ショパン全作品一覧【備考】
ショパン全作品一覧【備考】は全ページ同じ内容ですので,一度ご覧いただいた方は
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難易度
作品の演奏難易度というのは客観的に示すのは難しいため,
思い切って主観的に難易度を判定しました。
一般的なテンポで楽譜通り音を鳴らすメカニズムの難易度を,当サイト管理人の主観で判定しています。
メカニズムの難易度が低くても,音楽的に演奏するには高い表現力や構成力が必要な作品もありますが,
ここではメカニズムの難易度のみを判定しています。
バラードやソナタなど演奏時間が長い作品は,難易度を1~2ランク上に設定しています。
人気度
作品の人気度について,きちんと統計をとるのは難しいため,
当サイト管理人の独断で,各作品の人気度を判定しています。
演奏時間
一般的なテンポで演奏したときの,おおよその演奏時間を記載しています。
作品番号
- 作品番号Op.1からOp.65までは,ショパン自身がつけた作品番号です。
- 作品番号Op.66からOp.74までは,ショパンの死後に,フォンナタがつけた作品番号です。
- WN整理番号は,ナショナル・エディション(エキエル版)で付与されている番号です。
- ショパンが生前に出版しなかった作品に番号が付けられています。
旧版と新版で一部番号が異なりますが,新版の番号を掲載しています。 - 作品番号がつけられずにショパンの生前に出版された作品には,Dbop.がつけられています。
- ショパンが生前に出版しなかった作品に番号が付けられています。
- BI整理番号は,モーリス・ブラウンが作成した,作品目録の番号です。
- KK整理番号は,クリスティナ・コピラニスカが,全作品を分類した整理番号です。
- Ⅴa;個人所有などで入手不可能な作品
- Ⅴb;ルドヴィカの作品目録に存在が確認される,失われた作品
- Ⅴc;ショパンの手紙に存在が確認される,失われた作品
- Ⅴd;フォンタナとスターリングの手紙から存在が確認される,失われた作品
- Ⅴe;その他の出典から存在が確認される,失われた作品
- Ⅴf;少年時代の作品
献呈
ショパンの時代の社交界・音楽界では「献呈」という文化がありました。
「献呈」とは作曲家が作品を特定の個人に捧げる行為です。
献呈者の名前は初版楽譜の表紙に明記されます。
お気に入りの作曲家や人気の作曲家の作品の表紙に名前が記載されることは,
大変名誉なことだったでしょう。
作曲家が貴族の保護なしには活動ができなかった時代です。
お世話になっている貴族へ献呈の打診をし,楽譜表紙に名前を入れて,初版楽譜を贈呈する,という貴族とのお付き合いは,昭和時代の日本のお歳暮やお中元のように欠かせないものでした。
ショパンが作品を献呈した献呈者をみると「~公爵」「~令嬢」「~男爵夫人」などと貴族の名前がずらりと並びます。
また,ショパンの時代には音楽家どうしで互いに作品を献呈しあうことで友情を深めるという付き合いもありました。
エチュードOp.10をリストに献呈したり,バラードOp.38をシューマンに献呈したりしています。
「献呈」は作品を出版する際に行われる行為です。
ショパン自身が生前に出版したOp.1からOp.65までの作品以外には,正式には献呈者が存在しないことになります。
しかし,ショパンが生前に出版しなかった作品であっても,特定の人物に贈呈されていることが多いですので,その場合は献呈者として掲載しています。その際は「※正式な献呈ではない」と注釈を入れています。
ショパン マズルカの難易度
マズルカはショパンの他の作品と比べると技術的な難易度は低いですが,「マズルカは特別に難しい」というのがピアニストの間での共通認識でしょう。
マズルカは「マズレクのリズムを持つ舞踏・舞曲」のことをさし,「マズレク mazurek」というのが正式な名称になります。
マズルカ(マズレク)という舞踏があるのではなく,いくつかの舞踏の総称になります。
マズルカに分類される舞踏には「マズル」「クヤヴィヤック」「オベレク」「オベルタス」「オクロングウィ」「オブラツァニ」などがあります。
この中でも「マズル」「クヤヴィヤック」「オベレク」の3つの舞踏が差別化されて,ポーランド全体でより特別な舞踏として認知されるようになります。
ショパンもマズレクの中から「マズル」「クヤヴィヤック」「オベレク」の3つの舞曲を作品に取り入れ,これらの特徴を活かしながら融合して「マズルカ」という新しい芸術音楽のジャンルを作りました。
2拍子系の舞踏である「クラコヴャク」の特徴も盛り込まれています。
ショパンはポーランドで暮らした学生時代,夏休みにはポーランドの田舎に滞在して,ポーランドの農村の生きた舞踏に接しています。
ポーランドの農民たちがヴァイオリンを弾き,民謡を合唱し,代わる代わる歌い手になったり,踊り手になったりしながら,北欧の夏の長い黄昏を楽しんでいるのを興味を持って眺めていました。
村の居酒屋の音楽に聴き入り,祭りや婚礼にも参加して,歌詞や旋律を記録していきました。
演奏に飛び入り参加することもあったとのことです。
幼い頃から,ヨーロッパ社交界の中でも,特に教養が高いと定評のあったワルシャワ貴族社会で暮らしてきたショパンにとって,ポーランド土着の農民たちの持つ素朴な民族的な音楽に触れ,深く感銘を受けました。
きわめて単純で,それだけに純粋に保たれているポーランドの民族音楽は,新鮮な魅力を持って少年フレデリックを魅了しました。
あたかも世界の文化の外に取り残されたような農民たちは,わずかに音楽とお酒によってその希望なき明け暮れの苦しさを紛らしているような生活の中,純真さと楽天的な性格を保ち続け,しかも愛国心に溢れていたことは,少年フレデリックの人生観に大きな影響を与えました。
同じマズルカに分類される3つの舞曲ですが,テンポもリズムも曲調もまるで違います。
譜面通り正確に演奏しただけでは,それぞれの舞曲がもつ独特なニュアンスは表現できません。
ここが「マズルカ」を演奏する最大の難関となります。
これらの舞踏を見たり踊ったりしたことがある日本人はほとんどいないでしょうから,
「マズルカ」を正しく理解して演奏できる日本人はほとんどいない,ということになります。
しかもショパンの「マズルカ」はこれらの舞曲を混ぜて融合して作品を書いていて,メロディーは「クヤヴィヤック」なのにリズムは「マズル」などということがあります。
さらに,ショパンは民族音楽をそのまま使っているのではなく,全てがショパンのオリジナルです。
民族音楽が高い芸術性を持つ舞曲として「ショパン流」にアレンジされています。
それぞれの舞曲を体感したことがなければ,「ここはマズルだけど,ここはオベレクだ」といったようなことも分からず,さらに土着の民族音楽から,どのように「ショパン流」にアレンジされているのかも分かりません。
我々日本人にも「音楽的に美しく演奏されているか,いないか」は聴けば分かります。
しかし「ポーランドのフィーリングが備わっているのか,いないのか」は判断ができません。
理解できていないものは,演奏表現などできるわけもありません。
世の中のマズルカの演奏は,何も理解できていないまま,有名ピアニストの演奏を参考にして,何となく音を鳴らしているような演奏ばかりだと言ってもよいでしょう。
ただし,これは日本人に限ったことではなく,現代のポーランド人も「生きた」マズルカに接する機会はほとんどなくなってしまっているとのこと。
このままポーランドの農村の都市化が加速すると,ショパンが作曲した当時のオリジナルのマズルカは消えていく運命にあるのかもしれません。
このように,マズルカはメカニズム的には決して難しくないのですが,ポーランドの感覚を備えた演奏は難しい,というよりも,どのように演奏するのが良いのか「分からない」という作品群になります。
どういった演奏が「ポーランドの」マズルカなのか,が理解できれば,それを目指して訓練を積むことができますが,ゴールが見えないため,ゴールを目指すことそのものができない,そんな作品群です。
2021年現在,ポーランド土着のフィーリングを具現化しようとしている挑戦的な演奏は「不自然だ」ととらえられ,
譜面通り小綺麗に表現した演奏が好まれる傾向にあります。
- ポーランド人も「こんな風に弾かないとダメだ」とは言わない
- ポーランド人も幅広い自由な解釈を認めている
- マズルカの演奏に正解も不正解もない
- ポーランド風であるかどうかではなく,演奏が感動的であることが大切
- 最終的には「ポーランドのマズルカ」ではなく「”私の”マズルカ」じゃないとダメ
などというように,音楽的に洗練された演奏であればそれで良いのだ,という考えが主流になりつつあります。
ショパンが作曲した当時のポーランドの土着のフィーリングが生き残るのか,
小綺麗に整った現代流のマズルカが定着してしまうのか,今は分岐点にあるように感じています。
近代化は悪いことばかりではなく,日本にいてもYou Tubeなどでポーランド人が踊るマズルカやポロネーズ,クラコヴャクなどを気軽に楽しむことができるようになりました。
ポーランド人が踊る様子は,勢いよく回転を繰り返しながら,飛んだり,跳ねたり,「ヘイ!」という威勢のよい掛け声や,「ダン!ダン!」という足踏み,手拍子など躍動感にあふれています。
バクパイプによる低音の持続音も印象的です。
ショパンのマズルカも,付点音符が多用され,アクセントが1拍目だけでなく,2拍目や3拍目に頻繁に移動し,リズムが飛んだり跳ねたりします。
伴奏にはバクパイプのような空虚5度がよく使われています。
これらの映像資料を見たあとでは,小綺麗で整ったマズルカの演奏は,マズルカが本来備えている魅力が損なわれていると感じます。
世界中でポーランドの風景が気軽に見られるようになったわけですから,やがてポーランドの民族色あふれる演奏が世界中で聴かれるようになるのではないかと期待しています。
You Tubeで見つけた動画をいくつか貼り付けておきます!
