ショパンの前打音・複前打音~打撃音をやわらげる~
この記事では,ショパンが頻繁に用いた前打音・複前打音の奏法についてまとめていきます。
ショパンの装飾音の意義は上の記事にまとめてあります。
まだご覧いただいていない場合はぜひ一読ください!
ショパンの装飾音の意義を簡単にまとめると,
- ピアノで歌う
※「しゃくり(ベンドアップ)」「ヴィブラート」「こぶし」「フォール」の効果をピアノの旋律に与える。 - ゆるやかに段階的に次へ進む
いきなり音を「パーン!」と鳴らすのではなく,徐々に近づけていく。 - 自然なテンポの揺れ
テンポルバートとは別に,テンポそのものを自然に変化させる。
この3つの意義がありました。
ショパンの前打音・複前打音には,特に「1.ピアノで歌う」「2.ゆるやかに段階的に次へ進む」意義があります。
一言でいうと,ピアノの打撃音をやわらげるために前打音・複前打音は書かれています。
以下,様々な奏法を解説していきますが,「ピアノの打撃音をやわらげること」を念頭に置いて演奏すれば間違えることはありません。
ポイントは「ピアノの打撃音をやわらげること」です。
ショパンの前打音~記譜法と奏法~
短前打音の記譜法と奏法
短前打音は拍と同時に弾く
短前打音を先取りで弾いてしまうと,主音にアクセントがついて強調されることになります。
「ピアノの打撃音をやわらげる」ためには,拍と同時に演奏するのが正解です。
長前打音の記譜法と奏法
長前打音は拍と同時に
長前打音も拍と同時に演奏します。
拍と同時に演奏することで,短前打音よりも一層,主音をやわらげる効果があります。
長前打音は,短前打音よりは長く,バロック時代よりは短く
長前打音は,バロック時代には記譜通りの長さ(8分音符は8分音符の長さ,4分音符は4分音符の長さ)で演奏されていました。
ショパンの長前打音は,バロック時代の慣例で弾いてしまうと,聴いた印象が長すぎます。
記譜されている音符の長さよりは,やや短い長さで演奏します(上記譜例の奏法)。
ただし,バロック時代の様式で長前打音を長く弾く演奏者はほとんどいません。
それよりも,短前打音と長前打音の区別なく,短前打音のようにすばやく演奏してしまう演奏者が多いです。
短前打音のようにすばやく演奏してしまわないように注意しましょう。
和音に前打音がついている場合は,前打音付きのアルペッジョとして演奏することもできる
和音に前打音がついている場合は,前打音付きのアルペッジョとして演奏することもできます。
詳細はアルペッジョの解説記事をご覧ください。
ショパンの作品の中で使われている前打音の例
短前打音の例
ノクターンOp.27-2
前打音や短いトリルが出てきますが,全て拍と同時に演奏します。
装飾音を拍と同時に演奏することで,左手の伴奏が旋律に引きずられて揺らされることがありません。
左手伴奏のテンポが揺れてしまうと,クネクネとねちっこい,下品な演奏になります。
拍と同時に演奏することで,揺るぎない左手の伴奏にのせて,歌うように甘美な旋律が奏でられます。
ピアノ協奏曲第1番Op.11 第1楽章
拍と同時に演奏することで,音域の広い和音が豊かに響きます。
ピアノ協奏曲第1番Op.11 第3楽章
後述しますが,速いテンポでの前打音は,ほんの一瞬のことなので,先取りなのか拍と同時なのかの違いは特にありません。
16分音符についている前打音は,先取りなのか拍と同時なのかは問題ではなく,すばやく演奏します。
8分音符についている前打音は,拍と同時に演奏します。
そうすることで,一つのフレーズの終わりを軽やかに輝かしく終えることができます。
先取りで演奏してしまうと,最後の高音のB音(シの音)に強烈なアクセントがついてしまいます。
マズルカOp.33-4
トリルも前打音も拍と同時に演奏します。
そうすることで,民謡的旋律に「こぶし」や「フォール」の効果が生まれて情緒が豊かになります。
バラードOp.47
音の分厚い前打音が出てきます。
音の数が多いだけに,先取りで演奏してしまうと,強烈な打撃音となります。
拍と同時に演奏することで,厚みのある和音を柔らかく響かせることができます。
上の譜例の下の例では,左手に13度という広い音域の和音が出てきます。
これを譜面通り抑えることは不可能です。
この左手の奏法は,
- 低音の3音を前打音として演奏する
- アルペッジョとして演奏する
の2通りの奏法があります。
