ショパン全作品一覧【備考】
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難易度
作品の演奏難易度というのは客観的に示すのは難しいため,
思い切って主観的に難易度を判定しました。
一般的なテンポで楽譜通り音を鳴らすメカニズムの難易度を,当サイト管理人の主観で判定しています。
メカニズムの難易度が低くても,音楽的に演奏するには高い表現力や構成力が必要な作品もありますが,
ここではメカニズムの難易度のみを判定しています。
バラードやソナタなど演奏時間が長い作品は,難易度を1~2ランク上に設定しています。
人気度
作品の人気度について,きちんと統計をとるのは難しいため,
当サイト管理人の独断で,各作品の人気度を判定しています。
演奏時間
一般的なテンポで演奏したときの,おおよその演奏時間を記載しています。
作品番号
- 作品番号Op.1からOp.65までは,ショパン自身がつけた作品番号です。
- 作品番号Op.66からOp.74までは,ショパンの死後に,フォンナタがつけた作品番号です。
- WN整理番号は,ナショナル・エディション(エキエル版)で付与されている番号です。
- ショパンが生前に出版しなかった作品に番号が付けられています。
旧版と新版で一部番号が異なりますが,新版の番号を掲載しています。 - 作品番号がつけられずにショパンの生前に出版された作品には,Dbop.がつけられています。
- ショパンが生前に出版しなかった作品に番号が付けられています。
- BI整理番号は,モーリス・ブラウンが作成した,作品目録の番号です。
- KK整理番号は,クリスティナ・コピラニスカが,全作品を分類した整理番号です。
- Ⅴa;個人所有などで入手不可能な作品
- Ⅴb;ルドヴィカの作品目録に存在が確認される,失われた作品
- Ⅴc;ショパンの手紙に存在が確認される,失われた作品
- Ⅴd;フォンタナとスターリングの手紙から存在が確認される,失われた作品
- Ⅴe;その他の出典から存在が確認される,失われた作品
- Ⅴf;少年時代の作品
献呈
ショパンの時代の社交界・音楽界では「献呈」という文化がありました。
「献呈」とは作曲家が作品を特定の個人に捧げる行為です。
献呈者の名前は初版楽譜の表紙に明記されます。
お気に入りの作曲家や人気の作曲家の作品の表紙に名前が記載されることは,
大変名誉なことだったでしょう。
作曲家が貴族の保護なしには活動ができなかった時代です。
お世話になっている貴族へ献呈の打診をし,楽譜表紙に名前を入れて,初版楽譜を贈呈する,という貴族とのお付き合いは,昭和時代の日本のお歳暮やお中元のように欠かせないものでした。
ショパンが作品を献呈した献呈者をみると「~公爵」「~令嬢」「~男爵夫人」などと貴族の名前がずらりと並びます。
また,ショパンの時代には音楽家どうしで互いに作品を献呈しあうことで友情を深めるという付き合いもありました。
エチュードOp.10をリストに献呈したり,バラードOp.38をシューマンに献呈したりしています。
「献呈」は作品を出版する際に行われる行為です。
ショパン自身が生前に出版したOp.1からOp.65までの作品以外には,正式には献呈者が存在しないことになります。
しかし,ショパンが生前に出版しなかった作品であっても,特定の人物に贈呈されていることが多いですので,その場合は献呈者として掲載しています。その際は「※正式な献呈ではない」と注釈を入れています。
ショパン ポロネーズ【生前に出版された作品 ピアノ独奏曲 7曲】
Op.26 2つのポロネーズ
- 作曲;1831年(21才)~1836年(26才)
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1836年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1836年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1836年
- 献呈;ヨーゼフ・デッサウアー
- 自筆譜;ニューヨーク,ピアポント・モーガン・ライブラリー
ショパンが7才のとき,はじめて作曲したのはト短調と変ロ長調の2つのポロネーズでした。
その後20才でポーランドを発つまでに9曲のポロネーズを書いていますが,いずれも生前には出版されていません。
ショパンがポーランド時代に書いたポロネーズには,技巧的なパッセージが数多く使われています。
まるでピアノという発展途上の最新楽器の可能性を試しているかのようです。
ポーランド時代,ショパンにとってポロネーズはピアノ奏法の実験場だったのでしょう。