ショパン マズルカの人気度
この記事ではショパンのマズルカを67曲掲載していますが,そのうちの7曲は,
- 3曲は他の作品の草稿
- 4曲はショパンの作品であることが疑わしい作品
であり,ショパンがその生涯で作曲したマズルカは全部で60曲ということになります。
ショパンが遺した作品258曲のうち,実に60曲がマズルカであり,
これはショパンの作品全体の23.3%におよびます。
ショパンの作品の4分の1を占めるマズルカですが,ショパンの作品の中では比較的演奏される機会の少ない作品が多く,一般的には聴き馴染みのない作品ばかりです。
他のジャンルと同じ基準でマズルカの人気度を掲載すると,ほとんどが【2】レア作品となってしまいます。
そこで,マズルカについては当サイト管理人の評価基準を甘くして,本来は【3】隠れた名曲として掲載しています。
(レア作品)として掲載すべき作品の中からいくつかをまた,【4】名曲・代表作や【5】有名作品 として掲載する基準も甘く設定しました。
ショパンが好きでも,マズルカはほとんど聴いたことがない・弾いたことがない,という方も多いかもしれません。
曲数も多いですし,標題のつけられた作品もなければ,代表作として有名な作品もありません。
マズルカに興味があっても,どの曲を聴けば良いのか分からない,だからといって全部を聴くのは大変,「マズルカ全集」を買って聴いてみたけどよく分からなかった,そんな感じではないかと思います。
マズルカはたしかに地味で分かりにくい作品が多いです。
しかし,繰り返し聴くとジワジワとその魅力に惹き込まれていくような味わい深い作品が多く,当サイト管理人はショパンのマズルカも大好きです。
マズルカは小品ばかりとはいえ,全曲を通して聴くと2時間以上かかります。
全曲を通して聴くのではなくて,いくつかの作品に絞って繰り返し聴いていただく方が,より作品の魅力が理解しやすいのではないかと思います。
まずは。 や , の作品からいくつか選んで,繰り返し聴いてみていただくと良いのではないかと思います
お気に入りの曲がいくつかできてくると,他の作品の魅力も感じやすくなると思います。
ショパンは10才前後からマズルカを書き始め,死の直前,病床に伏せながら書いた絶筆もマズルカでした。
マズルカを書かなかった年はほとんどなく,生涯にわたって書き続けられました。
初期の作品は民族色が濃いものや将来を見据えた習作を書いています。
中期には規模が大きくなり,晩年には無調音楽に近い先進的で枯れた作風となり,その時々のショパンの内面が色濃く反映されています。
同じポーランドの民族音楽であるポロネーズは,ショパンの成長に従ってより華麗に,技巧的に,力強く拡大していきました。
一方マズルカは技巧的にも形式的にもより単純化され,内面的な表現に向かっています。
ショパンが日記のように生涯書き続けた珠玉の作品たちをぜひ楽しんでください!
ショパン マズルカ【装飾音の奏法が鍵】
マズルカらしい躍動感やリズム感を生み出す要素はいくつかありますが,特に装飾音の奏法が鍵となります。
ショパンのマズルカは,技術的に優れた演奏にも関わらずリズム感が悪い演奏というのがよくあります。
そして,装飾音の扱いを間違えていることが原因であることが多いです。
優れたマズルカの演奏には,目の前に楽しげに踊る様子が思い浮かぶような躍動感とリズム感が備わっています。
それはまるでピアノで踊っているかのようです。
ショパンの装飾音の奏法については体系的にまとめてありますので,ぜひご覧ください!
ショパン マズルカ【生前に出版された作品 43曲】
Op.6
- 作曲;1830年(20才) *1832年(22才)より以前に作曲
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1833年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,F.キストナー 1832年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1833年
- 献呈;ポーリーヌ・ブラーテル伯爵令嬢
自筆譜は世界中に散在していますので,各曲に記載します。
ショパンが主要国であるフランス,ドイツ,イギリスで初めて作品を出版したのは1833年,23才のときでした。
おそらくポーランド時代から温めてきたであろう力作をラインナップして,1833年のうちに多くの作品を出版しています。
Op.2の変奏曲は,ロベルト・シューマンが音楽誌で「諸君帽子をとりたまえ,天才だ!」と大絶賛の記事を書いたことで,ショパンの名前が音楽界に広がるキッカケとなりました。
シューマンの賛辞だけでなく,保守的な批評家の酷評も音楽誌に掲載され,相乗効果で若きポーランドの作曲家フレデリック・ショパンの名は西洋の音楽界に広く知れ渡りました。
このときショパンを酷評していた評論家の急先鋒はルートヴィヒ・レルシュタープです。
ベートーヴェンのソナタを「湖の月光の波に揺らぐ小舟のようだ」と評したことで,そのソナタが「月光」と呼ばれるようになったことで知られています。
Op.9-2のノクターンは出版直後から人気を博し,何度も再販されることになります。
Op.10のエチュードは革新的な作品で「練習曲」というジャンルそのものを変えてしまいました。
ショパンの代表作としてフランツ・リストやクララ・ヴィークなど一流ピアニストのレパートリーとなりました。
Op.10のエチュードはショパンがただの作曲家ではなく「特別な」作曲家であることを知らしめた作品です。
そんな中にあって,マズルカは異彩を放っています。
洗練されたヨーロッパの主要国で,芸術作品として田舎(ポーランド)の民謡を出版しようというのですから,普通は出版社が出版などしようとしなかったことでしょう。
新人作曲家の作品ならなおさらのことです。
しかし,ショパンが用意した8曲(9曲)のマズルカは非常に洗練された気品漂う作品でした。
「マズルカを出版したいだと?馬鹿言ってるんじゃないよ!」と思っていたであろう出版社も,ショパンの用意した譜面を見て,二つ返事で出版に踏み切ったに違いありません。
ショパンのマズルカは独特なリズムだけでなく,古代的旋法を用いた民謡的で独特なモチーフや和音が多用されていて,時代を数十年先取りしたような前衛的な作品でした。
新人作曲家が持ち込んできた異様な作風の作品の価値を見抜いて出版に踏み切ったのですから,
出版社はさすが,見る目があったということになります。
ショパンを酷評していたレルシュタープも,ことさらマズルカをひどくこき下ろしていました。
ショパンを高く評価していたモシェレスやメンデルスゾーンでさえ,マズルカは中々理解できなかったようです。
なお,そんなレルシュタープも数年後にはすっかりショパンの作品に魅せられ,1843年にはわざわざショパンの元を訪れて謝罪しています。
父ニコライの手紙には「ノクターンとマズルカは再版されて,それもすぐに売り切れてしまったよ」と書かれていますので,出版社の決断は大成功だったといえます。
Op.6 -1 BI;60 マズルカ 嬰ヘ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分
- 自筆譜;ケルン市資料室
哀愁をおびた主題のあいだに,2つの躍動感あふれる主題が挿入されています。
Op.6 -2 BI;60 マズルカ 嬰ハ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;ストックホルム・ナイダール財団
冒頭では空虚5度が使われていて,中間部ではリディア旋法が用いられています。
このことにより,土俗的な匂いの濃い音楽になっています。
Op.6 -3 BI;60 マズルカ ホ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;パリ,個人所有
冒頭は空虚5度の響きに加えて独特のアクセントがより野趣に富んだ躍動感を生み出しています。
最後はで静かにフェードアウトしていくことで,いつまでも楽しい踊りが続くような錯覚を生み出します。
Op.6 -4 BI;60 マズルカ 変ホ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約1分
- 自筆譜;レニグラード,国立図書館 レニングラード,国立ザルティコフ・シチェドリン図書館
わずか24小節の小品です。
E♭音の持続音がバクパイプを連想させます。
Op.7
- 作曲;1830年(20才)~1831年(21才) *1832年(22才)より以前に作曲
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1833年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,F.キストナー 1832年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1833年
- ポーランド初版;ワルシャワ,I.クルコフスキ *Op.7-1のみ出版 1835年
- 献呈;ポール・エミール・ジョーンズ
Op.6と同じく,ショパンデビュー作の一つになります。
Op.7 -1 BI;61 マズルカ 変ロ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;バーゼル,フローシャイム
