ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 関連記事への目次
ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 概要
ピアノ演奏技術の開拓と音楽的芸術の調和
エチュード(練習曲)とは本来メカニズムを訓練するための教材
芸術的な音楽作品を演奏するために必要な基礎技術をメカニズム(フランス語でメカニスム)といいます。
メカニスムは19世紀のフランスでは音楽用語でした。
メカニズムは指や腕の動作といった,演奏の機械的な側面をさします。
カルクブレンナーは「生徒のメカニスムが習得されるまでは,ベートーヴェンの作品の演奏を認めない」と書いています。
音階やアルペッジョ,トリルやトレモロなど,反復訓練をせずにいきなり芸術作品を演奏しても上達しない,という意味です。
当時,エチュード(練習曲)とは,芸術作品を芸術的に演奏するためのテクニック(メカニズム)を習得するための訓練用教材のことでした。
教則本とも呼ばれます。
また,ピアノという新発明の楽器の奏法を発案し,紹介する役目もありました。
演奏を聴かせたり聴いたりしてたのしむための作品ではありませんでした。
日本で馴染み深いものでは,バイエル,ハノン,ツェルニーなどが代表です。
指を反復訓練するための教材ですから,無味乾燥なものが多く,鑑賞するための作品ではないでしょう。
反復訓練を芸術作品に高めてしまったショパンのエチュード
ショパンのエチュードを聴いて,皆さんはどう感じるでしょうか。
「別れの曲」「黒鍵」「革命」「エオリアン・ハープ」「木枯らし」「大洋」など,頻繁に演奏されている作品だけでなく,
Op.10とOp.25の24曲すべてが,高い芸術性を備えた珠玉の名曲です。
しかし注意深く聴いてみると,どの作品も同じ技術を繰り返し反復していることに気づきます。
楽譜を見ると一目瞭然で,機械的な反復練習を目的にした譜面であることがわかります。
上の譜例はOp.25-12『大洋』の譜面ですが,延々と両手アルペッジョを反復訓練する譜面になっています。
同様に,アルペッジョの反復訓練を目的に作られたハノン第41番と見た目も中身の構造もまったく同じです。
しかし,両者を弾き比べれば(聴き比べれば)その違いは明らかです。
機械的な反復訓練を繰り返しているだけなのに,そこには高い芸術性と深い感動があります。
ただの反復練習が芸術作品に昇華するなんて,誰が想像できたでしょうか。
ショパンにしかなし得なかった奇跡的な創造物です。
同じ技術を何度も繰り返し反復訓練するというスタイルを崩さず,
洗練された和声,儚くも美しい旋律,豊かな詩情,鋭敏なリズム感,繊細な音色など,高次元の芸術表現が実現されています。
Op.10-5『黒鍵』は右手高音パートは黒鍵しか弾かないという厳しい制約を自らに課して作曲されています。
そのせいで,ショパン自身は教則本の域をこえない作品だと思っていたようで,
クララシューマンが『黒鍵』のエチュードを演奏したときには,
「黒鍵しか弾かないという点をのぞけは,何の面白みもない曲をわざわざ弾かなくても良いのに・・・」と語ったそうですが,その黒鍵のエチュードでさえ,チャーミングな珠玉の名曲であることは間違いありません。
最先端のピアニズムを反復練習する教則本という側面と,
高い芸術性という,本来両立するはずのないものが,見事に調和されている,
まさに天才の作品です。
ピアノという楽器の可能性を示した金字塔
ピアノという楽器がいよいよ完成形に近づいていた時代です。
新しい機構や素材によってピアノは進化を続け,
次々とニューモデルのピアノが誕生していました。
ショパンの練習曲は,当時の最先端のピアノの演奏技術の可能性を示しています。
ポーランド時代に作曲した作品はウィーン式アクションのピアノについての,
パリに移ってからはイギリス式アクションのピアノについての,
先駆的な奏法を示し,演奏技術の地平線の先を照らしています。
と同時に,ピアノという楽器が,高い芸術表現が可能な革新的な発明品であることも示しました。
ショパン,そしてリストという芸術家がいたからこそ,ピアノは現代の形まで進化を遂げることができたと言えますし,
リストも,ショパンの作品と出会っていなければ,ピアノという楽器がここまで可能性を秘めた楽器であることには気づかなかった可能性もあります。
完成された現代ピアノは,スゴイ楽器です。
