ショパン「作品一覧」を大幅に更新しました。
先日,部屋の片付けをし,資料を整理したのですが,
新たにいくつか資料が見つかりましたので,
ショパン作品一覧およびショパンの生涯-年表の作品情報を更新しました。
これらの情報は,皆さんにご利用いただくために作成しているのはもちろんなのですが,
誰よりも当サイト管理人が日々の調べ物で利用しています。
更新状況を後で確認できるように,備忘録として掲示しておきたいと思います。
下記に掲示している以外にも細かな修正をいくつか加えていますが,
これは省略します。
ショパン「作品一覧」更新情報 2021年8月19日
【ショパンの生涯-年表】BI番号やKK番号を記載
作品番号(Op.)のない作品は番号なし
作品番号(Op.)のない作品でも,BI番号やKK番号が割り当てられている作品は,
BI番号もしくはKK番号を記載
ショパンの生涯-年表の「◆作品◆」では,作品番号(Op.)のない作品は番号を記載していませんでした。
「ワルツ ハ長調」などと書いてあるだけだと,どの作品のことなのか分かりづらいので,
BI番号やKK番号があれば,記載するようにしました。
優先順位は,Op.>BI>KKの順で記載しています。
なお,ショパン作品一覧では当初から「Op.」「BI」「KK」「WN」のすべての番号を記載しています。
詳しく調べたいときにはショパン作品一覧を参照してください。
【ショパンの生涯-年表】今まで掲載していなかった作品の一部を掲載
ショパンの作品であることが疑わしい作品は掲載しない
ショパンの作品であることが疑わしい作品であっても,
- BI番号が割り振られている
- ショパン遺作集などの楽譜に収録されていることが多い
- ショパンの作品として紹介されることが少なからずある
ような作品は掲載する
ショパン作品一覧には当初より,ショパンの作品であることが疑わしい作品もすべて掲載していました。
一方,ショパンの生涯-年表の◆作品◆には,基本的にはショパンの作品であることが疑わしい作品は掲載していませんでした。
今回の更新では,ショパンの作品であることが疑わしい作品であっても,
- BI番号が割り振られている
- ショパン遺作集などの楽譜に収録されていることが多い
- ショパンの作品として紹介されることが少なからずある
上記のような作品は,ショパンの生涯-年表にも掲載しました。
詳細は下記「作品ごとの更新情報」をご覧ください。
なお,ショパンの作品であることが疑わしい作品も,クリスティナ・コビラニスカのカタログには掲載されていて,KK番号(Anh.Ia番号)が割り振られています。
クリスティナ・コビラニスカはポーランドの音楽学者で,ワルシャワのショパン協会博物館の館長をしていた人物です。
1977年にショパンの作品カタログを発刊しました。
当サイトのショパン作品一覧では「分類G」として掲載しています。
作品ごとの更新情報
軍隊行進曲 1817年(ショパン7才)の作品 調性不明 KK番号Vd-4
- KK番号Vd-4追記
今まで記載が漏れていました。当サイト管理人の単純なミスです。 - ポップアップ備考に「軍楽隊用の作品である」ことを追記
当サイトの「ショパン作品一覧」では青い下線がついた箇所はポップアップで備考が表示されます。
このポップアップに備考を追加しました。
この曲に関する情報は完全に失われていて,その調性も分からないほどです。
まだ7才だったショパン少年が,自分が作曲した作品をポーランド軍総司令官コンスタンティン大公にプレゼントしたところ,
大公は軍楽隊用に編曲させてサスキ広場での軍隊行進に使ったとのことです。
こんな話が残っているのに,曲に関する情報は一切失われてしまっています。
7才の少年ショパンが作曲したどんな曲だったのか,気になりますね。
スマホやタブレットではポップアップが表示できないと思いますので,ぜひPCでご覧ください。
マズルカ変イ長調 BI 7 & マズルカイ短調 BI 8 1824年(ショパン14才)の作曲
作曲年を「不明」としていましたが「1824年」に修正しました。
記事を公開した当初から「1824年」の章に掲載していました。
