ショパンの練習曲Op.10-9の解説記事です。
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*2021年5月録音
◇Op.10-9単独再生
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
- ショパン 練習曲(エチュード) Op.10-9 概要
- ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 原典資料
- ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 構成
- ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 現在の出版譜に大きな間違いはない
- ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 自筆譜を詳しく見てみよう!
- ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 演奏の注意点
- ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 実際の演奏
ショパン 練習曲(エチュード) Op.10-9 概要
- ショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【概要と目次】
- ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 概要の章に練習曲集全体の概要をまとめています。
- 海外での呼び名の章に練習曲集全曲の海外での呼び名をまとめています。
- 各曲の練習課題の章に練習曲集全曲の練習課題をまとめています。
- ショパンの指づかいにショパンの運指法をまとめています。
- ショパン作品一覧ではショパンの全作品を一覧表にまとめています。
左手の音域広い分散和音に載って,切迫感漂う旋律が印象的な作品です。
リストの超絶技巧練習曲第10番が,この曲の影響を受けていると言われることがあります。
確かに,調性が同じというだけでなく,切迫感漂う旋律の作り方がよく似ています。
リストの『超絶技巧練習曲』の初稿はショパンの練習曲集よりも3年早く1826年に作曲されています。
しかし,1837年に大きく改訂され,その後1852年に最終決定稿が完成されました。
改訂の変遷を見ると,確かにショパンのエチュードの影響を強く影響を受けているといえるでしょう。
海外では “嵐(La tempête)” と呼ばれることがあります。
Op.10-9の練習課題
難曲揃いのショパンのエチュード集の中にあって,Op.10-6やOp.25-2とともに特に演奏難易度の低い作品です。
右手の訓練に比重を置いているショパンの練習曲の中では珍しく,
Op.10-9は左手のための練習曲になっていて,重要な訓練課題となります。
ショパンの作品では左手が音域の広い分散和音を担当する場面が多く,Op.10-9はその訓練に効果的です。
また,ショパンは3指(中指),4指(薬指)を軸にして手首を安定させる奏法をよく用いました。
手や腕が支えられることで音色(音量)が安定し,音を外しにくくなります。
Op.10-9の訓練課題音型は指を軸にして手首を安定させる奏法の練習にも最適です。
難易度の低い作品のため,高い技術を持つピアニストはすぐに弾けるようになってしまい,あまり繰り返し練習をすることのない作品だと思います。
しかし,姿勢や手指の形,脱力などを意識しながら繰り返し訓練を積むことで,さらなる難曲を弾くための効果的な練習となります。
Op.10-9 運指
ショパンの運指の研究にもエキエル版が便利!
ショパンの指づかい(運指法)を研究するときにもエキエル版が重宝します。
エキエル版では
- ショパン自身が初版譜に記譜した指づかいは太字
- 編集者(エキエル氏)が追加提案した指づかいは斜体
- ショパンが生徒のレッスン譜に書き込んだ指づかいは(太字)
というふうに明示されていて,めちゃくちゃ便利です!
エキエル版ですが,2021年5月より日本語版が順次発売されています!2021年秋 2022年には,練習曲集の日本語版が発売になるようです!