パリに出てきたショパンは,シューマンから大絶賛を受けたOp.2『ピアノとオーケストラのための,モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の「ラ・チ・ダレム・ラ・マノ」による変奏曲』 を皮切りに,フランス,ドイツ,イギリスという主要国での出版に勤しみます。
3年ほどの間に,練習曲集やバラード,スケルツォ,ピアノ協奏曲などの大作,マズルカやノクターンなどの小品集を次々と出版しましたが,この間,若い頃にあれだけ書いていたポロネーズを1曲も出版していません。
そして1836年,満を持してOp.26の2曲のポロネーズ,さらにはOp.22「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を出版します。
「ポロネーズ」はフランス語で「ポーランド風の」という意味であり,
宮廷舞踏音楽として国際的に認められたポーランド発祥の文化で,ポーランドの民族精神の象徴です。
ポロネーズはバッハやベートーヴェン,ウェーバー,シューベルトらも作品を書いていましたが,音楽界での主要ジャンルではありませんでした。
ショパンにとってポーランド人によるポロネーズの出版というのは重要な意味があったことでしょう。
ショパンが生前に出版したポロネーズは,ショパンの他の舞曲作品と比べると規模も大きく芸術性の高い作品が多く,思い入れの強さが感じ取れます。
1830年の11月蜂起の失敗を境に,ショパンにとって,ポーランド人にとっての「ポロネーズ」の持つ意味が大きく変わりました。
祖国ポーランドは地図上から消え,ショパンの故郷ワルシャワはロシアに占領されます。
亡命してパリ市民となったショパンは2度と祖国の土を踏むことはできません。
パリ市内には亡命したポーランドの文化人が集結していました。
「ポロネーズ」は憂国の士を慰め,奮い立たせる,魂の音楽なのです。
Op.26 -1 BI;90 ポロネーズ 嬰ハ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約7分30秒
ショパンが満を持して初めて作品番号をつけて出版したポロネーズです。
力強い嬰ハ短調のポロネーズと夢のように美しい変ニ長調の中間部との対比がすばらしい傑作です。
ポロネーズの中では演奏される機会の少ない作品ですが,ポロネーズの魅力が凝縮された隠れた名曲です。
当サイト管理人もお気に入りの作品で,子どものころにピアノの発表会で弾いた思い出があります。
ポロネーズの中では技術的にも弾きやすい作品ですので,まだ弾いたことがないという方はぜひ楽しんでいただきたい作品です。
余談ですが,自筆譜を見ると中間部の最後にfineと書き込んでいて,Da Capoは書かれていません。
フランス初版も自筆譜の記譜に従っています。
しかし,中間部を終えた後は冒頭に戻って主部をもう一度演奏するのは常識的な習慣です。
現在出版されている多くの楽譜がそうなっているように,Da Capoで最初に戻って,主部をもう一度演奏するのが自然でしょう。
Op.26 -2 BI;90 ポロネーズ 変ホ短調
難易度 【3】音大生レベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約7分30秒
荘厳で暗く重々しい作品です。
規模が複合三部形式に大きく拡大され,中期以降,Op.44以降のポロネーズを予感させます。
主部A-B-A–中間部–再現部A-B-Aという構成です。
主部Aは変ホ短調という珍しい調で書かれています。
ショパンは調号の多い調も気に入ってよく使っていて,変ホ短調の作品も5曲も書き遺しています。
主部Bは調号はのままですが,実際は変ト長調ではなく,C音に♮がつけられて変ニ長調になっていて,変ホ短調とは関係性の遠い調になっています。
中間部のロ長調も変ホ短調とは関係性の遠い調です。
Op.40 2つのポロネーズ
- 作曲;1838年(28才)
- フランス初版;パリ,E.トルプナ 1840年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1840年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1841年
- 献呈;ジュリアン・フォンタナ
- 自筆譜;ロンドン,英国図書館
*他に,フォンタナの筆写譜をワルシャワ国立図書館が所蔵
1838年,ジョルジュ・サンドとショパンは急速に親密さを増します。
1838年10月にはサンド,その2人の子どもたちとともにマジョルカ島へ静養に向かいます。
マジョルカ島では,まるで作り物の悲劇のように悲惨な状況に陥ります。
旅の疲れから体調を崩し,肺病だというウワサから島の人々からも酷い扱いを受け,生死の境をさまようような容体となります。