60曲にもおよぶマズルカの中で唯一,一般にもよく知られた作品です。
他にも
をつけた作品がありますが,これは記事の冒頭で説明した通り,マズルカは設定を甘くしているためで,文句なしで 5個の作品は,このOp.7-1だけです。誰もが聴いたことがあるであろうマズルのあいだに哀愁漂うクヤヴィヤックと律動感あふれるオベレクが挿入されています。
聴き馴染みのある旋律を楽しみながら,マズルカの三大要素である「マズル」「クヤヴィヤック」「オベレク」の全てが味わえる作品です。
「マズル」「クヤヴィヤック」「オベレク」は明確に区別できるものではありません。当サイト管理人なりに「ここはマズルかな」「ここはクヤヴィヤックっぽいな」と思いながら弾いているのですが,それが合っているとも限りません。
やはりマズルカは難しいです。
マズルカを聴いたことがない方に,どれか一曲を選んでオススメするなら,迷うことなくOp.7-1をオススメします。
マズルカの演奏も世にあふれていますが,まずは思いっきりクセの強い演奏を聴いていただくと,マズルカの特徴や魅力が分かりやすいのではないかと思います。
オススメは ジャン=マルク・ルイサダ の録音です。
ルイサダの演奏でマズルカの特徴を掴んでいただいたら,あとは色々なピアニストの演奏を聴いて好みの演奏を探してみてください。
マズルカは,他の作品以上に演奏家によって表情が大きく変わります。
演奏する人が変われば,まるで違う曲のように聴こえることもありますので,ぜひ聴き比べてみてください。
ちなみに,当サイト管理人はホロヴィッツのマズルカが一番好きです。
出版当初から人気のあった作品のようで,舞踏会でOp.7-1に合わせて踊るということもあったそうです。
しかしショパン自身は「僕のマズルカは踊るための音楽ではない」と手紙に書いています。
Op.7 -2 BI;61 マズルカ イ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分30秒
- 自筆譜;紛失
シンプルな旋律がショパンの和声によって色彩豊かに彩られています。
躍動感ある中間部ではが2回鳴らされるところでは「掛け声」や「足踏み」「手拍子」が聞こえてくるようです。
Op.7 -3 BI;61 マズルカ ヘ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;バーゼル,フローシャイム
印象的な序奏からはじまります。
アルペッジョが躍動感を生み出しています。
Op.7 -4 BI;61 マズルカ 変イ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約1分30秒
- 自筆譜;紛失
短い作品ですが,曲の後半の転調が印象的です。
Op.7 -5 BI;61 マズルカ ハ長調
エキエル版にはOp.6-5として収録されています。
フランス初版には収録されていなかった作品で,ドイツ初版とイギリス初版にはOp.7-5として収録されています。
フランス版では,第二版にOp.6-5として収録されました。
確かに,ショパンが直接連絡をとっていたフランス版の方が,ショパンの意図がより反映されていると考えられますので,エキエル版のようにOp.6-5と番号付けするのが正しいかもしれません。
当サイトでは,より早い時期に出版されたドイツ初版に最初からOp.7-5と収録されていたことから,Op.7-5として掲載しています。
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約1分
- 自筆譜;紛失
わずか20小節の作品ですが,Da Capoで延々と繰り返されます。
曲の終わらせ方は特に指定されていないので,演奏者の裁量にまかされています。
Op.17
- 作曲;1832年(22才)~1833年(23才) *1833年(23才)より以前に作曲
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1834年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1834年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1834年
- 献呈;リーナ・フレッパ夫人
最初に出版された,パリに来てから書いたマズルカになります。
リストやメンデルスゾーンなどパリにいた芸術家たち,そして社交界の有名人たちとの親交が深まり,サロンの人気者として華々しい活動が始まった時期の作品です。
ショパンは教養ある父ニコラスからしつけられていたおかげで,マナーも良く,紳士的で品を感じさせ,その控えめな性格も相まって名家の夫人や令嬢がこぞってレッスンを求めるようになりました。
経済的問題を抱えていたショパンは一時期アメリカへの移住を考えはじめたりしていましたが,
貴族たちが取り決めたショパンのレッスン料は破格の高給で,経済的問題が一気に解決しました。
ショパンの1回のレッスン料は45分で20フラン,現在の日本円で約10万円ほどであったといいます。
19世紀の1フランが21世紀の日本円でいくらに換算されるのかは,いろいろな計算方法があるそうです。おおよそ,当時の1フラン=現在の約4,000円が標準の計算方法のようです。
レッスンの日は1日に5~6人を教えていたそうなので,それだけで相当の収入になりました。
ショパンはレッスンで稼いだ金を湯水のように使い,社交界での交友関係を楽しむようになります。
服装や小物など高級品で身を固め,自家用馬車で颯爽と乗りつけて,サロンの玄関から堂々と出入りするショパンの姿はカッコよく,ご婦人方にモテまくりで,やがては流行の手本にまでになります。
この頃のショパンはまだ健康で(一般人よりは病弱でしたが),パリの社交界で音楽家・芸術家として認められはじめ,明るい希望に満ちた華やかな時期でした。
Op.17 -1 BI;77 マズルカ 変ロ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;行方不明
堂々とした主部と,洒落た中間部との対比が効いています。
Op.17 -2 BI;77 マズルカ ホ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
- 自筆譜;クラコフ,ヤギエウォ図書館 スケッチ
主部のクヤヴィヤックが魅力的です。
中間部のオベレクでは空虚5度がバクパイプの響きを思わせます。
Op.17 -3 BI;77 マズルカ 変イ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約5分
- 自筆譜;行方不明
何が起こるかわからにようなぼんやりしたはじまり方をしますが,挿入される2つの主題が強く印象に残ります。
Op.17 -4 BI;77 マズルカ イ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約4分
- 自筆譜;紛失
マズルカの要素を強く持ちながら,舞踏的な感じがあまりせず,情感あふれる曲想の中しっとりと旋律が歌われます。
中間部もオベレク風でありながら躍動感や推進力はあまり感じられず,情感豊かな曲想が最後まで続きます。
Op.24
- 作曲;1834年(24才)~1835年(25才) *1833年(23才)~1836年(26才)に作曲
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1836年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1836年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1836年
- 献呈;ペルトゥイ伯爵
- 自筆譜;ワルシャワ国立図書館
1834年はショパンの人生にとって大きな,そして誇り高い決断をした年です。
ショパンはロシアからの「ロシア皇帝付き主席ピアニスト」という地位や自由に祖国ポーランドに出入りする権利などの申し出を跳ね除けて,正式な亡命者となります。
ショパンはロシアに占領された祖国ポーランドに二度と戻れなくなってしまいました。
二度と祖国の土を踏むことがなくなったとしても,ロシアに忠誠を誓いたくないという思いから,ショパンは自ら亡命者となる選択をしたのです。
Op.24 -1 BI;89 マズルカ ト短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分
増二度の音程が印象的なクヤヴィヤックに,躍動感あふれるマズルが挿入されています。
Op.24 -2 BI;89 マズルカ ハ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約2分30秒
序奏と後奏はこれ以上ないほど単純な作りなのに大変魅力的です。
序奏では楽しい踊りに誘われているようですし,後奏は余韻を楽しんでいるようです。
オベレクで書かれている主部にはクヤヴィヤックが挿入され,中間部はマズルで書かれています。
たった2分半の作品にギュッと濃縮されていて,マズルカの全ての要素を楽しむことができます。