手首を支える軸となる指は,なるべく同じ指を使うようにします。
作曲時に使用していたピアノ
- ショパンがエチュードの作曲で使用したピアノについての詳細な解説は,ショパン エチュード【ショパンが作曲に使用したピアノ】をご覧ください。
- ショパンの使っていたピアノの音域では,ショパンがその生涯で使っていたピアノの音域について解説しています。
Op.10-9は,Op.10-8,Op.10-10,Op.10-11とともに,練習曲の中では最初期に作曲された作品です。
ポーランド時代の作品で,ウィーン式アクションのピアノで作曲されました。
Op.10-9は強弱記号がなんと22個も書かれていて,ショパンがめったに使わないppが8回も書かれていますし,曲の最後にはpppも書かれています。
pppは練習曲集24曲の中でもたったの3回しか使われていない特別な指示になります。
ダイナミックレンジの広い表現が求められているように感じます。
しかし,ウィーン式アクションのピアノで作曲された作品であることを忘れてはなりません。
ウィーン式アクションは現代ピアノとは全く違う発音機構の楽器でした。
軽い力で明るく大きな音が鳴りましたが,音量の変化をつけるのが難しい楽器でした。
たしかにOp.10-9は,デュナーミク(音量の強弱による音楽表現)が重要な作品ではありますが,
現代ピアノの性能をフルに発揮させてffやpppを演奏表現してしまうと,過度に大げさな表現となってしまいます。
作曲当時の時代背景や楽器の性能を思い浮かべながら,音量の変化が行き過ぎないように気をつけるべき作品です。
作品番号,調性,作曲年
ショパンが練習曲集を作曲したときの時代背景は,以下の解説記事をご覧ください。
*ショパンが練習曲集を作曲したのは主にパリ時代になります。
Op.10-8,Op.10-9,Op.10-10,Op.10-11の4曲は,1829年の10月~11月に作曲されたと考えられています。
練習曲集の中では最初期に作曲された作品になります。
前年1828年の9月には初めての国外旅行を経験しています。このときはベルリンに2週間滞在しました。
1829年,19才の春には,コンスタンツィア・グラドコフスカへのつつましい初恋を経験しています。
奥ゆかしいショパンは,思いを伝えることもなく,ひそかに思い焦がれる日々を送りますが,その思いは作品の中に昇華されています。
その代表がピアノ協奏曲Op.21の第二楽章 Larghetto ,そしてピアノ協奏曲Op.11の第二楽章 Romanze, Larghetto です。
1829年の8月には,芸術の都,憧れのウィーンへ演奏旅行に出ています。
ウィーンでは2回の演奏会を行い,大好評で華やかなデビューを飾りました。
ウィーンの演奏会での成功が自信となり,ショパンは音楽家としての成功を確信しました。
1830年3月にはワルシャワで2回の演奏会を開き,絶賛を浴びます。曲目はピアノ協奏曲第二番ヘ短調Op.21でした。
8月にはジェラゾヴァ・ヴォーラで過ごしています。毎年,夏にはポーランドの田園で過ごし,ポーランドの民族音楽・民族舞踊,ポーランド農民の生活に親しんで来ましたが,それも,これが最後となりました。
10月にはワルシャワで告別演奏会を開きます。曲目はピアノ協奏曲第一番ホ短調Op.11で,コンスタンツィアも賛助出演しています。
そして,11月2日にはワルシャワを発ちウィーンへ向かいます。このときコンスタンツィアに会いにいき,手帳に詩を書いてもらっていますが,最後まで思いを告げることなく旅立っています。
Op.10-9が作曲されたのはちょうどこの時期になります。
名作揃い!ショパンのヘ短調
ショパンが生涯で作曲した258曲のうち,調性が不明な4曲をのぞいて,調性が確認できる作品は254曲となります。
そのうち,15曲,作品全体の5.91%がヘ短調で書かれていて,変イ長調,ハ長調,イ短調に次いで4番目に多く用いられた調性です。
しかもその中の13曲には作品番号がつけられている主要作品です。
協奏曲第2番Op.21や,幻想曲Op.49,バラード第4番Op.52を筆頭に,多くの名作がヘ短調で書かれています。
エチュードOp.10-9もヘ短調で書かれています。
Op.10とOp.25,全24曲の調性と作曲年の一覧表
ウィーン式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は青太字に,
イギリス式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は緑太字で表示しています。
表のヘッダー「作曲年」または「BI」をクリックして並び替えてご覧いただくと,
ショパンがエチュードを作曲した順番に並び替えることができます!
