ショパン作曲『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』のすべてを,ひとつの記事にまとめました!
当サイト管理人の演奏です。
- ショパンオリジナルの演奏は,ショパンの自筆をご覧いただきながら演奏をたのしんでいただけるようにしています。
- 当サイト管理人が愛する作曲家ゴドフスキーによる編曲の演奏動画も公開しています!
*2021年7月の録音です。
『小犬のワルツ』の情報をすべて漏らさず一つの記事にまとめようとしたため,記事内容が膨大なものになってしまいました。
お時間があるときに,ゆっくりご覧ください。
目次などをご活用いただき,興味のあるところからご覧いただくと良いかもしれません。
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 概要
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 古今東西,多数の編曲
- 【ダントツでオススメ!】ゴドフスキー Leopold Godowsky 編曲
- 【異形だが美しい】ソラブジ Sorabji 編曲
- 【きらびやかなパラフレーズ】ミハウォフスキ Aleksander Michalowski 編曲
- 【優雅で上品な秀作!】ザドラ Michael von Zadora 編曲
- 【演奏効果バツグン!】Max Laistner 編曲
- ローゼンタール Moriz Rosenthal 編曲
- モシュコフスキ Moritz Moszkowski 編曲
- マックス・レーガー Max Reger 編曲
- フェッラータ Giuseppe Ferrata 編曲
- ヨゼフィー Rafael Joseffy 編曲
- フィリップ Isidore Philipp 編曲
- ホフマン Josef Hofmann アンコールの演奏
- Joe Frust “Showpan Boogie”
- チャーミングな秀作 / Frédéric Meinders
- Got a Minute? / Fredrik Ullen
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 原典資料
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 出版譜によくみられる間違い
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 構成
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 自筆譜を詳しく見てみよう!
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 演奏上の注意点
- ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 実際の演奏
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 概要
ショパンの作品の中でも,特によく知られた名曲の一つです。
映画,ドラマ,アニメなど,様々なメディアで使われています。
この曲がショパンの作品であることを知らなくても,
この曲を聴いたことがないという人はいないのではないでしょうか。
ショパンの作品の中では比較的演奏しやすい作品なので,
この曲を練習したり,発表会などで演奏したりしたことがある方も多いのではないでしょうか。
気軽にたのしめる楽しい作品ですが,
ショパンらしい優雅さや高貴さを兼ね備えている名作です。
ショパンが死の直前にたどりついた,ショパンの芸術の最終到達点の一つです。
1826年2月16日プレイエル・ホール (サル・プレイエル) で行われたショパンのパリ最後のコンサートでも『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』が演奏されています。
基本情報
- 作品番号;Op.64-1
- 調性;変ニ長調 *独;Des-Dur 英;D flat major
- 4分の3拍子,Molto vivace
- 作曲年;1846年 *諸説あり
- 出版;1847年
- 初版;経緯が複雑なので後述します。
- 献呈;デルフィナ・ポトツカ伯爵夫人 A Madame la Comtesse Delphine Potocka
- 通称『小犬のワルツ』 *近年では『子犬のワルツ』と表記されることもあります。
小犬のマルキ
サンドとの交際も9年目の1846年の夏
1846年の夏。ショパン36才。
1837年の秋ごろから続いていた,ショパンとサンドの関係も,9回目の夏を迎えました。
サンドとの交際中は,夏はノアンにあるサンドの別荘で過ごすことが恒例になっていました。
1846年も5月ごろからノアンのサンドの別荘で過ごしていました。
なお,この1846年の夏が,ショパンにとって生涯最後のノアン滞在となります。
サンドの別荘に滞在していたのは,サンドとショパン,サンドの娘のソランジュと息子のモーリス,サンドの親戚の娘オーギュスティーヌの5人という,いつもの顔ぶれです。
この頃「サンド&モーリス」VS「ショパン&ソランジュ」の敵対関係がいよいよ顕著になっていました。
モーリスはささいなことでフレデリックに喧嘩をふっかけ,諍いになります。
そしてサンドは明らかに息子モーリスの側につくようになっていました。
神経質なショパンはしょっちゅう体を洗い,オーデコロンを体にふりかけていましたが,
そんな神経質なフレデリックに,サンドはイライラしていました。
ノアンに小犬の「マルキ」がやってくる
友人がサンドのために探してくれた小犬がノアンに別荘にやってきます。
光沢のある白い毛並みの犬で,サンドもショパンも大変気に入りました。
気品が感じられる,ということで「リスト」と名前をつけますが,
さすがにそれはあんまりだ,ということで,最終的に「マルキ」という名前になりました。
なお「マルキ」というのはフランス語で「侯爵(マーキス)」のことです。
諍いのたえない生活の中にあって,
小犬の「マルキ」は,心が癒される存在だったでしょう。
小犬の「マルキ」が自分の尻尾を追いかけ回していた様子から,『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』が作曲されたといわれています。
自分の尻尾を追いかけるようにくるくると遊んでいた「マルキ」の様子をみて,
この子(小犬のマルキ)の様子をピアノで表現できる?
と,サンドから提案を受けたショパンが,その場で即興的にワルツを演奏し,『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』が誕生した,ということです。
一度聞くと忘れられない,名エピソードなのですが,この逸話に信憑性はありません。
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』は一見すると,さらさらっと書き上げられたような即興性が感じられます。
しかし,後述しますが,細部にわたって洗練された作曲技法がふんだんに使われていて,
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』が完成するまでに何度も書き直されています(自筆譜が5種類遺されています)。
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』は即興演奏の類ではなく,時間をかけて推敲が重ねられた力作です。
作曲年
1846年,ショパン36才のときの作品だと考えられます。
1846年に作曲され,1847年,ショパン37才のときに完成・出版されました。
ショパンは1849年に亡くなっており,1847年以降は小品を数曲書き遺しただけで,主要作品は書いていません。
Op.64の3曲のワルツは,生前に出版されたショパン最期のピアノ作品です。
ギャロップ・マルキ
ショパンが1846年~1847年に作曲した作品で,『ギャロップ・マルキ』という作品があります。
譜面を見ていただければわかるとおり,とてもショパンの作品とは思えない稚拙な作品です。
ご覧いただいている譜面がこの曲のすべてで,1ページの小品です。
1846年には『2つのブーレー』という,これまた稚拙な作品を書き遺しています。
1846年のショパンに何があったのでしょう??
・・・・・・
スケッチ段階の草稿なので,もしかすると,この状態からショパンが推敲を重ねると,ショパンらしい傑作に生まれ変わるのかもしれません。
この『ギャロップ・マルキ』は,標題を見てわかるとおり,小犬の「マルキ」のために書かれた作品です。
『小犬のワルツ』も『ギャロップ・マルキ』も小犬の「マルキ」がキッカケとなって作曲された作品とされています。
しかし,小犬の「マルキ」が動機となって作曲されたのは『ギャロップ・マルキ』だけだとすると,
『小犬のワルツ』はもっと早い時期に作曲されていた可能性が出てきます。
『小犬のワルツ』は1845年に作曲されたとする資料や,1840年ごろから書き始められていた可能性があるとする資料にも信憑性が出てきます。
ただ『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』はかわいらしい小犬の様子が明らかに描写されています。
純音楽しか書かなかったショパンにはめずらしく,小犬がくるくると駆け回る様子や,小犬の鳴き声が描写されています。
やはり『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』は小犬の「マルキ」と出会ったあとに作曲されたと思いますが,実際はどうなのでしょう・・・?
数々の傑作が生まれた1846年の夏
サンド一家と過ごす夏のノアンは,ショパンにとって毎年の楽しみでした。
ノアンの別荘はサンドが祖母から相続した大邸宅で,部屋数が20もある瀟洒な洋館でした。
フランス中部の田園の中にあり,暖かな光と静けさに満ちていて,疲れやすいフレデリックの神経をやわらげました。
毎年,たくさんの友人がノアンを訪れ,ショパンは気の合う友人と楽しい時間を過ごしました。
1844年には,姉のルドヴィカもノアンの別荘を訪れています。
毎年,ノアンに滞在中の夏に,ショパンは傑作の数々を生み出しています。
自然豊かなノアンの別荘での静かな生活と,サンドによる献身的な看護があったからこそ,ショパンの中期~後期の傑作の数々は生まれたといって良いでしょう。
ところが,1845年ごろから,サンドの息子モーリスの,ショパンに対する憎悪が膨れ上がり,
家庭内での敵対関係がショパンの精神を疲れさせるようになります。
家庭内でのいざこざで不快な毎日を送りながらも,1845年の夏,そして1846年の夏も作曲に精を出し,後期の傑作の数々を生み出しています。
ショパンは作曲家として絶頂期を迎えていました。
ショパン35才,1845年作曲の作品
- マズルカOp.59
- 舟歌Op.60 *1846年完成
- 幻想ポロネーズOp.61 *1846年完成
『舟歌』と『幻想ポロネーズ』は,ピアノ独奏曲では最後の大作で,以降は小品しか作曲していません。
『幻想ポロネーズ』は2010年のショパンコンクールで史上初の共通課題曲となりました。
ショパンはピアノソナタやバラード,スケルツォ,幻想曲など数々の大作を遺しました。
『幻想ポロネーズ』はショパンが遺してきた大作の芸術的最終到達点です。
ショパン36才,1846年作曲の作品
- ノクターンOp.62
- マズルカOp.63
- ワルツOp.64
- チェロ・ソナタOp.65*1845年に着手
ショパンの小品には,ショパンの魅力がギュッと濃縮されています。
1846年にはノクターンを2曲,マズルカを3曲,ワルツを3曲書き遺しており,
すべてがショパンの芸術の最終到達点です。
ショパンはときおり,遊び心あふれる天真爛漫な作品を書いています。
Op.64-1『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』はそんな遊び心があふれる音楽の最後の作品になりました。
一見,即興的に遊び心で書いただけのような作品に見えますが,
洗練された作曲技法によって細部まで緻密に組み立てられています。
練りに練られた作品なのに,いや,細部まで緻密に練り上げられたからこそ,
即興性にあふれています。
ショパンらしい優雅さや気品に満ちており,
ショパン最後のピアノ曲にふさわしい,最高傑作の一つです。
1847年以降,作品が書けなくなる。
1847年にはとうとうサンドと破局します。
1847年も夏はノアンに滞在するつもりになっていましたが,
ショパンはサンド家の内紛に巻き込まれ(ショパンも家族の一員になっていましたが),
1847年はノアンに行くことをやめ,
1847年の7月にショパンとサンドは訣別します。
ショパンの作品創造において,サンドは代えがたい支えでした。
サンドと破局してからは,ショパンは作品が書けなくなります。
少年のころは湧き出す泉のようにとめどなく溢れ出ていた音楽が,心の中から湧き出てきません。
1847年は,1846年に書いた作品を完成させるだけで精一杯で,
新しい作品は歌曲を1曲書いただけでした。
1848年にはジェーン・スターリングの誘いで,イギリスへ演奏旅行に行きます。
ショパンは旅の疲れで作曲どころではなく,1848年はワルツを1曲書いただけでした。
このワルツはジェーン・スターリングの姉のキャサリン・アースキン夫人に贈呈されています。
出版はされておらず,現在も個人所有されているため,どんな作品なのかは知られていません。
当サイト管理人は,このワルツ(1848年作曲のロ長調のワルツ)の楽譜の断片だけでも見たいと切望して探しつづけていますが,まったく情報がありません。
本当にロ長調の作品なのかどうかも確かめようがないほど情報がありません。
一目で良いですので,生きているあいだにロ長調のワルツの譜面を見てみたいです。
1849年,ショパンの絶筆
1849年になると健康はますます衰え,喀血をくりかえし,発作に苦しみます。
病床にありながら,ピアノ入門書を書き始めますが,未完で終わっています。
ショパンは死期を悟り,何も湧き出てこない心の中から絞り出した音楽を譜面に書き遺しています。
ショパンが最期に絞り出したその音楽は,祖国の民謡,マズルカでした。
ショパンは病床に臥せながら,マズルカを2曲書き遺しています。
病床で仰臥しながら書いたものと思われ,手が滑ったのか,その譜面にはペンが紙の上を滑った跡が遺っています。
このマズルカOp.68-4ヘ短調(作品番号は死後つけられたもの)が,ショパンの絶筆となりました。
ショパンの絶筆となった自筆譜は,ショパンの死後に友人のチェリスト・作曲家のフランショームの元に届きます。
この自筆譜はショパンの苦悩が記譜にあらわれており,書いては消し,書いては消し,大変読み取りにくい譜面でした。
とくに中間部の判読は不可能だったため,中間部を省いた状態でフランショームが写譜したものを,フォンタナが校訂して,ショパンの死後に出版されています。
約百年後,エキエル氏が完全版を出版
未完成の状態で出版されていた,ショパン最期のマズルカですが,
約百年後,1965年に完全版が出版されています。
ポーランドのショパン研究家で,ポーランドの国家事業である「ショパン・ナショナル・エディション」の編集者であるヤン・エキエル氏が苦労の末,ショパン自筆の譜面を読み解き,中間部ヘ長調のトリオを含んだ完全版を再現しました。
エキエル氏が読み解いて完成させたマズルカの譜面は,エキエル版に収録されています。
エキエル版は,
- 生前に出版された作品をまとめたAシリーズ(表紙がベージュ色)と,
- 死後に出版された作品をまとめたBシリーズ(表紙が白色) とに分かれています。
ショパンの絶筆となったマズルカはBシリーズ(表紙が白色)に収録されています。
ピアノ独奏曲としては生前最後に出版された作品
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』は,Op.64(作品番号64)の3曲のワルツの第1曲になります。
Op.64-2嬰ハ短調も,Op.64-1『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』と同じぐらいよく知られた名曲です。
ショパンが生前に出版したのはOp.65まで
ショパンの生前に出版された作品は全部で162曲。
Op.4のピアノソナタ ハ短調はショパンが生前に出版するつもりだったのですが,
出版社が無名の作曲家の出版を渋ったため,結局は出版されたのがショパンの死の2年後の1851年になってしまいました。
Op.4のピアノソナタもふくめると,ショパンが生前に出版するつもりだった作品は,全部で163曲となります。
ショパンの生前に出版された作品の中には,ショパンが作品番号をつけなかった曲が7曲あります。
この7曲をふくめて163曲はショパンが生前に出版することを決めた作品ということになります。
そのうち156曲にはOp.1からOp.65まで,ショパン自身が作品番号をつけています。
その中でも,Op.64の3つのワルツと,Op.65のチェロ・ソナタが,ショパンが生前に出版した最後の作品になります。
ショパンが作曲した作品は,そのほとんどがピアノ独奏曲でした。
Op.64の3曲のワルツは,「ピアノの詩人」ショパンが生前に出版した最後のピアノ独奏曲になります。
ユーモアのセンスと洗練された作曲技法
ウイットとユーモアのセンスに富んだショパン
神経質で気難しい印象の強いショパンですが,元来は屈託のない陽気な性格で,少年時代はたくさんの友人に囲まれていました。
頭の良い,いきいきとしたイタズラっ子で,友人仲間の中心人物でした。
鋭いウイットとユーモアの感性に秀でており,
スケッチ(マンガ)やモノマネで周囲を楽しませていました。
特にモノマネの才能は,後にバルザックやジョルジュ・サンド,リストらを感嘆させたほどでした。
少年フレデリックは,妹のエミリアと「家庭演劇」という名前の演劇クラブを共同運営しており,主役をつとめたのはフレデリックでした。
「家庭演劇」以外にも演劇に出演しており,フレデリックの演技力はプロの俳優も認めるほどだったそうです。
ポーランドの田園へ旅行にでかけたときには,その土地の方言で書かれた『シャファルニア新聞』を発行して,ワルシャワの両親に近況を面白おかしく報告していました。
この新聞はクリエル・ヴァウシャフスキ紙というワルシャワの新聞のパロディとして書体や体裁を真似て作られており,「ベッター氏がピアノ演奏を披露。思い入れたっぷりのその演奏は,音符が巨大なお腹から出てくるような迫力があった」など,大変ユーモラスで楽しい内容でした。
この新聞の中には「ビジョン氏(ショパンの綴をもじったフレデリックの匿名。ChopinをPichonとひっくり返した。)」がカルクブレンナーのピアノ協奏曲を演奏して,拍手喝采を受けた記事が残っています。
『小犬のワルツ』は楽しいサプライズの連続
結核による病苦や,祖国を失った亡命生活で,その人生に暗い影を落としたショパンですが,
周囲を楽しませるのが大好きだったショパンのユーモアに富んだ性格は生涯変わりませんでした。
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』にはそんなショパンのユーモアがふんだんに盛り込まれており,
思わず口元が緩んでしまうような,楽しい驚きに満ちています。
同じ音型を何度も繰り返すだけのメロディー&変ニ長調の主和音で「ブン,チャッ,チャ」
冒頭から早速のサプライズです。
なんと,そのメロディーは,同じという音型を何度も繰り返すだけ。
左手の伴奏も,変ニ長調の主和音で「ブン,チャッ,チャ」「ブン,チャッ,チャ」を繰り返すだけ。
にもかかわらず,何故かキャッチーで,一度聴いたら忘れられないほど印象的です。
しかも,繊細かつ詩情豊かで,楽しげな雰囲気の中に,優雅な気品が漂います。
変ニ長調のスケールを2オクターブ下るだけのメロディー
主部の後半に出てくるメロディーです。
その旋律は,なんと2オクターブにわたって変ニ長調の音階を下るだけという驚きの単純さ。
「音階を弾くだけでメロディーになるの!?」と思うのですが,
その旋律はとても魅力的です。
小犬がくるくると転がり駆け回る様子
冒頭,まるで小犬がくるくる,ころころと転がり駆け回る様子が目に見えるようです。
ショパンは,情景や自然の音などを音楽で表現するのは好みではありませんでした。
ショパンにとって,音楽は純粋に音楽でなければなりませんでした。
しかし,『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』では,ショパンは故意に狙って,小犬の様子を音楽で表現しています。
生涯にわたって,純粋な芸術音楽を追い求めたショパンですが,音楽で情景描写をやっても超一流です。
小犬をなでるような甘い響き
「ターラン」というアーティキュレーションが,まるで小犬をなでているかのような甘い響きを奏でます。
小犬がワン!ワン!