*特に更新はしていません。
- マズルカ変イ長調 BI 7 はマズルカOp.7-4(BI 61)の第1草稿(初稿)です。
- マズルカイ短調 BI 8 はマズルカOp.17-4(BI 77)の第1草稿(初稿)です。
ショパンの生涯-年表の1824年の章には当初から記載していましたが,
作曲年が不確かだったためショパン作品一覧では「作曲年不明」と記載していました。
今回,複数の資料で確認がとれたため,ショパン作品一覧の記載も「1824年」に修正しました。
BI 7もBI 8も既に失われてしまっています。
それぞれ,マズルカOp.7-4とOp.17-4の草稿です。
当たり前ですが,普通は草稿を「1曲」としてカウントしません。
しかしBI番号が別に割り当てられていますので,別の曲だと思われていたようです。
BI整理番号はイギリスの音楽学者モーリス・J・E・ブラウンがつけた番号です。
ブラウンがショパンの作品カタログ(の第2版)を出版したのは1972年なので,
結構最近まで,これらの草稿は,完成した曲とは別の曲だと考えられていたことになります。
なお,当サイトの記事「ショパンの作品数~ズバリお答えします!~」では,
ショパンの作品数が258曲であるという結果になりましたが,
この258曲の中には,BI 7 とBI 8 は入れていません。
ショパン作品一覧では,当然ですが草稿や清書原稿などを一つの作品として掲載はしていません。
しかし,これらの草稿はBI番号が割り当てられているため,一つの作品として掲載しています。
マズルカ イ短調 BI 45 1829年(ショパン19才)の作曲
作曲年を「不明」としていましたが「1829年」に修正しました。
記事を公開した当初から「1829年」の章に掲載していました。
*特に更新はしていません。
BI 7 ,BI 8 と同じく,マズルカOp.7-2(BI 61)の第1草稿(初稿)です。
BI 7 ,BI 8 と同様ですので,詳細は一つ前の章をご覧ください。
マズルカ ニ長調 BI 4 Anh.Ia-1 1820年(ショパン10才)の作品
「1820年」の章に掲載。
1910年にワルシャワで,写譜者不明の筆写譜のファクシミリが出版されていますが,本当にショパンの作品かどうかは疑わしい作品です。
KK番号ではショパンの作品であることが疑わしい作品としてAnh.Iaに分類されています。
ショパンの作品であることが疑わしい作品はショパンの生涯-年表には掲載していませんでしたが,
BI番号が割り振られているため,ショパンの生涯-年表にも掲載することにしました。
エコセーズ 変ト長調 KK番号Vb-9 1827年(ショパン17才)の作品
「1827年」の章に掲載。
これは,単純に当サイト管理人のミスによる記載漏れです。
2つのブーレー BI 160B 1846年(ショパン36才)の作品
間違えて「ト短調」と記載していたものを「ト長調」に修正
これも当サイト管理人の単純なミスです。
2つのブーレーは「ト長調とイ長調」が正解ですが,「ト短調とイ長調」と記載してしまっていました。
なお,ショパンの生涯-年表には当初から正しい情報を掲載していました。
それにしても,2つのブーレーは本当にショパンの作品なのだろうか・・・
と,定期的に疑ってしまうほど稚拙な作品です。
教会音楽 Va-1,2 1846年(ショパン36才)の作品
「1846年」の章に掲載。
ショパンの作品であることは間違いないのですが,当サイト管理人にとって実在感が感じられない作品のため,意識せず,ショパンの作品であることが疑わしい作品と同じ扱いをしていました。
ショパンが弟子(ピアノの生徒)の結婚式のために作曲した作品とのことですが,
この曲に関する情報は完全に失われていて,調性さえ分からないほどです。
第二次世界大戦で失われるまでは,個人がショパンの自筆譜を所有していたらしいのですが,
「ほんまかぃな」=標準語で「ホントかな?」というのが率直な感想です。
マズルカやワルツなら「こんな作品もあったけど,世界大戦で焼失してしまった」と聞けば「なるほど,そんな作品もあったのか」と素直に思えますが,
「教会音楽」って何??