No. | Op. | - | BI | 調性 | 作曲年 | 19才 | 20才 | 21才 | 22才 | 24才 | 25才 | 26才 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | 1 | 59 | ハ長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
2 | 10 | 2 | 59 | イ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
3 | 10 | 3 | 74 | ホ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
4 | 10 | 4 | 75 | 嬰ハ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
5 | 10 | 5 | 57 | 変ト長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
6 | 10 | 6 | 57 | 変ホ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
7 | 10 | 7 | 68 | ハ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
8 | 10 | 8 | 42 | ヘ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
9 | 10 | 9 | 42 | ヘ短調 | 1829年 | 19才 | ||||||
10 | 10 | 10 | 42 | 変イ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
11 | 10 | 11 | 42 | 変ホ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
12 | 10 | 12 | 67 | ハ短調 | 1831年 | 21才 | ||||||
13 | 25 | 1 | 104 | 変イ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
14 | 25 | 2 | 97 | ヘ短調 | 1835年 | 25才 | ||||||
15 | 25 | 3 | 99 | ヘ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
16 | 25 | 4 | 78 | イ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
17 | 25 | 5 | 78 | ホ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
18 | 25 | 6 | 78 | 嬰ト短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
19 | 25 | 7 | 98 | 嬰ハ短調 | 1836年 | 26才 | ||||||
20 | 25 | 8 | 78 | 変ニ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
21 | 25 | 9 | 78 | 変ト長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
22 | 25 | 10 | 78 | ロ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
23 | 25 | 11 | 83 | イ短調 | 1834年 | 24才 | ||||||
24 | 25 | 12 | 99 | ハ短調 | 1835年 | 25才 |
メトロノームによるテンポ指定
ショパン エチュード【ショパンが指定したテンポ】の解説記事では,ショパンが指定したテンポについて詳細をまとめています。
ショパンの自筆譜~大雑把なラフ原稿~
ショパン自筆による大雑把なラフ原稿を,ニューヨークのピアポント・モーガン・ライブラリーが所蔵しています。
冒頭部分は,ほぼ完成した状態ですが,途中から右手パートしか記譜されていません。
この自筆譜にはメトロノームによる速度指定がまだ書かれておらず,agitato とのみ書かれています。
ショパンの自筆譜~印刷用の清書原稿~
フランス初版の原稿として,ショパン自身の手によって書かれた清書を,ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
この清書原稿には Allegro molto agitato とともにメトロノームによるテンポ指示がと書かれています。
フランス初版
最終的に出版されたフランス初版にも Allegro molto agitato と書かれています。
メトロノームによるテンポ指定は少しだけ変更されとなっています。
練習曲集Op.10のフランス初版の出版には,ショパン自身が校正にしっかり関わっていたため,の指示はショパン自身が指定したテンポです。
テンポの揺れ
ショパンはエチュード集の全ての曲にメトロノームによる速度指定を書き込んできます。
そしてそのほとんどが,ヒトの運動能力の限界ギリギリの速いテンポとなっています。
Op.10-3『別れの曲』やOp.25-7など抒情的な作品であっても,かなり速いテンポが指定されています。
しかし,Op.10-9でショパンが指定したというテンポは,確かに遅いテンポではありませんが,
練習曲集の他の作品と比べればいたって常識的なテンポです。
また,Op.10-9はショパン指定のテンポよりも少し遅く演奏されることが多い作品です。
Op.10-9は,ショパンの作品にはめずらしく,テンポそのものを大きくゆらして変化させる作品です。
旋律のアーティキュレーション(フレージング)にあわせて,加速と減速を繰り返します。
strettoやaccelerandoの指示もあります。
テンポの変化による演奏表現を効果的に行うために,全体の平均テンポをあまり速くせず,
全体的には少し遅く演奏されるわけです。
当サイト管理人の参考演奏も,Op.10-9はやや遅いテンポで演奏しています。
ショパンが記譜した発想記号・速度記号
ショパン エチュード【ショパンが記譜した演奏指示】の解説記事では,ショパンが練習曲集に記譜した演奏指示をまとめています。
終わりごろ65小節目にpppが書かれています。
pppは練習曲集24曲の中でも,たったの3回しか使われていない特別な指示です。
ショパンがめったには書かないppも,8個も書かれています。
これは練習曲集全24曲の中ではOp.25-7の9個に次いで2番目に多いです。
ppとfや,ppとffのようにダイナミクスの大きい強弱を繰り返す場面があります。
終始,強弱記号がたくさん書かれていて,その数は22個!
