*ショパンが使用したピアノの音域については次の記事を参照してください。
◆当サイト管理人の演奏です。2021年5月録音。
ショパンがエチュードの作曲に使用したピアノ
ウィーン式アクションとイギリス式アクション
ウィーン式アクション(はね上げ式)
ショパンが20歳で祖国ポーランドを去るまでのあいだに使用していたピアノは「ウィーン式アクション」と呼ばれる,はね上げ式アクションのピアノでした。
鍵盤とハンマーが連結されていて,鍵盤を押し下げるとハンマーが跳ね上がって弦を打ちます。
シングルエスケープメントと呼ばれる,ハンマーが弦を打鍵したあと,一瞬でハンマーが弦から離れる機構も備わっていました。
*シングルエスケープメント機構がないと,弦を打鍵したハンマーが弦を抑えてしまい,音がすぐに消えてしまいます。
鍵盤は浅くて軽く,ハンマーも小さくて軽いもので,
打鍵に必要な力は,現代のピアノの3分の1程度だったといいます。
軽快で明るくハッキリした音を,指先の小さな力で簡単に出すことができ,
速いパッセージや装飾音も,パソコンのキーボードを打つように,指先で鍵盤を押すだけで簡単に演奏することができました。
一方,低音の音も高音と同様に軽く,深みのある音は出ませんでした。
小さな力で簡単に音が鳴るため,強弱の変化をつけること,特に小さな音を出すことが難しい楽器でした。
まとめると,ウィーン式アクションのピアノは,指先での速弾きに適しており,強弱による表現力に劣る楽器だったといえます。
*youtubeで,ウィーン式アクションの模型の動画がありましたので貼り付けておきます。
イギリス式アクション(突き上げ式)
鍵盤とハンマーは連結されておらず,鍵盤を押し下げるとハンマーが突き上げられ,弦を打ちます。
現代のグランドピアノも,このイギリス式アクションが使われています。
ショパンが1831年にパリに移ってから使用したピアノもイギリス式アクションのエラール,そしてプレイエルのピアノでした。
ウィーン式アクションと比べて,ハンマーが大きく,鍵盤は深く,タッチは重いですが,
深みのある低音が鳴り,重厚な和音を奏でることができました。
エスケープメント機構(弦を打ったあと,ハンマーがすぐに弦から離れる機構)も備わっていて,
鍵盤を押し下げていくと,弦の手前数ミリメートルのところで,ハンマーがアクション部分から解放されるレット・オフという機構が備わっていました。
言い換えると,鍵盤を一定の深さまで押し下げてしまうと,ハンマーを鍵盤によって操作することができなくなるため,
一度打鍵すると,鍵盤を元に戻さないと同じ音を打鍵できず,同じ音をすばやく連打できないという欠点がありました。
しかしエラール製のピアノにはレペティションレバーという機構が組み込まれ,鍵盤を元に戻さなくても,同じ音を繰り返し打鍵できるようになり,素早い連打も可能となりました。
このような機構はダブルエスケープメントと呼ばれています。
鍵盤からハンマーまで力が伝わるまでのあいだに,いくつかの機構を経由するため,自転車などのギアのように働き,指の動作が倍加されてハンマーに伝わります。
鍵盤を軽く押さえれば限りなく小さなピアニシモが,肩や腕の重さを鍵盤にのせれば大きなフォルテシモが表現できるようになり,弱音と強音の幅のある演奏が可能となりました。
*指先での打鍵ではなく,いわゆる重力奏法が可能になったということです。
バックチェックという機構も備えられ,ハンマーのはね返りが防がれ,フォルテシモで強打してもハンマーが弦を二度打ちすることがなくなりました。
まとめると,イギリス式アクションのピアノは,指先によるタッチコントロールだけでなく,肩や腕の重さによる強弱のコントロールも必要となりましたが,ダイナミックレンジの広い表現力豊かな演奏が可能になりました。
*こちらもyoutubeで見つけた動画を貼っておきます。
レペティションレバーやバックチェック機構が備わった,現代グランドピアノのダブルエスケープメント機構の動画です。
ショパンの時代はピアノの鍵盤が細かった!
