ノクターン(夜想曲)
ノクターン(夜想曲)は,アイルランドのピアニスト・作曲家,ジョン・フィールドが創始した音楽ジャンルです。
語源はラテン語のnocturnus(夜の,夜に属する)です。
フィールドが創始したノクターンは,アルペッジョの伴奏にのせて,歌曲風の旋律を演奏するものでした。
この形式はショパンも受け継いでいます。
ノクターンは,フォーレのピアノ曲や,ドビュッシーの管弦楽も有名ですが,
ショパンの一連の作品が最もよく知られていて,「ノクターン」といえばショパンの作品のことがまっさきに思い出されます。
リストの『愛の夢』も正式なタイトルは『3つの夜想曲』です。
ショパンのノクターン
ショパンは生涯でノクターンを21曲も作曲しています。
(*ショパンの作品であるか疑わしい作品も入れると22曲)
作曲時期は1830年(ショパン20才)から晩年まで,間隔をあけることなく作曲していました。
ショパンの作品の変遷を知ることができます。
初期のノクターンはフィールドの影響が濃く,晩年に近づくに従って作品は深化し,やがては芸術の境地へ至ります。
そのほとんどが明確なトリオ(中間部)を持つ三部形式で作られています。
ショパンは”人が歌うような”旋律を生み出す天才でした。
左手の伴奏にのせて,右手で旋律を歌う形式のノクターンでは,このショパンの天才がありのままに現れています。
ショパンのノクターンはショパン演奏の礎
左手の伴奏にのせて,右手旋律をまるで人の歌声のように歌わせる,という場面は,ショパンの作品の中に頻繁に登場します。
ノクターンだけではなく,協奏曲,ソナタ,バラード,スケルツォ,ポロネーズなどショパンの大曲の多くに,ノクターン様の場面があります。
ショパンのノクターンの演奏を研究することは,ショパンのあらゆる作品を演奏するための礎となります。
ショパンのノクターン~ピアノで歌う~
ピアノで”歌う”
音楽の原点は鳥のさえずり,川のせせらぎ,そして人間の話し言葉と歌声です。
チェンバロは弦をはじく楽器でした。
音の強弱をつけるのが難しく,音量は急速に単調に減衰します。
人間の声の長くのばされ感情のこもった音を,チェンバロで実現するための工夫として,装飾音は発明,発展してきました。
この工夫は,バロック時代,特にJ.S.バッハの作品によって,最高水準の完成に至りました。
その後ピアノが発明されます。
ピアノは弦を叩く楽器です。
音量が単調に減衰する楽器であることはチェンバロと変わりありませんが,より長く音が持続するようになりました。
音の強弱をつけることも容易になりました。
ピアノという楽器に徐々に改良が加えられ,ようやく現代ピアノに近いものが完成しようとしていた時代に,ショパンという天才が生まれます。
ピアノの音
人の歌声や,弦楽器,管楽器がロングトーンを歌うときは,徐々に音量を上げてから,徐々に音量を下げる(クレッシェンドしてからディミヌエンドする)のが自然です。
ピアノの音は,一度音を出してしまったら,後は単調に音量が下がっていくだけ。
音を出したあとに,音量を上げることは物理的に不可能です。
また,美しい歌声では,人の声でも,弦楽器でも管楽器でも,ロングトーンではヴィブラートをかけるのが自然です。
美しい歌には,「こぶし」をまわしたり,「しゃくり(ベントアップ)」を入れたり,ロングトーンの最後に「フォール」させたり,といったことも必要です。
これらは,ピッチ(周波数)を微妙に変化させる奏法です。
ピアノは音の高さ(周波数)を変えることができません。
鍵盤を叩く強さを変えても,叩き方を変えても,弾く人が変わっても,ピッタリ同じ周波数の音が鳴るだけです。
ショパンは生徒たちに「歌うような」演奏を求めました。
段階的にデジタルに音を出す楽器であるピアノは,本来ならば歌うように演奏することはできません。
ショパンはそのことを理性的に正しく認識していました。
その上で,”歌うような旋律”を科学的に生み出しています。
装飾音の発展の歴史が,ショパンの作品で頂点に達する
ショパンの遺した珠玉の旋律たちは,正しく演奏することで,”歌うように”美しく奏でられます。
このことを可能にしているのが「装飾音」です。
装飾音を正しく演奏したとき,つまりは装飾音を「拍と同時に」演奏したとき,ショパンの旋律は”歌うように”奏でられます。