中間部の後半,高音のA♭音の前打音が何度も鳴らされますが,
明らかに小犬の鳴き声を描写しています。
当サイト管理人録音の動画では0:57のあたりから。
(すぐ上の動画は0:57から再生されます)
かわいらしい小犬が,高い声で「キャン!キャン!」と鳴いているようすがはっきりと表現されています。
曲の最後にうれしいサプライズ!
主部,そして再現部と同じ旋律が何度も繰り返されてきたので,
最後も,今までと同じように繰り返されて終わるだろうと予期させられます。
ところが,最後の最後,予期していた音よりも1オクターブ上へ旋律が飛びます。
このF7音は当時のピアノの最高音になります。
1946年にはさらに上のA7音まで備えたピアノが開発されていましたが,
貴族たちが弾いていたピアノは,まだまだF7音までの78鍵のピアノが主流だったでしょう。
同じように繰り返されることが予期されている中,
一番右端の鍵盤が鳴らされる瞬間は「ハッ」させられます。
さらには左手のベース音も1オクターブ下へ下り,
そのベース音にのって,パラパラと真珠の珠がこぼれおちるような,繊細で軽やかなスケールが演奏され,曲は最後となります。
洗練された作曲技法
人々を驚かせる主要因となっているのは「単純なのに芸術的」という点です。
例えば冒頭ですが,
同じ音型を何度も繰り返すだけの単純な旋律を,
主和音で「ブン,チャッ,チャ」「ブン,チャッ,チャ」と繰り返すだけの単純な伴奏にのせる,というアイデアで,曲を書くだけなら簡単です。
しかし凡人がそんな曲を書いてしまったら,とても芸術作品にはならないでしょう。
おフザケが過ぎるような曲の作り方をしているのに,
魅力的で印象に残る,優雅で気品あふれる音楽になっているところに驚きがあります。
これはショパンの洗練された作曲技法があったからこそ,なし得たことです。
ヘミオラと非和声音
冒頭ですが,単純なように見えて,実は複雑なことをやっています。
左手伴奏は単純な3拍子のワルツですが,右手旋律は2拍子になっています。
右手旋律はを1拍だと捉えれば,2小節をまとめて大きな3拍子になります。
左手の速い3拍子の上に,その半分のテンポのゆったりとした3拍子がのっているようになります。
これはポリリズム(違うリズムを一緒に奏すること)の一種で,ヘミオラと呼ばれます。
バッハやベートーヴェンの時代から使われていた作曲技法ですが,
『小犬のワルツ』のヘミオラは,テンポが速く,しかも速さの違う3拍子が2つ重なっているので,
随分と複雑です。
さらに,右手の旋律ですが,繰り返される4つの音のうち,変ニ長調の和声音(変ニ長調を構成する音)はA♭だけ。他の3音はすべて非和声音です。
これだけ非和声音だらけだと,音楽にならないような気がします。
しかし,この3つの非和声音はA♭音へ向かう刺繍音(装飾音みたいなもの。正確には二重刺繍音になっている)になっています。
A♭音が鳴るたびに音楽的に解決するので,聴いていて不快にはなりません。
でも,これだけ非和声音に囲まれていますから,聴き馴染みのない不思議な響きがします。
現代人は,生まれつき『小犬のワルツ』を繰り返し耳にしていますし,
もっと和声の複雑な音楽にも慣れているので,
不思議な響きには感じなくなっているかもしれません。
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』は一見して単純ですが,
実は,リズムも和声も,こんなにも複雑な作曲技法が使われていたのです。
他にも,洗練された作曲技法がふんだんに盛り込まれていますが,
「構成」の章で詳述します。
Op.64の3曲は献呈者がそれぞれ違う人物
いつもショパンは数曲をまとめて一つの作品として出版しています。
Op.10とOp.25の練習曲集は12曲が一つの作品としてまとめられていますし,
Op.28の前奏曲集は24曲が一つの作品としてまとめられています。
練習曲集や前奏曲集のように10曲以上の作品がまとめられているのは珍しくて,
たいていは2~3曲がまとめられて一つの作品になっています。
ピアノソナタやバラード,スケルツォのような大作は1曲に一つの作品番号が割り当てられています。
そして,まとめられた数曲は,一つの作品として特定の人物に献呈されます。
Op.64も3曲ともまとめて一つの作品として,一人の人物に献呈されるのが通例なのですが,
Op.64の3曲のワルツは,それぞれ違う人物に献呈されています。
異例の多いワルツの出版
ワルツは生前に8曲が出版されましたが,Op.64の3曲だけでなく,Op.34の3曲もそれぞれ別の人物に献呈されています。
また,Op.42のワルツは誰にも献呈されていません。
たった8曲しか出版されていないワルツのうち,7曲が献呈については「異例」だったことになります。
さらに,ショパンは生前に32曲(ショパンの作品か疑わしいものも入れると33曲) ものワルツを書いているのに,そのうち8曲しか出版していません。
(以外の作品はショパンの死後に出版されていますが,ショパンは未出版の作品は処分するように遺言していました)
Op.64のワルツはその初版も,1曲ごとに分冊で出版されたり,まとめて出版されたりと様々で,
ショパン最後の出版作品は複雑な経緯を経て出版されています。
「原典資料」の章で詳述します。
ポトツカ伯爵夫人
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』はデルフィナ・ポトツカ伯爵夫(デルフィーヌ・ポトツカ伯爵夫)に献呈されました。
ポトツカ夫人は,ショパンがポーランドを出国し,パリに到着したころから付き合いがありました。
ショパンと同じポーランド人で,特に親しくしていた友人の一人です。
ポトツカ夫人は絶世の美女で,美声の持ち主でした。
1833年,ショパンが23才のころから,ショパンはポトツカ夫人のピアノのレッスンをしたり,歌の伴奏をしたりしました。
ショパンより3歳年上で,夫の財産家の伯爵とは別居し,パリに住んでいました。
パリ時代にはショパンと恋愛関係にあったという説もありますが,根拠となるものは残っていません。
1830年に作曲され,1836年に出版されたピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21もポトツカ夫人に献呈されています。
ポトツカ夫人は死の直前にもショパンのもとを訪れ,ショパンのために歌を歌っています。
1849年10月15日,危篤の知らせを受けて,ポトツカ夫人が病床のショパンを見舞いに訪れます。
病床のショパンから「ぜひ,あなたの歌を聴きたい」と請われたポトツカ夫人は,
ピアノをフレデリックの寝室に移動させ,ポトツカ夫人みずからピアノを弾きながら,イタリアの古いアリアを数曲歌いました。
このポトツカ夫人の歌が,ショパンが聴いた生涯最後の曲となりました。
その二日後,10月17日の深夜2時にショパンは息を引き取りました。
呼吸困難で,息を引き取る瞬間まで大変苦しんだとのことです。
少年時代の作品と同じ和声進行があらわれる
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』主題後半の和声進行ですが,
エコセーズOp.72-5(WN13-2)の後半の和声進行とそっくりです。
エコセーズOp.72-5(WN13-2)は,フォンタナが出版した初版では3つのエコセーズの第3番,
エキエル版では順番が入れ替わって3つのエコセーズの第2番です。
3つのエコセーズは1826年,ショパン16才の作品です。
ショパン晩年の円熟した作品が,少年時代の若々しい作品と和声進行が同じというのは興味深い事実です。
祖国を失い長く亡命者として暮らし,病苦に苛まれたショパンにとって,
幸福に包まれ,祝福に満ちた少年時代は神格化され魂の故郷となっていました。
幸福だった少年時代を焦がれるショパンの精神が,図らずも少年時代の和声進行を譜面に書かせたのかもしれません。
ヨーロッパの中心ではないワルシャワ郊外のフランス語教師の家庭の16才の少年が,
晩年の老成された作品に通じる和声進行を使っていたというのも驚きです。
また,同じ和声進行であるにも関わらず,
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』の芸術性は遥かな高みに至っています。
同じ和声進行でも,音の配置が変われば,これだけ芸術性の差が生まれるというのも驚きです。
『小犬のワルツ』? 『子犬のワルツ』?
昔は『小犬のワルツ』だった。
ここまで,記事の中で何度も『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』と表記してきました。
当サイト管理人が子どものころ(1980年代)は,楽譜やレコード・CDのジャケット,コンサートのパンフレットなど,すべて『小犬のワルツ』と表記されていたように記憶しています。
日本でネットが普及しはじめたころから『子犬のワルツ』という表記が目につくようになった気がします。
手書きではなくキーボードでの入力が普及するのにともなって『子犬』表記が増えていったように思います。
試しにGoogle検索すると
- 小犬のワルツ;約367,000件
- 子犬のワルツ;約1,460,000件
となり,今記事を書いている2021年の7月時点で,圧倒的に『子犬』表記が主流となっているようです。
『小犬』と『子犬』の違い
たとえば『犬』と『狗』は両方とも「イヌ」と読み,
両方とも「食肉目(ネコ目)イヌ科イヌ族」に分類される哺乳類のことをさします。
つまり漢字が違うだけで,意味は同じです。
正確には「狗」は「小さくかがむ」「いやしいもの」という意味も含まれているため,
どちらかというと小型犬のことをさすようですが,ほとんど同じ意味で使われます。
『小犬』と『子犬』はどうでしょう。
『子犬』は「生まれて間もない子どものイヌ」「まだ成犬になっていないイヌの子」のことです。
これは当たり前ですね。
では,『小犬』はどうかというと,「成長しても大きくならない小さなイヌ」「小型犬」のことをさします。
現代の日本人は「こいぬ」という音を聞くと「子どものイヌ」のことだと理解します。
「わたし,”こいぬ”を飼っているの」と聞けば,まだ大人になっていない「子どものイヌ」を飼っているのだなと解します。
小型犬を飼っているのだと捉えることはありません。
トイプードルとかミニチュアダックスフンドの成犬を飼っている人が「わたし,”こいぬ”を飼っているの」とは言いません。
そうなんです,現代の日本では『小犬』という言葉がほとんど死語になっているんです。
”こいぬのワルツ”はフランス語のValse du Petit Chienの和訳
『こいぬのワルツ』というのは,フランス語のValse du Petit Chienを和訳したものです。
Petit Chienは直訳すると「小さな犬」つまりは小型犬のことを指すそうです。
室内で飼うような小型犬のことをPetit Chienと呼ぶようです。
正しくは『小犬のワルツ』
ということで,”こいぬ”のワルツは『小犬のワルツ』と表記するのが正解です。
もともとこの標題はショパンがつけたものではありませんし,
そもそもショパンは自身の作品に標題をつけられることを嫌っていました。
誰かが「Valse du Petit Chien」と呼びはじめて,
「Valse du Petit Chien」という呼称が見事に作品の魅力を表現しているため,
「Valse du Petit Chien」という標題が一般に定着しただけのことです。
これを『小犬のワルツ』と訳した方もセンスがありますね。
急速なインターネットの普及により,あと数年もすれば『子犬』表記が完全に定着してしまいそうですが,当サイト管理人はやはり『小犬のワルツ』という表記が,より作品の魅力を表していると思います。
◯『小犬座』/×『子犬座』
冬の大三角の一つ,プロキオンをα星とする『こいぬ座』ですが,
これも『小犬座』が正しいのですが,最近『子犬座』という表記が目につくようになってきました。
作品の解説から遠ざかってきましたが,
ふと気になったので,こちらも調べてみました。
これもGoogle検索で調べてみると,
- 小犬座;約 586,000 件
- 子犬座;約 43,900,000 件
で,これも『子犬』表記が『小犬』を圧倒する結果となりました。
『小犬』が死語となる日も近そうです。
1分間のワルツ?