「ヘイ!」という掛け声や,手を叩いたり,足で床を踏み鳴らしたりする様子が目に浮かぶようです。
主部に挿入されているクヤヴィヤックはヘ長調なのですがB音に♭がつけられていないリディア旋法になっていて独特な響きがします。
その結果,ハ長調の主部はヘ長調やイ短調への転調を含むにも関わらず,一回も黒鍵に触ることなく,白鍵だけで演奏することになるという,大変珍しい作品です。
そして,白鍵しか使っていないとは思えないほどの色彩豊かな舞踏の世界が広がります。
Op.24 -3 BI;89 マズルカ 変イ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
フェルマータが特徴的な小品です。中間部では半音階的な反復進行が使われ,踊りの輪が離散していくようなコーダも印象的です。
Op.24 -4 BI;89 マズルカ 変ロ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【4】名曲・代表作
演奏時間 約5分
ショパンのマズルカは日記のように,その時々の心象を内向的に綴ったような作品が多いですが,中期には規模の大きなマズルカもいくつか書かれています。
Op.24-4はそんな規模の大きいマズルカの最初の作品といえるでしょう。
木管楽器が奏でるような印象的な序奏から始まり,色々な表情の場面が登場する作品です。
途中コーラスのような間奏を経て,魂の込められたポーランドの歌に入る場面は,とてもピアノ一台で表現しているとは思えない,舞台芸術のような臨場感があります。
最後は特に大きな曲想の変化があるわけではないのに,わずかな和声の変化によってコーダに入ったことが伝わってきます。ショパンの和声感覚は天才です。
最後はショパンのマズルカらしい不思議な音色の和音が連続で鳴らされて静かに終わります。
Op.30
- 作曲;1835年(25才)~1837年(27才)
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1838年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1838年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1837年
- 献呈;ド・ヴュルテンベルク公爵夫人(旧姓チャルトリスカ)
- 自筆譜;行方不明
*フォンタナの筆写譜をワルシャワ国立図書館が所蔵。
1835年はショパンにとって重要なできごとが重なった年でした。
両親との最後の再会
8月にはロシアの影響下にないボヘミアのカールスバートへ湯治に来ていた両親と再会しています。
ポーランドを発ってから実に5年ぶりの再会でした。
そして,これが生涯で最後の再会となりました。
マリア・ヴォジニスキとの出会い
その帰り,ドレスデンに滞在していたヴォジニスキ伯爵一家を訪ねています。
ヴォジニスキ伯爵一家とショパン一家は家族ぐるみでつきあいがあり,ヴォジニスキ伯爵家の3人の息子たちは幼少のころからの遊び友達でした。
そして,5年前にポーランドで顔見知りだった娘のマリアは16歳になっていました。
ピアノや歌,絵が上手で,芸術に理解があり,育ちが良くて可憐で上品,何よりも同じポーランド人であったマリアは,ショパンにとって理想の女性でした。
9月にドレスデンを去る際には,一般に「別れのワルツ」と呼ばれる変イ長調のワルツOp.69-1をマリアに贈っています。
シューマンとの出会い
ドレスデンを発ったショパンは次にライプツィヒのメンデルスゾーンを訪ねています。
さらにメンデルスゾーンの紹介でヴィーク家を訪れ,天才少女ピアニストのクララ・ヴィークと,将来クララと結婚することになるロベルト・シューマンを紹介されました。
初めての喀血
このように祝福に満ちた夏を過ごしたショパンでしたが,良いことばかりではありませんでした。
ライプツィヒからの帰途,ハイデルベルクでショパンは喀血しています。
おそらく,これがショパンの人生で初めての喀血だったのではないかと考えられています。
ショパンが17才のとき,幼くして戯曲や詩を書き,フレデリックに次いでショパン家の神童と呼ばれていて,フレデリックとも仲の良かった3才年下の妹エミリアを結核で亡くしています。
ショパンがいつ頃から自身のことを結核であると認識していたかは分かっていませんが,血液混じりのひどい咳は,明確に「死」を予感させたことでしょう。
ショパンや,ショパンの妹エミリアの死因は一般的に結核であるとされています。
しかし実際のところは,死因は特定されていません。
遺されている肖像画から病変を読み取ったり,家族の病歴から類推したり,アルコール漬けで教会の柱の中に安置されているショパンの心臓を調べたり,など色々な調査・研究がされてきました。
現在でもショパンは結核であった,というのが最も有力な説になります。
ショパンはパリに戻ってからも体調が戻らず,11月にはパリの街に姿を見せなくなり,故郷への手紙も途絶えてしまいます。
12月には「ショパン重病説」「ショパン死亡説」がウワサされ,このウワサは故郷ワルシャワにも届きました。
このウワサはワルシャワに帰ってきていたマリアの父親の耳にも入っています。
以降,ショパンは病苦と共に生きていく運命にありました。
ティトゥスと疎遠に
ティトゥス・ヴォイチェホフスキは学生時代からの友人で特に仲の良かった親友です。
裕福な地主の子で2才年上だったティトゥスは,生来病弱だったショパンとは正反対のように筋骨たくましい頼れる存在でした。
ショパンは何かにつけてティトゥスに手紙を書いて相談にのってもらっていて,その熱烈な文面から後世の研究者に同性愛説も囁かれるほどの間柄でした。
1830年11月2日,ワルシャワを旅立ってウィーンへ向かったときもティトゥスが同伴していました。
そんなティトゥスから「宗教音楽(オラトリオ)を書けばよいのに」という手紙が届きます。
これがショパンのカンに触ってしまったようで,あんなに頼っていた友人ティトゥスと疎遠になってしまいます。
ショパンが死の床についているとき,偶然ティトゥスがオランダに出張に来ていることを知り,とっても会いたがったようですが,ついに二人は再会することはありませんでした。
Op.30 -1 BI;105 マズルカ ハ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
寂しげな小品です。半音階的な内声部や中間部の独特なリズムはマズルカならではといった感じです。
Op.30 -2 BI;105 マズルカ ロ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約1分30秒
冒頭,ロ短調の心に残るキャッチーな旋律が再現部では出てこず,再現部では嬰ヘ短調の後半部だけが再現され,そのまま嬰ヘ短調で終わります。
Op.30 -3 BI;105 マズルカ 変ニ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約3分
主部は都会的に洗練された力強いマズルで,フォルテの長調とピアノの短調が繰り返されるため,短調の部分が余韻のように印象的に響きます。
中間部ではオベレクのリズムの中,クヤヴィヤックの旋律が歌われます。
Op.30 -4 BI;105 マズルカ 嬰ハ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【4】名作・代表作
演奏時間 約4分
中期以降にあらわれる,大規模なマズルカのうちの一つです。
印象に残る多彩な表情を持つ作品です。
Op.33
- 作曲;1836年(26才)~1838年(28才)
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1838年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1838年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1838年
- 献呈;ローザ・モストフスカ伯爵令嬢
- 自筆譜;ワルシャワ国立図書館
1836年は20才にポーランドを発った後では,ショパンが唯一幸福感に包まれていた時期だったかもしれません。
1836年夏,ショパンはメンデルスゾーンやシューマンからの誘いを断って,マリアに会いに行くためにドレスデンへ向かいます。
ドレスデンへの旅費のために出版されたのがピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21でした。
そして,いよいよパリへ戻る直前,ショパンはマリアに求婚します。マリアも求婚を受け入れました。
1836年9月6日の夕暮れ,ショパン26才,マリア17才のことでした。
パリに戻ったショパンはマリアとの結婚生活を思い描き,豪華で広い部屋へ引っ越します。
家具にもこだわり,花を飾り,新婚生活を夢見ていました。
マリアに求婚した,あのときを最後にマリアとは二度と相見ぬ運命にあるとは知らずに,
ショパンは夜遊びに興じていました。
なお,この年の冬にはフランツ・リストの紹介でジョルジュ・サンドと出会っています。
サンドはひと目でショパンに興味を示しましたが,サンドはショパンの好みとは対極にあるようなたくましく偉大な女性で,ショパンは不快感さえ抱いていました。