音域が広く,一般に普及しているピアノは88鍵を有します。
最低音A0音が約28Hz,最高音のC8音が約4186Hzで,人の耳が音階として感じ取れる音のほぼ全音域の音を鳴らすことができます。
なお,2018年9月には,C0からB8まで108鍵のピアノが作られ,2021年現在ではこのピアノが世界一広い音域を持つピアノになります。
また,多様な音色を表現できます。
鍵盤を速く押すのか,ゆっくり押すのか,はたまた半分ほど押しさげてから最後にそっと鍵盤を押すのか,鍵盤を押したあとも押し続けるのか,すぐに離すのか,鍵盤のおさえかた,いわゆる「タッチ」によって音色が多様に変化します。
ダンパーベダルやシフトペダル(ソステヌートペダル)を踏んだり,踏まなかったり,少しだけ踏んだり,といったペダルの踏み込み方でも音色が変化します。
現代のピアノ曲では,ピアノ本体を叩いたり,弦を直接指ではじいたり,などという奏法が使われたりもします。
音量も自由に変えられます。
たった1台のピアノが,フル編成のオーケストラに負けない大音量を出すことができます。
耳を澄ませないと聞こえないような微かな小さな音を出すこともできます。
さらには,同時にたくさんの音を出すことができます。
ダンパーペダルによって,指を離した後も発音を維持できますので,
何十もの音を同時に重ねて鳴らすことができます。
極端なことを言えば,もしも指が88本あるなら,88音を瞬時に,同時に鳴らすことも可能です。
一度鳴らされた音は,周波数(ピッチ)を変化させることができず,音量は単調に減衰するだけという弱点はありますが,「装飾音」という発明により,人の歌声のようにメロディを奏でることもできます。
歌うように旋律を奏でるための「装飾音」はショパンによって発展,完成されたものです。
このような楽器の特性から,伴奏とメロディを,たった1台のピアノと1人のピアニストで演奏することができます。
低音パートと高音パートの二重奏を伴奏付きで演奏したり,4声,5声といった複数の旋律を同時に演奏することも可能です。
交響曲のピアノ編曲版が多数売られていることからもわかるように,
ピアノ1台でオーケストラのための楽曲を演奏することもできます。
ピアノという楽器は,ショパンという特異な存在によって現代に生み出されたオーパーツです。
宇宙には地球と同じ水準の文明が無数に存在する可能性はあるでしょうが,
それでもピアノという楽器は,この地球にしか存在しないのではないかと思えます。
ショパンの練習曲は,未来に完成される現代ピアノへの道筋を照らした,
音楽史上の金字塔です。
根底にあるのはバッハとモーツァルト
ショパンは突如現れた天才ではなく,バッハとモーツァルトの系譜です。
ショパンのピアノ演奏の唯一の先生だったジヴニーは,当時あまり演奏されなくなっていたバッハに深く傾倒しており,幼少のフレデリックに対位法的作品を丹念に指導しました。
ジヴニーはバッハだけでなく,ハイドン,モーツァルトも音楽の基本だとして丁寧に教えています。
フレデリックは生涯にわたって,バッハとモーツァルトを敬愛し続けました。
ショパンがOp.10とOp.25あわせて24曲の曲集としてまとめ上げたのも,
バッハの平均律クラヴィーア曲集にならったものであるのは明らかです。
Op.10-1がハ長調で,Op.10-2がハ長調の平行調のイ短調になっていて,
Op.10-3がホ長調で,Op.10-4はその平行調の嬰ハ短調,
Op.10-5が変ト長調で,Op.10-6がその平行調の変ホ短調になっています。
平行調を軸にして,平均律クラヴィーア曲集のように,24の調性をすべて使った曲集にしようとしていたことがわかります。
24の調性をすべて使った,しかも全体の統一感のある曲集を完成させるのは簡単なことではありません。
この点においては,ショパンは挫折し,妥協したものと思われます。
なお,Op.25を出版した2年後には,24の調性をすべて配置した前奏曲集Op.28を見事出版しています。
クラヴィーアはドイツ語で鍵盤楽器のことで,特定の楽器を示す言葉ではないそうです。
バッハの時代の鍵盤楽器というと,チェンバロです。
イタリア語ではチェンバロですが,英語ではハープシコード,フランス語ではクラブサンとなり,これらは同じ楽器です。
チェンバロはピアノとは発音機構が異なっており,弦をはじいて音を出していました。
現代ピアノは,弦を叩いて音を出します。