『小犬のワルツ』は英語圏では『Minute Waltz』と呼ばれています。
これを訳して『1分間のワルツ』と呼ばれることがマレにあります。
この「Minute」ですが,時間の単位「分」をあらわす「minute」ではなく,
同じ綴で別の意味の単語「miute」で,「とても小さな」という意味の形容詞です。
直訳すると『とても小さなワルツ』になります。
英語圏の方が「Minute Waltz」と見た時にはどうなんでしょうか。
「minute」と発音する方が多いのか,それとも「miute」と発音する方が多いのか,
気になります。
変ニ長調
『小犬のワルツ』は変ニ長調。
ショパンの変ニ長調は当サイト管理人の大好物です。
ショパンの変ニ長調は大好物です。
ショパンはその生涯で変ニ長調の作品をたったの9曲しか作曲していません。
しかし,その中には
- ワルツOp.64-1『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』
- 前奏曲Op.28-15『雨だれ』
- エチュードOp.25-8『6度のエチュード』
- ノクターンOp.27-2
- 子守歌
といった珠玉の名曲たちがならびます。
ショパンの変ニ長調,最高です。
ショパンの変ニ長調,最高!
ワルツといえばウィンナワルツ
19世紀初頭,ウィンナワルツ誕生!
ヨハン・シュトラウスⅠ世は「ワルツの父」と呼ばれます。
しかし,ウィンナワルツの創始者はヨーゼフ・ランナーです。
19世紀の初頭,ウィーンにミヒャエル・パーマー率いる楽団がありました。
パーマーは,ワルツに序奏とコーダ(後奏)を取り入れました。
このワルツがウィンナワルツの源流となります。
このパーマーの楽団の団員だったのが,ヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウスⅠ世です。
ランナーは,序奏のあとに,魅力的なメロディを聴かせる5つのワルツを組み合わせて,最後にコーダをつけ,さらにはキャッチーな曲名をつけるというスタイルを確立しました。
この形式のワルツが,後に「ウィンナワルツ」と呼ばれるようになります。
ランナーとシュトラウスⅠ世はやがてパーマーの楽団から独立し,互いに強力なライバルとなります。
ランナーとシュトラウス
パーマーは楽団員に支払う給料を自身の遊興につかってしまうような人物だったそうで,たまりなねたランナーは独立して自身の楽団を創ります。
ランナーは仲の良かった3才年下のシュトラウスを自身の楽団に誘い,作曲に,演奏に,共に励みました。
やがてランナーの楽団は,パーマーの楽団を超える絶大な人気を博すようになります。
次から次へとやってくる出演依頼に応えきれなくなったため,ランナーは楽団を二つに分けて,片方はシュトラウスが指揮をすることになりました。
敬虔で控えめなランナーに対して,シュトラウスは生き生きとした情熱家でした。
ウィーン市民の人気はシュトラウスに集まるようになります。
また,ランナーがシュトラウスの作品を買い取って自分の作品として発表したところ,盗作のウワサが立ったりもしました。
仲のよかった二人の間はじょじょに険悪なものになっていきます。
1828年には,ランナーとシュトラウスが歌劇場で乱闘騒ぎを起こすまでになりました。
シュトラウスは自身の楽団を創って,ランナーと訣別します。
ウィーンが熱狂したワルツ合戦
ランナー率いる楽団と,シュトラウスが新たに創設した楽団。
この両楽団のワルツが,ウィーン市民を虜にします。
ウィーン市民はランナーとシュトラウスのワルツに熱狂します。
「ランナーの方がすばらしい!」「いや,シュトラウスだ!」と両楽団の話題で持ちきりでした。
1929年の夏にはショパンが演奏旅行にウィーンを訪れています。
ショパンは2回の演奏会をおこない,その演奏会は大好評となりますが,
それほど大きな話題とはならず,ウィーン市民はすぐにショパンのことも忘れてしまいます。
心には迫るが静かでつつましい演奏をしただけの若いポーランド人の記憶など消し飛んでしまうほど,
ウィーン市民はワルツに狂乱していました。
翌年の1830年の秋にはショパンは西ヨーロッパに活躍の場を広げるために,いよいよポーランドを発ちます。
ショパンが最初に目指したのはウィーンでした。
「音楽の都」ウィーンは,音楽の世界の中心都市です。
ショパンの中には昨年の,ウィーン市民から惜しみなく捧げられた賛美と称賛の声が記憶に新しく,自信と希望に満ちたウィーン訪問でした。
ウィーンの劇場や出版社,芸術家たちが腕を広げてショパンの再遊を待ちかねていると信じていました。
しかし,ショパンが訪れたウィーンは「ワルツ合戦」の熱狂が最高潮に達しており,
ポーランドから来た若いピアニストなどに見向きもしませんでした。
ウィーン市民が求めていたのは,静かで味わい深い芸術ではなく,刺激的なワルツの狂乱だったのです。
ショパンは,ウィーンスタイルのワルツ『華麗なる大円舞曲』をウィーンで出版したいと考えていましたが,これも断念することになります。
1拍目は短く,2拍目を長く
1987年のニューイヤーコンサートの動画を見つけたので貼っておきます。
指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン。『美しき青きドナウ』です。
なぜカラヤンの演奏を選んだかというと,
やるべきことを過不足なくちゃんとやっている演奏だからです。
カラヤンのバランス感覚は素晴らしいです。
個性がない,なんていい方をされることもありますが,
それだけ普遍的な演奏だとも言えます。
『美しき青きドナウ』は過度に色々とやり過ぎている演奏が多く,
それはそれで面白いのですが,やはり音楽には王道というものがあります。
これは『小犬のワルツ』の演奏にもいえることで,
真摯な姿勢の真面目なピアニストが『小犬のワルツ』の演奏になったとたん,
色々とやり過ぎて,演芸のようになってしまうことが多いです。
『小犬のワルツ』の演奏は,他人とは違う個性的な演奏をしなければならない,という呪縛にかけられているような気がします。
ワルツといえば「ブン,チャッ,チャ」「ブン,チャッ,チャ」なのですが,
実際にウィーンフィルの演奏を聴いていただくとわかるように,
テンポが均等に3等分されるのではなく,1拍目は短く,2拍目が前に出ています。
特に
- 1分45秒あたりからの第1のワルツの前半パート
- 5分25秒あたりからの第4のワルツの後半パート
- 6分45秒あたりからの第5のワルツの後半パート
で,その独特なリズムが際立っています。
上記以外の部分も,テンポが均等に3等分されているところはほとんどなく,
1拍目が短くて2拍目が前に出てきています。
その場面の曲想によって,2拍目が前に出てくるタイミングが絶妙に変化しています。
よく聴くと,3拍目も若干前に出てきています。
伴奏とメロディーがずれることもあり,これぞ「テンポ・ルバート」という感じです。
曲の「聴かせどころ」「盛り上がるところ」で,2拍目はより前に詰まって出てくる傾向にあります。
4分00秒あたりからの第3のワルツの後半パートのように,軽やかな速いパッセージのところは,ほぼ均等に3拍子を刻んでいます。
なぜ拍が均等でないかというと,理由はかんたんで,ワルツはワルツを踊るための舞曲だからです。
ワルツは
- 1拍目には勢いよく1歩目を踏み出し,
- 2拍目には優雅に回転し,
- 3拍目には回転が止まって次の1拍目に備える
というのが基本です。
ワルツは「円舞曲」と訳されるとおり,くるくると回転する踊りで,
2拍目に十分に時間をとって優雅に回転するために,2拍目は自然と長くなります。
また,1拍目は勢いよく踏み出すため,自然と拍が短くなります。
ワルツだけでなく,ポロネーズやマズルカ(マズルやオベレク),メヌエットなど,舞曲を演奏するときは,舞曲であることを意識すると雰囲気が出ます。
音楽が鳴れば陽気に踊りだしてしまうような人がピアニスト(演奏家)に向いているのかもしれません。
ワルツとは「ウィンナワルツ」のこと
ショパンの時代,「ワルツ」というのは生まれたての音楽で流行の最先端でした。
「ワルツ」という言葉が生まれたのは18世紀の終わりごろで,社交ダンスとして踊るようになったのは,1814年のウィーン会議が発祥とされています。
その後,ランナーとシュトラウスⅠ世との「ワルツ合戦」,さらにはシュトラウスⅠ世とシュトラウスⅡ世の親子対決によって「ワルツ」は絶大な人気を博すようになり,音楽のメインジャンルの一つとして認知されるようになりました。
つまり「ウィンナワルツ」より前の時代に「ワルツ」は存在しなかったのです。
やがて「ウィンナワルツ」は世界中に広まり,各地で様々な種類のワルツを生みました。
また,シューベルトやウェーバー,そしてショパンのワルツにより,ワルツは芸術作品としての地位も確立します。
その後,交響曲やバレエ,オペラなど,ワルツは欠かせないものになりました。
1810年生まれで,1830年に「ワルツ合戦」真っ只中のウィーンへやってきたショパンにとって,
ワルツという新しい音楽ジャンルが急速に音楽界を席巻していくのを感じていたことでしょう。
「ウィンナワルツ」というと,ワルツの中でも特殊なモノであるかのように感じてしまいますが,
元々,ワルツとはウィンナワルツのことだったのです。
「普通のワルツ」「一般のワルツ」って何?
よく「普通のワルツ」「一般のワルツ」という言葉を目にします。
「ウィンナワルツは一般的なワルツとは違う」というような言い方をされます。
これって「イギリス英語は一般的な英語とは違う」と言っているようなものです。
(実際には,イギリス英語といっても,地域によって様々な訛りがあるそうですが)
3拍とも均等のワルツ
「ワルツ」といえば「ウィンナワルツ」なわけで,1拍目をやや短く,2拍目を前にずらして演奏するのが基本のはずです。
しかし,現代では3拍とも均等に演奏するのが標準になっているようです。
2拍目を前に大きくずらすほど,躍動感が出て,舞曲としての色合いが強く出ます。
それだけ大衆的になるとも言えます。
庶民的なリズムの躍動は芸術作品にはふさわしくない,ということで,
3拍とも均等に演奏するようになったのでしょう。
これはショパンのマズルカにも当てはまります。
本来マズルカ(の中でもマズル)は飛んだり跳ねたり,複雑にリズムが変化します。
ところが現代では,ショパンのマズルカでさえ,3拍をほぼ均等に演奏するのが主流のようです。
ショパンのマズルカという芸術作品には,飛んだり跳ねたりという民族的なリズム感は似つかわしくない,とでも考えられているのでしょうか。
3拍子の音楽は,同じ3拍子でもそれぞれの土地・民族の踊りが発祥となっています。
起源となった民族舞踊の独特なリズム感を失ってしまっては作品の本質が失われてしまいます。
ショパンのワルツもウィンナワルツ
Op.18『華麗なる大円舞曲』やOp.34『3つの華麗なる円舞曲』は,まさにウィンナワルツといって良いでしょう。
中でもOp.18『華麗なる大円舞曲』は,[序奏-5つのワルツ-コーダ]というウィンナワルツの形式を忠実に守って作られています。
と1~3拍を均等に弾くのではなく,というような変則的なリズムが基本になります。
ウィンナワルツのリズムをあえて譜面にしてみましたが,実際はこの通りではありません。
正確に記譜するのは難しい,絶妙な間合いがあります。
Op.64-2嬰ハ短調では,冒頭に「Tempo giusto」という指示が書かれています。
直訳すれば「正確な速さで」「ジャストなテンポで」になります。
「ジャストなテンポって,結局どんなテンポ??」と議論になるのですが,
「ウィンナワルツのように拍の長さを変化させず,一定間隔のテンポで弾いてね」という意味だと解釈できます。
それぐらい,ワルツといえばウィンナワルツのリズム感で演奏するのが当たり前だった,とも捉えることができます。
『小犬のワルツ』はショパン自筆の最初期のスケッチには「Tempo di Valse;ワルツのテンポで」と書かれています(最終的にはMolto vivaceになりました)。
繰り返しになりますが,「Valse(ワルツ)」というのは,すなわちウィンナワルツと同義です。
最初期には,もっとゆったりとしたテンポで,ウィンナワルツのテンポ(リズム)で演奏することが想定されていたことがわかります。
とはいえ,最終的には「Molto vivace」になったわけですし,
主部と再現部は3拍子にのせて,高速なパッセージが駆け回るような曲想です。
軽やかな速いパッセージの場面では,シュトラウスのワルツでも3拍は均等に演奏されます。
ここはあまり拍の長さに長短をつけずに,ほぼ均等のテンポで演奏するのが良いでしょう。
しかし中間部はゆったりとメロディーを歌い上げる場面です。
こういったところではというウィンナワルツのリズムを取り入れたほうが,よりワルツらしくなります。
だからといってやり過ぎるとショパンらしい気品もなくなります。
ここぞ,という箇所だけ,ほんの少し2拍目を前にずらすと,グッと作品の魅力が引き立ちます。
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 古今東西,多数の編曲
『小犬のワルツ』は多くの人々の心をつかみ,古今東西,様々な作曲家が『小犬のワルツ』の編曲をのこしています。
ここまでアレンジされまくっている作品は他にないのではないでしょうか?
この記事を書くにあたって,書棚の楽譜やPCの中のPDFを大捜索。
あるわあるわ,その数なんと15種類!
それでもまだ書棚に別の楽譜が隠れているかもしれません。
ハッキリ記憶しているわけではありませんが,もうあと1~2種類は楽譜があったはずですが,
どれだけ探しても見つかりませんでした。
紙のデータは検索ができないので不便です。
自分でも何曲所有しているか把握できないほど,『小犬のワルツ』の編曲は多数存在します。
しかも,これは全部ピアノ独奏用の編曲です。
ピアノ独奏用の作品を,しかもショパンの作品を,わざわざピアノ独奏曲に編曲しなおした作品が,これだけ存在しているのです。
魅力的な作品があって,他の楽器でも演奏したいから編曲をする,というのはわかります。
仲の良い友人と連弾したいから,連弾用に編曲をする,というのもわかります。
ところが『小犬のワルツ』は,わざわざピアノ独奏曲として,こんなにも編曲されているんです。
こんなにも多くの作曲家に編曲をさせてしまうほどの魅力のある作品なのだということなのでしょう。
ピアノ連弾用の編曲や,他の楽器のための編曲も数え始めたら『小犬のワルツ』の編曲は無数に存在します。
とても紹介しきれないので,今回はピアノ独奏用の編曲に絞って紹介します。
それでは順番に紹介していきます。
【ダントツでオススメ!】ゴドフスキー Leopold Godowsky 編曲
当サイト管理人の演奏です!
『小犬のワルツ』の編曲といえば,まずはこの曲です!