練習曲集全24曲の中では,
Op.10-12『革命』の24個,Op.10-5『黒鍵』の23個についで,3番目の多さです。
たくさんの強弱記号が書かれていますし,
sotto voce;ひそやかな声で。ひそひそと。
smorz. = smorzando;だんだん遅く、そしてだんだん弱く。消えるように。rit.+dim.。の指示もあります。
しかし,”作曲時に使用していたピアノ” の項で前述した通り,
Op.10-9の作曲当時はウィーン式アクションのピアノを使用していたため,
現代ピアノでイメージされるような,ダイナミックレンジの大きい演奏表現は想定されていません。
強弱記号以外の演奏指示もたくさん書き込まれていて,その数はなんと24箇所!
これはOp.10-3『別れの曲』と並んで最多です。
演奏指示と強弱記号をあわせると46個!もの演奏指示が書かれています。
練習曲集全24曲の中では,2番目に多いOp.10-3『別れの曲』(演奏指示が37個)をおさえて,
ダントツに多くの演奏指示が書かれています。
速度を変化させる演奏指示が多数書かれています。
クレッシェンドで加速,静かな場面では速度を落とす,など,
自然な演奏のテンポの揺れを,より極端に表現させるような指示になっています。
冒頭,Allegro molto agitato;非常に興奮してせき込むように速く の指示がありますが,
26小節目,53小節目には acceler. = accelerando;次第に速く ,
23小節目,31小節目,51小節目には stretto;せき込んで。緊迫して と書かれています。
冒頭ではテンポなどやや抑えめにしておいた方が,
中盤以降により高い切迫感を表現することができます。
テンポを遅くする指示にも様々な表現が用いられていて,
- ritard. = ritardando;だんだん遅くする。
- poco rall. = poco rallentando;少し,だんだん遅くする。
- smorz. = smorzando;だんだん遅く、そしてだんだん弱く。消えるように。rit.+dim.。
- ritenuto;ただちに速度を緩める。
が使われています。
8小節目にはrallentandoではなくritardandoが書かれていて,
ショパンの作品では珍しいです。
全体ではなく,左手の伴奏音型だけへのlegato(legatissimo)の指示が4箇所書かれています。
ゴドフスキー『ショパンのエチュードによる53の練習曲』
ゴドフスキーはOp.10-9の編曲を3曲書いています。
1st Study in C♯ minor
嬰ハ短調に転調され,同音連打を多用する編曲となっています。
2nd Study in F minor (imitation of Opus 25 No. 2)
Op.10-9と同じヘ短調で書かれているOp.25-2のスタイルを imitation(模倣)した編曲です。
ゴドフスキーはショパンのエチュード2曲を組み合わせた作品も書いていますが,
この曲はOp.25-2のスタイルを用いているだけで,Op.25-2の旋律や和声は使われていないため,
2曲を組み合わせた作品には該当しません。
2曲のエチュードを組み合わせた作品には,
・Op.10-11とOp.25-3を組み合わせた作品
・Op.10-5「黒鍵」とOp.25-9「蝶々」を組み合わせた作品『Badinage;冗談』
の2曲があります。
『Badinage;冗談』は当サイト管理人の演奏動画を公開していますので,ぜひお聴きください。
3rd Study in F♯ minor (left hand only)
ゴドフスキーといえば “left hand only” です。
Op.10-9も左手のみで演奏する編曲を書いています。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 原典資料