当時はクラヴィコードという楽器もあり,これは弦を金具で突き上げて発音するので,チェンバロよりはピアノに近い楽器でした。クラヴィコードは音量がきわめて小さいため,自宅での練習用や,数人で音楽をたのしむための楽器だったとのことです。
バッハのクラヴィーア作品はチェンバロという楽器の演奏技術の到達点を示すとともに,
高い芸術性と宗教的感動があります。
バッハの作品は,ショパンがピアノという新しい楽器で成し遂げた偉業の手本でした。
モーツァルトは音楽における純粋な「美しさ」を具現化しました。
思想や物語を文学的に音楽で表現するのではなく,純粋に完全無欠な音楽を現実世界に現すことが究極の芸術であるというショパンの作曲姿勢につながっています。
「練習曲」のスタイルを転換した歴史的偉業
「練習曲」は元々,最先端で開発途上にあったピアノという楽器の反復練習のための教則本でした。
ところが,ピアノという楽器による音楽作品の黎明期に,ショパンは最高峰の芸術作品「練習曲」を出版してしまいました。
このことにより,「練習曲」というのは反復練習の教材ではなく,「演奏難度の高い芸術作品」のことをさすようになりました。
シューマンやリスト,アルカンなどショパンと同時代の作曲家や,
後世の作曲家であるドビュッシー,ラフマニノフ,スクリャービンなど,多くの作曲家が「練習曲」を作曲しています。
これらの作品は高度な演奏技術を要する,音楽的にも優れた作品です。
しかし,単一の練習課題を反復訓練するという側面は薄れています。
反復訓練を目的とした本来の「練習曲」のスタイルを受け継ぎながら,
芸術性も兼ね備えた作品となると,唯一無二,ショパンの練習曲集だけなのかもしれません。
「課題曲」の定番
ショパンの練習曲集Op.10,Op.25は,19才から26才のあいだに作曲されています。
若干20才そこそこの人間がこれだけの作品を書き遺しているというのは驚きです。
ショパンのエチュードは,ピアノコンクールや音大の入試の課題曲の定番となっています。
プロのピアニストを目指すなら,避けて通ることができません。
24曲すべて,ほんの数分で演奏が終わります。ほとんどの作品は1~2分で演奏が終わります。
たったの1~2分の演奏で,高度な演奏技術と,音楽的表現力の両方の実力が如実にわかってしまう恐ろしい作品です。
ピアニストは普段使っている楽器を持ち込むことは(普通は)できません。
慣れていないピアノと会場で,弾きなおしなしの一発で,ショパンのエチュードを完成度高く演奏するというのは至難の業です。
このような試練を何度もクリアしてきたであろう一流のピアニストたちは,
やはり常人ではありません。
運指も重要
ショパンの練習曲集では,運指についてもいつも以上にこだわって記譜されています。
ショパンの練習曲はその芸術性の高さから,訓練教材としての側面を忘れがちです。
指を反復訓練するための教則本ですから,運指(指遣い)が重要です。
ショパンが指定した運指を守って演奏しなければ,各作品の練習課題を身につけることができません。
Op.10-2のフランス初版の校正刷りです。
ショパン直筆の書き込みが多数遺されていて,運指も丁寧に書き込まれています。
ショパンの練習曲は,ショパン自身の手による直筆の印刷用清書原稿が多数遺されています。
パリに出てきたばかりの新人作曲家でしたから,めずらしく最後まできっちり仕事をしています。
数年もすれば,ラフ原稿からの写譜や清書を友人たちに任せっきりになってしまいます。
練習曲集は,ショパン自筆の清書原稿を見ることができる貴重な作品です。
ショパン直筆の清書原稿をみると,運指もこだわって丁寧に記譜されていることがわかります。
ショパン以前は,弱い指=4・5の指=薬指と小指を強く鍛えて,他の強い指と同じ様に演奏できるように訓練するのが常識でした。
しかしショパンは,各指のそれぞれの個性を生かして音楽を奏でる奏法を生み出しています。
ショパンのピアノ奏法は革新的です。
ショパンは死の直前にピアノ入門書を書き始めていました。
未完のままショパンは亡くなってしまいましたが,草稿は遺されています。
「肘は白鍵の高さに,手は内側外側に傾けずにまっすぐ置き,手首から先だけでなく腕全体を使って」「音楽とは・・・」「音による思想や感情の表現・・・」「一つの言葉では言語にならないのと同じく,一つの音では音楽にならない・・・」など,ショパンのピアノ演奏に関する貴重なメソードに触れることができます。
そこには「各指の性質を生かしたタッチの魅力を損なわないように」との記述もあり,