シャルル=ヴァランダン・アルカンと並ぶ,ピアノバカ界の2大巨頭のひとり,レオポルド・ゴドフスキーの編曲です。
ゴドフスキーは旧ロシア領のポーランド(現在のリトアニア)出身のピアニストです。
「ピアニストの中のピアニスト」と呼ばれました。
カミーユ・サン=サーンスの弟子であり,
ゲンリフ・ネイガウス(スタニスラフ・ブーニンの祖父)やホルヘ・ボレット,デヴィット・セイパートンの師匠にあたります。
セイゲイ・ラフマニノフからは『V.R.のポルカ』を献呈されています。
ゴドフスキーは当サイト管理人が,ショパンに匹敵するほど愛している作曲家です。
『ジャワ組曲』などのオリジナル作品も秀逸ですが,
他の作曲家の有名曲の編曲作品が特に素晴らしい作曲家です。
原曲に多数の旋律が精巧に対位法的に肉付けられ,和声も半音階的により複雑で凝ったものにアレンジされています。
これだけたくさんのものを付加してしまうと,ゴテゴテになってしまいそうですが,
その作品には上品さも備わっていて,バランスのとり方が絶妙です。
『シューベルトの楽興の時 第3番の編曲』や『サン=サーンスの白鳥の編曲』などは,
この世のものとは思えない,幽玄で儚い美しさに満ちています。
『ショパンの練習曲に基づく53の練習曲』は音楽史上の金字塔の一つでしょう。
『ヨハン・シュトラウス2世の芸術家の生涯の編曲』は当サイト管理人が愛奏する作品で,
ショパンの作品を別にすれば,音楽史上で最も素晴らしいピアノ作品だと思っています。
こんなにも作品が優れているのに,演奏される機会が少なく,一般には知られていない作曲家です。
大きな理由の一つは,作品の演奏が難しすぎることでしょう。
『ショパンの練習曲に基づく53の練習曲』では,左手だけ(なんと!)で革命のエチュードを弾いたり,右手で蝶々のエチュードを弾きながら左手で黒鍵のエチュード(黒鍵のみを弾く右手の速いパッセージを左手で弾きます)を弾いたり,などという編曲がされています。
しかも,今例に出した「左手だけで革命」や「蝶々と黒鍵の同時演奏」は53の編曲の中でも格段に弾きやすい曲で(当サイト管理人はギリギリ演奏可能です),
そのほとんどは,演奏が難しすぎて,多くのピアニストにとって演奏不可能な作品となっています。
当サイト管理人が学生のころは,ゴドフスキーなんて作曲家を知っている人はほとんどいませんでした。
楽譜も簡単には手に入りませんでした。
輸入楽譜の専門店に行けば置いてありましたが,めちゃくちゃ高価で,学生が簡単に購入できるようなものではありませんでした。
ところが,今では街の楽譜屋さんでもゴドフスキーの作品が目につくようになってきました。
ネット通販なら簡単に手に入ります。
安価な楽譜も多数出版されています。
ゴドフスキーの作品を演奏するピアニストも増えてきました。
まだゴドフスキーの作品を聴いたことがない(弾いたことがない)という方は,
ぜひ一度聴いて(弾いて)みてください。
特にオススメなのは,マルクアンドレ・アムランによる「ショパンのエチュードによる53の練習曲」の全曲録音CDです!
Godowsky: Complete Studies on Chopin’s Etudes
ピアノが弾ける方は『サン=サーンスの白鳥の編曲』がオススメです。
ゴドフスキーの作品のわりには演奏しやすい作品で,儚くも美しいその響きをぜひ楽しんでください。
ゴドフスキーについて書き始めると止まらなくなる・・・・ので,
最後に『小犬のワルツ』のゴドフスキー編について紹介して,
作曲家ゴドフスキーの紹介はここまでとします。
『小犬のワルツ(小犬のワルツ)』ゴドフスキー編
↑↑当サイト管理人の演奏を聴きながら,譜面をご覧いただける動画をつくりました。
ぜひご覧になってください。
そこかしこに対位法的な旋律がつけられ,和声も半音階的により凝ったものに変化されています。
それでいてゴテゴテせず,スッキリとまとめられていて,
原曲のもつ優雅で上品な雰囲気が損なわれていません。
ピアノ曲を,しかもショパンのピアノ曲を,わざわざピアノ曲に編曲するなんて,なんとも意味のないことに思えますが,
ゴドフスキーの編曲を聴くと「そういうことをやりたかったのか!」と納得させられます。
『小犬のワルツ』ゴドフスキー編は,ゴドフスキーの作品のわりには演奏しやすい作品です。
実際に弾こうと思うと,かなり難しい作品ですが,その労力に見合う素晴らしい作品です。
ぜひ,ピアノ上級者の方はレパートリーに加えていただきたい作品です。
特に中間部が激ムズです。
『小犬のワルツ』の速いパッセージを左手に担当させて,高音部に華やかなカデンツァを入れる,というのは「ありがちな」アイデアです。
しかし,ゴドフスキーの編曲は同じ「ありがちな」アイデアであっても,奏でられる音楽は格段に美しいです。
最後の部分もかなり難しいです。
『小犬のワルツ』を重音で演奏するというのは,これもありがちなアイデアです。
『小犬のワルツ』の速いパッセージを3度,6度の重音で演奏することで,観客受けを狙う,という大道芸的パフォーマンスであることがほとんどです。
しかし,ゴドフスキーの編曲はどうでしょう。
大道的パフォーマンスでないことは明らかです。
キラキラと輝きながら,儚げな美しさに満ちています。
ゴドフスキーは他にも,Op.18,Op.64-3,Op.69-1,Op.70-2のワルツなど,ショパンの作品を多数編曲しています。
ゴドフスキーの作品を楽しむ方が少しでも増えていただければ幸いです。
【異形だが美しい】ソラブジ Sorabji 編曲
1892年生まれ,1988年没。イギリスの作曲家。
ピアノバカ界では昔から畏敬の念で特別視されていた作曲家です。
ピアノバカが集まると「最も演奏が難しい(この場合は音楽的な難しさではなくて,あくまでも技術的な難しさのことです)作品はなんだろう」ということがよく話題になったものです。
ソラブジ作曲の『オプス・クラヴィチェンバリスティクム』というピアノ曲があるのですが,
「最も演奏の難しいピアノ曲」としてよく名前が上がっていました。
その作品は,一言でいうと「巨大」。
ピアノ曲も10曲ほど書いていますが,どれもこれもA3横長の楽譜で何百ページにもおよび,その演奏時間は何時間にもなります。
先ほどの『オプス・クラヴィチェンバリスティクム』は200ページを超え,演奏時間は5時間近くになります。
『100の超絶技巧練習曲』という作品は400ページを超え,演奏時間は8時間を超えます。
ソラブジの作品は複雑に入り組んだ多声部による音楽が特徴で,ピアノ独奏曲でありながら8声部や9声部の部分が出てきます。
楽譜はほとんどが3~4段譜で書かれていて,一番上の段は1オクターブ高く演奏するように指定されていることが多いです。
譜面を見ても複雑怪奇なものにしか見えませんが,実際に音にしてみると調性感は失われていなくて,ちゃんとした音楽になっています。
特に初期~中期の作品は,音の数は多いものの,印象派のような美しい音色で溢れています。
1922年に作曲された『ピアノのための3つのパスティーシュ』という作品も,そんな印象派のような美しい色彩の作品で,その中の1曲が『小犬のワルツによるパスティーシュ』です。
ソラブジは1933年にも『小犬のワルツによるパスチッテョ・カプリチオーソ』という作品を書いています。
時代を超えて,あのソラブジにさえ2曲も編曲を書かせてしまうほど『小犬のワルツ』は魅力的なのでしょう。
ソラブジは,自作が適切に演奏されないから,という理由で,自作の公開演奏も,出版も許可しなかった,と言われています。
何のために作曲したの??
そりゃあ,こんな巨大で複雑で音符だらけの曲を「適切に」演奏するなんて,無理です。
ソラブジは作曲するだけでなく,自身で初演もしていたといいますから,ピアノ奏者としても超人的だったようです。
小犬のワルツによるパスティーシュ
当サイト管理は,若かりし頃に,必死になって練習したことのある曲なので,
今回,久しぶりに練習して,演奏動画を公開しようかと思いました。
しかし,著作権はバリバリ現役ですし,何より作曲したソラブジ自身が「公開演奏も出版もしてほしくない」と言っていたわけです。
今回は演奏動画の公開はしないことにしました。
結構時間をかけて久しぶりに練習しましたが,やっぱり難しいです。
演奏動画を公開するにしても,かなりの練習量が必要だったと思います。
とはいえ,『小犬のワルツによるパスティーシュ』は,ソラブジの作品でありながら,ぎりぎり一般人でも演奏可能な作品です。
譜読みが大変ですが,実際にピアノで音を出すと,ソラブジの曲にしかない,独特な響きがして,他にはない美しさがあります。
時間を書けて練習をする価値のある作品です。
中間部です。スゴイ音符の数です。
さすがソラブジ。「小犬のワルツを編曲しよう!」と思ったときに,常人が想像できる範囲を,宇宙の彼方まで大きく逸脱しています。
再現部。低音から高音までピアノの全音域の音が鳴りますが,ちゃんと『小犬のワルツ』になっています。
最終部分。ちゃんと『小犬のワルツ』の動機が用いられています。
小犬のワルツによるパスチッテョ・カプリチオーソ
こちらも,ソラブジらしい巨大な作品に仕上がっています。
『小犬のワルツ』をここまで肥大化させているところが異様ではありますが,
美しい編曲です。
ソラブジ編曲はその難易度の高さもあって,演奏を耳にする機会はほとんどありません。
そしてこのレベルの難しさになってくると,当サイト管理人のようなアマチュアピアニストには弾くことができません。
演奏技術の高い一流ピアニストは,その才能をいかして,こういった作品の演奏もしてほしいですね。
【きらびやかなパラフレーズ】ミハウォフスキ Aleksander Michalowski 編曲
You Tubeで見つけた動画を貼っておきます!
ミハウォフスキ自身の演奏のSP録音?のようです。
1851年生まれ,1938年没。ポーランドのピアニストです。
「伝説のショパン弾き」として名前が出る人物です。
ミハウォフスキは『小犬のワルツ』と『即興曲第1番Op.29変イ長調』の編曲を書いています。
最初は,なんと1ページ半におよぶ長大な序奏から始まります。
高音を軽やかにハープのように奏でる序奏で,パラフレーズらしい華やかな始まりです。
長い序奏のあと,控え気味にアレンジされた主部に入ります。
手を加えすぎず,そこかしこにちょっとしたアレンジがされていてオシャレです。
中間部では,中音域に主部のメロディが入ります。
左手で主部のメロディを弾きながら,右手高音部で中間部のメロディを弾く,というのは,ありがちなアイデアですが,ミハウォフスキの編曲は,それぞれの旋律が際立って聞こえながら,全体的な響きも美しく仕上がっていて,作曲技術の高さが伺えます。
ミハウォフスキは『小犬のワルツ』のパラフレーズを,演奏会のアンコールなどでよく弾いていたそうで,いわゆる「十八番」だったようです。
その演奏は即興的で,弾くたびに変化していたようで,楽譜にもOssiaが印刷されています。
上に貼り付けたYou Tube動画でも,楽譜とは違うことを色々とやっています。
原曲と比べて芸術性はなくなってしまっていますが,
コンサート用のパラフレーズとしては楽しくて良い作品だと思います。
当サイト管理人は楽譜を所有しているだけで,一度も弾いたことがありませんでしたが,
ちょっと弾いてみようかな,と思いました。
【優雅で上品な秀作!】ザドラ Michael von Zadora 編曲
1882年生まれ,1946年没。ニューヨークで生まれたピアニストで,両親はポーランド人です。
ブゾーニの弟子で,ショパン演奏家として評価されていた人物です。
同じブゾーニの弟子,セシル・ゲンハートが演奏する動画を見つけたので貼っておきます!
見事に組み入れられた内声部が凝っています。
鍵盤上をポン,ポン,飛び回る音も楽しいです。
主部の中に,中間部の旋律がのせられます。
主部と中間部の旋律を重ねて演奏するというアイデアは誰でも思いつきますが,
普通は,中間部でこのアイデアを使います。
主部でコレをやっちゃうと,中間部で他のアイデアを出さないとダメになります。
主部でこのアイデアを使ってしまうというのは,中間部ではもっと違うことをやってやろうという意気込みと作曲技術の引き出しの多さを感じます。
主部の段階で「主部と中間部の2つの旋律の二重奏」というアイデアが出てきてしまいました。
「中間部ではどうなるんだろう?」と期待が膨らみます。
中間部では,右手で中間部のメロディを演奏しつつ,左手では主部のメロディを展開させたものを演奏します。
主題のメロディをそのまま演奏するのではなく,似た音型組み合わせた旋律になっています。
主題労作といって良いほど,細部まで凝ったつくりになっています。
再現部に入ると,主部がさらに発展されていて,飽きさせません。
右手にさりげなくあらわれる対旋律が心くすぐります。
最初から最後まで新鮮な驚きに満ちていて,楽しい編曲です。
色んな仕掛けがされていて楽しませてくれますが,ごちゃごちゃしていなくて,
終始,シンプルで上品です。
当サイト管理人は楽譜を所有しているだけで,あまり弾いたことがありませんでしたが,
ちょっと弾いてみようと思いました。
【演奏効果バツグン!】Max Laistner 編曲
マックス・ライスナー(で発音はアッているのかな?)の編曲です。
当サイト管理人は不勉強で,どんな人物なのか何も分かりません。
主部は原曲そのまま,何も手が加えられていません。
それが逆にカッコいいです。
中間部も前半は原曲のままです。
中間部の後半,一気に変奏を入れてきます。
主部の旋律を中音域に組み入れるという,よく使われるアレンジ手法ですが,
気の利いた工夫が散りばめられていて,楽しい編曲です。
中間部が終わったあと,再現部に入る前に技巧的なパラフレーズが挿入されています。
演奏効果バツグンのパラフレーズで,しかも実際に演奏することを考えて,ちゃんと工夫して組み立てられています。
再現部は,なんと!オクターブによる『小犬のワルツ』登場です!