ショパンの時代は,ピアノの愛好者には貴族の女性が多くいました。
ショパンの生徒にも女性がたくさんいました。
女性は一般的に手が小さいです。
現代のピアノはオクターブ(白鍵7個分)で約165mmです。
ピアノが誕生する前のチェンバロは規格が揃ってはいなかったようですが,イタリアのチェンバロでは3オクターブで約50cmだったということなので,現代のピアノとほぼ同じ鍵盤の幅があったようです。
そして鍵盤の黒と白の色も逆でした。
その後誕生したフォルテピアノは鍵盤の細いものが多かったようです。
ベートーヴェンが使用したピアノはオクターブが159mm,ショパンが使用したピアノはオクターブが154mmだったと言います。
ロマン派の時代には貴族女性のピアノ愛好者が多かったですし,ショパンの手形が遺っていますが,決して大きな手ではありません。
ショパンの手の大きさは,現代のピアノでは10度がやっと届く位の大きさになります。
広い音域に手が届くということは,オクターブの連続を余裕を持って弾いたり,広い音域の和音をアルペッジョなしで弾いたり,といったことができるようになります。
ノクターンの広い音域に広がる伴奏を音型をペダルに頼らずにレガートで弾くこともできます。
もっと広い音域に手が届けは,Op.10-1や10-11のエチュードがどれほど楽に演奏できることか・・・
やがてピアニストはリストなど,高身長で手の大きな男性ピアニストの評価が高くなり,三大ピアノメーカーのスタインウェイ,ベーゼンドルファー,ベヒシュタインは揃って,幅の広い鍵盤を標準規格とするようになりました。
また,金属フレームの誕生により,ピアノの弦はものすごい力で張られることとなり,力を込めれば込めるほど迫力ある大音量の出る,野性的な楽器となってしまいました。
現代のピアノは鍵盤の幅が広すぎるように思います。
もっと細い鍵盤のピアノが普及しても良いのにな,と願っております。
ショパンのエチュードで使われている技法
ショパンは”指で”作曲した
ショパンはいつでも,実際にピアノを弾きながら,ピアノに触れて音を出しながら作曲をしました。
ショパンの作品は机上の空論による想像ではなく,ショパンの手によって実際に奏でられた天啓が5線譜に記譜されたものです。
ショパンの作品は,ショパンがその時使っていたピアノの影響を受けています。
例えば,ショパンが作品で使っていたピアノの音域は,使用していたピアノの音域の影響を受けています。
ウィーン式アクションのピアノで作曲された作品
Op.10-8,9,10,11
これら4曲は,1929年,ショパン19才の作曲だとされています。
ショパンはまだポーランドにいて,ウィーン式アクションのピアノを使用していました。
コンスタンツィア・グラドコフスカへの恋に夢中になっていた時期で,
7月~8月にウィーンへ旅行をし,ウィーンでの演奏会が好評を博した年です。
これら4曲のエチュードは,ウィーンからポーランドへ戻ってきたあと,
10月~11月に作曲されたとされています。
これら3曲は,うまく脱力ができていても弾きにくい作品です。
また,明るくクリアな音を終始鳴らし続けるため,腕が疲れます。
強弱の変化はあまり重要ではない作品です。
ウィーン式アクションのピアノならば,随分と楽に演奏ができるのではないかと思います。
ショパンの作品は,手を緩く開いた自然な状態で鍵盤の上に置き,指先ではなく,指の腹で打鍵するべきであり,実際にショパンの生徒が,そのように指導を受けていたと証言しています。
しかし,ウィーン式アクションのピアノで作曲されたこれら3曲のエチュードは,
手を丸めて,指を立てて弾く,古典的な演奏法(いわゆるハイフィンガー奏法)の方が弾きやすいかもしれません。
立てた指が奏でる乾いたクリアな音の方が,曲想にもあっているようにも思います。
Op.10-1,2,5「黒鍵」,6
1830年,ショパン30才のときの作品です。