Op.33 -1 BI;115 マズルカ 嬰ト短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
短い作品ですが,控えめな主部と鮮やかな中間部との対比による表情豊かな作品です。
Op.33 -2 BI;115 マズルカ ハ長調
多くの版ではOp.33-3となっていますが,自筆譜とフランス初版ではOp.33-2となっています。
エキエル版でもOp.33-2として収録されています。
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
かなり古い情報ですが,東京の個人(マエダさん?)がフォンタナの筆者譜を所有しているそうです。
ハ長調の主部は「ショパンが演奏するとまるで2拍子のように聴こえた」という逸話が伝えられています。
3拍子の作品のショパンの演奏は「誰にも真似ができない」「風変わりで独特なリズム」といった批評や伝聞が多く遺されていて,全てが口をそろえて「ショパンにしか演奏ができない素晴らしい音楽」であったと伝えています。
こういった逸話からも,ショパンのワルツやマズルカを,一定間隔で規則正しく拍子を刻むように弾くのは,少なくともショパン流ではない,ということが分かります。
Op.33 -3 BI;115 マズルカ ニ長調
多くの版ではOp.33-2となっていますが,自筆譜とフランス初版ではOp.33-3となっています。
エキエル版でもOp.33-3として収録されています。
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約2分
主部はつい口ずさんでしまいそうになるほど陽気なクヤヴィヤックで,中間部のマズルとオベレクも楽しげな雰囲気に包まれています。
ショパンの生徒の中でも特に優秀だった一人,チャルトリスカ夫人がこの曲を演奏するとき,主部のフォルテの部分とピアノの部分を,非常にコントラスをつけて演奏したそうです。
下品なほど粗野なフォルテと,洗練された繊細で柔らかいピアノとのコントラストはあまりにも鮮やかだったため「何故このように演奏するのですか」とチャルトリスカに尋ねたところ,
ショパン本人から「フォルテは酒場の雰囲気で,ピアノ()はサロンのように」演奏するように指導を受けたのだ,と語ったそうです。
コーダでは舞踏的躍動感が最高潮に達します。
Op.33 -4 BI;115 マズルカ ロ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【4】名曲・代表作
演奏時間 約5分
224小節におよぶ規模の大きな作品。
主部(A-A’-B-A-A’-B)–中間部(a-a’-b)–推移部–再現部(A)–コーダ というバラードやスケルツォに匹敵する巨大な構造を持ちます。
実際,ショパン自身も「このマズルカはバラードだ」と語った,との逸話が伝えられています。
Op.41
- 作曲;1838年(28才)
- フランス初版;パリ,E.トルプナ 1840年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1840年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1840年
- 献呈;ステファン・ヴィトヴィツキ
- 写譜;写譜者不明の筆写譜をワルシャワ国立図書館が所蔵。
マリアの母はショパンの健康状態を心配し,一応は婚約を認めてはいたものの,正式な発表は無期限の延期を告げていました。
そして,ショパンには健康に気を使うこと,具体的には夜は出歩かずに11時には寝ること,ウールのくつ下をはくことなどを約束させていました。
ショパンはどうせばれないだろうと相変わらず頻繁に夜会に出かけ,あげくの果てに何度も体調を崩して倒れていました。
おしゃれなショパンはウールのくつ下などぜったいに履きません。
マリアの母は,パリにいる友人からショパンの様子を聞いており,ショパンへの対応はどんどん冷淡なものになっていきます。
そして1837年に入って,婚約は破棄されました。
芸術家として生活力を得て独り立ちした大人が,幼少のころから神聖なものとして心に秘めてきた「幸せな家庭をつくりたい」という切なる夢の実現を目指した恋でしたが,叶うことはありませんでした。
夏には友人でピアノ製造業者のプレイエルと一緒にロンドンへ傷心旅行に出かけています。
マリアとの婚約がなくなったことを知ったサンドは積極的なアプローチを仕掛けるようになります。
1838年の春ごろには急速に親しくなり,1838年11月,ショパンとサンド,サンドの2人の子どもたち,兄モーリスと妹ソランジュ,そしてサンドの小間使いたちとともにマジョルカ島へと旅立ちます。
ここからの約1年はショパンの人生の中でも最も濃密な時間を過ごすことになります。
そして,9年間におよぶ音楽史上最も有名なロマンスの始まりでした。
ここに当時の状況を詳細に書くと紙面が埋まってしまいますので,ぜひ関連記事をご覧いただければと思います。
ここでは1838年から1839年までの主な出来事を箇条書きにするだけに留めておきます。
- 1838年10月30日 スペイン国境付近でショパンとサンド一行が落ち合う。
- 11月2日バルセロナに入港。
- 11月8日マジョルカ島のパルマに到着。別荘を借りてしばらく滞在。
- ショパン一行はこの別荘を「風の家」の愛称で呼んでいました。
- マズルカOp.41-1ホ短調は「風の家」で11月28日に書かれた作品です。
- 体調を崩したショパンを往診した医者に「結核」であると診断される。
- 当時の治療法は,瀉血(腕や足を切って大量出血させる治療法)と下剤を飲ませて断食させるというのが主流でした。結核の診断を信じなかったサンドが医者の治療を拒否したことで助かりましたが,サンドがいなければ意志の弱いショパンは医者の言うなりになって,ここで命を落としていた可能性が高いです。
- 「結核」であるというウワサを聞いた家主から,家の消毒代とショパンが使用したベッドの焼却費用,そして新しいベッドを購入する代金の請求書と退去命令が届き「風の家」を追い出される。
- 予約しておいたヴァルデモーザ修道院へ移るが,冬の悪天候からショパンは本格的に体調を崩し喀血を繰り返す。
- 前衛的なサンドの佇まいと,肺病に対する迷信的な恐怖が,島民を異常なほど恐れさせ,食材の買い出しにも苦労する状況に陥ります。そんな中でもサンドは栄養ある食事でショパンを介護し,作家としての仕事もこなしました。
- 1839年1月5日 税関に長く押さえされていたショパン愛用のプレイエルのピアノがようやく届く。
- このピアノは今でもマジョルカ島にある博物館に展示されています。
- パルマから船で出港し2月14日にバルセロナへ入港する。
- 村民は馬車を貸してくれず,ショパンはスプリングのない荷車に載せられて港まで運ばれました。パルマから出港した船でも「結核だから」という理由で百頭のブタと同じデッキに乗せられます。
- 2月22日 バルセロナを出港し2月24日にマルセイユへ到着。マルセイユに数ヶ月滞在して静養する。
- マルセイユの温和な気候とサンドによる献身的な看護によりショパンは健康を取り戻しました。
- ショパンが健康を取り戻すとマルセイユを発って,6月1日にノアンにあるサンドの別荘に到着する。
- Op.41-2,3,4の3曲はノアンで完成されました。
- 10月11日 約1年ぶりにパリに戻り,サンドとショパンは一緒に暮らすようになる。
Op.41 -1 BI;122 マズルカ ホ短調
多くの版ではOp.41-2となっていますが,元々はこの作品がOp.41-1でした。
エキエル版でもOp.41-1として収録されています。
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;ウィーン楽友協会資料室
「プレリュードOp.28-2とOp.28-4」とともに,マジョルカ島の『風の家』で書かれた作品の一つで,自筆譜には「パルマ,11月28日」と書かれています。
同じ『風の家』で書かれた前奏曲Op.28-4とは調性もホ短調で同じですし,曲想も似ています。
中間部では嬰ニ音(D♯)が何度も印象的に鳴らされます。
Op.41 -2 BI;126 マズルカ ロ長調
多くの版ではOp.41-3となっていますが,元々はこの作品がOp.41-2でした。
エキエル版でもOp.41-2として収録されています。
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約1分30秒
- 自筆譜;行方不明
楽士団の合奏のような伴奏から始まり,躍動感あふれる様子で踊りだします。
楽士団による伴奏は曲中に何回も登場して曲を盛り上げ続けますが,最後は余韻を楽しむようにフェードアウトして終わります。
Op.41 -3 BI;126 マズルカ 変イ長調
多くの版ではOp.41-4となっていますが,元々はこの作品がOp.41-3でした。
エキエル版でもOp.41-3として収録されています。
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
- 自筆譜;行方不明
優美でしなやかなワルツ風の作品です。