3度や6度による重音アレンジはありがちですが,オクターブによるアレンジは珍しいです。
しかも,譜面をよく見ると,オクターブの下の音は左手の助けも入るように考えられていて,
練習すれば,かなりの高速で演奏ができるように工夫されています。
「小犬のワルツをオクターブで弾いてやろう」と思いつくのは誰でもできます。
創意工夫をもって,そのアイデアが実際に演奏可能なように譜面がつくりあげられているところが素晴らしいです。
練習を積むと,高速のオクターブ奏法で小犬のワルツが演奏される,という,にわかには信じられない音楽が誕生します。
当サイト管理人はあまり弾いたことがない編曲でしたが,
練習をしてみたくなりました。
よくできた編曲です。
ローゼンタール Moriz Rosenthal 編曲
1862年生まれ,1946年没。ポーランド出身で,アメリカで活躍したピアニストです。
『小犬のワルツ』の編曲を書いています。
なんの創意工夫もせずに,とりあえず『小犬のワルツ』の編曲を作ると,まずはこうなる,という見本のような編曲です。
原曲ほぼそのまんま。右手の速いパッセージを3度の重音に変えただけの編曲です。
わざわざ譜面に書かなくても,誰でも即興で弾けそうな編曲です。
原曲とほとんど何も変わっていないのですが,右手の旋律が重音になってしまったせいで,
変に技巧が必要になってしまい,鳴らされる響きもゴチャゴチャしていて,
原曲の芸術性がすっかり失われてしまっています。
中間部です。
右手の旋律をオクターブ上に上げて,内声部に主部の旋律を持ってくる,という,
これまた誰でも思いつく,新鮮さのかけらもない編曲です。
内声に組み込んだ主部の旋律を右手と左手に振り分けて,演奏しやすくしたり,空いた方の手でさらに面白いことを組み入れたりするのが普通ですが,
ローゼンタールは,左手は伴奏に徹し,右手で二つの旋律を引き続けるという荒業です。
そのせいで,右手は演奏効果が大してないわりには,めちゃくちゃ弾きづらいです。
なんの工夫もなく二つの旋律を片手で弾くわけですから,12度とか,16度!とか,遠く離れた音を同時に弾くような譜面になっています。
アルペッジョなどを活用して弾くわけですが,作曲者がなんの工夫もしていないせいで,演奏者が個人技量で乗り越えるしかありません。
右手だけで,4連符と6連符(3連符を2つ)を同時に演奏する箇所などは,無意味にめちゃくちゃ難しいです。
再現部に入っても,主部とかわらず,原曲をほぼそのまま重音にしただけで終わります。
モシュコフスキ Moritz Moszkowski 編曲
1854年生まれ,1925年没。ポーランド出身の作曲家です。
ショパンのエチュードを弾くための練習曲「15の熟練のための練習曲」を書いています。
この練習曲や『火花』を,ウラディーミル・ホロヴィッツがアンコールでよく弾いていたので,ホロヴィッツファンにはお馴染みの作曲家です。
モシュコフスキの編曲,ということで期待が膨らみますが,
結論からいくと,駄作です(当サイト管理人の個人的な意見です)。
右手の高速のパッセージを3度の重音で弾く,という,誰でも思いつく,ありふれた編曲です。
中間部はモシュコフスキらしい,軽やかで楽しい編曲です。
しかし,中間部は最後まで一貫してこの調子で,とくに盛り上がらず終わります。
せっかくのパラフレーズですから,もうちょっと変化がほしいです。
再現部も主部からほとんど変化せず,3度の重音を弾くだけ。
最後は3度で高速の半音階を弾く,という,誰でも思いつく,そしてピアニスト泣かせの場面で終了です。
3度で半音階を書いてやろう,なんていうのは誰でも思いつくアイデアです。
でも,それを実際に譜面に記譜する作曲家がほとんどいないのは,
演奏が難しいわりに,大して演奏効果がないからです。
偉大な作曲家たちは,創意工夫の上,もっと弾きやすくて,もっと演奏効果の高い奏法を編み出してきました。
単純に3度で半音階を書いてしまう,というのは,作曲家として創意工夫することを放棄しているようなものです。
特に,この作品は「編曲」なのですから,アレンジに創意工夫をしないのなら,存在意義に関わります。
モシュコフスキなら,もっと面白い作品が書けただろうに・・・残念です。
マックス・レーガー Max Reger 編曲
1873年生まれ,1916年没の,ドイツの作曲家です。
『ショパンによる5つの特別練習曲』は,ショパンの作品から5曲を編曲した練習曲です。
- No.1はワルツOp.64-1『小犬のワルツ』
- No.2はワルツOp.42
- No.3は即興曲Op.29
- No.4はエチュードOp.25-6
- No.5はワルツOp.64-2
がそれぞれ編曲されています。
5曲とも重音奏法の反復練習を目的とした箇所が多く,
特に6度の重音奏法が頻繁に出てきます。
ワルツOp.64-2を編曲したNo.5は10ページにおよぶ大作です。
主旋律を中音域に配置し,低音伴奏と高音部の合いの手を同時に演奏する,いわゆる「3本の手」奏法が用いられています。
かなり弾きづらい音型が続きます。
これをMolto vivaceで演奏するのは大変そうです。
当サイト管理人は練習をしたことがないので,実際にどれぐらい弾きづらいのか,実感はありません。
難しいわりに,原曲の魅力は大幅に削られてしまっています・・・
しかも技巧に派手さもないので,観客受けを狙った大道芸的演奏にも適しません。
体育会系超絶技巧曲というのは,
「派手で迫力満点。だけど弾いてみたら意外と弾きやすい」というのが理想です。
レーガー編曲のように,メチャクチャ弾くのが難しいのに,大して演奏効果がない,というのは練習意欲がわきません。
フェッラータ Giuseppe Ferrata 編曲
ジュゼッペ・フェッラータは1865年生まれ,1928年没のイタリアのピアニストとのことです。
当サイト管理人は勉強不足で,どんなピアニストだったのか知りません。
『小犬のワルツ』から2種類の編曲を書いています。
1曲目
またまた,右手の旋律を3度の重音にする,というありきたりの編曲です。
左手の伴奏は原曲とほぼ同じ。
原曲が優れていますから,この編曲も決して悪い曲にはなっていません。
しかし,右手の旋律を重音にする必要性を感じません。
重音にしていない原曲の方がスッキリしていて良いですね。
中間部はやや凝った編曲になっています。
中間部は悪くない編曲だと思います。
その後再現部に入るところで,トリルが左手のトレモロになったりして面白いところもありますが,
再現部に入ると再び,右手の速いパッセージを3度の重音にしただけの面白みのない編曲に戻ります。
2曲目
1曲目と同じく3度の重音に変化させたパターンです。
1曲目と違うのは,右手と左手を交互につかって旋律を弾くので,
弾いている様子をみると,なんか大変そうなことをやっているように見えます。
右手と左手を交互につかって演奏するというのは,ピアニストは普段あまりやらないので,弾きづらいです。
弾きづらいわりに,左手もメロディーの演奏に加わってしまうので,伴奏の音数が減ってしまい,音楽の響きがスカスカになってしまいます。
ヨゼフィー Rafael Joseffy 編曲
ラファエル・ヨゼフィは1852年生まれ,1915年没。現在のスロバキで生まれたピアニストです。
ショパンの作品の出版譜の編集者として名が知られています。
『小犬のワルツ』と『黒鍵のエチュード』の編曲を書いています。
冒頭,18小節もの序奏からはじまります。
華やかな序奏で,いかにもパラフレーズらしい,きらびやかな始まり方です。
この序奏は悪くないです。
主部に入ると,「定番」の3度の重音による変奏です。
立て続けに似たような編曲を目にすると,さすがに飽きてきます。
中間部はトンデモないことになっています。
当サイト管理人は練習したことがないですが,おそらく,かなり難しいです。
中間部は上の譜例のような超絶技巧が延々と続きます。
再現部に入ると,またまた3度の重音によるマンネリ編曲に戻ります。
そして,最後はモシュコフスキーと同じく,3度の半音階という,安直な終わり方になっています。
フィリップ Isidore Philipp 編曲
1863年ブダペスト生まれ,1958年没。
ピアノ教師として有名だった人で,ピアノ教則本のような作品をたくさん書いています。
教則本の中身ですが,クレメンティやショパンなどの有名作品の旋律を用いて,楽しく練習できるようにつくられています。
そんなフィリップですが『小犬のワルツ』のコンサート向け編曲も書いています。
出ました。定番の3度重音パターンです。
これといった工夫は見られません。
中間部も,主部と中間部の旋律を重ねるという,定番の編曲です。
ところが,3段譜に,主部の旋律と中間部の旋律,そして伴奏を並べただけ。
そして中間部の旋律と伴奏を左手で演奏するように指示が書いてあるだけ。
これでは,もはや編曲にすらなっていません。
3つのパートを同時に演奏する,というのはよくあるアイデアです。
3つのパートを2本の手で弾きこなせるように,創意工夫するところに,面白さがあります。
例えば,ホロヴィッツ編曲の『星条旗よ永遠なれ』の譜面を見てみましょう。
主旋律と伴奏,そしてピッコロパートが,2本の手で弾くことができるように見事に創意工夫されています。
これこそがピアノ編曲モノの醍醐味であり,ピアノバカたちが「すげ~~!」と思わずうなってしまうのです。
単に3つのパートを並べて「あとは演奏者ががんばって弾いてね」みたいなのは,作品作りとは言いません。
中間部の終わりのあたり。面白い場面が出てきます。
ここの編曲はよくできています。
再現部は主部とまったく同じで,単に右手旋律を3度にしただけの面白みのない編曲になり,そのまま終わります。
ホフマン Josef Hofmann アンコールの演奏
名ピアニスト,ヨゼフ・ホフマンがコンサートで演奏したアンコールの録音が残っており,
その録音を譜面におこしたものです。
譜面のもとになった演奏の録音をみつけたので貼っておきます!
ですので,これはいわゆる「編曲」ではありません。
19~20世紀の往年のピアニストたちは,これぐらい自由にピアノを弾いていたということでしょう。
主部は譜面通り,ちゃんと弾いています。
さすがホフマン。録音状態は悪いですが,その奥から粒のそろった美しい音色が聞こえてきます。
中間部から徐々にアレンジが入り始め,再現部は3度による重音となります。
この記事をずっと読んでくださっている方には,もはや定番となってしまった「3度の重音による変奏」ですが,ホフマンの即興演奏は,ウィットに富んだちょっとした工夫が散りばめられていて,楽しい編曲になっています。
Joe Frust “Showpan Boogie”
「chopin」ブギではなく,「Showpan」ブギです。
Joe Frust(ジョー・ファースト?)という方の編曲だということです。
当サイト管理人は不勉強で,Joe Frustという人物についてまったく情報がありません。
こんな感じで,ブギ・ウギのスタイルに編曲されています。
上の譜例のように,スイングさせて演奏するのが正解ではないかと思います。
ノリノリのブギを期待してしまいますが,特に面白みを感じない出来上がり具合です。
「ショパンでブギ!?」と期待させる分,弾いたときの落胆はすさまじいです。
今回ご紹介した編曲の中では,格段に弾きやすい曲です。
チャーミングな秀作 / Frédéric Meinders
公式サイトによるとオランダのピアニスト兼作曲家とのこと。
ファーストネームが Frédéric だなんて,めちゃくちゃ羨ましいですね。
公式サイトには作品の一覧も掲載されていて,その数は膨大です。
ショパンの編曲も多数書いているようで,こんな音楽家を知ることができて今朝は心が踊りました。
目新しい編曲手法は用いられていませんが,和声感覚が秀逸で,心が温まり思わず笑顔になってしまうような魅力溢れる編曲です。
公式サイトによると2005年8月の作品のようです。
20年近くもこんな素晴らしい編曲作品に出会わずに暮らしていたのかと考えると,
インターネットが発達したとはいえ,本当に求めている情報には簡単に出会うことができないのだと痛感しました。
当サイト管理人がまだ出会っていない素晴らしい世界がまだまだあるのだと思うと,
わくわくします。
You Tube へのコメントに心から感謝いたします。
Got a Minute? / Fredrik Ullen
ウレーンが『Got a Minute?(ちょっと時間ある?)」というCDをリリースしています。
アマゾンミュージックで聴けるみたいですね。
収録されているのは,
- アレクサンドル・ミハウウォスキ – Aleksander Michałowski
子犬のワルツによるパラフレーズ - ラファエル・ジョセフィ – Rafael Joseffy
子犬のワルツによる演奏会用練習曲 - ラファエル・ジョセフィ – Rafael Joseffy
黒鍵のエチュードによる演奏会用練習曲 - モーリッツ・モシュコフスキ – Moritz Moszkowski
子犬のワルツ Op. 64 No. 1 - マックス・レーガー – Max Reger
ショパンによる5つの特別な練習曲
I. Waltz in D-Flat Major (Op. 64 No. 1) - マックス・レーガー – Max Reger
ショパンによる5つの特別な練習曲
II. Waltz in A-Flat Major (Op. 42) - マックス・レーガー – Max Reger
ショパンによる5つの特別な練習曲
III. Impromptu in A-Flat Major (Op. 29) - マックス・レーガー – Max Reger
ショパンによる5つの特別な練習曲
IV. Etude in G-Sharp Minor (Op. 25 No. 6) - マックス・レーガー – Max Reger
ショパンによる5つの特別な練習曲
V. Waltz in C-Sharp Minor (Op. 64 No. 2) - カイホスルー・ソラブジ – Kaikhosru Shapurji Sorabji
子犬のワルツによるパスティーシュ - レオポルド・ゴドフスキー – Leopold Godowsky
ワルツ 変ニ長調 Op. 64 No. 1 - ヨハネス・ブラームス – Johannes Brahms
ピアノのための5つの練習曲 Anh. Ia/1
*これはOp.25-2の編曲です。 - イシドール・フィリップ – Isidore Philipp
左手のための小犬のワルツによる練習曲 - イシドール・フィリップ – Isidore Philipp
子犬のワルツによる練習曲第1番 - アルフレッド・コルトー – Alfred Cortot
チェロ・ソナタからラルゴ - モーリツ・ローゼンタール – Moriz Rosenthal
子犬のワルツによる練習曲 - ジュゼッペ・フェッラータ – Giuseppe Ferrata
子犬のワルツによる練習曲第2番 Op. 64 No. 1 - ルイス・グルーエンバーグ – Louis Gruenberg
ジャズ・マスク Op. 30a
I. Chopin, Nocturne, Op. 9 No. 2 - ルイス・グルーエンバーグ – Louis Gruenberg
ジャズ・マスク Op. 30a
II. Chopin, Waltz, Op. 64 No. 2 - ジョー・ファースト – Joe Furst
ショウパン・ブギ - カイホスルー・ソラブジ – Kaikhosru Shapurji Sorabji
子犬のワルツによるパスチッチョ・カプリチオーソ - フレデリック・ショパン – Fryderyk Chopin
ワルツ第6番 変ニ長調 「小犬のワルツ」 Op. 64 No. 1
*原曲です。
ということで,今回紹介した『小犬のワルツ』の編曲がほぼ全て収録されています。
13曲目のフィリップの『左手のための小犬のワルツによる練習曲』ですが,
確かにそんな曲もあったような薄い記憶はあるのですが,
当サイト管理人の書棚からは見つけることができませんでした。
『小犬のワルツ』の編曲の中でも,秀作である
- ザドラ Michael von Zadora 編曲 と,
- Max Laistner 編曲
が収録されていないのは残念です。
かつて『小犬のワルツ』の編曲ばかり集めた楽譜もあった
当サイト管理人が学生だったころ『小犬のワルツ』の編曲ばかり集めた楽譜もありました。
- Joseffy
Concertstudie uber den Des-dur Walzer von Chopin - Rosenthal
Studie uber den Walzer Op.64 No.1 - Philipp
1ere Etude de Concert d’apres une valse de Chopin
Etude de Concert pour la main gauche d’apres Chopin - Max Laistner
Etude de Concert after the Valse, Op.64, No.1 - Giuseppe Ferrata
Two Studies on Op.64, No.1 - Michael von Zadora
Studie uber einen Chopin Walzer - Moriz Moszkowski
Valse, Op.64 No.1 - Michalowski
Paraphrase sur le Valse re bemol majeur de FR. CHOPIN, Oevre 64, N.1 - John Furst
Showpan Boogie - Sorabji
Pastiche on Minute Waltz of Chopin
以上が収録されていました。
おそらく今は販売されていません。
やっぱり,フィリップの『左手のための小犬のワルツによる練習曲』はどこかにあるはずなんだよなぁ・・・
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 原典資料
ショパンの自筆譜
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』は自筆譜が5種類も遺されています。
貴重な資料です。
- 【自筆譜①】最初のスケッチ(パリ,フランス国立図書館所蔵)
- 【自筆譜②-A】初期の清書原稿(ボン,大学図書館所蔵)
- 【自筆譜②-B】Juliette von Caramanに寄贈された自筆譜(ロンドン,王立音楽大学所蔵)
- 【自筆譜②-C】ロスチャイルド家に寄贈された自筆譜(パリ,フランス国立図書館所蔵)
- 【自筆譜③】フランス初版の印刷用清書原稿(バーゼル,個人所有。ワルシャワのショパン博物館がコピーを所蔵。)
説明の都合上【自筆譜①】などと番号をつけました。
この番号は当サイト管理人が勝手につけた番号です。
詳細は「自筆譜を詳しく見てみよう!」の章で解説します。
当サイト管理人の演奏を聴いていただきながら,フランス初版の印刷原稿となった,最終バージョンの自筆譜をご覧いただくことのできる動画を公開しています。
ぜひご覧ください!
