なヘ短調の旋律。
憂国の前途に想いを馳せ,ポーランドへの愛国心が燃え上がります。
主題全体の「転」
主題B部分16小節が,主題全体の「転」の部分となります。
主題A(2回目)「結」
2回目の主題A
主題Aが再度謳い上げられます。
ヘ短調の主題Bを聴いた後ですので,1回目よりも,さらに愛国心が燃え上がった中での主題A。
涙なしでは聴くことができないほど感動的です。
主題全体の「結」
主題A(2回目)部分16小節が,主題全体の「結」の部分となります。
中間部 前半
ホ長調へ転調
トリオ(中間部)ではホ長調に転調されます。
4小節の前奏をはさみながら,16小節の力強いセクションが2回繰り返されます。
左手のオクターブの連打の上に,静かながらも力強い意思を感じる旋律。
pp(ピアニッシモ)ではじまり,起→承→転→結と少しずつ盛り上がりを見せ,ff(フォルテシモ)に到達すると,またppに戻り,もう一度同じ16小節が繰り返されます。
文学的イメージが想起される
ショパンは,他のロマン派の作曲家たちが目指したような「音楽と文学・絵画との融合」という考え方を嫌っていました。
自分の作品が文学的,絵画的に解釈・表現されることを嫌い,標題的なタイトルをつけられることも嫌っていました。
しかし,このトリオを聴くとき,文学的なドラマを感じずにはいられません。
祖国を失った状況での,祖国ポーランドの民族精神の象徴たるポロネーズを作曲しているという背景。
ショパン自身がつけたわけではないにしても「英雄ポロネーズ」という通称から連想されるもの。
左手のオクターブの連打。
右手の金管楽器ファンファーレのような旋律。
ppから徐々にffへと高まっていく,気高い高揚感。
文学的なイメージが自然と想起されます。
純粋に音のみで表現された崇高な芸術を理想としていたショパンの意をくみとって,文学的な解説は避けたいですが,意気揚々と戦意昂く,ロシアと対峙するポーランド国民の姿が目に浮かぶようです。
技術的最高到達点
左手のオクターブ連打はもちろん,加えて右手旋律をsotto voce.で明瞭に歌うように奏でるのは,技術的に大変難しいです。
しかも「難しいことを,がんばってます」という感じが出てしまうと,下品な演奏になってしまいます。
泰然たる余裕を感じさせる演奏でなければなりません。
また,技術の高いピアニストはその技術を披露したい欲求が抑えられない箇所でもあります
(かくいう当サイト管理人も,若い頃は自慢気に高速で弾き飛ばしていました)。
ショパンの最高傑作に敬意を払って,実直な演奏を心がけたいところです。
フランス初版だけ違う
トリオのはじめのところで,フランス初版では「p(ピアノ)」の指示がありますが,自筆譜やドイツ初版,イギリス初版では「pp(ピアニシモ)」となっています。
フランス初版もトリオを2回目繰り返すときには「pp」と表記されています。
各初版は別々の自筆譜がベースとなっており,フランス初版の元となった自筆譜は失われているため,単純に間違いとは言い切れませんが,やはり「pp」が正解でしょう。
中間部 後半
中間部 前半と後半をつなぐ絶望の叫び
感情的なクライマックスを迎えます。
この部分にはfらしき書き込みを塗りつぶして消している跡が残っています。
また,最後主題が再現される際に,ショパン自らff(フォルテシモ)をf(フォルテ)に書き直しています。
最終的には,ffからさらにクレッシェンドした,そのままの音量でこの部分を演奏し,その後の第1主題が再現されるときにはfに音量を落とすという構成になったわけです。
つまり,この部分(中間部)が,英雄ポロネーズの実質的なクライマックスとなります。
当初は,この部分でいったんfに音量を落として,最後に第1主題をffで高らかに謳い上げる,という構想だったと想像できます。
最後にffで高らかに勝利を謳い上げるという構成は,演奏者にとっても,聴衆にとっても,ごく自然な流れになります。
ベートーヴェンの時代から,苦悩の叫びの後に,勝利の歌を高らかに謳い上げるという流れは,音楽の世界のお約束になっています。
この部分の絶望の叫びを聴きながら,その先にやってくるであろう,高らかに勝利を謳い上げる再現部の主題を予感し,期待に胸が膨らみます。
しかしショパンは,最終的に絶望の叫びをffで演奏したのち,主題の再現ではfに音量を落とすという構成で作品を完成させています。
高らかな勝利宣言が待っているだろうという期待は最後に見事に裏切られることになります。
曲中唯一の弱々しい場面
序奏からここまでずっと,意思の強さを感じる,主張の強い場面が続いていました。
中間部の後半にきて,はじめて,そして曲中唯一,弱々しい場面となります。
ショパンの作品では,強弱の対比の「弱」の部分では,その多くで,夢のように美しい旋律が歌われます。
幸福に包まれた少年時代を回想するかのような,甘く切ない美しい和音と旋律。