ショパン エチュード【原典資料】の解説記事では,ショパンの練習曲集全体の,初版や自筆譜,写譜などの原典資料について詳細をまとめています。
ショパンの自筆譜
詳細は「自筆譜を詳しく見てみよう!」の項目でご紹介します。
ショパンの自筆譜~大雑把なラフ原稿~
ショパン自筆による大雑把なラフ原稿を,ニューヨークのピアポント・モーガン・ライブラリーが所蔵しています。
冒頭部分は,ほぼ完成した状態ですが,途中から右手パートしか記譜されていません。
ショパンの自筆譜~印刷用の清書原稿~
フランス初版の原稿として,ショパン自身の手によって書かれた清書を,ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
1832年9月から1833年3月ごろに書かれたものだとされています。
信頼できる原典資料~フランス初版~
パリ,M.Schlesinger(M.シュレサンジュ),1833年6月出版。
めずらしく,ショパンは校正にしっかりと関わっています。
この頃のショパンは,パリなどヨーロッパの主要都市でデビューしたばかりの新人作曲家でした。
後年のように友人に任せっきりにするのではなく,ショパン自身が校正にちゃんと関わっていました。
練習曲集Op.10のフランス初版は,信頼できる一次資料です。
他の初版
ドイツ初版
ライプツィヒ,F.Kistner(F.キストナー),1833年8月出版。
フランス初版の校正刷り(ゲラ刷り)をもとに作られています。
いつも勝手な判断で譜面を変えてしまい,しかも「原典版」として後世の出版譜に多大な影響を与えているドイツ初版ですが,Op.10-9については特別手を加えているところはありません。
イギリス初版
ロンドン,Wessel & C°(C.ウェッセル),1833年8月出版。
フランス初版をもとに作られています。
原典資料としてはあまり価値がありません。
ショパンの生徒がレッスンで使用していたフランス初版
ショパンの生徒がレッスンで使用していたフランス初版が3種類現存しています。
- カミーユ・デュボワが使用していたフランス初版(フランス版の第三版)
パリのフランス国立図書館所蔵 - ジェーン・スターリングが使用していたフランス初版(フランス版の第二版)
パリのフランス国立図書館所蔵 - ショパンの姉,ルドヴィカが使用していたフランス初版(フランス版の第三版)
ワルシャワのショパン協会所蔵
カミーユ・デュボワのレッスン譜にはショパン自筆の多数の書き込みが遺されています。
ジェーン・スターリングのレッスン譜には2箇所だけショパンの書き込みが遺されていて,
ルドヴィカのレッスン譜には書き込みがありません。
詳細は「自筆譜を詳しく見てみよう!」の項目でご紹介します。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 構成
分かりやすい三部形式
ショパンの練習曲集Op.10,Op.25の24曲はすべて三部形式で書かれています。
崇高な芸術作品でありながら決して難解ではなく,分かりやすい構成で作られているところは,
ショパンの作品の魅力の一つです。
構成 主部A – 中間部B – 再現部A – コーダ
ショパンは3部形式を好んでよく使っていました。
ショパンの3部形式では,再現部が単純な主部の繰り返しになっていることは少なく,
省略や展開などの手が加えられていることが多いです。
Op.10-9でも,再現部に中間部の動機が盛り込まれているなど,様々な手が加えられています。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 現在の出版譜に大きな間違いはない
ショパンの出版譜には普通多くの間違いが散見されます。
しかしめずらしいことに,Op.10-9の出版譜には特筆すべき間違いは見られません。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 自筆譜を詳しく見てみよう!