初版
ショパンの作品は3カ国(フランス,ドイツ,イギリス)で初版が出版されることがほとんどです。
そして,3カ国で出版された譜面は互いに相違が相当数含まれていることがほとんどです。
- ①ショパン自筆の原稿
ショパン自筆の原稿は,他の作曲家と比べれば丁寧に記譜されています。
とはいえ,音符や臨時記号など,書き間違えは散見されます。ショパンの自筆譜が現在も遺されていれば,他者によって手が加えられる前の,ショパン自身が確定した譜面が確認できます。
- ②印刷用の清書原稿の作成~他者の手が入り始める~
ショパン自身が清書原稿を書くこともありましたが,中~後期にはフォンタナやグートマン,フランショームなど,ショパンの友人たちが清書原稿を作成するのが普通になっていました。
ショパン自身が書いた清書原稿が遺されていれば,最終的な決定稿として貴重な資料となります。
友人たちの清書作業では,ショパンの自筆譜が読み取りにくかったり,音楽理論的に間違えている(もしくは間違えているように見える)ところがあったりすると,勝手な判断で改竄されることがありました。
特にフォンタナは恣意的に手を加えることがありました。写し間違いをすることもあり,フォンタナなどは数小節まるごと写し忘れることもありました。
ドイツ版やイギリス版では,パリに住んでいたショパンは直接校正作業に関わるのは物理的にほとんど不可能でした。
ドイツ版やイギリス版では,出版社が恣意的に大幅に手を加えることもしばしばありました。この時点で,ショパン以外の者の手がかなり入り始めることになります。
- ③ゲラ刷りの校正作業
実際に印刷機で試し刷りを印刷して,校正作業をするのですが,
中~後期になると,ショパンは校正に参加しないことが多かったです。初期の作品では,ショパン自身がゲラ刷りに修正や訂正を書き込んでいる原稿が遺っているものもあり,大変貴重な原典資料となります。
- ④初版の印刷・出版
出版された初版本は失われずに遺っています。
清書原稿の作成から,公正作業までショパン自身が関わっていれば,最終決定稿として信頼できる原典資料となります。
しかし,ショパン自身が最初から最後まで出版作業に関わっている作品はほとんどありません。清書原稿の作成から校正作業まですべてショパン自身が関わっていた出版譜としては,練習曲集Op.10のフランス初版などが該当し,貴重な原典資料となっています。
ほとんどの場合は,初版が出版されるまでの間に,他者の手による改竄の手が入っているため,初版本は原典資料として信頼できるものにはなりません。
- ⑤現在ではコピーと改竄が繰り返されて多種多様な出版譜が存在する
現在,ショパンの作品は世界中で様々な出版社から出版されています。
書店に並ぶ多種類の楽譜を見比べると,互いに相違点が多数見られます。
同じ作品の楽譜なのに,数え切れないほど多種多様な譜面が存在しています。
本来は原典版である初版をそのまま印刷するべきですが,初版そのものが3種類もあり,しかも各国の初版はすでに相違が多数見られます。
また「ショパンはこういうふうに演奏していたらいい」「ショパンの弟子がこういうふうに演奏していた」「ショパンのレッスンではこのように演奏するように指導していた」といった伝聞が虚実綯い交ぜに語られています。
どこかの出版社がショパンの作品を出版するたびに,過去の出版譜や伝聞・伝統を踏まえて,独自に編集した譜面を作り出します。
ミクリやコルトー,パデレフスキーといった権威ある編集者が編集した出版譜は「これぞ決定版」といった扱いを受けて,さらに後世の出版譜に影響を与えることになります。
このように,過去の出版譜のコピーと改竄,そのまたコピーと改竄,とコピーと改竄が繰り返されて,千差万別,多種多様な出版譜が世界中にあふれるようになってしまいました。
当時はコピー機はありませんから,3カ国の出版社に同じ原稿が渡されることはありません。
ショパン自身や友人たちが写譜したものや,他の出版社の校正前のゲラ刷り,他国の初版が印刷原稿として使われました。
当時はコピー機もなければ,電話もありません。他国への移動も何日もかかります。
ショパン自身が3カ国の出版に最初から最後まで関わるのは物理的に不可能でした。
このように,3種類の初版が出版されるまでのあいだに,ショパン以外の人物の手が加えられ,多くの作品ではショパン自身が最終的に確定した譜面が分からない状態になってしまっています。
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』には初版が5種類存在する!
初版が3種類あるだけでもカオスなのに,『小犬のワルツ』は初版が5種類も!存在します。
そして,ドイツ版は例のごとく恣意的な変更を多数加えており,
その勝手な変更が「原典」として扱われ,後世の楽譜に受け継がれてしまっています。
幸い,フランス初版はショパンが校正作業にちゃんと関わっていました。
フランス初版の元となった自筆譜も遺されています。
『小犬のワルツ』のフランス初版は,ショパンの作品の初版にはめずらしく,信頼できる貴重な原典資料となります。
フランス初版
パリ,フランデュ Brandus & Co. より1847年10月に出版されました。
Op.64-1,Op.64-2,Op.64-3がそれぞれ分冊で出版されています。
Op.64は各曲がそれぞれ違う人物に献呈されていて,各分冊の表紙には,それぞれ献呈された人物の名が印刷されています。
ショパンの最終的な自筆譜【自筆譜③】が元になっていて,ゲラ刷りの校正作業も珍しくショパンがちゃんと関わっていました。
信頼できる貴重な原典資料となります。
ドイツ版
ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル Breitkopf & Härtel より1847年11月に出版されています。
- Op.64の3曲が1冊にまとめられているもの
- Op.64-1,Op.64-2,Op.64-3がそれぞれ分冊になっているもの
*分冊版は1849年8月出版との情報もありますが,2021年現在では1847年11月に出版されたとする資料の方が多いです。
の2種類が出版されていて,なんと,この2種類の初版には相違点がいくつかあります。
同じ出版社が出版した初版に相違点があるというのは信じられないことです。
ショパンが最終的な校正をする前の,フランス初版のゲラ刷り(校正刷り)を元に作られました。
ドイツ初版は,いつものように,恣意的な修正を多数加えています。
そして,この勝手な変更が後世の出版譜に受け継がれ,現在出版されている多くの楽譜が,
ドイツ初版の間違えを受け継いでしまっています。
ドイツ版の第2版では,さらなる手が加えられていて,
その間違えも,現在書店に並ぶ数々の楽譜に受け継がれています。
イギリス版
イギリスでは,なんと違う2つの出版社から初版が出版されています。
- ロンドン,クラーマー・アンド・ビール Cramer, Beale & Co. より1848年4月29日に出版。
Op.64-1,Op.64-2,Op.64-3がそれぞれ分冊で出版されています。 - ロンドン,C.ウェッセル Wessel & Co. より1848年9月に出版。
Op.64-1,Op.64-2,Op.64-3がそれぞれ分冊で出版されています。
ショパンの作品がイギリスで出版されるときは,ほぼ独占的にWessel & Co.が出版しています。
Wessel & Co.以外の出版社がショパンの初版を出版しているというのは異例の出来事であり,
Cramer, Beale & Co.社の出版は海賊版であった,としている研究者もいます。
両方とも,フランス初版を元にしてつくられました。
両出版社とも,フランス初版をほぼ忠実に引き継いでいて,
目立って手を加えたところはありません。
ショパンの生徒がレッスンで使用したフランス初版
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』も他の作品同様,ショパンの生徒がレッスンで使用していたフランス初版が遺されていて,ショパンの書き込みや,ショパンからの指導を受けて生徒自身が書いた書き込みが遺されています。
カミーユ・デュボワ(旧姓オメアラ)が使用していたフランス初版
カミーユ・デュボワ(旧姓オメアラ)のレッスンで使用されていたフランス初版が遺されており,パリのフランス国立図書館が所蔵しています。
冒頭にトリルの指示
現在販売されている出版譜の多くで,冒頭のA♭音にトリルがついています。
その根拠となっているのが,このレッスン譜へのショパンの書き込みです。
よく見ると,”tr 4 mesures”と書き込まれているのがわかります。
このトリルは,出版譜を訂正したというよりは,Variant(変奏)として書き込んだものだと思われます。
あくまでもトリルなしの譜面が決定稿であり,「トリルを入れてもいいよ」ぐらいの意味での書き込みだと思います。
冒頭はトリルを入れない方が,後半のトリルとの対比がより際立つので,冒頭はトリルを入れないほうが良いと思います。
しかし,ショパン自身がトリルを入れることを認めているわけで,
演奏者の好みによって,トリルを入れて演奏するのも問題ありません。
トリルを入れて弾くのも”あり”だよ。
指遣いの書き込み
ショパン自身の筆跡で,指遣いの指示も多数書き遺されています。
エキエル版では,ショパン自身の運指の指示は太字で印刷されているため,
作品を研究するのに大変便利です。
ici octava?
曲の一番最後,ショパンの筆跡で,何かが書き込まれています。
ici octava(ここ,オクターブ)と書いてあるのかな?
A♮とA♭をあわせるように指示する線
曲の最後,下降スケールのカデンツァの終わりごろですが,
A♮とA♭を合わせて演奏するように,という指示の線が記入されています。
ジェーン・スターリングのレッスンで使用されていたフランス初版
ジェーン・スターリングのレッスンで使用されていたフランス初版が遺されており,パリのフランス国立図書館が所蔵しています。
表紙にショパン自筆の献辞
表紙にはショパン直筆で,鉛筆で書いた献辞が遺されています。
「スターリング嬢へ,ショパンより。1847年12月8日」と書かれているそうですが,当サイト管理人は読み取れません。
ショパンによるVariantが書き遺されている
93小節目にはショパンが書き込んだVariantが遺っています。
エキエル版ではこのVariantも脚注に印刷されています。
原典資料の系統図
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』はショパンの作品の中でも特に初版出版の経緯が複雑なので,系統図にまとめます。
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 出版譜によくみられる間違い
ショパンが意図した譜面を確認していこう!