サンドの献身的な介抱がなければ命を落としていたことでしょう。
1839年になってようやくマジョルカ島を脱出し,2月14日バルセロナへ,そして2月24日にマルセイユへ到着し,南仏の温和な気候と,サンドによる栄養管理により,ようやく健康を取り戻すことになります。
この過酷な健康状態にありながら,作曲には精力的に取り組みます。
代表作は「24の前奏曲集 Op.28」です。
Op.40の2つのポロネーズもこの頃の作品になります。
ショパン・サンド一行は,1839年5月にマルセイユを発ち,6月1日にノアンに到着,
ノアンにあるサンドの別荘で夏を過ごします。
以降,夏はノアンで過ごすことが恒例となり,フランスの田園の陽光あたたかで静かな環境の中,ショパンは創造的な夏を過ごすことになります。
1839年の夏も,変ロ短調のソナタOp.35や嬰ハ短調のスケルツォOp.39など傑作を生み出しています。
夏が過ぎ,1839年10月11日,約1年ぶりにパリに帰ることになります。
パリから離れていた1年間,ショパン自筆の原稿を清書したり,出版社と交渉したりと奔走したのが,ユリアン・フォンタナでした。
フォンタナは学生時代からの友人で,出版の手伝いだけでなく,手袋を送ってほしい,香水を送ってほしい,石鹸を送ってほしい,など個人的な遣いもこなし,アパート探し,家具探し,ベッドの修理,住居の管理,家賃の支払い,郵便物の転送,召使いの雇入など,お人好しのフォンタナはなんでもやってあげました。
※サンドとの関係を両親に知られたくなかったショパンは,両親への手紙をいったんフォンタナに送り,フォンタナから両親宛に投函してもらっていました。
1840年に出版されたOp.40のポロネーズは,そんなフォンタナに献呈されています。
Op.40 -1 BI;120 軍隊ポロネーズ イ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約5分
ショパンの作品の中でも屈指の有名作品です。
ショパンの作品には珍しく,力強く明るい曲調に終始します。
中間部ではニ長調に転調しますが,曲想に変化はあらわれません。
ショパンらしい詩的な旋律や,色彩豊かな和声の移ろいなどがなく,ストレートで気持ち良い表現が徹底されています。
構成はシンプルな複合三部形式で,構成も和声も清々しいほど素直に作られています。
荘厳で暗く重々しいOp.40-2との対比がすばらしいです。
軍隊ポロネーズは,1841年4月26日,プレイエル・ホール (サル・プレイエル) での3年ぶりのパリ演奏会でも演奏されました。
Op.40 -2 BI;121 ポロネーズ ハ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約7分
Op.40-1軍隊ポロネーズと曲想が一変します。
Op.40-1だけを単独で演奏すると屈託のない陽気な音楽ですが,Op.40-2とセットで演奏されることで,互いに曲想が強調されます。
単に「明るい」「暗い」という対比だけでなく,Op.40-2は構成も和声もショパンらしい凝ったものになっていて,構成も和声も素直に作られているOp.40-1との対比が鮮やかです。
ポロネーズの中では比較的演奏機会の少ない作品ですが,深い内容を備えた名曲です。
Op.44 BI;135 ポロネーズ 嬰ヘ短調
難易度 【4】プロレベル
人気度 【4】名曲・代表作
演奏時間 約10分30秒
- 作曲;1841年(31才) *1840年(30才)かも
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1841年
- ドイツ初版;ウィーン,P.メケッティ 1841年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1842年
- 献呈;シャルル・ド・ボーヴォー公爵夫人(旧姓コマール)
*親しい友人だったデルフィナ・ポトツカ伯爵夫人の妹 - 自筆譜;紛失
1840年の夏は経済的事情があり,ノアンに行くことはできず,パリで過ごしています。
サンドが書いた劇作が1840年の春に上演されたのですが,この公演が失敗したことによる経済的打撃でした。
病弱で気の弱いショパンはサンドのたくましさにいつも助けられていましたが,
サンドが苦しいときにはショパンが心の支えとなり,二人の愛がますます深まっていきました。
Op.44のポロネーズはそんな時期に書かれた作品で,ショパンの代表作の一つです。
より大きな構想のもとに豊かに作品が構築され,一段と大きなスケールへと結実しています。
「もうポーランドに帰ることはできないかもしれない」と思いはじめていた時期でした。
Op.44のポロネーズは中間部にマズルカを配し,ポーランドの精神を象徴する民族音楽で書かれています。