ショパンは11月にポーランドを発ち,翌年にはパリに移ることになりますが,
これら4曲が作曲されたのはポーランドを発つ前だと考えられます。
これら4曲の作曲にも,ウィーン式アクションのピアノが使われたことになります。
黒鍵のエチュードは,まさにウィーン式アクションのピアノのために作曲されたような作品です。
高音の黒鍵が明るくクリアに輝くように鳴り響いたことでしょう。
Op.10-1とOp.10-2は難曲揃いの練習曲集の中でも,一際演奏が難しい作品ですが,指先の軽い力で演奏が可能で多少のタッチの強弱があっても均一な音が鳴ったであろうウィーン式アクションのピアノならば,随分と演奏が楽だったのかもしれません。
Op.10-1やOp.10-2の演奏が中々上手くできない演奏者は,重力奏法ではなく,いわゆるハイフィンガー奏法で,指を立てて指先の力だけで打鍵するようにすると,弾きやすくなるかもしれません。
Op.10-12「革命」
1831年の作曲とされています。
1830年11月,ショパンがポーランドを発った直後,11月29日に11月蜂起が起こっています。
その後ウィーンに到着するも,ウィーンではすっかり忘れ去られており失意のまま1831年7月20日にウィーンをあとにし,ミュンヘンへ向かいます。
その後9月にはシュトゥットガルトに到着しますが,9月8日,シュトゥットガルトで,ついにロシア軍による総攻撃にワルシャワが陥落し,蜂起が失敗に終わったことを知ります。
このときのショパンの心の叫びが,Op.10-12「革命のエチュード」に昇華されていることは明らかです。
9月末にはパリに到着し,ワルシャワの家族や友人の無事がわかり,ひとまず安心します。
パリには亡命してきたポーランド人もたくさんおり,翌年のパリデビューリサイタルへ向けて生き生きと活動をはじめます。
やがてはショパンが生涯愛用することになる,イギリス式アクションのプレイエルのピアノと出会うことになりますが,
ワルシャワ陥落からの悲観があらわれている革命のエチュードは,パリ到着直後に作曲されていると思われますので,ウィーン式アクションのピアノによる演奏を想定して作曲されていると考えられます。
左手で高速パッセージを演奏し続けるため,技術的な難しさもさることながら,左手が疲れてしまう作品です。
これも,ウィーン式アクションの軽いタッチならば,疲れを感じずに演奏することが可能だったのかもしれません。
革命のエチュードには,ショパンはペダル指示を書き込んでいません。
ウィーン式アクションのピアノだと,ペダルを使いすぎると音量が大きくなりすぎたのかもしれません。
イギリス式アクションのピアノで作曲された作品
Op.10-3「別れの曲」,4,7,Op.25
Op.10の残り3曲と,Op.25の12曲は,1832年以降に作曲されており,
イギリス式アクションのピアノを使用して作曲されたことになります。
Op.10-3「別れの曲」
4声が立体的に緻密に合わさって作られた作品で,パートごとの音量の差を明確に表現できるイギリス式アクションのピアノだからこそ演奏可能な作品だといえます。
提示部のフォルテシモと再現部のフォルテとの音量差による表現なども,イギリス式アクションだからこそ実現できたといえるでしょう。
腕の重さをかけて,その後すぐに腕を持ち上げる,(重い)→(軽い)というアーティキュレーションが多用されています。
重力奏法だからこそ表現可能なアーティキュレーションです。
Op.10-4
両手でいろいろな音型の速いパッセージを弾く訓練。
使われている技術はOp.10-8と似ていますが,実はまったく違う技術が必要です。
Op.10-8は音量の差(音色)による表現はあまり重要ではありませんでしたが,
Op.10-4では音量の差による表現が重要になります。
fフルテとpピアノとの明確な音量差が求められる作品です。
fzフォルツァンドは単に大きな音を出すというよりも,重さをかける指示だといえます。