ところが英雄ポロネーズの「弱」の部分は,そういった感傷的なものではありません。
拠り所なく,不安げにふらふらとさまようような旋律。
ときおり低音部で鳴り響く,不気味な音。
精神も枯れ果て,意気消沈し,打ちひしがれ,絶望を叫ぶ気力も出ない。
そして,そこには悔いや恨みなどが一切感じられず,
純粋に美しい諦めの境地が表れています。
執拗に鳴らされるC音
中間部も終わりに差し掛かると,3オクターブにわたって,執拗に「C」音(ドの音)が鳴らされます。
C音はヘ短調の属音であるため,聴く人はヘ短調での集結を予感します。
変イ長調で勇壮に謳い上げられたポロネーズが,絶望の中,弱々しく平行調のヘ短調で終わろうとしている。
そう感じさせながらも,なかなかヘ短調が表れず,8小節にわたって,このもやもやした感じが続きます。
気力の最後の一滴を振り絞るように第一主題が再現される
そしてヘ短調に解決されることなく,ユニゾンで下降し始め,ユニゾンはヘ短調の主音「F」音(ファの音)をあっさり通り過ぎ,そのまま変イ長調の主音「A♭」(ラのフラット)まで至り,変イ長調の第一主題が再び歌われます。
幾度もヘ短調で静かに儚く消えるように終わってしまいそうになりながら,
残されたほんの僅かのたった一滴の気力を振り絞って,
かすかな希望にすがるように変イ長調の主題に戻る姿は,
悟ろうにも悟りきれず,希望に執着して苦悩する人間の本質的な姿そのものなのです。
主題Aの再現
ff(フォルテシモ)からf(フォルテ)に書き換えられた再現部
ヘ短調への解決がなされることなく,最後に変イ長調の主題Aが再現されます。
主題Aがあらわれるのは3回目となります。
1回目と2回目の主題Aは「ff(フォルテシモ)」でした。
3回目の最後の主題Aにも,最初はffが書き込まれていました。
しかし,ショパンは推敲を重ねながら,結局はfをひとつ塗りつぶして,fに書き換えています。
自筆譜に,はっきりとその跡が残っています。
当初は,ヘ短調に至ろうとする苦悩を乗り越えて,最後に力強くffでポロネーズを華々しく奏でて,勝利の歌を謳い上げる構想だったと読み取れます。
しかし,推敲を重ねる中で,ショパンは最後にはfを選んだのです。
つまりは,中間部,左手オクターブ連打の直後,絶望のポロネーズを叫んだ,あのffが,この作品のクライマックスになったということです。
最後の変イ長調の主題は,高らかな勝利宣言ではなく,まぼろしのように淡く儚いかすかな希望の残り香なのです。
コーダ
華々しい?コーダ
当初は,力強くffで勝利を謳い上げたのち,華々しく歓喜に湧き踊るようなコーダが想定されていたと思われます。
実際,現在聴くことのできるほとんどの録音が,そのような演奏になっています。
しかし,再現部のポロネーズをfに書き換えたとき,このコーダはどう演奏されるべきなのか。
ショパンはどんなコーダを思い描いていたのか。
ショパンの音楽を忠実に再現したいと考える演奏者にとって,正解がわからない難題です。
コーダ開始時の「sempre f」をどう解釈するのか。
コーダの最終部分に「ff」が書き込まれていますが,その周囲には,何かが書き込まれたあと,消されてます。
この「ff」をどう解釈するのか。
消される前には何が書き込まれていたのか。
ここは当サイト管理人にも,いまだに腑に落ちる解釈が見つかりません。
皆さんは,このコーダをどう演奏するべきだと思いますか?
ショパン 英雄ポロネーズ 楽譜による違い
数多くの原典資料
ショパンはたくさんの原典資料を遺しており(初版が3種類存在する時点でカオスです),
英雄ポロネーズにもたくさんの原典資料があります。
自筆譜
自筆譜は3種類ありましたが,うち2種類は失われています。
自筆譜のうち1つは完全な状態で現存しており,ニューヨークのピアポント・モーガン・ライブラリーが所蔵しています。
この自筆譜はWebページで自由に閲覧できます。本当に良い時代になりました。
この自筆譜がベースとなって,ドイツ初版(1843年出版)ができています。
そして,失われた自筆譜2種類が,それぞれフランス初版(1843年出版)とイギリス初版(1845年出版)のベースとなっています。
初版
ショパンの他の多くの作品と同様,英雄ポロナーズも初版が3種類(!)存在します。
- フランス初版;パリ,M.シュレサンンジュ,1843年
- フランス初版は,ショパン自身による校訂がされてはいるようですが,このときはかなり大雑把に校訂をしていたようです。
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,1843年
- 自筆譜とは違う改訂が勝手に加えられてしまっています。
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル,1845年(1844年?)