複合三部形式で書かれていますが,構成はより複雑で巨大になっています。
序奏–主部(A-B-A-B-A-C-B-C)–中間部(マズルカ)–序奏–再現部(A-B-A)–コーダ
という構成になっています。
随所に演奏技術を要する箇所があり,メカニズム的な難易度では,ポロネーズの中でも一番難易度の高い作品です。
技巧的な音型が目立つのは,初期のポロネーズに通じるところがありますが,単なる技巧の表現にとどまらず,芸術的な演奏表現として高みに昇華しています。
メカニズム的な難易度は高い作品ですが,演奏時間が10分を越える大作でありながら構成が明確なので曲としてまとめるのは比較的容易です。
Op.53 BI;147 英雄ポロネーズ 変イ長調
難易度 【4】プロレベル
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約6分30秒
- 作曲;1842年(32才)
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1843年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1843年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1845年
- 献呈;オーギュスト・レオ
- 自筆譜;ニューヨーク,ピアポント・モーガン・ライブラリー
ショパンの最高傑作!
「ショパン名曲アルバム」の常連中の常連で,高い芸術性に込められた精神の崇高さ,技術的難易度,高い人気を誇り,ショパンの最高傑作候補の筆頭です。
ショパンの作品というよりも,あらゆるピアノ作品の代表作といっても良いでしょう。
ショパン作品の芸術的頂点でありながら,決して難解な音楽ではなく万人受けする容受の深さを兼ね備えています。
繰り返されるキャッチーで壮麗な旋律,16小節をかたまりとする簡明な様式から,アナリーゼ(楽曲分析)など不要で誰でも1度聴いただけでこの作品に魅了されます。
雄大,華麗でありながら決して暴力的ではなく,健康的で明るい曲調の奥からは闘志と共に深い絶望が,そして僅かながらも美しい希望が伝わってきます。
技術的な難所も多く,特に中間部左手オクターブの連打は有名です。
しかし大道芸的パフォーマンスで観客ウケを狙うものではなく,高い芸術性と崇高な精神の表現として昇華されています。
高い芸術性をもちながら,大衆にも分かりやすく気軽に楽しむことができる傑作で,
万人に崇高な感動を与える名曲です。
傑作の数々を生み出した1842年ノアンの夏
ジョルジュ=サンドとの交際も5年目となる1842年の夏の作曲。
ジョルジュ=サンドとの交際期間は,夏はサンド所有のノアンの別荘で過ごし,以外の季節はパリで暮らす生活を送っていました。
3度目のノアンでの夏となる1842年の夏,ショパンはノアンの別荘で数々の傑作を生み出しています。
サンドとの交際は1838年にはじまりましたが,1838年は11月からマジョルカ島で過ごし,1840年は経済的問題からノアンに行くことができなかったので,1842年の夏が3度目のノアンになります。
1841年の4月に続き,1842年2月のパリでの演奏会が大成功を収めており,経済的な余裕のあった年でした。
1842年5月,学生時代からの友人だったヤン・マトゥシンスキが結核で亡くなりショパンはショックで体調を崩します。
ショパンは生来体が弱く(結核を患っていた),精神面が体調に影響する性格で,このときもずっと床に伏したままになるほど衰弱してしまいました。
静養のため,サンドとショパンはノアンへいき,6月に親友のドラクロワが遊びに来たことで,ショパンは元気を取り戻しました。
この夏に作曲された傑作の数々は,ドラクロワとの芸術談義の影響が色濃く反映されています。
技巧的な余分なものが徹底的に排除され,あくまでも簡潔に処理されていながら,より大きな構想のもとに綿密に組み立てられ,細部にまで分析的な心遣いが示され,驚くばかりに豊かで強烈な印象深い作品が作り上げられています。
この夏は,英雄ポロネースOp.53,バラード第4番ヘ短調Op.53,スケルツォ第4番Op.54,即興曲第3番変ト長調Op.51などの傑作が生み出されています。
Op.61 BI;159 幻想ポロネーズ 変イ長調
難易度 【4】プロレベル
人気度 【4】名曲・代表作
演奏時間 約14分
- 作曲;1845年(35才)~1846年(36才)
- フランス初版;パリ,ブランデュ 1846年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1846年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1846年