「原典資料」の章で解説した通り,現在出版されている楽譜のほとんどは様々な間違えを受け継いでしまっています。
特に,ドイツ初版が勝手に変更した間違えが現在まで受け継がれています。
書店で販売されている出版譜によく見られる間違えと,正しい譜面を示していきます。
1小節目 トリル「なし」が正解
冒頭のA♭音にトリルがついている版もあれば,ついていない版もあります。
結論から書くと,「トリルをつけない」のが正解です。
なぜトリルのついた楽譜が多数出版されているかというと,カミーユ・デュボワがレッスンで使用していたフランス初版に,ショパン自身がトリルを書き込んでいることが根拠となっています。
『小犬のワルツ』が出版されてすぐのころから,冒頭にトリルを入れて演奏されることも多かったようで,だんだんとトリルをつけて出版する出版社が増えていき,現在では多数の出版譜にトリルが印刷されています。
このトリルはちょっとした遊び心で,Variantとしてショパンが書き込んだものですから,あくまでもトリルを入れないのがショパン本来の意図ということになります。
と言っても,ショパン自身がVariantを書き込んでいるわけですから,トリルを入れて弾いても問題はありません。
ただし,ショパンの遺した書き込みを見ると,単なるではなく”tr 4 mesures”と書かれていることがわかります。
トリルを入れるなら,短いトリルではなく,4小節にわたる長いトリルを入れることをショパンが指示していたことがわかります。
エキエル版にはossiaとして冒頭に長いトリルを入れるバージョンも印刷されています。
36小節目,1回目の繰り返し→タイが「ない」のが正解
ドイツ版の第2版がタイをつけて出版してしまったため,
この間違いが後世の数多くの楽譜に受け継がれてしまいました。
現在ではタイがついていない楽譜の方が少ないぐらいですが,
タイをつけないのが正解です。
36小節目,1回目の繰り返し→左手伴奏3拍目は休符
同じく36小節目の1回目の繰り返しですが,左手伴奏の3拍目は休符が正解です。
左手伴奏の3拍目もが印刷されている楽譜があります。
36-37小節および40-41小節目はタイが「ない」のが正解
ドイツ版がタイをつけて出版してしまったため,
この間違いが後世の数多くの楽譜に受け継がれてしまいました。
現在ではタイがついていない楽譜の方が少ないぐらいですが,
タイをつけないのが正解です。
41小節目左手伴奏の和音にはC音が入らない
これもドイツ版では間違えてC音を入れてしまっています。
C音を入れないのが正解です。
46小節目,左手伴奏の和音&右手旋律のスラー
46小節目の2拍目の左手和音にC音が入っている楽譜がありますが,C音がないのが正解です。
また,この部分の右手旋律のアーティキュレーション(スラーの入れ方)は,上の譜例が正解です。
この「ターラン」という小犬をなでているかのようなアーティキュレーションは重要です。
69~72小節目,右手のトリル
決定稿となった「自筆譜③」もフランス初版も,最終的には各小節にが書き込まれ,トリルを4回繰り返すような記譜になっています。
他の自筆譜を見ると,様々な書き方がされていることがわかります。
「自筆譜②-C」のようにと,4小節にまたがって途切れなくトリルを弾くのが正解だと思われます。
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 構成
3部形式のわかりやすい構成
前奏–主部–中間部–間奏–再現部という分かりやすい3部形式の構成です。
崇高な芸術性と,分かりやすさが共存されているところがショパンの作品の良さです。
冒頭に,
- Molto vivace;とても速く
- leggiero;軽く,優美に。
が記譜されています。
また,冒頭には強弱記号が書かれていません。
中間部には,sostenuto;音を十分に保って の指示があります。
主部前半はⅠ(変ニ長調)→V7(変イ長調)を繰り返すだけ
Ⅰ(変ニ長調)→V7(変イ長調)のシンプルな和声進行
主部の前半は和声もシンプルで,主調の変ニ長調と,属七の変イ長調だけでできていて,
和声的に安定感があります。
Ⅰ→Ⅴ→Ⅰという音楽的解決の繰り返しは,音楽的な安定感とともに音楽的な満足感が感じられます。
小犬がくるくる駆け回る様子が目に浮かぶよう
冒頭の右手旋律はという4音を繰り返すだけの旋律となっていて,小犬くるくると駆け回る様子が目に浮かぶようです。
ヘミオラと非和声音
「概要」の章で前述していますが,冒頭のの繰り返しですが,ヘミオラや刺繍音など洗練された作曲技法が用いられています。
だからこそ,単純な変ニ長調の伴奏の上で同じという音を繰り返すだけというシンプルなつくりなのに,こんなにも豊かな音楽となっています。
以上は「概要」の章で詳しく解説していますので,そちらをご覧いただくとして,
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』では他にもたくさんの洗練された作曲技法が用いられていますので,紹介していきます。
洗練された作曲技法の数々
効果的な倚音
『小犬のワルツ』は作品全体に,ためらうように移ろいゆくグラデーションのような色彩感があります。
これは非和声音が効果的に使われているためです。
例えば主部の前半では「倚音」が効果的に用いられています。
「倚音」というのは和声の変わり目で鳴らされる,和声音の隣接音のことで,前打音のような働きをします。
上の譜例ではB♭音が長前打音の,F音が短前打音のような働きをしています。
いきなり和声音を鳴らしてしまうのではなく,非和声音からその和声に入ることで,移ろいゆくような色彩が生まれています。
これはショパンが長前打音や短前打音を用いるときと同じ用な効果になります。
動機の展開(主題労作)による統一感,反復進行による盛り上げ
主部の後半には,変ニ長調の平行調である変ロ短調に転調され,場面が変化します。
転調により大きく場面が変化しますが,主部前半との強い統一感も感じられます。
これは,主題前半の音型(動機)が展開された音型(動機)が使われているからです。
変ロ短調に転調されたあと,すぐに変ニ長調に戻るのですが,
反復進行(ゼクエンツ)により,音楽は盛り上がり,惹きつけられます。
しかも,変ロ短調でのⅤ7→Ⅰという音楽的解決から,変ニ長調のⅤ7→Ⅰという音楽的解決と,
音楽的解決が反復されるので,音楽的満足が高まります。
ちょっとした変化が楽しい
主部後半の反復進行は,もう一度繰り返されるのですが,単純に繰り返すのではなく,左手伴奏が1オクターブ上に移り,さらに根音(一番低いベース音)が付点二分音符になります。
そして,最後の音が作品中の最高音であるF音に一気に飛躍します。
この最高音のF音が印象鮮やかです。
ウィットに富んだ仕掛けにより,飽きさせることなく楽しませてくれます。
刺繍音による印象的なエンディング
主部の最後ですが,ここも非和声音によって見事に修飾されています。
ここの非和声音は刺繍音で,修飾音のような役割があります。
上の譜例では,刺繍音を修飾音に書き直した譜面を作ってみました。
どうでしょう。
簡素な旋律が刺繍音によって見事に修飾されていることがわかります。
小節の頭ではA♮音とA♭音が意図的にぶつけられていて,不協和音が美しく響きます。
さらには属九の変イ長調から主調の変ニ長調にしっかりと解決され,
音楽的満足とともに主部が終えられています。
増三和音によりじわじわと盛り上げる
中間部に入り,ここでも属調の変イ長調から主調への変ニ長調への音楽的解決から始まります。
今までと違うのは,単純に解決させるのではなく,増三和音(A♭augコード)をあいだに挟んで変ニ長調へ解決しています。
ストレートに変ニ長調に解決するのではなく,焦らされているような和声の動きが色彩感を豊かにしています。
係留音と刺繍音により,移ろいゆくような豊かな色彩がうまれている
中間部の続きですが,ここでも属七から主調への解決という和声進行になっています。
和声進行そのものはシンプルなのに,ここでも移ろいゆくような豊かな色彩感が感じられます。
これは「掛留音」が効果的に使われているためです。
「掛留音」というのは,和声が変化したときに,前の和声の構成音が引き続き残っている場合の,その非和声音のことです。
この部分の最上部の声部の和声的なメロディはとなります。
変イ長調ではE♭音が,そして変ニ長調ではD♭音が和声的な旋律をつくります。
ところが実際は,左手が変イ長調に転調した2小節のあいだ,高音声部の旋律はF音を鳴らし続けます。
伴奏が変イ長調に転調したにもかかわらず,旋律はなかなか変イ長調に解決しません。
そして,旋律がE♭音にようやく解決したときには,左手伴奏は既に変ニ長調に解決してしまっています。
「掛留音」により,左手の和声進行と右手の和声進行に時間差が生まれ,ねだり甘えるような,じわじわと少しずつ変化していくグラデーションのような色彩感が生まれています。
左手伴奏が変ニ長調に解決してから,2拍遅れて右手旋律も変ニ長調に解決しますが,
ここでもスッキリ解決せず,刺繍音で装飾された4連符によって焦らされるように少しずつ徐々に変ニ長調に解決します。
これは刺繍音の効果とともに,3:4というリズムのずれが相乗効果となり,移ろいゆくような色彩を生んでいます。
まるで眠っている小犬を静かになでているかのような甘い響きがします。
なお,この4連符は,上の譜例のように連符記号を使わなくても記譜することが可能です。
もも数学的には同じなのですが,のように記譜されていると,シンコペーションで飛び跳ねるように演奏したくなってしまうのが不思議です。
と4連符で記譜されているのが,曲想にふさわしいですね。
刺繍音と経過音により半音階的に移ろいゆく和声が生まれている
中間部の前半が終わるところです。
中間部に入ってからも,変イ長調(属七)と変ニ長調が交互に繰り返されてきましたが,
印象的なB♮音が低音ベースで響き,ヘ短調へと自然に転調されます。
そしてここでも,ヘ短調のⅠ→V7→Ⅰというシンプルな音楽的解決がおこなわれます。
上の譜例を見てください。
右手の旋律は刺繍音や経過音(異なる和声のあいだをつなぐ非和声音)により,和声進行が徐々に遅くなっていることがわかります。
左手の和声進行よりも,右手の和声進行がだんだんと遅れていくので,左手伴奏と右手旋律とで,和声が解決されるタイミングがどんどんずれていきます。
このことにより,移ろいゆくようなグラデーションが生まれています。
中間部の最後に複雑な転調
中間部は,同じ旋律を繰り返して終わります。
繰り返されるときには小犬のかわいらしい鳴き声のようなA♭音の前打音がつけられます。
そして,中間部が終わるときには左手伴奏が複雑な転調を経て,変イ長調に解決して間奏へと至ります。
儚げな美しさが極まります。
この左手伴奏の複雑な和声ですが,自筆譜を見ると苦労して推敲した跡が遺っています。
最後まで釘付けにさせる仕掛け
再現部に入る前に,序奏(間奏)が繰り返されるのですが,冒頭の序奏から大きく拡大されます。
主部にはいっさい強弱記号が書かれていませんでしたが,再現部では強弱記号が効果的に書かれています。
デュナーミク(音量の変化)により豊かな表情が生まれています。
これは前述していますが,最後の最後にダメ押しのサプライズです。
詳細は「概要」の章をご覧ください。
洗練された作曲技法による珠玉の名曲
以上,『小犬のワルツ』の構成をみてきました。
一見して,肩の力を抜いて遊び心でつくった取るに足らない作品に見えます。
しかし,実際は洗練された作曲技法を盛り込んで細部まで作り込まれた作品であることがわかります。
余分なものが排除されていながら,細部にわたって洗練された作曲技法が使われており,
ウィットに富んだしかけの数々が楽しませてくれる珠玉の名曲です。
世界中で愛され,多くの人を虜にしてきたこともうなずけます。
ショパンが生前最後に出版したピアノ独奏曲にふさわしい,
作曲家ショパンの集大成というべき傑作です。
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 自筆譜を詳しく見てみよう!
ショパンが遺した5種類の自筆譜を見ていきましょう。
【自筆譜①】最初のスケッチ
最初期のスケッチです。パリのフランス国立図書館が所蔵しています。
曲の形はまだ完全にはできあがっていません。
冒頭
速度指示は「Tempo di Valse;ワルツのテンポで」となっています(最終的にはMolto vivaceになりました)。
前述しましたが,当初はもっとゆったりとしたテンポのウィンナ・ワルツを想定していたことがわかります。
前奏はまだ書かれていません。
左手伴奏は省略されている
多くの場面で左手の伴奏は省略されています。
まずは右手の旋律から書き留めていくという作曲方針だったようです。
複数のアイデアを並べてスケッチしている
いくつかの箇所で,複数のアイデアが並べて書かれています。
同じ箇所を繰り返すときには,違うアイデアを使って多様性をもたせることもできたはずですが,
実際には最終的にどれか一つのアイデアだけが採用されています。
中間部の最終部分では,このとき書いていたアイデアは採用されませんでした。
ジェーン・スターリングのレッスン用のフランス初版には,採用されなかったアイデアの一つをVariantとしてショパンが書き込んでいます。
A♭音の前打音はまだ書かれていない
A♭音の前打音(小犬の鳴き声)はまだ書かれていません。
最初期にはA♭音の前打音というアイデアは思い浮かんでいなかったようです。
トランジションは短く,コーダはまだなかった。
トランジション(間奏)は,最終版と比べて短かったようです。
その後ダル・セーニョで3小節目まで戻り,主部の1回目の繰り返しのところにfineが書かれていています。
最終的な出版譜では,
A→B→B→中間部→A→B→B'(スケールが1オクターブ上に) となるのですが,
1回目の繰り返しにfineがあるということは,
A→B→B→中間部→A→B で曲が終わることになり,
最終版よりも16小節短く曲が終わることになります。
また,下降スケールを1オクターブ上に変化させるアイデアはまだ思い浮かんでいなかったようです。
【自筆譜②-A】初期の清書原稿
初期の清書原稿で,ボンの大学図書館が所蔵しています。
冒頭
速度指示がVivaceになりました。
前奏は最終版と全く同じ形に完成されています。
5小節目からのメロディーラインが,1小節目からのメロディーラインの正確な繰り返しになっている
5小節目からのメロディーラインが,1小節目からのメロディーラインの正確な繰り返しになっています。
を繰り返すというアイデアがなかったわけではなく,そのすぐ後ではを繰り返すというアイデアが使われています。
主部後半の左手伴奏の順序が逆
主部後半の左手伴奏ですが,最終版では低音域から高音域へと変化するのですが,
この自筆譜では高音域から低音域へと変化しています。順序が逆になっていますね。
A♭の前打音が登場!
最初期のスケッチにはなかったA♭の前打音が登場しています。
最終版と比べるとA♭の前打音がつけられるタイミングが2小節遅くなっています。
トランジション(間奏)は最終版と同じ形に完成されていた
トランジション(間奏)は最終版と全く同じ形に完成されています。
ダル・セーニョでセーニョまで戻る指示になっています。
最後にはショパンの署名も遺されています。
ダル・セーニョで戻ったあと,2回目の繰り返しのところにfineが書かれています。
最初期のスケッチでは,1回目の繰り返しのところにfineがあったため,最終版よりも16小節短くなっていましたが,この自筆譜では最終版と同じ曲の長さになっています。
【自筆譜②-B】Juliette von Caramanに寄贈された自筆譜
Juliette von Caramanという人に寄贈された自筆譜です。ロンドンの王立音楽大学が所蔵しています。
コンパクトに清書されていて,1ページにピッタリ収まっています。
【自筆譜②-A】とほとんど同じですが,数箇所だけ違いがあります。
冒頭からの繰り返し
冒頭からを繰り返すようになりました。
ますます最終版に近づきました。
2回目の主題が最終版とは違う旋律になっている
主題がもう一度繰り返されるところで,旋律が変形されています。
最終的にはの繰り返しに戻されることになります。
A♭の前打音がつけられるタイミングが早くなった
【自筆譜②-A】よりもA♭の前打音がつけられるタイミングが早くなりました。
そして最終版よりも1小節早いタイミングで前打音がつけられはじめています。
最終版よりも16小節短く終わる
fineが1回目の繰り返しの中に書かれており,最終版よりも16小節短く曲が終わることになります。
【自筆譜②-C】ロスチャイルド家に寄贈された自筆譜
ロスチャイルド家に寄贈された自筆譜で,パリのフランス国立図書館が所蔵しています。
Juliette von Caramanに寄贈された【自筆譜②-B】とほぼ同じ譜面で,
差はほとんどありません。
この段階では【自筆譜②-B】【自筆譜②-C】がほぼ完成形の譜面だったのだと考えられます。
【自筆譜③】フランス初版の印刷用清書原稿
フランス初版の原稿となった,ショパン自筆の清書原稿です。
バーゼルで個人所有されていて,ワルシャワのショパン博物館がコピーを所蔵しています。
ショパンの記譜はいつもどおり丁寧で,ペダル指示も丁寧に書き込まれています。
数字とアルファベットによる省略
- 13~20小節目に,1から8までの番号が書かれています。
そして,85~92小節目までは,1から8までの番号を書くだけで省略されています。
*85小節目にはp(ピアノ)が書き加えられています。 - 25~35小節目に,a,b,c,d,e,g,f,h,j,k,lが書かれています。
- 97~107小節目は,a,b,c,d,e,g,f,h,j,k,lを書くだけで省略されています。
- 113~119小節目は,a,b,c,d,e,gを書くだけで省略されています。
最終的な速度指示はMolto vivace
Tempo di Valse → Vivace → Molto vivace と変遷してきて,最終的にはMolto vivaceとなりました。
fineの消し忘れ
ダル・セーニョがなくなったので,fineも不要になったのですが,これまでのクセで書いてしまったのか,不要なfineが消されずに残っています。
この不要なfineは,出版されたフランス初版にも消されずに印刷されてしまっています。
1オクターブ上からの下降スケールが登場!
曲のエンディングで,1オクターブ上からの下降スケールがいよいよ登場です。
これ以前の4種類の自筆譜には,このアイデアは書かれていませんでした。
初版の印刷原稿を書という土壇場になって,このアイデアが思い浮かんだということになります。
最後,1オクターブ上からの下降スケールがあるからこそ『小犬のワルツ』は鮮烈な印象を残して曲を終えます。
作品が出版される間際に,こんなアイデアにたどり着くというのは,ショパンの天才の一端が垣間見えます。
大きな修正の跡がいくつか遺されている
大きな修正の跡がいくつか遺っています。
ショパンが最後の最後まで推敲の手をゆるめなかったことが感じ取れます。
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 演奏上の注意点
ショパンの入門曲としてオススメ!