最後はテーマの途中でフェードアウトして余韻を残して終わります。
Op.41 -4 BI;126 マズルカ 嬰ハ短調
多くの版ではOp.41-1となっていますが,元々はこの作品がOp.41-4でした。
エキエル版でもOp.41-4として収録されています。
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約3分30秒
- 自筆譜;行方不明
フリギア調の旋律,くるくると回転するような主部後半,躍動的ながら叙情的な中間部,コーダ直前のオクターブによる展開部など,表情豊かな作品です。
「ノートルタン」と「エミール・ガイヤール」
1840年前後に,イ短調のマズルカが2曲出版されていますが,ショパンは作品番号をつけていません。
枯れた味わいのある円熟期の作品です。
WN;Dbop.42 BI;134 KK;IIb-4 マズルカ「ノートルタン」イ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約2分30秒
- 作曲;1839年(29才)~1841年(31才)
- フランス初版;パリ,E.トルプナ 1845年
- ドイツ初版;マインツ,B.ショット 1842年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1846年
- 献呈;なし
- 自筆譜;行方不明
ショット社から出版された「ノートル・タン」第二集に収録された作品とのことです。
WN;Dbop.42 BI;140 KK;IIb-5 マズルカ「エミール・ガイヤール」イ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約4分30秒
- 作曲;1839年(29才)~1840年(30才) *1841年(31才)かも
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1841年
- ドイツ初版;ベルリン,ボーテ・ウント・ボック 1855年
- 献呈;エミール・ガイヤール ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;行方不明
弟子のガイヤールのために書かれた作品です。
半音階的な和声が用いられていて,中間部はオクターブが連続する珍しい書法で書かれています。
Op.50
- 作曲;1841年(31才)~1842年(32才)
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1842年
- ドイツ初版;ウィーン,P.メケッティ 1842年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1842年
- 献呈;レオン・シュミトコフスキ
1841年4月26日,ショパンは3年ぶりにパリで演奏会を開き大成功となります。
オペラよりも高額な破格のチケットはまたたく間に完売し大金を手に入れます。
昨年1840年の夏は経済的な問題からノアンに行くことができませんでしたが,
1841年の夏はノアンの別荘で優雅に遊んで暮らすことができるようになりました。
この夏のショパンはイライラしていることが多かったようで,共通の友人であるロジエール嬢について,ショパンとサンドの間にささいな喧嘩ですが初めての不和が起きています。
この年の作品は幻想曲Op.49を除けば小品ばかりですが,円熟期に入り,洗練された作曲技法が用いられています。
Op.50 -1 BI;145 マズルカ ト長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;ニューヨーク,ピアポント・モーガン・ライブラリー
*他に,断片をワルシャワ,ショパン協会が所蔵。
主題のあいだに表情のまったく違う3つの主題が挿入されていて,次から次へと表情を変えていきます。
Op.50 -2 BI;145 マズルカ 変イ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約4分
- 自筆譜;ニューヨーク,ピアポント・モーガン・ライブラリー
優美で高雅な主部と,思わず踊りだしたくなるような活気的な中間部との対比が見事です。
Op.50 -3 BI;145 マズルカ 嬰ハ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【4】名曲・代表作
演奏時間 約5分30秒
- 自筆譜;ニューヨーク,ピアポント・モーガン・ライブラリー
*他に,草稿をクラコフ,ヤギエウォ図書館が所蔵。
対位法的手法が用いられている点,そしてコーダの前に長大な展開部が置かれている点で,ショパンの作曲技法の円熟を示す重要な作品です。
Op.56
- 作曲;1843年(33才)
- フランス初版;パリ,M.シュレサンジェ 1844年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1844年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1845年
- 献呈;キャサリン・マバリー嬢
- 自筆譜;ワルシャワ国立図書館
前年の1842年の夏は英雄ポロネーズ,バラード第4番,スケルツォ第4番など中期の傑作を書き上げていますが,1843年の夏は小品ばかり書いています。
1843年の夏もノアンの別荘で暮らしますが,この年は共通の友人であるポーリーヌの生まれたての娘を預かって,心穏やかに暮らしています。
この夏はOp.56のマズルカの他にも子守歌Op.57や2つのノクターンOp.55など穏やかな小品を書いていて,ショパンはOp.56のマズルカのことを「小さな物語」だと言っていました。
Op.56 -1 BI;153 マズルカ ロ長調
難易度 【3】音大生レベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約5分
piu mosso でテンポの変化を伴うマズルカです。
コーダの直前の長大な展開部がすばらしい作品です。
Op.56 -2 BI;153 マズルカ ハ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
スケッチをロンドン,英国図書館が所蔵しています。
初期の作品のように民族色が濃い作品です。
Op.56 -3 BI;153 マズルカ ハ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【4】名曲・代表作
演奏時間 約6分
規模の大きな作品で,次々と新しい楽想が織り込まれています。
この作品もコーダ前の展開部が秀逸です。
Op.59
- 作曲;1845年(35才)
- フランス初版;パリ,ブランデュ 1846年
- ドイツ初版;ベルリン,シュテルン 1845年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1845年
- 献呈;なし
1844年にはピアノソナタロ短調を書き上げ,1845年の夏にはチェロ・ソナタOp.65と舟歌Op.60,そして幻想ポロネーズOp.61という最後の大作に着手しています。
規模の大きなマズルカも,この年に書いたOp.59が最後となります。
Op.59はショパンが創造した「マズルカ」という音楽ジャンルの最終到達点であり,最高傑作だと言って良いでしょう。
2021年に開催されたショパン・コンクールの予備審査でも,29曲のマズルカの中からOp.59の3曲が課題曲選択の上位1位から3位を独占していました。
Op.59 -1 BI;157 マズルカ イ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【4】名曲・代表作
演奏時間 約4分
- 自筆譜;マインツ,B.ショット出版社
マズルカの中では比較的規模の大きな作品です。
転調が繰り返され,主題が半音下の調で再現されるなどショパンらしい手法がふんだんに使われています。
Op.59 -2 BI;157 マズルカ 変イ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分
- 自筆譜;マインツ,B.ショット出版社
穏やかなリズムに乗って優雅な主題が奏でられます。
大きく展開された再現部や,コーダ直前の展開部の半音階的和声など,凝った作りになっています。
Op.59 -3 BI;157 マズルカ 嬰ヘ短調
難易度 【3】音大生レベル
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約3分30秒
- 自筆譜;ロンドン,個人所有
再現部冒頭のカノン的な主題の処理,展開部の対位法的な動きなどポリフォニックな書法が使われています。
数多くのマズルカの中から最高傑作を一つ選ぶなら,当サイト管理人はこの曲に一票を投じます。
Op.63
- 作曲;1846年(36才)
- フランス初版;パリ,ブランデュ 1848年
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル 1847年
- イギリス初版;ロンドン,C.ウェッセル 1847年
- 献呈;ラウラ・チョスノフスカ伯爵夫人