- 献呈;A.ヴェイレ夫人
- 自筆譜;ワルシャワ国立図書館
ショパン最後の大作
ショパン最晩年の傑作で,舟歌Op.60,チェロ・ソナタOp.65とともに,ショパン最後の大曲です。
ショパンの作品には珍しく,すぐには理解できない難解な音楽です。
ショパンの熱狂的なファンであったフランツ・リストでさえ,この曲はすぐには理解できなかったそうです。
20世紀に入ってから,アルトゥール・ルービンシュタインやウラジーミル・ホロヴィッツらが頻繁にプログラムに取り入れたことにより作品の価値が理解され,現在では屈指の人気曲になっています。
高尚で難解な作品の魅力を分かりやすく聴衆に伝える一流ピアニストの表現力は,改めてスゴイと感じます。
特に,ピアニストや音大生などの専門家やショパン愛好家のあいだで評価の高い作品で,
2010年のショパンコンクールでは,初の共通課題曲となっています。
世俗の醜さから解き放たれるような神聖な音楽
1845年の夏もノアンで過ごしますが,サンド家の内紛に巻き込まれて不快な日々を送ります。
サンドの息子モーリスのショパンへの敵意は明らかなものになっていました。
モーリスを溺愛するサンド,ショパンに敵意を顕にするモーリス,兄モーリスと中の悪い妹ソランジュ,ソランジュが甘えソランジュをかばうショパン,という家庭内での敵対関係がかたまっていきます。
この状況の中,さらにサンドは親戚の娘であるオーギュスティーヌを養女にしようとします。
オーギュスティーヌを母サンドが可愛がるため,ソランジュは嫉妬してオーギュスティーヌを賤しい生まれだとバカにします。
オーギュスティーヌに興味を持ちはじめたモーリスはそんなソランジュを責めて激しい兄弟喧嘩となります。
ソランジュはショパンに訴えてかばってもらいます。
モーリスはますますショパンを憎むようになり,オーギュスティーヌも巻き込んで嫌がらせをするようになります。
ショパンにとって,家族や家庭生活は幼い日神聖な思い出であり,魂の故郷でした。
そんなショパンにとって,諍いの絶えないノアンでの生活は,私たちの想像以上に神経を疲弊させたものと思われます。
サンド一家とのいざこざで不快な毎日を送る中,作曲には精を出し,後期の傑作が生まれ作曲家として絶頂期を迎えます。
その作品は実生活の俗事から解き放たれ,別次元の神聖な霊気の中で書かれたかのような神々しい美しさに満ちています。
ショパン自身がつけた標題「幻想ポロネーズ」
「幻想ポロネーズ Polonaise-Fantaisie」というタイトルはショパン自身がつけた標題です。
ショパン自身が曲に標題をつけることは珍しく,明確な標題をつけたのは唯一「幻想ポロネーズ」だけになります。
最晩年の大作である「舟歌」や「チェロ・ソナタ」は今までショパンが手掛けたことがないジャンルの開拓でした。
さらに,ショパン自身はどこにも分類することができない新しいジャンルの曲に取り組みます。
ポロネーズのリズムが土台にありながら,ポロネーズの様式からはかけ離れていて,幻想曲のようなこの作品にショパンは「幻想ポロネーズ」と名付けました。
ショパンコンクールではポロネーズのグループではなく,バラードやスケルツォのグループに組み入れられています。
複雑な和声と自由な形式による独創的で巨大な作品
長大な序奏と5つの主題が不規則に自由に出てくるため,構成がはっきりしません。
それぞれの主題は長大で,小曲一曲分にも及びます。
個性や主張の強くない,しかも似たような曲調の主題ばかりで,新しく出てきた主題が,既出の主題の発展なのか,それとも新しく出てきた主題なのか,すぐには判別できません。
重要な主題であるように見えて,一度も回帰しない主題もあります。
1回や2回聴いただけでは全体像を把握することはできませんし,
全体像が把握できるまでは,今この瞬間が作品のどんな位置でどんな役割を担っているのかが分からず,最初から最後まで約15分,集中力を切らせずに聴き続けることも難しいでしょう。
頻繁に転調を繰り返し,和声も複雑で,より一層作品を難解なものとしています。
難解で理解しにくい巨大な作品ですが,繰り返し聴いて(弾いて)いると,しだいに惹き込まれていく不思議な魅力があります。
ショパンは幻想ポロネーズを出版したのち,急速に気力も体力も衰えてほとんど作曲ができなくなってしまい,幻想ポロネーズは白鳥の歌となりました。
しかし,ショパンがあと数年だけでも気力と体力が衰えなければ,幻想ポロネーズは新境地の始まりだった可能性もあります。
幻想ポロネーズはショパンの芸術の最終到達点であるともいえますし,新しい芸術の世界への扉を開く出発点だったともいえるでしょう。
ショパン ポロネーズ【生前に出版された作品 ピアノ独奏曲以外 2曲】