弱い指を強く鍛えて個性を潰してしまうのではなく,弱い指が本来もつ魅力を最大限ひきだすことが大切であると説いています。
ピアノ演奏の基礎土台を鍛え上げるための運指
ショパンの練習曲の各曲の練習課題は,特異な音型の繰り返しが多く,
他の作品に頻繁に出てくるような音型ではありません。
ツェルニーの練習曲は,よく知られた芸術作品,特にベートーヴェンのピアノ作品に出てくる音型とそっくり同じ音型を,繰り返し反復訓練するように作られています。
あらかじめツェルニーの練習曲を反復練習しておけば,いざベートーヴェンのピアノソナタに取り組んだときに,技術的な練習は不要となるように工夫されています。
Op.10-1は明らかにアルペッジョの練習曲です。
しかし,最大で11度もの広い音域のアルペッジョを,しかもこんな高速で演奏することなど,他の作品ではほぼあり得ません。
4指-5指は最大で5度の広がりが求められます。
2小節ごと,和声が変わるたびに,各指間の広がり具合も様々に変化するため,非常に弾きにくいです。
このような特異な技術を習得しても,他の作品で生かす機会などなさそうです。
ところが,この曲を正しく反復練習すると,右手が柔らかくなり広がります。
指定テンポで美しく演奏することを意識することで,
体幹が安定し,肩・肘・手首が脱力され,柔軟性が生まれ,腕が疲労しなくなります。
つまり,この曲は単にアルペッジョを訓練するための作品ではないのです。
体幹の安定,全身の脱力と柔軟性,手の拡張という,ピアノ演奏の根本的な土台を鍛え,ピアニストとしての素養を身につけるための練習曲なのです。
ショパンが意図した練習課題を身につけるためには運指は重要です。
ショパンが記譜した運指が正しく印刷されている楽譜を手に入れ,
ショパンの運指を守って反復練習することで,ショパンの奏法を身につけることができます。
作品番号と調性,作曲年
Op.10とOp.25のエチュード(練習曲)は全部で24曲あります。
ここでは使われている調性と作曲年を表にまとめます。
ウィーン式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は青太字に,
イギリス式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は緑太字で表示しています。
ショパンがエチュードの作曲で使用したピアノについての解説は,ショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【ショパンが作曲に使用したピアノ】をご覧ください。
No. | Op. | - | BI | 調性 | 作曲年 | 19才 | 20才 | 21才 | 22才 | 24才 | 25才 | 26才 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | 1 | 59 | ハ長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
2 | 10 | 2 | 59 | イ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
3 | 10 | 3 | 74 | ホ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
4 | 10 | 4 | 75 | 嬰ハ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
5 | 10 | 5 | 57 | 変ト長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
6 | 10 | 6 | 57 | 変ホ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
7 | 10 | 7 | 68 | ハ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
8 | 10 | 8 | 42 | ヘ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
9 | 10 | 9 | 42 | ヘ短調 | 1829年 | 19才 | ||||||
10 | 10 | 10 | 42 | 変イ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