- ショパン自身は校訂をしていないようです。
このように,初版が3種類も存在すること自体がカオスですが,
- ショパン自身が校訂に関わっていなかったり,
- 出版社に勝手に改訂されてしまったりしているところが,
「本物のオリジナル」となるショパンの原典版を作る難しさの原因となっています。
ショパンが書き込みを遺した,生徒の楽譜
ショパンはピアノ教授で生計を立てていたため,レッスンで使用していた生徒の楽譜が多数のこっています。
そして,そこにはショパン直筆の書き込みが多数のこされています。
英雄ポロネーズも,
- フランス国立図書館が所蔵している,ジェーン・スターリングのレッスンで使用されていたフランス初版のコピー。
- ハーバード大学ホートン図書館が所蔵している,シェルバトフ(Marie de Scherbatoff)のレッスンで使用されていたフランス初版のコピー。
ここにはショパンが書き込んだと思われる運指が遺っています。
が現存します。
版による違い
自筆譜,フランス初版,ドイツ初版,イギリス初版,エキエル版(ポーランド・ナショナル・エディション)の5種類の版を見比べていきます。
冒頭から各版,違うところがたくさん(1-3小節目)
ペダルを離す場所が違う
ショパンが遺した自筆譜を見ると,細部まで丁寧に書き込まれていることが分かります。
ペダルの指示も丁寧に書き込まれており,英雄ポロネーズの自筆譜も例外ではありません。
英雄ポロネーズは冒頭からペダルの指示が書き込まれています。
自筆譜では,続く4度の半音階の2音目でペダルを離す指示があります。
しかし出版譜は全て,4度の半音階が始まる前にペダルを離すように指示があります。
自筆譜では,以降同様の箇所については,半音階が始まる前にペダルを離すように指示が書き込まれていますので,最初のこの部分も,半音階が始まる前にペダルを上げてしまって良いと思われます。
踏みっぱなしだと,特に現代のピアノでは音が濁ってしまいます。
スタッカートがあったりなかったり
自筆譜ではスタッカートがそこかしこに書き込まれていますが,各初版はそれぞれ,スタッカートがあったりなかったり,それぞればらばら。
どれ一つとして自筆譜と同じになっていません。
この自筆譜がベースとなっているはずのドイツ初版でさえ,最初のスタッカートが抜けています。
エキエル版は,忠実にショパンの自筆譜が再現されています。
アクセント記号が違う
ショパンは短い普通のアクセント記号(>)とは別に,横に長くまるでデクレッシェンドのようなアクセント記号を用いています。
- 短い普通のアクセント記号が,音を強く出す指示であるのに対して,
- 横に長いデクレッシェンドのように見えるアクセントは,表現的に強調する指示
だと考えられます。
さらにショパンは,この横に長いアクセントを高音部に置いたり,低音部に置いたり,明確な意図を持って書き込んでいます。
さて,英雄ポロネーズの2小節目3拍目のアクセントですが,イギリス初版は長さが短く見えます。
このように細かく見ていくと,各版による違いを挙げはじめたらきりがありません。
ここからは,各版によって大きく変わるところのみ確認していきます。
5小節目 フランス初版だけ音が違う
5小節目の,1拍目。
低音部A♭がフランス初版にはありません。
実際にピアノで音を鳴らせば分かりますが,このA♭がないと和音の響きがかなり貧弱になります。
この低音部のA♭はあった方が良いです。
フランス初版では12小節目でも,右手和音のD音が一つ抜けています。
17-18小節目と21-22小節目 ペダル指示が各版バラバラ
ペダルを離すタイミングがまちまちです。
自筆譜通りだと,現代のピアノでは音が濁ってしまう可能性があります。
イギリス初版のようなペダリングも悪くないと思います。
フランス初版は明らかにsenzaが抜けています。
このまま演奏すると,確実に音が濁ります。
エキエル版では,自筆通りのペダル指示を忠実に再現しつつ,
イギリス初版のペダル指示も( )付けで示してあります。
上の譜例は17-18小節目だけですが,21-22小節目も同様になっています。
19-20小節目 アルペッジョの付け方がバラバラ
- 右手アルペッジョのつけ方に違いがあります。
- ショパンのアルペッジョは,手の届かない広い音域を鳴らすため,という理由ももちろんありますが,それ以上に,和音をやわらかく豊かに響かせる効果が重要です。
イギリス初版のように右手の残り二つの和音もアルペッジョで弾くのも悪くないと思います。
- ショパンのアルペッジョは,手の届かない広い音域を鳴らすため,という理由ももちろんありますが,それ以上に,和音をやわらかく豊かに響かせる効果が重要です。
- エキエル版だけ,3連符にアクセントがついていません。
- 当サイト管理人とは比較にならないほど深くショパンを研究された方々が作成した楽譜ですから,何か理由があるのかもしれません。
しかし,ここはアクセントをつけるのが自然に思えます。
- 当サイト管理人とは比較にならないほど深くショパンを研究された方々が作成した楽譜ですから,何か理由があるのかもしれません。
28小節目 音に違い 各版バラバラ
3種類の初版で音に違いがあります。
それぞれ元になった自筆譜が違っており,ドイツ初版はそのベースとなった自筆譜と一致しています。
フランス初版,イギリス初版も,それぞれの元となった自筆譜とは一致しているのかもしれません。
29小節目 左手アルペッジョの付け方がバラバラ
- 左手アルペッジョの付け方に違いが。
- イギリス初版の,29小節最後の和音は明らかに異質です。
右手和音の低音部を左手で弾くことで,演奏しやすくなるように考慮したものだと思われますが,これでは原典版ではなく,解釈版・・・どころか,もはや編曲になってしまっていますね。
30小節目 ペダル指示が各版バラバラ
ペダル記号に違いが。
オクターブのユニゾンによる上昇スケールが作品中に4回出てきますが,ペダルの指示が版によって違っています。
- 自筆譜
- 1回目はペダルあり。
- 2回目以降は1拍目だけペダルありで,スケールはペダルなし。
- フランス初版
- 1回目は前の小節からペダルを踏みっぱなし?
これは音が濁ります。 - そして2回目以降は自筆譜通り。
- 1回目は前の小節からペダルを踏みっぱなし?