Op.3 BI;41,52 ピアノとチェロのための,序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調
難易度 【4】プロレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約9分30秒
- 作曲;1829年(19才)~1830年(20才)
- フランス初版;パリ,S.リショー 1835年
- ドイツ初版;ウィーン,P.メケッティ 1833年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1836年
- 献呈;ヨーゼフ・メルク
- 自筆譜;紛失
ワルシャワ時代のショパンを引き立てていた貴族の一人が,ポズナン大公国の総督だったラジヴィウ公です。ラジヴィウ公は自身も作曲をたしなむほど芸術に造詣が深く,チェロが弾けました。またその娘ワンダもピアノが弾けました。
ショパンはラジヴィウ公に『ピアノ三重奏曲 Op.8』を献呈しています。
『序奏と華麗なるポロネーズ Op.3』もこの頃の作曲なので,ラジヴィウ公のために書いたのでしょう。
健康的で明るい曲調のさわやかなポロネーズです。
チェロパートが補強された編曲版があり,現代ではこちらで演奏されることが多いです。
Op.22 ピアノとオーケストラのための「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」変ホ長調
難易度 【5】最高難易度 *オーケストラと協演した場合
難易度 【4】プロレベル *ピアノ独奏の場合
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約14分30秒
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1836年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1836年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1836年
- 献呈;デステ男爵夫人
- 自筆譜;行方不明
- アンダンテ・スピアナートの部分
- BI;88
- 作曲;1834年(24才)
- ポロネーズの部分
- BI;58
- 作曲;1831年(21才)
絢爛豪華な装飾音に彩られた華やかな作品で,初期の傑作の一つです。
オーケストラパートは和声を多少増強する程度の役割しかなく,ピアノパートだけでも演奏が成り立つため,現代ではピアノパートのみを独奏するのが一般的です。
「ポロネーズ」が芸術音楽のメジャーなジャンルとして認知されるようになった記念碑的作品です。
ショパン ポロネーズ【ショパンの死後にフォンタナが校訂して出版した作品 3曲】
Op.71 3つのポロネーズ
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
未発表の作品の中から,フォンタナは3曲のポロネーズを選んでOp.71として出版しています。
Op.71 -1 WN;11 BI;11 ポロネーズ ニ短調
難易度 【3】音大生レベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約5分30秒
- 作曲;1825年(15才)~1827年(17才)
- 献呈;ティトゥス・ヴォイチェホフスキ ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;紛失
作曲年は諸説あり,14才の作品であるという説もあります。
華麗なテクニックを要する作品で,少年フレデリックの演奏技術の高さが窺い知れます。
複合三部形式のしっかりとした構成で作られています。
Op.71 -2 WN;17 BI;24 ポロネーズ 変ロ長調
難易度 【3】音大生レベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約7分30秒
- 作曲;1829年(19才) *1828年(18才)かも
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
*ルドヴィカの筆写譜をワルシャワ,ショパン協会が所蔵。
ショパンはこれだけ音楽の才能に溢れながら,中等部は音楽の専門学校ではなく,父ニコラスがフランス語の教授をしていたワルシャワ高等中学校に入学します。
フレデリックの将来を考えた父ニコラスの教育方針によるもので,結果としてフレデリックは幅広い教養を身につけることになります。
ショパンは学業も優秀で,ワルシャワ中等学校では賞状を2回ももらっています。