1946年の夏もノアンの別荘で作曲に専念しますが,この年がショパンにとって生涯最後のノアン生活となりました。
サンドとの仲が険悪になりはじめ,サンドの息子モーリスとの確執もあり,ノアンでの生活が楽しめなくなっていました。
この夏に書かれたOp.63のマズルカが,ショパンが出版した最後のマズルカとなりました。
構成や楽想は簡素化され,技巧的なものは排除されています。
そのことが枯れた味わいとなって作品の魅力にもなっていますが,同時に楽想の枯渇を感じさせる作品となっています。
Op.63 -1 BI;162 マズルカ ロ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
- 自筆譜;パリ国立図書館
柔らかい響きの中にショパンらしい転調が聴こえます。
コーダにおけるヘミオラのリズムが特徴的です。
Op.63 -2 BI;162 マズルカ ヘ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
- 自筆譜;ラ・クロワ・アン・トゥレンヌ,イヴォンヌ・フォール夫人
構成,楽想ともに簡素ですが,熟練の和声変化が見られます。
Op.63 -3 BI;162 マズルカ 嬰ハ短調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約2分30秒
- 自筆譜;紛失
簡素ながら微妙な音色の変化や対位法的に巧妙に作られたコーダなど,円熟の作曲技法が使われています。
ショパン マズルカ【ショパンの死後にフォンタナが校訂して出版した作品 8曲】
ショパンの死後,未出版のマズルカから8曲をフォンタナが選び,4曲ずつに分けてOp.67,Op.68として出版されました。
まとめられたそれぞれ4曲には特に共通点などはありません。
1847年,37才のショパンの病状は悪化の一途をたどり,ずっと寝込んでいるような状態になります。
一方,サンド家では諍いが絶えず,サンドの娘ソランジュの夫クレサンジェがサンドに暴力をふるってしまったことに怒ったサンドの息子モーリスがクレサンジェに拳銃を向けるという騒ぎが起こります。
怒ったサンドは娘夫婦を家から追い出します。
いつもソランジュを甘やかしていたショパンですが,このときばかりはサンド側につくだろうと,サンドは確信していました。
しかしショパンがソランジュをかばう姿勢を示したため,サンドとショパンの確執は決定的なものとなり,9年間におよんだ二人の関係は終わりました。
サンドとの破局だけが原因ではないでしょうが,ショパンは急速に体力も気力も衰え,作曲ができなくなります。
1847年には「メロディー」という歌曲を1曲書いただけで,
1848年もワルツを1曲書いただけでした。
1848年にはジェーン・スターリング嬢の誘いでイギリスへ演奏旅行へ出かけますが,喀血を続けながらのハードスケジュールで,11月にパリに戻ってきたときには瀕死の状態で,ほとんど寝たきりの状態になります。
回復の見込みがない,死を待つだけの病床に臥せながら,2曲のマズルカの草稿を書き遺しました。
これがショパン最期の作品となりました。
ト短調のマズルカOp.67-2とヘ短調のマズルカOp.68-4の2曲になります。
Op.67
Op.67 -1 WN;26 BI;93 マズルカ ト長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約1分30秒
- 作曲;1835年(25才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;アンナ・ムウォコシェヴィチ ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;行方不明
愛らしく生気にあふれた小品で,明るい気分に包まれています。
Op.67 -2 WN;64 BI;167 マズルカ ト短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【3】隠れた名曲
演奏時間 約2分
- 作曲;1848年(38才)~1849年(39才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;なし
- 自筆譜;行方不明
ショパンが死の床で書いた2曲のマズルカのうちの1曲です。
簡素な中に深い情感が込められています。
Op.67 -3 WN;48 BI;93 マズルカ ハ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約1分30秒
- 作曲;1835年(25才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;アデリーナ・ホフマン ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;行方不明
可憐な旋律で比較的ポピュラーな作品です。
中間部のD音の保持が特徴的です。
Op.67 -4 WN;60 BI;163 マズルカ イ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分
- 作曲;1846年(36才)~1847年(37才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;なし
- 自筆譜;ウィーン楽友協会資料室
*他に,パリ,カール・ハンス・シュトラウス夫人が個人所有。
*さらに,かつてエドゥアール・ガンシュが所有していたものが現在では紛失。
生前に出版はされませんでしたが,最晩年の作品で,1846年の夏,マズルカ集Op.63やワルツ集Op.62とともに最後のノアンで書かれた作品です。
Op.68
Op.68 -1 WN;24 BI;38 マズルカ ハ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約2分
- 作曲;1829年(19才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
若いときの作品で,屈託のない舞踏的作品です。
Op.68 -2 WN;14 BI;18 マズルカ イ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【2】レア作品
演奏時間 約3分
- 作曲;1827年(17才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
17才の作と思えない枯れた味わいの作品です。
優美な主部と活気ある中間部の対比も見事です。
Op.68 -3 WN;25 BI;34 マズルカ ヘ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約2分
- 作曲;1829年(19才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
19才の作品ですが,主部は典型的なマズルで,中間部は空虚5度によるオベレクとなっていて,リディア旋法なども使われていて,将来のマズルカの原型と言える作品です。
Op.68 -4 WN;65 BI;168 マズルカ ヘ短調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【5】有名作品
演奏時間 約4分30秒
- 作曲;1849年(39才)
- フランス初版;パリ,J.メソニエ 1856年
- ドイツ初版;ベルリン,A.M.シュレジンガー 1855年
- 献呈;なし
- 自筆譜;ワルシャワ,ショパン協会
死の床で書かれたショパン最期の作品です。
遺された自筆譜には作曲をしようとするも楽想が湧いてこない,ショパンの苦悩が如実にあらわれています。
病床で仰臥しながら書いたもので,手が滑ったようなペンの跡が見られます。
ショパンの死後,ショパンの友人のチェロリスト,フランショームが写譜を試みたものの,判読が難しく,特に中間部は読み取れませんでした。
中間部を省いた状態の写譜をフォンタナが校訂して出版しました。
エキエル版では,エキエル氏が苦労のすえショパンの自筆譜を読み解き,ヘ長調の中間部を含んだ完全版を完成させたものが収録されています。
主部では頻繁な転調により調性感が失われていて,時代を先取りしていています。
死の床にありながら,挑戦的な作曲姿勢を感じます。
一方,エキエル氏が再現した中間部は夢のような美しさがあふれています。
ショパン マズルカ【後年に出版された作品 7曲】
WN;8 BI;16 KK;IIa-2 マズルカ ト長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約1分
- 作曲;1826年(16才)
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,旧全集版・第XIII巻 1879年
- ポーランド初版;ワルシャワ,W.コールベルクのリトグラフ 1826年
*1851年の出版かもしれない。 - 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
*写譜者不明の筆写譜をワルシャワ音楽協会が所蔵。
屈託のない陽気な小品です。