ショパンがその生涯で最後に出版したピアノ曲。
「ピアノの詩人」ショパンの人生の集大成たる珠玉の名曲です。
それでいて,難解なところは全くなく,分かりやすくてキャッチーで楽しい曲です。
譜読みもそんなに大変ではありません。
ショパンの入門曲としてオススメの作品です。
この章では小犬のワルツを演奏するにあたっての注意点をいくつか書いていきますが,
そんな注意点なんか気にせず,難しく考えずに気軽に演奏を楽しんでいただきたいと思います。
『小犬のワルツ』はスケッチの段階では,もっとゆったりとしたテンポで演奏される予定でした。
*「自筆譜を詳しく見てみよう!」の章を参照してください。
『小犬のワルツ』はゆったりとしたテンポで演奏すると,また違った味わいが出ます。
速いテンポで弾くことができなくても,十分に楽しめる作品です。
演奏者の技術が如実にあらわれる怖い曲でもある
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』は小中学生が発表会で頻繁にとりあげる作品です。
ショパンの作品の中では演奏しやすい曲でしょう。
しかし,演奏者の力量によって奏でられる音楽が大きく変わる作品です。
難しい曲がガンガン弾ける演奏者でも『小犬のワルツ』を弾くと,ちょっと上手な小中学生と違いが分からないような演奏になってしまうことも多いです。
めちゃくちゃ高速で演奏したり,変なところで大音量のアクセントを入れたり,楽譜にはない個性的なアーティキュレーションや強弱の変化を入れたり,重音で弾いたり,ヴァリアントを入れたり・・・など,奇をてらったようなインパクトのある演奏をすればごまかすことができますが,それはもはやショパンの演奏ではありません。
ショパンらしい優雅で繊細,軽やかで優美な演奏をしようとすると,それまでに培ってきた経験や演奏技術が如実にあらわれてしまいます。
聴いている側も『小犬のワルツ』は弾いたことがある方が多く,
自分が弾いたことのある作品というのは,作品への理解も深まっていますから,
演奏する側は緊張します。
よくやってしまうのが,普通の演奏とは「一味違う」というところを見せようと,個性的な演奏をしてしまうことです。
一流ピアニストが個性を発揮させると大変楽しい演奏になることもありますが,
それはマレなことで,大抵は滑稽な演奏に終わってしまいます。
ショパンが晩年に作曲した最期のピアノ曲ですから,奇をてらわない原典に忠実な演奏を聴きたいと願います。
中間部の不要なタイに要注意
「正しい譜面」の章で触れていますが,不要なタイが入っている楽譜が大量生産されています。
一度,手元の楽譜と「正しい譜面」の章の譜例を見比べて,手元の楽譜に間違いがないか確認した方が良いと思います。
中間部はアーティキュレーション(スラーの入れ方)を間違えている楽譜もあるので,
これも要注意です。
ウィンナワルツのリズム感
「ワルツといえばウィンナワルツ」の章で前述しましたが,ショパンのワルツであっても,ワルツである限り根底にはウィンナワルツのリズムが流れています。
「【自筆譜①】最初のスケッチ」の章で解説した通り,
最初のスケッチには「Tempo di Valse;ワルツのテンポで」と記譜されていました。
最終的には「Molto vivace」になったわけですが,当初はもっとゆったりとしたテンポのウィンナワルツを想定していたことになります。
主部と再現部は軽やかな速いパッセージの場面なので,拍の長さに長短をつけずにほぼ均等のテンポで演奏するのが良いです。
しかし中間部はゆったりとメロディーを歌い上げる場面です。
ここではというウィンナワルツのリズムを取り入れたほうが,よりワルツらしくなります。
やり過ぎるとショパンらしい気品が失われますので,
「ここぞ」という箇所だけ,ほんの少し2拍目を前にずらすと,グッと魅力が引き立ちます。
leggieroとsostenuto
主部と再現部はleggiero,中間部はsostenutoの指示です。
- leggieroはノン・レガート
- sostenutoはレガート
と弾き分けるのが良いと思います。
ただ「leggiero=ノン・レガート」というわけではありませんし,
「sostenuto=レガート」というわけでもありません。
「leggiero=軽く,優美に」「sostenuto=音を十分に保って」なので,
別の方法で「軽く,優美に」と「音を十分に保って」が表現できるなら,それでも構いません。
ノン・レガートとレガートの奏法
ノン・レガートとレガートの具体的な奏法です。
ノン・レガート奏法
ノン・レガートとは,前の音と次の音がつながっていない状態のことです。
とノン・レガートに演奏するには,G♮を1の指(親指)で打鍵した後,1の指を鍵盤から離してから,次のA♭を2の指(人差し指)で打鍵する,次に2の指を鍵盤から離してから,4の指でC音を打鍵する・・・の繰り返しになります。
打鍵すること以上に「指を上にあげる」動作に意識を向けると,上手くノン・レガートで演奏できると思います。
打鍵した指を早く上げすぎるとスタッカートになります。
スタッカートは打鍵した直後に指を上げる感覚ですが,
leggiero(ノン・レガート)の場合は,次の音を鳴らす直前に,前の音の指を上げる感覚です。
上手くノン・レガートで演奏すると,パラパラと粒の立った音が鳴ります。
耳で音をよく聴きながら,イスの高さ,姿勢,手の形,打鍵する速さ(強さ),指を上にあげるタイミングなど,色々と試して,粒の立った音が鳴るまで試行錯誤してみてください。
上手く粒の立った音が鳴る弾き方が見つかったら,身体が覚えてしまうまで反復練習です。
一度できるようになれば,いつでもノン・レガート奏法ができるようになるので,
身体が自然と動くようになるまでは,我慢して反復訓練をがんばってください。
レガート奏法
レガートとは,前の音が次の音につながっている状態です。
上の譜例ですと,A♭音を打鍵したあと指を上げずに鍵盤を押さえたままにします。そしてE♭音を打鍵した後で,E♭音は鍵盤を押さえたまま,A♭音を押さえていた指を上へあげます。以下繰り返しです。
余談ですが,レガート奏法はノクターン形式の左手伴奏で頻繁に使う奏法です。
上の譜例は前奏曲Op.28-13で左手伴奏をレガートに演奏するための奏法です。
このように,できるだけ鍵盤を押さえたまま長く保持することでレガートに演奏することができます。
『小犬のワルツ』の中間部ではノクターンのように強くレガートをかけると,粘っこい演奏になってしまいますので,レガートといっても,押し下げている音をいつまでも長く保持するのではなく,早めに指を上げてしまった方が良いと思います。
次の音を打鍵したら,すぐに前の音の押し下げを開放するようなタイミングで良いでしょう。
トリルの奏法
短いトリルが何回か出てきますが,速いテンポの中で優美にトリルを演奏するのは大変難しいです。
事前にしっかりと反復練習をしておいた方が良いでしょう。
そのときに,間違えた奏法で反復練習をすると,間違えた奏法を身体が覚えてしまいますので,
正しい奏法を確認いただき,常に正しい奏法で繰り返し練習していきましょう。
もも同じ奏法
ショパンは短いトリルを記譜するのに,3種類の記譜法を使っていました。
どの記譜法も奏法は同じです。
ただし『小犬のワルツ』のように同じ作品の中で違う種類の記譜法が使われている場合は,
短いトリルの記譜法によって奏法を変えることもできます。
特にこだわりがなければ,奏法は同じにしておいた方が良いでしょう。
トリルは拍と同時に弾きはじめる
短いトリルは,拍と同時に弾きはじめるのが基本です。
ただし『小犬のワルツ』の主部(再現部)のようにテンポの速い場面では拍と同時に演奏するのが難しい場合もあります。
技術的に演奏が難しい場合は拍より早く先取りで演奏しても構いません。
ところが『小犬のワルツ』は先取りでトリルを弾いても技術的に易しくはなりません。
先取りで弾くメリットはありませんから,拍と同時に演奏するようにしましょう。
『小犬のワルツ』の短いトリルは,優美に軽く,柔らかく奏でられなければなりません。
トリルが書かれている場所は多少テンポが遅くなっても構いません。
むしろテンポが少し遅くなった方が,自然なテンポのゆれが作り出せます。
慌てず,力を入れずに,繊細で上品な響きでトリルを演奏しましょう。
どうしても弾きにくい場合は,トリルを前打音に変えてしまっても大丈夫です。
プロの演奏家でも前打音に変えて演奏している方もいるぐらいですから問題ありません。
トリルにしろ,前打音にしろ,優雅で軽やかに演奏することが大切です。
前打音に変えて演奏する場合も,前打音は拍と同時に演奏してください。
4連符の奏法
まずは機械的な正確さで弾くことができるようになろう
中間部に出てくる4連符は大変弾きにくいですね。
実は,4連符は連符記号を使わずに,正確に記譜することができます。
上の譜例を参考に,まずは正確に譜面通り音を打鍵できるように練習してください。
メトロノームを使って,機械的な正確さで演奏できるようになるまで反復練習です。
繰り返し練習していると,4連符の弾き方を身体が覚えてくれます。
左手はウィンナワルツのリズム&右手はテンポルバート
譜面通り正確に弾くことができるようになったら,第一段階クリアです。
そこからもうひと踏ん張り。
この4連符は『小犬のワルツ』に出てくる数々の印象的な場面の中でも,
際立って印象に残る場面です。
眠っている小犬をやさしく撫でているような,幸せに包まれる瞬間です。
この4連符を機械的に正確に弾いてしまっては,情緒も何もあったものではありません。
右手の4連符は小犬をやさしく撫でるようなテンポルバートが欠かせません。
ただし,やり過ぎは禁物です。
機械的な正確な4連符からほんの少しだけルバートさせます。
同時に,左手も杓子定規な3拍子ではなく,ウィンナワルツのリズムを刻んでいます。
ほんの少しだけ,そうとは分からないぐらいに,ちょっとだけ2拍目が前に出てきている感じです。
わずかにウィンナワルツのリズムを刻む左手伴奏と,甘美なテンポルバートがかかっている右手4連符を同時に演奏するのはかなり難しいです。
「これぐらいでいいや」と妥協した時点で,そのレベルの演奏が身体に染み付いてしまいます。
妥協せずに理想を追い求めていきましょう!
前打音は拍と同時に演奏する
前打音は拍と同時に演奏する
中間部の後半にはA♭音の前打音が連続して出てきます。
前打音は拍と同時に演奏するのが基本ですが,
テンポの速い場面なので,先取りで弾いても問題ありません。
特にこだわりがなければ拍と同時に演奏するようにしましょう。
前打音の音量は一定,主旋律は歌うように
A♭の前打音は,一定の音量で鳴らすことで小犬の鳴き声のように響きます。
一方,内声部の主旋律は歌うように自然に演奏しなければなりません。
つまりは,
- フレーズの前半はクレッシェンド
- フレーズの後半はディミヌエンド です。
A♭音をならす5の指(小指)と,主旋律を演奏する他の指とが,独立していなければ実現できません。
ショパンのppは特別
再現部に入ってからはデュナーミク(音量の変化)による表現が重要になります。
曲の終わりごろにppが書かれています。
ショパンはppやffを多用しません。
「ここぞ」という場面での特別な指示になります。
シフトベダル(ソフトペダル,左ペダル)をある程度踏み込んでしまって良いと思います。
そして最大級にleggieroに。
できるだけ音量を抑えて,できるだけ軽く・優美に,と言葉にするのは簡単ですが,
演奏を実現するためには,経験と技術が必要です。
最後の見せ場!1オクターブ上からの下降スケール
予感を裏切るうれしいサプライズ!
このままあっさりと終わりそうな予感を裏切る,1オクターブ上からの下降スケールです。
高音のF音は当時普及していたピアノの最高音,一番右端の鍵盤になります。
最後の最後に,ピアノ鍵盤の右端から真ん中までパラパラと真珠がこぼれ落ちるような下降スケールは,驚きと喜びに満ちています。
スケールを弾き終わるまでppです!
最高音のF音とか,低音ベース音のG♭音を,爆音で打ち鳴らす演奏者がいます。
ショパンの作品は著作権は切れていますから,どう演奏しようが,演奏者の自由です。
しかし,あまりにも風情がありません。
最後の下降スケールは曲中で最も音量が小さくなるはずの場所です。
ppでキラキラと輝くような最高音のF音を響かせて,
ppからさらにdim.しながら下降していきます。
leggieroも限界まで極まったところになります。
ノン・レガートというよりも,ほぼスタッカートのようなタッチでスケールを弾いて良いでしょう。
ショパンのスケール・カデンツァはノン・ペダルが基本
ショパンは「ここぞ」という見せ場でスケールによるカデンツァをよく使います。
ショパンのスケール・カデンツァはペダルを使わずに演奏するのが基本です。
『小犬のワルツ』の最後のスケールも,ペダルは踏まずに,パラパラと粒の立った音を奏でましょう。
A♮とA♭がぶつかる不協和音の美しさを感じ取ろう!
カユーミ・デュポワのレッスン譜には,A♮とA♭をあわせるようにという線をショパンが書き込んでいます。
A♮とA♭をあえてぶつけることにより,不協和音が美しく響きます。
最弱のピアニッシモの中,この不協和音の美しい響きを感じ取りましょう。
スケールの途中にアクセントをつけない
A♮とA♭をあえてぶつけるということは,最高音のF音から2小節のあいだ,1拍に3音ずつちょうど割り当てることができます。
カデンツァは本来もっと自由に演奏されるべきですが,
1拍に3個ずつ音を割り当てる,ということに問題はありません。
ただし,この弾き方だと,どれだけ意識しても拍の頭の音にアクセントをつけてしまいそうになるはずです。
これはピアノ上級者の方が拍の頭にアクセントをつける演奏を身体が覚えてしまっているはずです
(ピアノ初心者は指をくぐらせるタイミングでアクセントをつけてしまうことが多いでしょう)。
スケールで下降しているあいだ,いっさいアクセントをつけず,常にdim.していなければなりません。
最後は一気にフォルテへ
ppからさらにdim.しながらスケールを下ってきたため,最弱の音量に至っています。
最弱の音量でA♮とA♭の印象的な不協和音が鳴らされたあと,1小節で一気にクレッシェンドして,最後はフォルテに至ります。
ppのまま静かに終わりそうだったのが,高音からの下降スケールで一気に曲想が一変され,そこからたったの1小節でフォルテに至る,という,見事な強弱による音楽表現です。
ショパン 小犬のワルツ(子犬のワルツ) 実際の演奏
ショパン ワルツ変ニ長調Op.64-1『小犬のワルツ』参考演奏
当サイト管理人,林 秀樹の演奏です。*2021年6月30日録音。
演奏を聴きながら,最も信頼できる原典資料としてフランス初版の清書原稿として書かれたショパンの自筆譜をご覧いただけるようにしています。 *参考;原典資料の系統図の章
今回の録音は,隅々までショパンの意図を完全に再現できたと思います。
とはいえ,アマチュアピアニストの演奏ですので,至らぬ点も多々あると思いますがご容赦ください!
ショパン『小犬のワルツ』ゴドフスキー編
こちらも当サイト管理人の演奏です。
2021年7月20日録音です。
当サイト管理人がショパンに匹敵するほど愛しているゴドフスキーによる編曲です。
数多く存在する『小犬のワルツ』の編曲作品の中でも最も美しい編曲です。
しばらく弾いていなかったので,録音前には数日間,集中的に練習しました。
ゴドフスキーの作品のわりには弾きやすい曲ですが,それでもやっぱり演奏の難しい作品です。
今回は以上です!