特にポーランドの歴史を好んで学んだとのことです。
そして,16才になるといよいよワルシャワ音楽院に入学しました。
入学以前から音楽院の校長であったエルスナーに作曲の個人指導を受けていましたが,本格的に音楽理論や作曲法を学ぶことになりました。
エルスナーからは「顕著な才能」「音楽の天才」という破格の評価を得ています。
この変ロ長調のポロネーズには音楽院での学習の成果があらわれています。
他の初期のポロネーズと同様に難易度の高い技巧が用いられていますが,単なる名人芸の披露ではなく,音楽の芸術性と深い関わりをもつように進化しています。
より拡大された複合三部形式は,後年の円熟したポロネーズも予感させます。
Op.71 -3 WN;12 BI;30 ポロネーズ ヘ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約7分
- 作曲;1826年(16才)~1828年(18才) *完成は1829年(19才)かも
- 献呈;なし
- 自筆譜;ワルシャワ,ショパン協会
ラジヴィウ公のもとを出入りしていたころの作品です。
余分な名人芸的側面が削ぎ取られ,充実した内容の良作です。
ワルシャワ時代の初期のポロネーズの中では,突出して完成度の高い作品です。
新しい奏法を開拓しようという意気込みがあまり感じられず,面白みにかける作品だとも言えます。
ショパン ポロネーズ【後年に出版された作品 6曲】
ショパン7才 最初の作品
ショパンは幼少にして稀に見る音楽的才能を示しました。
4才にまだならないころには自らすすんでピアノの椅子によじのぼり,調和の良い和音を鳴らして遊んだといいます。
また,母親が弾くピアノを聴いて,感極まって涙を流したといいます。
4才になると,耳にしたメロディーをピアノで再現したり,新しい旋律を作ったりして遊ぶようになります。
母親が聴かせた舞曲の旋律を真似して繰り返し弾いているフレデリックの様子を見て,両親は姉ルドヴィカにピアノの手ほどきをさせることにしました。
6才になると,チェコ生まれのヴァイオリニストで,ピアノ教授の仕事もしていたアダルベルト・ジヴニーのもとで本格的にピアノを習い始めます。
フレデリックの即興演奏はすぐに評判となり,神童としてワルシャワの貴族社会に知られる存在となります。
そして,7才になるとショパンは初めての作品を書き遺します。
この2曲のポロネーズは確固たる三部形式で作られていて,主部と中間部の対比も鮮やかで,とても7才の子どもが書いた作品とは思えない構成と和声を備えています。
ショパンの特徴である詩情豊かな旋律美は既に備わっており,将来の名作たちが生まれる予感に満ちています。
WN;2 BI;1 KK;IIa-1 ポロネーズ ト短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分
- 作曲;1817年(7才)
- 他国初版;ワルシャワ,J.J.チブルスキ 1817年
- 献呈;ヴィクトワール・スカルベク伯爵令嬢 ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;行方不明
ショパンが初めて作曲したポローネズのうちの1曲で,ショパンの代父であるスカルベク伯爵の協力により,ポーランドで数少ない出版印刷業を営んでいたジブルスキ神父の印刷工場で印刷・出版されました。
WN;1 BI;3 KK;IVa-1 ポロネーズ 変ロ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分
- 作曲;1817年(7才)
- 他国初版;クラコフ,S.A.クシジャノフスキ(Z.ヤヒメツキ編) 1947年
※初版は1834年出版かも。 - 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
*ジヴニーの筆写譜が1937年に発見されたが,第二次世界大戦で紛失。
写真をワルシャワ,ショパン協会が所蔵。
ショパンが初めて作曲したポローネズのうちの1曲です。
ハツラツとした主部と叙情的な中間部との対比がすばらしい小品です。
7才といえば,小学1~2年生ですからね。
信じられない完成度です。
当サイト管理人は,ちょうどショパンが作曲したときと同じ年齢のときにピアノの発表会で弾いた思い出の作品です。
WN;3 BI;5 KK;IVa-2 ポロネーズ 変イ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約4分30秒
- 作曲;1821年(11才)
- ドイツ初版;ベルリン,ムジーク誌 1908年
- 他国初版;ワルシャワ,ゲベトナー・アンド・ヴォルフ 1902年