- ドイツ初版は
- 1回目と3回目は自筆譜通り。
- 2回目と4回目はスケールだけでなく,1拍目もペダル指示なし。
- イギリス初版は
- 1回目はペダルなし。
- 2回目と4回目は自筆譜通りペダルなし。
- 3回目にペダルあり。
ここでも,エキエル版のみが自筆譜と完全に一致しています。
ショパンは,スケールや半音階ではペダル指示がないことが多いです。
この場面でもペダルなしでクリアに演奏するのが良いと思います。
1回目のスケールもペダルを踏みっぱなしでは,現代のピアノでは音が濁ってしまいます。ペダルを奥まで踏み込みすぎないように注意がいります。
44小節目 フランス初版のみ音が抜けている
44小節目,左手最後の和音ですが,フランス初版のみ「C」音が抜けています。
46小節目 イギリス初版のみ音が違う
46小節目,1拍目。
イギリス初版だけ,最低音の音が違います(B♭ではなくD♭になっている)。
※78小節目,168小節目では,他の版と同じでB♭になっています。
最低音の音を変えてしまうと,まるで違う和音になってしまいます。
ここは明らかにB♭で演奏するべきでしょう。
50小節目 イギリス初版のみ最低音の動きが違う
50小節目,イギリス初版だけ最低音の動きが違います。
イギリス初版は,このすぐあと54小節目も最低音の音が1ヶ所違います。
ここは不協和音の連続が切迫感を出す場面です。
イギリス初版のように,不協和音を回避してしまっては逆効果です。
58-59小節目 ドイツ初版のみ音が違う
ドイツ初版のみ音が違います。
これは明らかな間違えだと思われますが,後の世の多くの楽譜で採用されてしまっています。
61小節目 フランス初版のみ音が違う
フランス初版だけ音が違います。恐らく間違えでしょう。
64小節目 スケールカデンツァの記譜されている場所がバラバラ
スケールのようなカデンツァですが,書き込まれている場所が版によってまちまちです。
これは視覚的に演奏者に影響を与えるので,カデンツァの開始のタイミングや,演奏される速さが影響される恐れがあります。
実際に演奏する際は,カデンツァの3音目のFの音と左手の4つ目の和音のD♭が同時に鳴るぐらいのタイミングがベストだと思います。
また,フランス初版の左手2つ目の音ではB♭が抜けています。
81-82小節目 アルペッジョの記譜が各版バラバラ
アルペッジョの付け方に違いがあります。
自筆譜,ドイツ初版,エキエル版は分離していて(ドイツ初版は離れすぎていますが),
フランス初版とイギリス初版は一つにつながっています。
ショパンの両手のアルペッジョは,どのように弾くのか,場面によって慎重な検討が必要です。
この記事の最後「演奏上の注意点」で後述します。
82小節目 フランス初版のみppではない
- フランス初版のみp(ピアノ)で,他は皆pp(ピアニッシモ)
- フランス初版も,102小節目の同様の箇所ではppになっています。
これはppが正解だと思います。
- フランス初版も,102小節目の同様の箇所ではppになっています。
- 自筆譜左下に,何か(ペダル指示?)を書き込んで消した跡が残っています。
- 自筆譜だけ,左手の最初の和音に「B(シの音)」音が抜けています。
これは,ショパンには珍しいことですが,書き忘れではないかと思います。
85小節目 フランス初版だけ演奏指示がない
- 自筆譜では,85~88小節目の4小節にわたって,左手オクターブにつけたスタッカートの「・」を塗りつぶして,85小節目に「stac.」と書き込んであります。
- 左手オクターブに「・」を書いていったものの,この先の労力を想像して(このままだと360個(!)もの「・」を打ち続けることになります),慌てて書き直している様子が分かって楽しいです。
- 自筆譜では,左手のオクターブ連打を,繰り返し記号など一切使わず,書きなぐるようなこともなく,最後まで丁寧に几帳面に書かれています。
- 当時は鉛筆や消しゴムなどありません。
すべてインクです(ショパンが使っていたインクはタコの墨から作られていたという説があります。本当かな?)。一度書いてしまったものは,書き潰して書き直すしかありません。
にも関わらず,まるでパソコン上でコピペしたように整然と,等間隔に綺麗にオクターブが並んで書かれています。 - 神経質で細かいショパンの性格が伺えます。
- さて,フランス初版だけが,スタッカートの指示「stacc.」や「staccato」の指示がなく,突然スタッカートの「・」が消えています。
- また,フランス初版だけが「sotto voce(音量を抑えて,声をひそめて)」の表記がありません。
- 「stacc.」も「sotto voce」も当然必要な指示です。
81~119小節目(中間部の前半部分) ショパンこだわりのアーティキュレーション
左手がオクターブ連打を繰り返す,その上で,sotto voce で歌われる旋律ですが,自筆譜を見ると,スラーやスタッカート,アクセントなど,几帳面にアーティキュレーションの指示がされています。
しかしどの版もスラーやスタッカート,アクセントのつけ方がまちまちです。
アーティキュレーションのつけ方が変わってしまうと,旋律の表情が変わってしまいます。
自筆譜には,スラーを消して書き直した跡も多数遺っています。
試しに,書き直す前のスラーのまま弾いてみると,ガラッと旋律の表情が変わって驚きます。
ショパンはスラー一つにしても,推敲に推敲を重ねて書き込んでいます。
この自筆譜を元に出版されたハズのドイツ初版でさえ,若干の違いがあるのは信じられません。
ここでもエキエル版は,自筆譜と完全一致しています。
94小節目・114小節目 イギリス初版のみ音が抜けている
イギリス初版だけ,G♯が抜けています。
この音は,あった方が和音が綺麗に鳴ります。
96小節目 フランス初版だけ音が違う
最初の右手和音が,フランス初版だけ違っています。
同様の116小節目では,フランス初版も他と同じになっていますので,間違えだと思います。
97小節目,117小節目 各版バラバラ
版によってまちまち。
イギリス初版のように弾いてしまうと,音が少なくて音の厚みがなくなります。
フランス初版も自筆譜とは違っていますが,
自筆譜(ドイツ初版とエキエル版も同じ)の通り弾くのは大変難しいです。
ハーフペダルを踏みながらフランス初版のように弾くと,ほぼ自筆譜と同じように聴こえるので,この弾き方は悪くないかもしれません。
129-130小節目 フランス初版のみpがない
- フランス初版のみ,p(ピアノ)の指示が抜けています。
- さらにフランス初版のみ,130小節目のトリルが抜けています。
136小節目 スラーの付け方が各版バラバラ
スラーのつけ方がまちまち。
特に,フランス初版とイギリス初版の左手の部分が異質で,
息の長いゆったりとしたフレーズが続く中,ここの左手だけ,こういった弾き方をするとかなり目立ってしまって不自然です。