11 | 10 | 11 | 42 | 変ホ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
12 | 10 | 12 | 67 | ハ短調 | 1831年 | 21才 | ||||||
13 | 25 | 1 | 104 | 変イ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
14 | 25 | 2 | 97 | ヘ短調 | 1835年 | 25才 | ||||||
15 | 25 | 3 | 99 | ヘ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
16 | 25 | 4 | 78 | イ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
17 | 25 | 5 | 78 | ホ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
18 | 25 | 6 | 78 | 嬰ト短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
19 | 25 | 7 | 98 | 嬰ハ短調 | 1836年 | 26才 | ||||||
20 | 25 | 8 | 78 | 変ニ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
21 | 25 | 9 | 78 | 変ト長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
22 | 25 | 10 | 78 | ロ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
23 | 25 | 11 | 83 | イ短調 | 1834年 | 24才 | ||||||
24 | 25 | 12 | 99 | ハ短調 | 1835年 | 25才 |
初版と献呈,原典資料
ここでは初版と献呈について簡単にまとめます。
初版についての詳細や,自筆譜・写譜などの原典資料については,ショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【原典資料】の解説記事をご覧ください。
ショパンエチュードOp.10 初版と献呈
- 献呈;フランツ・リスト
- フランス初版 パリ,M.Schlesinger(M.シュレサンジュ),1833年6月出版
- ドイツ初版 ライプツィヒ,F.Kistner(F.キストナー),1833年8月出版
- イギリス初版 ロンドン,Wessel & C°(C.ウェッセル),1833年8月出版
フランツ・リストに献呈されています。
練習曲集Op.10を見たリストが初見で弾こうとするも上手く引けず,
これを悔しがったリストは練習をし,数週間後には見事な演奏を披露。
これに感動したショパンはOp.10の練習曲集をリストに献呈した,
という逸話は有名です。
フランス初版は珍しくショパン自身がちゃんと校正に関わっています。
決定版としての資料価値が高く,ショパンの作品でここまで信頼できる原典資料が存在するのは珍しいことです。
ドイツ初版は勝手な解釈による変更が多数加えられていて,その改変が後世の出版譜に受け継がれてしまいました。
現在出版されている楽譜のほとんどが,ドイツ初版の勝手な変更を受け継いでしまっています。
ショパンエチュードOp.25 初版と献呈
- 献呈;マリー・ダグー伯爵夫人
- フランス初版 パリ,M.Schlesinger(M.シュレサンジュ),1837年10月出版
- ドイツ初版 ライプツィヒ,Breitkopf & Hartel(ブライトコップフ・ウント・ヘルテル),1837年10月出版
- イギリス初版 ロンドン,Wessel & C°(C.ウェッセル),1837年10月出版
マリー・ダグー伯爵夫人は,1805年生まれで,ショパンがパリで活躍をはじめ,ジョルジュ・サンドと出会ったころに,フランツ・リストの愛人だった女性です。
1833年にサロンでリストと知り合って,1835年ごろからリストと関係を持っていました。
リストとダグー夫人が逗留しているスイスへサンドが遊びにいったり,