WN;7 BI;16 KK;IIa-3 マズルカ 変ロ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約1分30秒
- 作曲;1826年(16才)
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,旧全集版・第XIII巻 1879年
- ポーランド初版;ワルシャワ,W.コールベルクのリトグラフ 1826年
*1851年の出版かもしれない。 - 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
*写譜者不明の筆写譜をパリ国立図書館が所蔵。
いきいきとしたリズムを持つ,愛らしい小品です。
WN;41 BI;73 KK;IVb-1 マズルカ 変ロ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約1分
- 作曲;1832年(22才)
- ポーランド初版;クラコフ,ポーランド音楽出版社,パデレフスキー版ショパン全集の第X巻 1956年
- 献呈;アレクサンドリーヌ・ヴォウォフスカ嬢 ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;クラコフ,国立博物館
「パリ,1832年6月24日」の書き込みが遺されています。
シンプルで短い作品ですが,活き活きとした表情あふれる旋律が魅力的な作品です。
WN;45 BI;85 KK;IVb-4 マズルカ 変イ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約2分
- 作曲;1834年(24才)
- ポーランド初版;ワルシャワ,ゲベトナー・アンド・ヴォルフ 1930年
- 献呈;マリア・シマノフスカ ※正式な献呈ではない。
- 自筆譜;パリ,ミツキェヴィッチ博物館
ポーランドのピアニスト,マリア・シマノフスカのアルバムに記されていた作品です。
しかしシマノフスカは1831年に亡くなっているそうで,ショパンが作曲した1834年には既に亡くなっていたとのこと。
ちょっとミステリアスですね。
穏やかな曲調の小品です。
マズルカ ニ長調 2つのバージョン
「BI 31 , KK IVa – 7」と「BI 71 , KK IVb – 2」はニ長調のマズルカで,同一曲の別バージョンになります。
ショパンの作品であることが疑わしい作品で,エキエル版ではマズルカ集の中には収録されておらず,シリーズ第37巻「補遺 Supplemet」に収録されています。
BI番号もKK番号も割り当てられているので,当サイトではショパンの作品として分類しています。
BI;31 KK;IVa-7 マズルカ ニ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約1分
※BI;71 KK;IVb-2 の第1草稿とされる作品。
- 作曲;1829年(19才)
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,旧全集版・第XIII巻 1880年
- ポーランド初版;ポズナニ,M.ライトゲーバー 1875年
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
BI;71 KK;IVb-2 マズルカ ニ長調
難易度 【1】アマチュアレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約2分
- 作曲;1832年(22才)
- ドイツ初版;ライプツィヒ,ブライトコップフ・ウント・ヘルテル,旧全集版・第XIII巻 1880年
- 献呈;なし
- 自筆譜;行方不明
改訂前の方がきびきびした印象です。
改定後は規模が拡大されています。
BI;82 KK;IVb-3 マズルカ ハ長調
難易度 【2】アマチュアトップレベル
人気度 【1】マイナー作品
演奏時間 約2分
- 作曲;1833年(23才)
- ドイツ初版;マインツ,B.ショット 1870年
- ポーランド初版;ワルシャワ,J.カウフマン 1870年
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
*写譜者不明の筆写譜をマインツ,B.ショット社が所蔵。
ショパンの作品であることが疑わしい作品で,エキエル版ではマズルカ集の中には収録されておらず,シリーズ第37巻「補遺 Supplemet」に収録されています。
BI番号もKK番号も割り当てられているので,当サイトではショパンの作品として分類しています。
ショパン マズルカ【失われた作品 5曲】
KK;Ve-4 マズルカ 変ロ長調
- 作曲;1835年(25才)
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
*8小節の断片のみ,ウィーンの収集家が所有。
ポーランド国家「ドンブロフスキのマズルカ」の後半部分を編曲したものです。
「1835年9月2日」の日付と「nieukowi niewk 何も知らない者から何も知らない者へ」というメッセージが書き遺されています。
マズルカト長調
KK;IVa-9 歌曲「どんな花,どんな花冠」と同一曲かもしれません。
新しい資料にはこの作品の情報が一切出てこないため,去年(2020年)から「IVa-9の歌曲と同じ曲ではないか?」と思ってきましたが,日々資料を整理する中で,確信に変わりつつあります。
この失われた「マズルカ ト長調」と歌曲「どんな花,どんな花冠」が同一曲だとすると,
ショパンのマズルカは全部で59曲(ショパン自作であることが疑わしい作品なども含めると66曲)となり,ショパンの全作品数は257曲となります。
後日精査します。
他の作品の初稿(第一草稿)
下記3曲は生前に出版されたマズルカの初稿(第一草稿)なのですが,モーリス・ブラウンがBI整理番号を割り当てているため,モーリス・ブラウンは個別の作品として認めていたことになります。
しかし,各作品の初稿とか,第二草稿とか,作品として数えはじめたらきりがありません。
いったん完成原稿として出版したわけでもありませんし,作品として扱うのはおかしいのでは,と,当サイト管理人は考えます。
クリスティナ・コピラニスカもKK整理番号を割り当てていません。
- BI;7 マズルカ Op.7-4の初稿 変イ長調 作曲;1824年(14才)
- BI;8 マズルカ Op.17-4の初稿 イ短調 作曲;1824年(14才)
- BI;45 マズルカ Op.7-2の初稿 イ短調 作曲;1829年(19才)
当サイトでは企画としてショパンの作品数を綿密に数え上げ,ショパンの生涯の作品数は258曲であると結論づけています。
この258曲の中に,上記の3曲は含めていません。
ショパン マズルカ【ショパンの作品であることが疑わしい作品 4曲】
下記4曲のうち2曲は専門家によってショパンの作品である可能性が指摘されていますが,
詳細が不明なため,当サイトでは「ショパンの作品であることが疑わしい作品」として扱っています。
BI;4 KK;Anh.Ia-1 マズルカ ニ長調
- 作曲;1820年(10才)
- ポーランド初版;ワルシャワ,写譜者不明の筆写譜のファクシミリ 1910年
- 献呈;なし
- 自筆譜;紛失
写譜者不明の筆写譜のファクシミリが1910年にワルシャワで出版されていますが,ショパンの作品であることは疑わしい作品です。
筆写譜そのものは第二次世界大戦で紛失しています。
KK;Anh.Ib マズルカ 変ロ短調
42小節のマズルカ。
1867年から1893年の間に集められたW.ストプニツキの記念帳の中に含まれていたそうです。
写譜者不明の筆写譜を,ワルシャワのJ.T.ストプニツキが所有しています。
ショパンの作品であることが疑わしい作品とされています。
近年発見された作品
「アレグレット イ長調とマズール イ短調」
1974年11月にパリの競売で自筆譜が発見されたという作品。
後半部分がイ短調で「マズール」と書かれています。
たった14小節の小品です。
自筆譜を専門家が鑑定したところ,ショパンの筆跡に間違い,ということになっているそうです。
詳細が不明な作品なので,当サイトでは作品一覧への掲載は見送っていて,
「ショパンの作品であることが疑わしい作品」として分類しています。
マズルカではないが,マズルカとして収録されることがある作品
WN;36 「アレグレット」嬰ヘ長調 作曲;不明
ショパン作曲の「マズルカ」として稀に収録されていた作品が,実はシャルル・マイヤーという作曲家の作品である,ということが判明していたのですが,
最新の研究では少なくとも冒頭の8小節はショパン自身が書いたものだとされています。
エキエル氏はショパン自身が書いたと思われる箇所を抜き出して再構成し,「アレグレット」としてエキエル版のシリーズB5「色々な作品集 Various Compositions」に収録しています。
これも詳細が不明なため,当サイトでは「ショパンの作品であることが疑わしい作品」として扱っています。
簡易的な解説とはいえ,ショパンのマズルカ全曲を解説するのは大変でした(笑
ご覧になる方も全部に目を通すのは大変だったと思います。
最後までご覧いただき,ありがとうございました!
今回は以上です!