141小節目 32分休符があったりなかったり
フランス初版とイギリス初版には,32分休符がありません。
似たフレーズが4回も続く場面が終わるところになるのですが,この32分休符があるおかげで,次の「C」音が鳴らされ続ける場面へスムーズに切り替わることができます。
この32分休符はあった方が良いでしょう。
143小節目~ C音へのアクセントのつけかた
ここから151小節目まで,右手の旋律に現れる「C(ドの音)」音には,出てくる場所に関わらず,すべてアクセントがつけられています。
ところが,イギリス初版だけ,ほぼ1拍目のCにしかアクセントがついていません。
イギリス初版ではどうしても拍と同時にアクセントをつけたいようで,中には「B(シの音)」音にアクセントがついている箇所もあります。
ヘ短調の属音である「C」音を執拗に鳴らすことで,ヘ短調への解決を予感させる,というショパンの意図がまったく反映されていません。
ドイツ初版も1箇所だけ,アクセントの位置がずれてしまっています。
148小節目,150小節目 間違えて♮をわざわざつけている
ドイツ初版とイギリス初版では,左手1音目のE♭にわざわざナチュラル記号を添えて間違えています。
そしてこの間違えは,後の世に出版された多くの楽譜で採用されてしまっています。
155小節目 フランス初版のみff
- 自筆譜では,いったん書き込まれたff(フォルテシモ)のfが一つ塗りつぶされて,f(フォルテ)に書きかえられています。
- フランス初版のみ,ff(フォルテシモ)になっています。
この自筆譜をベースに作られたのはドイツ初版になります。
フランス初版は別の自筆譜をベースにしており,フランス初版の出版が最も早かったので,もしかするとフランス初版の元になった自筆譜では,まだff(フォルテシモ)のままだったのかもしれません。
いずれにせよ,ショパンが最終的に選択したのは「f(フォルテ)」でした。
170小節目 各版バラバラ
版によって違いがあります。
ここは自筆譜(エキエル版)の通りが良いと思います。
175小節目 イギリス初版のみ音が違う
イギリス初版だけ,最初の右手和音が違います。
内声部に「ファ~,ミ♭ミ♭~」が聴こえた方が良いでしょう。
楽譜を1冊だけ買うなら,エキエル版一択!
各版で大きく違っている箇所だけでも,これだけの数になります。
細かく違っているところを挙げていくと,とても書ききれない数になります。
そして,3つもある初版ですが,どれも,何故そのようになっているのか納得できない箇所が多数あります。
ポーランドのナショナル・エディションであるエキエル版では,現存する自筆譜をベースに,他の自筆譜をベースとするフランス初版とイギリス初版とも比較検討しながら,さらにはスターリングの楽譜への書き込みも考慮して,最もショパンの意図に近いと考えられる形で,楽譜が再構成されています。
エキエル版は隅々までよく考えられていて,どこを見ても納得できる校訂になっています。
自筆譜・初版譜が閲覧できるサイト
ショパンの自筆譜や初版譜がWebで閲覧できる時代になりました。
本当にありがたいことです。
自筆譜
- フラッシュを利用したサイトなので閲覧しにくいです。
2021年2月追記;フラッシュを利用したサイトは閲覧ができなくなりましたね。 - 自筆譜は所蔵している団体のWebサイトで公開されていることもあるので,まずはそちらを検索してみることをおすすめします。
- 例えば英雄ポロネーズの自筆譜はピアポント・モーガン・ライブラリーが所蔵しており,Webサイトで自筆譜の閲覧もできます。
- 自筆譜の所在については,当サイトのショパン作品一覧を参照ください(自筆譜の所在はスマホやタブレットでは閲覧できません。PCで閲覧ください)。
初版
- このサイトはユーザビリティが高く,すばらしいWebサイトです!
- 主要な作品は,ほぼ全て初版の閲覧ができるようになっています。
ショパン 英雄ポロネーズ 演奏上の注意点
ポロネーズ
ポロネーズのリズムとテンポ
今や,You Tubeなど動画サイトで検索すれば,どんなものでも見ることができます。
ポーランド人が踊るポロネーズを1度は見ておいた方が良いです。
You Tubeで見つけた動画を貼っておきます。
マズルやオベレクのようなリズムの鋭さはなく,ゆったりとした踊りです。
マズルのように2拍目や3拍目にアクセントが移動したり,リズムが飛んだり跳ねたりといったことはありません。
アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズのポロネーズ部分にショパンが指定しているように,適度なテンポは1拍96ぐらいです。
そして,
- 一拍目の8分音符を若干重く長く弾き,
- 続く2つの16分音符は軽く短く,
- 2拍目からの4つの8分音符はルバートをかけずに一定のテンポで 演奏されます。
重く長く,軽く短く,といっても,それとは分からない程度に,ほんの少しだけ,重みをかけたり,軽くしたりするだけです。
いたるところに隠されているポロネーズのリズムを感じよう
楽譜を見ただけでは気付きませんが,演奏してみると,ポロネーズのリズムが浮かび上がってきます。
譜例で緑色で示した,2拍目と3拍目の8分音符を一定のテンポで弾くようにすると,ポロネーズのリズムが明確になります。
序奏
フォルツァンドが大音量になりすぎないように
- フォルツァンド()はフォルテではありません。
- 特に,ショパンのフォルツァンドの指示(ショパンはスフォルツァンドやリンフォルツァンドは使いませんでした)は,大きな音を出しなさい,という指示ではありません。
- ピアノが心地よく鳴り響いて,深く印象に残るように演奏します。
- 決して鍵盤を叩きつけたり,暴力的な大音量を出したりしないようにしましょう。
3拍子を常に意識
- 休符の長さが短かったり,半音階を加速させたりすると,テンポが揺れてしまって3拍子が崩れます。
- 日本人は3拍子が苦手だと言われます。
3拍子の舞曲であることをしっかり意識して演奏しましょう。
ペダルを踏みすぎない
- ショパンはペダルの指示も入念に熟考して書き入れています。
- 現代のピアノは,ショパンの時代のピアノと比べて,音がよく響くようになっています。
- 現代のピアノで演奏する際に,ショパンの指示よりも早目にペダルを上げたり,途中で踏み変えたり,ハーフペダルを活用したり,といったことは考えるべきですが,
ショパンの指示以上にペダルを増やすというのは避けたほうが良いです。
※演奏する会場にあわせて,響きを調整するためにハーフペダルを使用するのはもちろん問題ありません。 - 13小節目の左手オクターブのスケールのところなど,ペダルを踏んで騒々しい演奏にならないように気をつけましょう。
第1主題 1回目
満を持しての主題登場!