サンドのノアンの別荘にリストとダグー夫人を招いたり,といった友人関係にありました。
文筆活動もしていたダグー夫人はサンドに対抗心を燃やしていたそうで,
後年,小説「ネリダ」でリストとの関係を書いてベストセラーになっています。
その後,ダグー夫人とリストの仲はうまくいかなくなっていきますが,
サンドとショパンは長年良好な関係が続きます。
そのせいで,ダグー夫人はたびたびサンドの陰口を言うようになり,
サンドとダグー夫人の仲は悪くなっていきます。
フランス初版はOp.25もショパン自身が校正に関わっていましたが,
印刷用の清書原稿が失われているため,Op.10のフランス初版ほどは資料価値は高くありません。
ドイツ初版はOp.25でも勝手な改変をたくさんしているので資料価値はありません。
しかし,印刷用の清書原稿が全て遺っていて,この資料価値は高いです。
その他の原典資料
ショパンの練習曲集には,初版以外にもたくさんの原典資料が遺されています。
- ショパンの自筆譜~ラフ原稿~
- ショパンの自筆譜~印刷用の清書原稿~
- ショパンの自筆譜~校正刷りへの書き込み~
- ショパンの自筆譜~特定の人物への贈り物として個人的に書かれたもの~
- 写譜~印刷用の清書原稿として書かれた写譜~
- 写譜~個人的に書き留められた写譜~
- ショパンの生徒がレッスンで使用していた楽譜~ショパン自身の書き込みが遺されています~
作品によっては複数の原典資料が現存しています。
詳細はショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【原典資料】の解説記事をご覧ください。
メトロノームによるテンポ指定
Op.10とOp.25の24曲すべてに,ショパン自身がメトロノームによる速度指示を書いています。
これはヨーゼフ・クリストフ・ケスラーの作品からの影響だと言われていますが,
特筆すべき特徴です。
伝統的に,ショパン指定のテンポ通り演奏されることの多い作品もあれば,
ショパン指定のテンポより遅く演奏されることが多い作品もあります。
指定テンポ通り演奏される作品の代表はOp.10-1,Op.10-2,Op.25-6,Op.25-8の4曲です。
どれも「難曲」として頻繁に話題にのぼる作品です。
ショパン指定のテンポで演奏することが慣例となっているからこそ,演奏が「難しい」のだとも言えます。
Op.10-12『革命』やOp.25-12『大洋』などは,ショパン指定のテンポよりも遅いテンポで演奏されることが多いです。
ショパンの練習曲の中でも,とりわけ演奏される機会の多い作品です。
たくさんのピアニストに演奏され,多くの聴衆の耳に入り,多くの録音がのこされたことで,
「技術的に弾きやすいテンポ」で演奏することが一般に受け入れられている作品です。
ショパン指定のテンポよりもかなり遅く演奏される作品もあります。
Op.10-3『別れの曲』が代表です。
情感をこめて旋律を歌い上げる作品では,かなり遅いテンポでの演奏が伝統となっています。
Op.25-11『木枯らし』はショパン指定のテンポで演奏するのが不可能な作品です。
当サイト管理人が知る限りの範囲ですが,過去に『木枯らし』のエチュードをショパン指定のテンポで演奏した録音はありません。
作品によっては,自筆譜,校正,初版の出版と段階を経るごとにテンポが書き換えられているものもあります。
例えば『別れの曲』は初期の自筆譜にはVivaceと書かれていました。
最終的にショパンが決定したテンポを知るだけでなく,
そのテンポに決まるまでの変遷を知ることは,
ショパンがその作品に抱いていたイメージを想像する助けとなります。
ショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【ショパンが指定したテンポ】の解説記事では,ショパンが指定したテンポについて詳細をまとめています。
ぜひご覧ください!
発想記号などの演奏指示が多い
ショパンの練習曲集は,ショパンの他の作品に比べて,発想記号や速度記号などの演奏指示がたくさん書かれています。
特にOp.10はたくさんの演奏指示が書かれています。
Op.10-3『別れの曲』とOp.10-9は特に多く,その数なんと24箇所!
70小節ほどの小品にこれだけの演奏指示が書かれているというは,
ショパンの練習曲集の特徴のひとつです。
フォルテやピアノなどの強弱記号も多数書かれていて,
Op.10-12『革命』は,その数なんと24箇所!