腕の重さをかけて,その後すぐに腕を持ち上げる,(重い)→(軽い)というアーティキュレーションも使われています。
イギリス式アクションのピアノだからこそ,重力奏法による表現が可能になったといえるでしょう。
Op.25-3とOp.25-5
腕の重さをかけて,その後すぐに腕を持ち上げる,(重い)→(軽い)という重力奏法のための練習曲です。
まさにイギリス式アクションのピアノのための練習曲といえます。
Op.25-6,Op.25-8,Op.25-9,Op.25-10
3度や6度,8度の重音が延々と続きます。
単音で演奏するのに比べて単純に音量が大きくなります。
また,重音を美しく演奏するには,上の音と下の音との音量のバランスが重要です。
イギリス式アクションのピアノだからこそ,音量コントロールが可能になり,重音も美しく演奏することができます。
Op.25-1
大きな音符で記譜された音と,小さな音符で記譜された音があります。
これらは,単なる声部の違い以上に,まったく別次元の音が求められます。
大きな音符で記譜された音は作品の骨組みとなる主要な音で,
小さな音符で記譜された音は,別次元の音楽的霊気の中で旋回する音群です。
打鍵の重さをコントロールできるイギリス式アクションのピアノだからこそ,
小さな音符で記譜された内声を浅いタッチで淡く演奏しながら,メロディとベース音を豊かに響かせることができます。
ショパンのエチュードを現代のピアノでどう弾くか
ショパンのピアノ書法は,作曲したときにショパンが使用していたピアノと密接な関わりがあります。
ピアノの原型は,バルトロメオ・クリストフォリによって1700年ごろに発明されました。
クリストフォリが1720年に製作したピアノを,ニューヨーク・メトロポリタン美術館が所蔵しています。
18世紀後半,モーツァルトが使用したピアノは,現代ではフォルテピアノと呼ばれています。
現代のピアノと比べると,軽快な響きで,音の減衰がはやく,強弱の音量差をあまりつけることができませんでした。
*鍵盤の色も,現代のピアノとは白と黒が逆でした。
小さな指先の力で簡単に大きな音が鳴るので,指先だけでタイプライターのように演奏する,いわゆるハイフィンガー奏法が主流でした。
そして,1790年ごろから1860年ごろにかけて,ピアノは急速に劇的な革新を続けます。
1810年生まれで1849年に亡くなったショパンの生涯は,まさにピアノの革新とともにありました。
ショパンやリストのようなピアニストの存在があったからこそ,現代ピアノを誕生させたとも言えます。
ショパンのOp.10の練習曲の多くは,ウィーン式アクションのピアノで演奏するための作品です。
ウィーン式アクションのピアノは,現代のピアノとは大きく異る楽器です。
現代のピアノを演奏するための近代奏法では,
Op.10の練習曲は演奏が困難になるだけでなく,
ショパンが意図していたものとは違う音色,違う発想の演奏になってしまう可能性があります。
Op.25の練習曲はイギリス式アクションのピアノのための作品です。
現代のピアノもイギリス式アクションで,当時のエラールやプレイエルのピアノは,現代のピアノに近いものでした。
しかし,鉄製の頑丈なフレームにささえられ,20トンもの張力で弦が張られている現代ピアノとは,やはり違う楽器です。
ショパンの意図を完全に再現するためには,
ショパンが当時使っていたピアノとまったく同じ楽器が必要なのかもしれません。
ピリオド楽器(古楽器)を使って演奏するという手段もあります。
しかし,そう簡単に入手したり借りたりできるものではありません。
現代のピアノで,ショパンの作品をどう弾くべきなのか。
正解はありませんが,
ショパンが作曲したときに使っていたピアノの特徴を知ることは,
ショパンの思い描いていた音楽を理解する役に立つでしょう。
今回は以上です!
◆当サイト管理人の演奏です。2021年5月録音。