- 英雄ポロネーズの主題突入場面は,聴いていても,弾いていても,万感胸に迫り,興奮と感動で思わず力が入ってしまいます。
あまり熱くなりすぎず,優雅に,上品に旋律を歌いましょう。 - 旋律を歌うためにテンポをゆらしてしまうと,ポロネーズのリズムが感じられなくなります。
ポロネーズのリズムを感じることをこころがけましょう。
前打音は拍の頭とそろえる~18,19,22小節目~
前打音が5回出てきますが,前打音を拍の頭(左手の音)にあわせて弾きます。
両手アルペッジョ~19-20小節目~
当サイト管理人は譜例のように弾きます。
他の弾き方でも良いので,やわらく豊かな音が響くように工夫しましょう。
トリルは拍の頭にそろえる~27小節目~
「ソラソ→ファ」と自然につながるように拍の頭でトリルを弾き始めます。
先取りして弾いてしまうと,前の音と繋がってしまい一つの8分音符のように聞こえてしまいます。
アルペッジョを弾いてから前打音~28小節目~
ショパンの作品にはアルペッジョと前打音が組み合わされた場面がよく出てきます。
アルペッジョを弾いてから,前打音を弾くのが正解です。
左手のアルペッジョは先取りで~29小節目~
ショパンの左手のアルペッジョは拍よりもほんの少し早く弾き始めます。
左手の最低音を拍の前で鳴らし,右手の和音を拍の頭で鳴らします。
左手アルペッジョの下から2つ目が拍の頭にきても良いですし(その場合は左手の一番上の音は右手の和音の後に鳴らすことになります),左手の一番上の音が拍の頭にきても構いません。
ユニゾン・スケール1回目~30小節目~
最初のユニゾン・スケールはペダル「あり」です。
ペダルありで,しかも高速で弾き飛ばすと,グリッサンドのような乱暴な演奏になってしまいます。
ペダルはハーフペダルのさらに半分ぐらいで。
粒の揃った音で丁寧にスケールを弾きましょう。
第1主題 2回目
前打音がついているように見えるトリル~33,34,37,38小節目~
譜例のようなトリルが4回出てきます。
ショパンがよく使う書き方で,前打音のように見える音符は前打音ではありません。
トリルを,どちらの音から弾き始めるのかを明確にするために書かれている音符になります。
譜例の場合は,前打音のように見えるE♭は,トリルを,Fではなくて,E♭から弾き始めるように,という指示になります。
これは,プロの演奏家でも,間違えて弾いている人の方が多いぐらいで,
大好きなピアニストの演奏や,お気に入りの録音などで,繰り返し聴いてきた演奏が間違っている可能性もあります。
間違えた演奏(前打音ありの演奏)に聴き慣れてしまっている場合は,大変ですが矯正していきましょう。
難しい箇所もごまかさず楽譜通りに~35,48小節目~
譜例の箇所はかなり弾きにくいです。
この部分はプロの演奏家でも,デタラメにごまかして弾いている人が多いです。
ショパンへの敬意を忘れず,楽譜に忠実な演奏を心がけましょう。
ユニゾン・スケール2回目以降~46,78,168小節目~
ユニゾン・スケールは,全部で4回出てきますが,2回目以降はすべてペダル「なし」です。
ここもペダル全開で,ミスタッチもお構いなく,超高速で弾いている演奏が多いです。
それではまるでポップミュージックのグリッサンドのように雑で乱暴な弾き方になってしまいます。
十分に音量を落としてスケールを弾きはじめ,少しずつクレッシェンドしながら(だからといってクレッシェンドしすぎて大音量にならないように注意して),粒の揃った美しいスケールを響かせましょう。
ミスタッチだらけでも高速で弾き飛ばした方が,技術的には簡単で,聴いた感じは派手で演奏効果がありますからね・・・
でも,そんなものはショパン先生の音楽ではありません。
他~35-36,43,44-45小節目など~
譜例ような箇所の演奏上の注意事項については,第1主題1回目の注意事項をご覧ください。
第2主題~第1主題 3回目
リズム鋭く,第1主題と明確な対比を~49小節目~
リズム鋭く演奏し,泰然たる第1主題との対比を明確にしましょう。
しかし,慌てて加速しないように注意を。
ポロネーズにのせて,ヘ短調の旋律を歌い上げる~57小節目から~
これぞポロネーズ!というリズムがはじめて登場します。
そして,ポロネーズのリズムにのせて,ヘ短調の情熱的な旋律が歌われます。
愛国心を燃え上がらせるこの旋律をsostenutoで魂を込めて歌ってください。
装飾音を正しく演奏しよう~61-64小節目~
- ショパンの右手の前打音は,拍の頭にあわせて弾くのが基本です。
- ショパンは,トリルの終わりにターンをつけるときは,下の譜例の右側のように明確な指示を書きます。
トリルをターンで終わらせるか,そのまま次の音へつなげるか,きちんと弾き分けないといけません。
- 最後のスケール様カデンツァは,最初のの2音(D音とE♭音)はトリルの終わりのターンだと見なされます。
3音目のF音を,左手の最後の和音とあわせるのが,良いタイミングだと思います。
第1主題 3回目~65小節目から~