ショパンのテンポ・ルバート
テンポ・ルバートとは「盗まれた時間」という意味で,音符の長さを一部盗み取ることを指します。つまり,音の時間的長さを音符どうしでやり取りするだけなので,全体のテンポは変化しません。
例えば,神童モーツァルトがソナタのアダージョを弾くとき,自由に揺れ動く右手のメロディーに引きずられることなく,その左手は拍子を正確に保って伴奏しました。
ショパンは弟子たちに「左手の伴奏はいつでも正確なテンポを保持する様に」と言っています。
テンポ(リズム)は,メロディー(旋律),ハーモニー(和声)とともに,音楽の重要な要素の一つです。
メロディーを歌わせるためだからといって,テンポを狂わせてしまっては,音楽そのものが崩れます。
装飾音を正しく,拍と同時に演奏することで,ショパンのテンポ・ルバートを実現することができます。
ショパンのノクターン【作品一覧】
ショパン自身が生前に出版した作品
- Op.9 献呈;カミール・プレイエル夫人
- Op.9-1変ロ短調 1830~31年(ショパン20~21才)作曲
- Op.9-2変ホ長調1830~31年(ショパン20~21才)作曲
- 最も知られた作品で,ショパンの作品の中でも最も有名な作品の一つ。
ショパンのノクターンといえば,普通この曲を指します。
- 最も知られた作品で,ショパンの作品の中でも最も有名な作品の一つ。
- Op.9-3ロ長調1830~31年(ショパン20~21才)作曲
- Op.15 献呈;フェルディナンド・ヒラー
- Op.15-1ヘ長調 1830年(ショパン20才)作曲
- Op.15-2嬰ヘ長調 1830年(ショパン20才)作曲
- Op.15-3ト短調 1833年(ショパン23才)作曲
- Op.27 献呈;テレーゼ・アポニー伯爵夫人
- Op.27-1嬰ハ短調 1835年(ショパン25才)作曲
- Op.27-2変ニ長調 1835年(ショパン25才)作曲
- Op.32 献呈;カミーユ・ド・ピリング男爵夫人
- Op.32-1ロ長調 1836~37年(ショパン26~27才)作曲
- Op.32-2変イ長調 1835~37年(ショパン25~27才)作曲
- バレエ音楽『レ・シルフィード』にも登場します。
ノクターンの中では比較的有名な作品です。
- バレエ音楽『レ・シルフィード』にも登場します。
- Op.37 献呈;なし
- Op.37-1ト短調 1838年(ショパン28才)作曲
- Op.37-2ト長調 1839年(ショパン29才)作曲
- Op.48 献呈;ローラ・デュプレ嬢
- Op.48-1ハ短調 1841年(ショパン31才)作曲
- Op.48-2嬰ヘ短調 1841年(ショパン31才)作曲
- Op.55 献呈;ジェーン・ウィルヘルミナ・スターリング嬢
- Op.55-1ヘ短調 1843年(ショパン33才)作曲
- Op.55-2変ホ長調 1843年(ショパン33才)作曲
- Op.62 献呈;ド・ケンネリッツ嬢
- Op.62-1ロ長調 1845~46年(ショパン35~36才)作曲
- Op.62-2ホ長調 1845~46年(ショパン35~36才)作曲
ショパンの死後フォンタナが出版した作品
- Op.72-1ホ短調 1830年(ショパン20才)作曲
現代では出版譜などで入手可能な作品
- BI49(WN37)嬰ハ短調 1830年(ショパン20才)作曲
- 俗称『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』
- テレビCMや映画などで頻繁に使用されています。
聴いたことのある方も多いでしょう。
- BI108(WN62)ハ短調 1847~48年(ショパン37~38才)作曲
- 1837年(ショパン27才)の作品という説もあります。
ショパンの作曲かどうか疑わしい作品
- Anh.Ia-6嬰ハ短調『忘れられたノクターン』
- 109小節のノクターン
- A.ビアレツカというピアニストが,ペテルブルクで出版された楽譜をもとに,自分で筆写譜を作ったそうです。
ショパンのノクターン各曲解説
今後,ショパンのノクターン各曲の解説記事も公開していきます。
お楽しみに!