「エアロパンタレオンのための作品」って怪しくない??
と思ってしまいます。
後世の人々が同性愛を疑うぐらい熱烈な手紙を書いていたティトゥスから,
「なぜオラトリオ(聖譚曲と呼ばれる宗教曲)を書かないのだ。オラトリオを作曲したまえ」という手紙を受け取っただけで,絶交してしまうほどの宗教曲嫌いのショパンが「教会音楽」ってオカシクないですか?
死の直前には「終油の秘蹟(病者の塗油)」を断ったぐらい,独自の宗教観を持っていたショパンがですよ,「教会音楽」を書きますかね??
それに,一部の資料によりますと,この「教会音楽」は「エアロパンタレオン」のための作品らしいのです。
エアロパンタレオンていうのは,ショパンが幼少の頃に開発されたピアノとオルガンの中間のような楽器です。
扱いの難しい楽器だったそうですが,少年ショパンはたちどころにその演奏をマスターしたそうです。
15才の少年ショパンは,ロシア皇帝アレクサンドル1世の御前でエアロパンタレオンを演奏し,褒美としてダイヤの指輪を下賜されています。
エアロパンタレオンというのは,ショパンが幼少の頃に「新時代の画期的な楽器」としていっとき持て囃されましたが,
ピアノが急速に発展し,特にイギリス式アクションを備えたピアノが開発されたことで,
エアロパンタレオンは歴史から姿を消します。
常にピアノ演奏と作曲において,最前線にあり続けたショパンが,最晩年になってエアロパンタレオンのための作品を書きますかね??
この「教会音楽」は詳細な作品一覧にも抜けていることが多く,本当に実在したのか,当サイト管理人は今でも疑っています。
BI番号が付与されていないぐらいですからね。
しかしKK番号がちゃんと与えられているため,ショパン作品一覧では,当初から掲載しておりました。
当サイトの記事「ショパンの作品数~ズバリお答えします!~」の集計結果258曲の中にも含まれています。
以上のことから, ショパンの生涯-年表に掲載することを無意識に失念しておりましたが,
今回の更新により掲載しております。
ギャロップマルキ KK番号IVb-13 1846年(ショパン36才)の作品
「1846年」の章に掲載。
2つのブーレーと同じく,およそショパンの作品とは思えない凡作です。
BI番号が割り振られていないのでショパンの生涯-年表には掲載していませんでしたが,
ショパンが作曲した作品であることは間違いないので,改めて掲載しました。
本当にショパンの作品なのかな・・・・
作曲年が不明な作品は「ショパンの生涯-年表」には記載していない
作曲年が不明な作品はショパンの生涯-年表へは掲載していません。
全部で7曲あります。
- エコセーズ 変ホ長調 KK番号Ve-3
- 3声のカノン BI 69
- マズルカ ト長調
*歌曲「どんな花,どんな花冠」BI 39と同一の作品である可能性があります。
残り4曲はショパンの作品であることが疑わしい作品
- 忘れられたノクターン Anh.Ia-6
- 憂鬱なワルツ(ワルツ・メランコリック) Anh.Ia-7
*シャルル・マイヤーの『後悔』Op.332という作品の編曲 - マズルカ 変ロ短調 Anh.Ib
- アレグレット 嬰ヘ長調
*おそらくシャルル・マイヤーの曲
これらの作品もショパン作品一覧には当初から掲載されています。
「ショパン作品一覧」に掲載することを見送っている作品
ショパンの生涯-年表には当初から掲載しているものの,
ショパン作品一覧には掲載していない作品があります。
ショパンの手紙などに書かれているものの,その存在が確認できる資料が少ないもの,特にKK番号が割り当てられていない作品になります。
全部で7曲あります。