エチュードOp.10-9は2種類の自筆譜が遺されています。
ショパンの自筆譜 ~ラフ原稿~
ショパン自筆のラフ原稿です。
ニューヨークのピアポント・モーガン・ライブラリーが所蔵しています。
36小節目まで(主部と中間部)は細部までほぼ完成しています。
再現部以降は左手伴奏が省略され,右手パートしか書かれていません。
冒頭には agitato と書かれています。
メトロノームによるテンポ指定はまだ書かれていません。
裏面にはノクターンOp.15-3の後半部分が書かれています。
ショパン自筆のフランス初版のための清書原稿
フランス初版の原稿として,ショパン自身の手によって書かれた清書を,ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
1832年9月から1833年3月ごろに書かれたものだとされています。
冒頭
冒頭部分は,ショパンの自筆の清書原稿と,実際に出版されたフランス初版とが,ほぼ完全に一致しています。
作品を出版する際には,清書原稿が完成した後,ゲラ(校正刷り)を作成・印刷し,校正作業を経て,初版が完成します。
校正作業を通して大幅に変更が加えられることも多いのですが,Op.10-9では清書原稿の段階でほぼ完成していたことになります。
スラーやアクセントなどのアーティキュレーション,ペダル指示,運指など,細部まで既に完成されています。
唯一,メトロノームによるテンポ指定が変更されていて,からへと変更されています。
ショパンの細部へのこだわりが感じられます。
訂正の跡
Op.10-9の自筆譜には大きな訂正の跡は全くありません。
一見すると訂正箇所がまったくないようにも 見えます。
しかしよく見てみると,インクを削り落として丁寧に訂正した跡が何箇所か遺されています。
生徒の楽譜へのショパン自身の書き込み
ショパンの練習曲集の中では突出して演奏難易度の低い作品なので,
ルドヴィカなどは真っ先にレッスンを受けていてもおかしくないのですが,
ルドヴィカのレッスン譜にはショパンの書き込みが遺されていません。
カミーユ・デュボワの使っていたフランス版の第三版
カミーユ・デュボワが使用していたフランス初版(フランス版の第三版)をパリのフランス国立図書館が所蔵しています。
カミーユ・デュボワのレッスン譜にはショパン自筆の多数の書き込みが遺されています。
17小節目スラー
スラー開始位置の間違いを訂正する書き込みが遺されています。
28小節目 loco の位置の訂正
8va( ottava alta ,1オクターブ高く)の終了位置を示す loco(楽譜通りの高さの音で)の位置を訂正する書き込みが遺されています。
運指の書き込みが多数
ショパンがたくさんの運指(指遣い)を書き遺しています。
エキエル版では,ショパンが生徒の楽譜に書き込んだ運指が ( 太字 ) で示されていて大変便利です。
ジェーン・スターリングの使っていたフランス版の第二版
ジェーン・スターリングが使用していたフランス初版(フランス版の第二版)をパリのフランス国立図書館が所蔵しています。
ジェーン・スターリングのレッスン譜には2箇所だけショパンの書き込みが遺されています。
“prélude en re mineur” ニ短調の前奏曲
曲の冒頭余白に “prélude en re mineur” ニ短調の前奏曲 と書かれています。
ニ短調の前奏曲とは,前奏曲集の最終曲Op.28-24のことを指しているでしょう。
エチュードOp.10-9と前奏曲Op.28-24の左手伴奏音型は,指を軸に手首を安定させるという同じ奏法が用いられています。
Op.10-9のレッスン中に,ショパンがこのことを話題に出したのかもしれません。
もしくは,次のレッスンの曲目を決めていたのかもしれませんね。
28小節目 loco の位置の訂正
カミーユ・デュボワのレッスン譜と同様に,
8va( ottava alta ,1オクターブ高く)の終了位置を示す loco(楽譜通りの高さの音で)の位置を訂正する書き込みが遺されています。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 演奏の注意点
ショパン エチュードの最初の入門曲としてオススメ