ヘ短調のポロネーズで愛国心を燃え上がらせた後の第1主題です。
そして,ff(フォルテシモ)で第1主題を謳い上げる最後の場面となります。
この場面を見越して,ここまでのff(フォルテシモ)は8~9割に抑えておいて,この場面で持てる表現力の全てを出し切って全力で演奏しましょう。
中間部
両手アルペッジョ~81-82,100-102小節目~
前述していますが,ショパンの両手のアルペッジョは,どのように弾くのか,場面によって慎重な検討が必要です。
一言で言えば,一番美しくピアノが響くように,弾き方を決めなければなりません。
有名な難所,左手オクターブ連打~83小節目から~
「ピアノ曲難易度ランキング」のような企画にレギュラーで登場する,有名な技術的難所です。
ペダルを踏んでちょっと力を入れれば,派手に大音量が出ます。
視覚的にも,左手がオクターブを叩き続ける様子は(本当は,ショパンの演奏では,鍵盤を叩いたりしちゃいけません),苦しそうに,大変そうにバタバタすればするほど,観客にウケます。
多少のミスなど気にせず,大音量で高速に鍵盤を叩きつけるだけでしたら,そこまで難しくもなく,派手な演奏効果を発揮します。
しかし,この曲は,ショパンが「神の啓示をうけた,高貴で荘厳な」崇高なる芸術の頂点です。
この曲を,曲芸の道具にしてしまうというのは,ラファエロの絵画で鼻をかむような冒涜です。
「こんな難しいことを,高速で弾けることを自慢したい」
「大音量で自分の力量を誇示したい」
こういった下品で卑しい感情は,ショパンの作品の対極に位置するものです。
ショパンへの尊敬の気持ちをこめて,実直にこの作品と対峙していきましょう。
- まずは左手オクターブの連打を技術的に克服しなければなりません。
- 筋肉が疲れてしまうと,安定した演奏ができなくなります。
「脱力」を常に意識し,決して筋肉を収縮させてはいけません。 - 全身の筋肉を弛緩させたまま,疲れを感じずに何時間でも弾き続けられるような速さで,メトロノームを使ってずっと同じテンポで,そして可能な限りのピアニッシモで(ピアニッシモで弾けるようになれば,フォルテシモで弾くのは簡単です),ひたすら弾き続ける練習をしましょう。
- 練習のあいだ,聴こえる音に神経を集中し,違う音を弾いてしまうミスタッチや,音の出ない空タッチ,大きな音を出してしまった雑タッチに気付いたら,即座に修正します。
- 完璧に弾けるようになったら,メトロノームのテンポをほんの少しだけ速くして,また同じ練習。
これを繰り返せば段々速く弾けるようになっていきます。 - 本番で弾く速さの,2倍ほどの速さで弾けるようになるまで練習しておくと,実際の演奏での安定感が増します。
- 筋肉が疲れてしまうと,安定した演奏ができなくなります。
- 実は,左手以上に難しいのが右手です。
- ショパンによって,細かすぎるほど細部まで,スラーやスタッカートで複雑なアーティキュレーションが指示されています。
- ペダルを使用してしまうと,左手のオクターブ連打に変な表情がついてしまうので(ダンパーペダルは,低い音ほど影響が出ます),ハーフペダルの使用もできません。
つまり,ペダルなしで,これだけ複雑な表情付けを行わなければなりません。 - ショパンは,ペダルなしで,ペダルを踏んでいるような効果を旋律に与える工夫をいくつもしています。
- この難しい旋律を,sotto voceで囁くように演奏するのは至難の業です。
- 左手のように単純に繰り返し練習しても,上手く演奏するようになるのは難しいかもしれません。
ショパンの他の作品や,他の作曲家の作品を勉強し,練習するうちに,将来的に弾けるようになるかもしれません。 - 妥協した瞬間,そのレベルの演奏を身体が覚えてしまいます。
理想を追いかけ続けましょう。
英雄ポロネーズのクライマックス~120小節目から~
このページの「構成」のところで前述していますが,この部分が,英雄ポロネーズのクライマッスクになります。
感情的に執拗に繰り返されるポロネーズのリズムの中,激昂と,苦悩,絶望が叫ばれます。
美しい諦めの境地~128小節目から~
ここまでずっと,長調でも短調でも,意思の力のこもった,主張の強い曲調が続いてきました。
ここにきて,はじめて,そして曲中唯一,控えめな部分となります。
自然に流れるように
- ルバートをかけたり,ニュアンスをつけたり,といった作為的な表情付けは不要です。
旋律の動きにまかせて,自然に流れるように演奏しましょう。 - トリルを先取りで弾いてしまうと,その部分だけ流れが不自然になってしまいます。
トリルは拍の頭にあわせて弾くようにしましょう。
フォルツァンドはフォルテではない。
- 左手にフォルツァンドが何度か出てきますが,不自然に大きすぎる音が出ないように気をつけましょう。
- ショパンが丁寧にペダル指示を書いていますから,忠実に従ってください。
- 地の底深くから響いてくるように,決して大きな音ではないが,身体の芯に響くような音を心がけましょう。
「C」音のアクセントが機械的にならないように