1817年(ショパン7才)作曲 「変奏曲」「舞曲」
1817年といえば,ショパンが生まれてはじめて作曲した歴史的な年です。
ショパンが生まれてはじめて作曲した曲といえば,
2曲のポロネーズト短調 BI 1 と変ロ長調 BI 3 です。
さらに多くの資料には,同じ1817年の作品として軍隊行進曲 BI 2 が掲載されています。
さらにさらに,いくつかの資料には,同じ1817年の作品として「変奏曲」「舞曲」の2曲が記載されています。
この2曲にはKK番号も付与されておらず,調性さえ不明で,何も情報がありません。
1818年(ショパン8才)作曲「ポロネーズ」
これもいくつかの資料に1818年作曲の作品として掲載されていますが,
KK整理番号もなく,調性さえ不明で何の情報も見つけられない作品です。
多くの資料では,1817年,ショパン7才のときに初めて作曲したあと,
1821年,11才になって,ポロネーズ変イ長調 BI 5 を書くまで,作曲の記録が掲載されていません。
7才で作曲を覚えた少年が11才までまったく作曲をしないというのは不自然です。
おそらく記録にも残らず失われてしまった作品がたくさんあったのではないかと思っています。
そのうちの1曲なのかもしれません。
1825年(ショパン15才)作曲「ワルツ」
この作品も,KK整理番号もなく,調性も不明で一切の情報がありません。
1825年(ショパン15才)作曲 マズルカ ハ長調
この作品は調性が「ハ長調」であることを記載した資料がありますが,
やはりKK整理番号もなく,詳細は不明です。
1826年(ショパン16才)作曲「マズルカ(マズレック)」
1827年1月8日付けのショパンからヤン・ビャウォブウォツキへの手紙の中に書かれている作品です。
当サイト管理人は,時期的にマズルカ ト長調 BI 16 のことではないかと考えています。
しかし,BI 16 とは別に,調性不明の作品として掲載されている資料がいくつかあります。
1830年(ショパン20才)作曲「レント」
これも詳細は一切不明です。
「作品一覧」にも「年表」にも記載していない作品
以上,更新記録に出てきた作品は,ショパン作品一覧またはショパンの生涯-年表のいずれかには記載されています。
しかし,どちらにも掲載していない作品が一つだけあります。
1825年(ショパン15才)作曲「ポロネーズ」
1825年にヤン・ビャウォブウォツキ宛の手紙の中に「ロッシーニの『セヴィリアの理髪師』をもとにして新しいポロネーズを書いた」とあります。
ポロネーズ BI 13『別れのポロネーズ』の中間部ではロッシーニのアリアが使われていますので,
この曲のことかと思われます。
しかし,ショパンが『別れのポロネーズ』で使ったのは『セヴィリアの理髪師』ではなくて,『泥棒かささぎ』のアリアでした。
そうなると,『泥棒かささぎ』を使った『別れのポロネーズ』の他に,『セヴィリアの理髪師』を使った別のポロネーズがあったのだろう,ということになります。
多くの資料で,『別れのポロネーズ』以外にポロネーズがもう1曲あると記載されています。
しかし,当サイト管理人は,やはりこの手紙に出てくるポロネーズは『別れのポロネーズ』のことだと考えています。
末永く「ショパン作品一覧」をご利用ください
Web上のデータは常に更新し続けることができるのが良いですね。
書籍ではこうはいきません。
書籍や論文は信頼できる情報源ですが,発刊したとたん,日を追うごとに情報は古くなっていきます。
今後も「ショパン データベース」内の情報は更新をし続けていきます。
どうか末永く「ショパン データベース」をご利用ください。
本日は以上です!