ショパンのエチュードはどれも難易度が高く,アマチュアのピアニストには中々手が出せません。
そんな中,Op.10-9は比較的演奏が容易です。
ショパンのエチュードの最初の1曲,入門曲としてオススメです。
演奏指示も多数書かれているため,楽譜に書かれている演奏指示を守りながら演奏をすることで,
自然に流れるような演奏表現が身につきます。
この項目ではピアノ上級者向けの注意点を色々と書いていきますが,
ショパンのエチュードに初挑戦だという方は,まずは細かいことはあまり気にせずに,
楽しんで練習に取り組んでいただければ良いでしょう。
左手伴奏音型
音楽の3要素であるリズム,メロディ(旋律),ハーモニー(和声)のうち,
リズムとハーモニーを左手伴奏が担っています。
また左手の伴奏音型は,練習曲としての練習課題にもなっています。
Op.10-9の演奏が音楽として成立するかどうかは,左手伴奏音型にかかっているといえます。
左手ポジションの安定
左手伴奏音型は広い音域に広がっていますが,ポジション移動を伴う跳躍はありません。
軸となる指を支えにして手首・腕を左右に大きく移動させず,ポジションを安定させることを意識することで,演奏が安定します。
手首の回転が大切とはいうけれど・・・
左手伴奏音型は,3指や4指を軸にして手首を回転させて演奏するのが基本です。
なので「手首の回転が大切」とよくいわれます。
手首の回転が大切なのはもちろん正しいのですが,
だからといって,目に見えてわかるほど手首が回転しまってはやりすぎです。
打鍵の音色(音量)を安定させるためには,手のひらが鍵盤と平行に保たれていることが重要です。
手首の回転を意識しながらも,手のひらが鍵盤と平行に保たれている状態を維持すると演奏が安定します。
すべての左手の指が常に鍵盤に触たままにすることをイメージすると良いです。
レガートはペダルに頼る
左手伴奏音型には何度もレガートの指示が書かれています。
レガート奏法は一つの音を打鍵した後,少なくとも次の音を打鍵するまでは鍵盤を押さえたままにするのが基本です。
しかし,Op.10-9の左手伴奏音型は大きな音域に広がるため,手指のコントロールでレガートに演奏するのは無理です。
Op.10-9の左手伴奏音型のレガートについては,ペダルに頼ってしまいましょう。
ということで,Op.10-9では最初から最後まで,ダンパーペダルを使い続けることになります。
右手旋律と二重唱
ショパンの作品はテンポ・ルバートが基本です。
*テンポ・ルバート;伴奏のテンポは一定に保ちながら,メロディのテンポを自由に変化させる奏法
しかしOp.10-9では,左手伴奏音型の高音部は内声として,右手旋律と二重唱を奏でます。
2つの声部が美しく響きあうようにしなければなりません。
そのためOp.10-9ではテンポ・ルバートは用いません。
最低音を大きな音で鳴らしすぎない
左手伴奏音型の最低音は和声の根音になるため,しっかりと響かせせる必要があります。
しかし,ドカン!ドカン!と大きな音を打ち鳴らすのはショパンのスタイルではありません。
ペダルと連携して,決して大きな音ではないものの,深く印象に残る音を鳴らします。
また,分散和音による伴奏音型では,音の高さが高くなるにつれ若干 crescendo させるのが基本になります。
こういった基本をおろそかにすると音楽そのものが不自然になります。
逆に,こういった基本が無意識に徹底されている演奏は,多少のミスタッチがあっても音楽が自然に流れます。
テンポのゆれが重要な作品
Op.10-9はテンポ・ルバートを用いない作品ですが,
テンポそのものは大きく変化させます。
ショパンの作品では,テンポそのものを大きく揺れ動かすのはめずらしいです。
- acceler. = accelerando;次第に速く。
- stretto;せき込んで。緊迫して。
- ritenuto;ただちに速度を緩める。
など,テンポを変化させる指示もたくさん書かれていますし,
その指示に従うだけでなく,音楽の流れにあわせてテンポを大きく変化させなければ,
自然と流れるような音楽になりません。
- フレーズの前半は crescend & accelerando
*だんだん音を大きくしながら加速 - フレーズの後半は diminuendo & rallentando
*だんだん音を小さくしながら減速