Op.10-5『黒鍵』も23箇所,Op.10-9は22箇所に強弱記号が書かれています。
Op.10-9は演奏指示と強弱記号をあわせて,なんと46箇所になんらかの指示が書き込まれていることになります。
Op.10-9は67小節しかありません。46箇所に指示が書き込まれているというのは驚くべき多さでしょう。
ショパンは演奏指示や強弱記号を記譜するときも,こだわりを持って書き込んでいます。
どこに,どのような演奏指示が書かれているのかは重要です。
ショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【ショパンが記譜した演奏指示】の解説記事では,ショパンが練習曲集に記譜した演奏指示をまとめています。
ぜひご覧ください!
ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 構成
24曲全てが三部形式
練習曲集Op.10,Op.25の24曲はすべてA[主部]–B[中間部]–A'[再現部+コーダ]といシンプルな三部形式で作られています。
A’再現部は,A主部が省略や展開などなんらかの変形をされたものになっていて,コーダもつけられています。
再現部と主部がまったく同じでは面白みに欠けます。
再現部を主部とは変形させることで非対称の美しさが現れます。
B中間部とA主部・A’再現部が違う曲想,違う訓練課題(音型)になっている作品は少なく,3曲だけです。
以外の21曲は,A主部・A’再現部もB中間部も同じ訓練課題(音型)となっていて,
曲の最初から終わりまで,同じ訓練課題を繰り返す構造となっています。
こんなにもシンプルな構成であるにも関わらず,高い芸術性を備えており,人々を深く感動させる作品となっているのは驚くべきことです。
Op.10-10,Op.25-3の2曲は,構造が少し入り組んでいます。
Op.10-10はA–B–A’のB部分がA”-A”’-Cという構造になっていて,A–A”-A”’-C–A’という構造になっています。
主部A–A”-A”’–中間部C–再現部A’というように,主部が長大であると捉えることもできます。
Op.25-3はA–B–A’のA部分がA-A”’,B部分がB-A”-B’となっていて,A-A”’–B-A”-B’–A’という構造になっています。
A-A”’–B–A”–B’–A’–コーダというようにロンド形式に近い形だと捉えることもできます。
海外での呼び名
標題をつけられることを嫌っていたショパンですが,
その作品があまりにも魅力的なため,多くの標題がつけられています。
日本でも『別れの曲』『黒鍵』『革命』『木枯し』など標題がつけられています。
これらの標題は正式なものではなく,誰かがその標題をつけ,曲の魅力を分かりやすく表現した標題は一般に受け入れられ,いつしかその標題で呼称することが当たり前になったものです。
西洋では,Op.10とOp.25の練習曲24曲すべてに標題がつけられています。
『黒鍵』『革命』『エオリアン・ハープ』『蝶々』『木枯し』『大洋』という日本でもよく知られた標題は西洋でも使われていることがわかります。
『別れの曲』という標題は日本独自のものだということもわかりますね。
各曲の練習課題
ショパンの練習曲は,特異な音型を繰り返し反復訓練することで,様々な演奏技術を身につけることができるようになっています。
その芸術性の高さから影に隠れがちですが,ショパンの練習曲集は演奏技術を反復練習するための教則本としても一級品です。
各曲で身につけられる練習課題をまとめます。
ただし,ショパン自身は練習課題を明記しているわけではありません。
おそらくこういった技術を習得することを目的としているのだろう,という推測をまとめます。
ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 実際の演奏
ショパンの意図に忠実な演奏≒エキエル版に忠実な演奏の参考動画です。
演奏は当サイト管理人,林 秀樹です。
アマチュアのピアニストの演奏ですので,至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 実際の演奏
画面に表示している画像はフランス初版ですが,
演奏はエキエル版を使用しています。
ショパン エチュード(練習曲集)Op.25 実際の演奏
画面に表示している画像は,ショパンの自筆譜,グートマンの写譜,そしてフォンタナの写譜です。
演奏はエキエル版を使用しています。
各曲の詳細な解説記事を公開していきます!
ショパンのエチュードの解説記事も7つ目となりました。
ショパンのエチュードの全体像の解説がようやく完成しました。
次回からは,各曲の詳細な解説記事を順番に公開していきます。
乞うご期待!