1.前打音として演奏する場合は,譜例のように,この前打音も拍と同時に演奏します。
2.アルペッジョとして演奏する場合は,譜例のように演奏します。
アルペッジョの奏法については下の記事を参考にしてください。
アルペッジョが前打音で記譜されている例
ショパンはアルペッジョを前打音で記譜する場合があります。
マズルカOp.17-4
ポロネーズOp.53『英雄ポロネーズ』
アルペッジョの奏法については下の記事を参考にしてください。
長前打音の例
前奏曲Op.28-2
短前打音ではないので,音価が短くならないように。
そして前打音を拍と同時に演奏します。
前奏曲Op.28-4
バロック時代の引き方ですと,上の譜例の「B」のようになりますが,実際に演奏してみると音が長すぎます。
上の譜例の「A」の奏法が良いです。
前奏曲Op.28-7
この部分は先取りで弾いている演奏者が多いです。
拍と同時に演奏することで,和音が柔らかく響きます。
前奏曲Op.28-11
ポロネーズOp.61『幻想ポロネーズ』
この部分は短前打音のように,すばやく弾いてしまう演奏者が多いです。
長前打音ですから,十分に長い時間前打音を響かせましょう。
ショパンの複前打音~記譜法と奏法~
複前打音の記譜法と奏法
複前打音も拍と同時に演奏します。
先取りで演奏してしまうと主音が不必要に強調されてしまうのは前打音と同じです。
特に複前打音は拍と同時に演奏することで「こぶし」をまわすような効果があります。
これは短いトリルと同じ効果です。
スライドさせるような複前打音の記譜法と奏法
複前打音によって,3音だけのグリッサンドのような音型になります。
ショパンが好んで用いた装飾音です。
複前打音を先取りで演奏してしまうと,主音に強烈なアクセントがついてしまいます。
「ピアノの打撃音をやわらげる」ためには拍と同時に演奏するのが正解です。
ショパンの作品の中で使われている複前打音の例
普通の複前打音の例
ロンドOp.16
このようにテンポが速い場面で,複前打音を先取りで演奏してしまうと,主音に強烈なアクセントがついてしまいます。
拍と同時に演奏すると,キラキラと輝くような軽やかな音が響きます。
ポロネーズOp.44
壮大なポロネーズOp.44の中間部には複前打音がたくさん出てきます。
全て拍と同時に演奏します。
民謡的な旋律に,複前打音の「こぶし」が入って,より情緒あふれる演奏となります。
スライドさせるような複前打音の例
マズルカOp.6-3
ピアノが弾ける読者は,先取りで演奏した場合と,拍と同時に演奏した場合をぜひ聴き比べてみてください。
先取りで演奏した場合は,野暮ったく,うなるような不快な響きとなります。
マズルカOp.17-2
- 拍と同時に演奏することで,控えめにやわらかく2分音符のG音が鳴らされます。
- 先取りで演奏してしまうと,2分音符のG音に強烈なアクセントがついてしまいます。
- 左手の前打音も同様で,先取りで演奏してしまうとG音にアクセントがついてしまいます。
「ピアノの打撃音をやわらげる」どころか逆効果となります。
ポロネーズOp.71-3
「ピアノの打撃音をやわらげる」ためには,先取りの演奏と,拍と同時の演奏と,どちらが良いのかは明らかです。
変ホ→ニ→変ニと下がってきた旋律から,突然変ホに飛ぶのではなく,ハ→変ニ→変ホと,やわらかく段階を経て変ホ音へ至るように書かれています。
エチュードOp.10-3『別れの曲』
ショパンの数ある美しい旋律の中でも,最も美しい旋律の一つである,別れの曲の主部の最後の部分です。
この直後,poco piu animatoの中間部に入ってガラリと曲想が変わります。
20小節にわたって,胸が熱くなる美しい旋律が奏でられてきた最後の音になります。
拍と同時にスライドを演奏することで,やわらかく,ゆっくりとため息をつくように,たっぷり時間をかけて,惜しむように最後のE音(ミの音)に到達することになります。
美しい旋律が間もなく終わってしまう,まだまだこの美しい旋律を聴いていたい・・・
美しい旋律への執心がより際立ちます。
ショパンの前打音・複前打音~先取りする例~
前の音が,スライドするような複前打音の主音の場合
スライドする複前打音のように見えて,主音が前の音である場合があります。長いトリルを最後ターンで終わらせるのと同じで,主音の後ろに装飾音が付いています。