というのが基本になります。
フレーズの前半・後半で,上記のように音量やテンポを変化させるのは,音楽を演奏するうえでの基本中の基本ではありますが,
Op.10-9では大げさなぐらい,加速・減速をします。
また,旋律が音程広く動くときは十分に時間をかけるなどの基本も大事にしましょう。
何も演奏指示が書かれていない箇所でも,加速と減速を繰り返していますので,
stretto や acceler. などの指示が書かれているところは,
思い切ってテンポを変化させなければ「切迫感」や「加速」を演奏表現することができません。
Op.10-9では,テンポを速める指示が書かれている箇所は,演奏難易度の高いところにあたります。
難易度の低い冒頭でテンポを速く弾きすぎると,演奏難易度の高い場所での stretto や acceler. の演奏表現が難しくなります。
冒頭はかなり遅いテンポで弾きはじめるのが良いと思います。
デュナーミクは限られた範囲で
Op.10-9は強弱記号がなんと22個も書かれています。
これは練習曲集24曲の中ではOp.10-12『革命』の24個,Op.10-5『黒鍵』の23個についで,3番目の多さです。
ショパンがめったに書かないppも8個書かれていて,練習曲集4曲の中ではOp.25-7の9個に次いで2番目に多いです。
曲の最後にはpppも書かれています。
pppは練習曲集24曲の中でもたったの3回しか使われていない特別な指示になります。
ppとfや,ppとffのようにダイナミクスの大きい強弱を繰り返す場面もあります。
sotto voce;ひそやかな声で。ひそひそと。
smorz. = smorzando;だんだん遅く、そしてだんだん弱く。消えるように。rit.+dim.。
の指示もあります。
しかしショパンが作曲時に使用していたピアノはウィーン式アクションのピアノですから,
現代ピアノで想定されるような,ダイナミックレンジの大きい強弱の変化が求められているわけではありません。
デュナーミク(音量の差による音楽表現)が重要な作品ではありますが,
現代ピアノの性能をフルに発揮させて音量の変化をつけるのはやりすぎになります。
ピアノとフォルテの差を明確に表現しつつも,過度に音量の差をつけすぎないように気をつけましょう。
装飾音の奏法
Op.10-9では短前打音と短いトリルが使われています。
ショパンの前打音や短いトリルは拍と同時に演奏します。
これらの装飾音は,一昔前まで拍に先取りで演奏されるのが一般的でした。
往年の名演奏の録音や,巨匠(ご老体)の演奏会などでは先取りで演奏されることも多いです。
原典に忠実な演奏を追求するならば拍と同時に演奏するのが正解です。
原典に忠実な演奏だからといって良い演奏だとは限りません。
往年の名演奏や巨匠の演奏というのは,装飾音の奏法などで評価されることができない高みへと至っています。
しかし当サイトでは,あくまでも原典に忠実な演奏を追求しています。
19世紀にショパン自身が奏でていた演奏を追い求めています。
ショパン自身の演奏の再現を目指すのならば,これらの装飾音は拍と同時に演奏するべきです。
当サイト管理人の参考演奏動画でも,これらの装飾音を拍と同時に弾いています。
当サイト管理人などよりもっと才能あふれる演奏者の中からも,ショパン自身の演奏の再現を求める方が増えていき,質の高い原典に忠実な演奏とたくさん出会えるようになれば良いと願っています。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-9 実際の演奏
当サイト管理人 林 秀樹の演奏です。2021年5月録音
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*2021年5月録音
◇Op.10-9単独再生
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
本来,練習曲集は12曲(もしくは24曲)全曲を通して演奏するべきなのですが,
原典に忠実な録音を残すために,1曲ずつ何回も(ときには100回以上も)録り直して録音しました。
演奏動画を録音したときの苦労話はショパンの意図に忠実な参考演奏動画【練習曲集Op.10】をご覧ください。
今回は以上です!