- 献呈;ヴァイヴェフ・ジヴニー ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;ワルシャワ音楽協会 *現存する,最も古い自筆譜
ショパンの作品として確認できる最も古い作品は,ショパンが7才のときに作曲した2曲のポロネーズと軍隊行進曲の3作品です。
その次に確認されている作品が,11才のときに作曲されたこの変イ長調のポロネーズになります。
最初の作品から4年もあいており,この4年のあいだ,記録に残っていない作品がたくさんあったのではないかと想像できます。
7才で発表した2曲のポロネーズの完成度があまりにも高いため,それに匹敵するような作品ができるまでは作品として完成させることがなかったのかもしれません。
11才のときに作曲された変イ長調のポロネーズは,旋律,和声,ピアノ演奏技巧において斬新な創意工夫に満ちており,ショパンの天才がすでに開花していることが分かります。
聖名祝日の贈り物としてジヴニーに贈られています。
このポロネーズはショパンの自筆譜が現存していて,これが現存する最古のショパンの自筆譜になります。
自筆譜は細部まで美しく書き込まれていて,音楽的才能だけでなく,理知的な知性も感じます。
とても11才の少年が書いたものとは思えません。
WN;4 BI;6 KK;IVa-3 ポロネーズ 嬰ト短調
難易度 【3】音大生トップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約6分30秒
- 作曲;1822年(12才) *1822~27年ごろの作曲
- ドイツ初版;マインツ,B.ショット 1864
- 他国初版;ワルシャワ,J.カウフマン 1864年
- 献呈;ソフィー・デュポン夫人 ※正式な献呈ではない
- 自筆譜;紛失
*写譜者不明の筆写譜をマインツ,B.ショット社が所蔵。
*他に,別の写譜者不明の筆写譜をワルシャワ,ショパン協会が所蔵。
作曲年には諸説ありますが,一説では12才のときの作品となっています。
超絶技巧というべき技巧的なパッセージが散りばめられており,ピアノ技術が発展した現代であっても,12才でこの作品が演奏できる少年は中々いないでしょう。
ショパンは12才にして非常に高い演奏技術を獲得していたことが分かります。
作品の構成はより複雑なものとなり,演奏時間が6~7分におよぶ規模の大きな作品となっています。
また,嬰ト短調という調性の選択にも驚きます。
当時,これだけ調号の多い作品は珍しく,非常に挑戦的な作品だったといえます。
WN;10 BI;13 KK;IVa-5 別れのポロネーズ 変ロ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約4分
- 作曲;1826年(16才)
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,旧全集版・第XIII巻 1879年
- 他国初版;ワルシャワ,エコー・ムジカル 1881年
- 献呈;ヴィルヘルム・コールベルク ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;紛失
中間部の冒頭に「Au revoir! またね!」と書き込まれていることから「別れのポロネーズ」と呼ばれています。
1826年の夏休みにショパンは母と姉ルドヴィカ,妹エミリアと4人でシレジア地方のライネルツ(現在のドゥシニキ)に湯治に向かいます。
この旅行へ旅立つときに,友人のコールベルクに贈られた作品であり,「別れ」といっても「旅行に行ってくるよ!」という軽い別れの挨拶になります。
ショパンとコールベルクは夏休みの前にワルシャワ国立劇場にロッシーニの「どろぼうかささぎ」を観に行っており,ポロネーズの中間部には,この「どろぼうかささぎ」のアリアが用いられています。
一緒に観劇にいった思い出を喚起させる仕掛けとなっています。
WN;35 BI;36 KK;IVa-8 ポロネーズ 変ト長調
難易度 【3】音大生レベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約7分
- 作曲;1830年(20才) *1829年(19才)かも
- ドイツ初版;マインツ,B.ショット 1870年
- 他国初版;ワルシャワ,J.カウフマン 1870年
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
*写譜者不明の筆写譜をマインツ,B.ショット社が所蔵。
ワルシャワを発つ直前の作曲だと思われます。
生前出版された主要作品群にも引けを取らない深い内容を備えた完成度の高い作品です。
現代人にとって,こういった作品が失われずに手軽に譜面が入手できるというのは幸せなことです。
今回は以上です!