- 出てくるタイミングに関わらず,全ての「C(ドの音)」音にアクセントがつけられています。
機械的にぽんぽんアクセントをつけないように気をつけましょう。
フレーズの自然な流れに乗せて,その周囲の音より僅かに「C」音を際立たせます。 - これはヘ短調への解決を予測させるための仕掛けなので,「C」音を弾く際は,常にその先に「F(ファの音)」音への繋がりを意識します。
- そして,意気消沈したまま,静かにヘ短調で終わってしまうことを予感させましょう。
再現部
ヘ短調で静かに消えるように終わってしまうかと思いきや,ユニゾンの下降音形は「F」をあっさり通り過ぎて,変イ長調へと至ります。
絶望と諦めの後,勝利宣言と歓喜の歌,というのはクラシック音楽のド定番,お約束です。
前述の通り,ショパンも当初は「歓喜の歌バージョン」の分かりやすい展開を構想していました。
そして,CDなどの音源に,そしてネット上にあふれる英雄ポロネーズの演奏は,ほぼ全て,この歓喜の歌バージョンで演奏されています。
しかし,最終的にショパンは再現部のff(フォルテシモ)をf(フォルテ)に書き直しているのです。
ショパンを敬愛するものとして,この事実から目を背けることはできません。
当サイト管理人は,ショパンの最終的な意図を汲み取って,ここは「f」で演奏されるべきだと考えます。
実際に当サイト管理人が演奏した動画を貼りますので,一度聴いてみてください。
※再現部は「6:10」あたりからです。
fで演奏される第1主題,いかがでしょうか。
まぼろしのように淡く儚く,しかし綺羅びやかに,第1主題が神々しく美しく輝きます。
苦悩の先にある歓喜の歌とは別世界の,もっと高次元な感動に心を打たれます。
コーダ
最後の最後にさらなる技術的難所が待ち構えています。
カデンツァやアーティキュレーションなど丁寧に
上昇音形のカデンツァなどは,勢いだけで乱暴に弾いてしまわないように。
ショパンの音楽は,常に高貴で上品でなければなりません。
和音が連続するところには,ショパンがスラーやスタッカートで細かくアーティキュレーションを記入しています。
ぞんざいにせず,最後の最後まで,1音も漏らさず,ショパンの意図を汲み取っていきましょう。
最後はペダルを踏みっぱなし。
ショパンは最後の和音にペダルの指示を書いており,そしてfineまで,ペダルを上げる指示を書いていません。
フランス初版,ドイツ初版,そしてエキエル版も同様の指示になっています。
(イギリス初版のみ,ペダルを上げる指示が印刷されています)
ショパンは,何かを書き込むときも,書き込まないときも,必ずそこには明確な意図があります。
フォルツァティッシモ()の指示がありますから,フォルツァンド()よりは強く弾きますが,あまり乱暴に叩かないようにしましょう。
そして,音が消えるまでペダルは踏みっぱなしです。
ただし,現代のピアノではペダルを奥まで踏みっぱなしにすると,非常に長い時間,音がなり続けます(現代のピアノ作りの技術はスゴイですね)。
それと分からないように,少しずつペダルを上げていき,自然に消えていくように音を消していきましょう。
ショパン 英雄ポロネーズ 実際の演奏
当サイト管理人の演奏です。
当サイト管理人,林秀樹の演奏です。
2020年11月18日録音。
生まれて始めて,本格的な作品に挑戦した,想い出深い作品です。
当時(小学5年生でした),雨だれのプレリュードやOp.9-2のノクターンなど,いくつかの作品は弾いたことがありましたが,ここまで難易度の高い作品を弾こうと思ったのははじめてのことでした。
当時,CDプレイヤーが普及しはじめ,我が家でもCDプレイヤーを購入することになり,そのとき一緒に買ってもらったCDが,ホロヴィッツのショパンアルバム(SONY)でした。
このアルバムの最後に収録されていたのが英雄ポロネーズでした。
今聴くと,全く楽譜通りに演奏されておらず,ホロヴィッツ編曲とでも言うべき個性的な演奏です。しかし,この曲の魅力の引き出し方は,さすがホロヴィッツで,当サイト管理人がショパンを好きになったのは,このCDがきっかけと言っても良いでしょう。
たまたま楽譜は家にありましたので,英雄ポロネーズの楽譜を引っ張り出してきて,最初の1音(4オクターブのE♭)をピアノで鳴らしたときの感動は今も忘れません。
それから三十数年。
一時期,ショパンをまったく弾かない時期もありましたが,年を重ねるにしたがい,こうしてショパンを深く愛するようになりました。
最初から最後まで,ショパンの意図を忠実に再現して演奏しようと試みてみました。
ぜひお聴きください。
今回は以上です!
ショパンは強弱記号をつける際にも,熟慮を重ねて書き込んでいます。
使われる記号は,ppとp,f,ffの4種類がほとんどで,pppやfffはここぞという場面で稀に使うだけで,mp(メゾピアノ)やmf(メゾフォルテ)は使いませんでした。
ショパンがffと書き込むからには,必ず何かの意図があり,
ffをfに書き換えたということにも,必ず何かの意図があります。