この場合は前の音に付随する装飾音ですから,後ろの音の拍には入れません。
ポロネーズOp.26-1
ピアノ協奏曲第2番Op.21 第1楽章 展開部
ポロネーズOp.71-2
このように,拍と同時に演奏するのか,先取りで演奏するのか,楽譜を見ただけでは判別が難しいです。
拍と同時に演奏する場合が多いですが,先取りで演奏した方が,より「ピアノの打撃音がやわらげられる」こともあります。
複前打音が出てきたら,その都度,両方の可能性を試して,より「ピアノの打撃音がやわらげられる」奏法を選択します。
《スライドするような複前打音を演奏する際のポイント》
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同じ音を繰り返す前打音
同じ音を繰り返す前打音は,前打音を先取りで演奏します。
前打音は「ピアノの打撃音をやわらげる」ための奏法であることを再確認しましょう。
拍と同時に演奏してしまうと,音が詰め込まれてしまい,逆効果です。
先取りで演奏することで,主音の打撃をやわらげることができます。
深く考えずに譜面を見たまま演奏すれば先取りで演奏することになるので,間違えている演奏はほとんどありません。
ノクターンOp.32-2
同じC音(ドの音)が繰り返されます。
この前打音は先取りで演奏します。
この前打音のC音は,主音が前の音のD音だととらえることもできます。
ノクターンOp.37-1
複前打音(D音+F音)に前打音(D音)がついています。
D音が繰り返されるので,最初のD音は先取りで演奏し,2番目のD音を拍と同時に演奏します。
この部分ではアルペッジョ風の複前打音が3回連続で登場しています。
1回目の複前打音では,D音が繰り返されていますので,このD音は先取りで演奏します。
2回目,3回目の複前打音は拍と同時に演奏します。
マズルカOp.30-2
ここも同じ音を繰り返す前打音なので,先取りで演奏します。
前奏曲Op.28-15『雨だれのプレリュード』
ここも同じE♭音が連続で鳴らされますので,最初の前打音は先取りで演奏します。
ショパンの自筆譜を見ても,最初の前打音は,続く7連符とは完全に別なものとして書かれています。
低音の前打音は先取りで
低音の前打音は先取りで演奏します。
前奏曲Op.28-15『雨だれのプレリュード』
先取りで演奏します。
長前打音ですから悠々と荘厳に響かせます。
エチュードOp.10-5『黒鍵』
前打音である低音のD♭音も含めて,広い音域のアルペッジョだと考えられます。
上の譜例の奏法のように先取りで演奏します。
アルペッジョの奏法については下の記事を参考にしてください。
速いテンポでの前打音はすばやく弾く
速いテンポでの前打音は,拍と同時にひくのか,先取りなのか,は大きな問題ではありません。
拍と同時に演奏されるのですが,ほんの一瞬のことなので,先取りで演奏していても違いはありません。
ワルツOp.18
ワルツOp.34-3
ショパンの前打音・複前打音~まとめ~
- ピアノの打撃音をやわらげる
ショパンの作品では,前打音も複前打音も「主音の打撃音をやわらげる」ことを念頭に奏法を選びます! - 基本的には拍と同時に演奏
前打音も,複前打音も,拍と同時に演奏するのが基本です! - 長前打音は十分長く伸ばす
長前打音が,短前打音のようになってしまわないように注意します!
しかしバロック時代の様式よりは音価が短くなります。 - アルペッジョが前打音で記譜されている場合は,アルペッジョの奏法に従う
アルペッジョの奏法は別の記事にまとめます。 - 先取りで演奏する例
- スライドさせるような複前打音
- スライドさせるような複前打音は先取りで演奏することもある
スライドさせる複前打音も基本的には拍と同時に演奏します。
しかし,先取りで演奏する方が良い場合もあります。
より「ピアノの打撃音をやわらげる」奏法を選択します。
- スライドさせるような複前打音は先取りで演奏することもある
- 前打音
- 同じ音を繰り返す前打音
同じ音を繰り返す前打音は,その前打音を先取りで演奏します。 - 低音の前打音
低音の前打音は先取りで演奏します。 - 速いテンポの前打音はすばやく弾く
速いテンポの前打音は,拍と同時なのか,先取りなのか,に大きな違いはありません。
- 同じ音を繰り返す前打音
- スライドさせるような複前打音
今回は以上です!