ショパン『黒鍵』のエチュードのすべてをひとつの記事にまとめました!
「右手で1音だけ白鍵を弾いている」というデマ情報が蔓延しています。
「右手は1音たりとも白鍵を弾かない」という正しい情報と,黒鍵だけで演奏される芸術作品を作ってしまったというショパンの偉業が少しでも認知されるようになるとうれしいです!
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*2021年5月録音
◇Op.10-5『黒鍵』単独再生
ゴドフスキー編曲”Badinage”(黒鍵と蝶々の同時演奏!)の演奏動画も公開しています!
*2021年8月25日録音
◇ショパン/ゴドフスキー”Badinage” *黒鍵と蝶々の同時演奏!
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
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- ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 概要の章に練習曲集全体の概要をまとめています。
- 海外での呼び名の章に練習曲集全曲の海外での呼び名をまとめています。
- 各曲の練習課題の章に練習曲集全曲の練習課題をまとめています。
- ショパンの指づかいにショパンの運指法をまとめています。
- ショパン作品一覧ではショパンの全作品を一覧表にまとめています。
右手は黒鍵しか弾かない!
【デマ情報が蔓延しています】右手は1音たりとも白鍵を弾きません!
『黒鍵』のエチュードの解説をはじめる前に,確認しておかなければならないことがあります。
『黒鍵』のエチュードでは右手は1音たりとも白鍵を弾きません!
『黒鍵』のエチュードは,右手旋律が黒鍵しか使用しないところに作品としての歴史的価値があります。
パリに到着したばかりのショパンの主要国(フランス,ドイツ,イギリス)でのデビューは鮮烈なものでした。
ショパンのデビューを飾った,革新的な作品が練習曲集です。
ショパンの練習曲集は「ピアノっていう楽器はこんなスゴイことができるんですよ!」と音楽の世界,芸術の世界に知らしめた金字塔です。
ピアノって,こんなスゴイ楽器なんですよ!
当時の最先端で発展途上にあったピアノという楽器の可能性と,ショパン独自のピアノメソードが具現化された作品です。
使われている演奏技術,メトロノームによる速度指定,和声の豊かさ,芸術性の高さなど,
ポーランドを出てパリにやってきた若きショパンの意欲と意気込みが込められています。
『黒鍵』のエチュードは「右手が黒鍵しか弾かない」という点で,
音楽界を驚かせようという野心と,そしてイタズラ心のあふれる作品です。
「66小節目で一音だけF音(ファの音)を弾く以外は・・・」みたいな捉え方をしてしまうと,
この作品の価値がゆらぎます。
「黒鍵しか弾かない作品」というのと,
「ほぼ黒鍵しか弾かない作品,白鍵を弾くのは一音だけ」というのでは,
作品の歴史的価値が大きく変わります。
ショパンは『黒鍵』のエチュードのことを「黒鍵しか使わないということを知らない人が聴いても面白みが伝わらない」作品だと語っていました。
ショパンにとって「黒鍵しか使わない」という点がこの作品にとっていかに重要な要素であったのかが分かります。
ショパンは細部にこだわる性格をしています。
「黒鍵しか使わない」作品をつくると決めたのに,1音だけ白鍵を混ぜてしまうような,
そんな生ぬるい仕事はしません。
右手が1音だけ白鍵を弾くというデマ情報が蔓延している理由
ネット上だけではなく,書籍や文献,論文などでも頻繁に「1音だけ白鍵を弾くところがある」「66小節目の2拍目のヘ音を除いて,黒鍵によって演奏される」などと間違えた情報を掲載し続けています。
当サイト管理人が子どものときには,テレビの番組にピアニストが登場し,ピアノの前に腰掛けながら,
「それでは,ここでクイズです。ショパンの黒鍵のエチュードですが,実は右手で白鍵を弾くところがあります。右手で白鍵を何回弾くでしょうか?」
みたいな番組をやっていました。
その後,黒鍵のエチュードを華麗に演奏し,演奏が終わった直後にドヤ顔で,
「みなさん,お分かりになりましたか?
正解は・・・・
1回 でした~!」
これを観ていた当サイト管理人は子どもらしい素直な気持ちで,
「黒鍵のエチュードなのに,白鍵を1回弾くところがあるのかぁ へぇ~~」
と感心して印象深くこの間違えた情報を覚えてしまいました。
と同時に「どうせなら全部黒鍵にしたら良かったのに」と子どもらしい疑問を持ちました。
ところが,公共の電波で放送されたこのクイズの解答が間違えていただけで,
ちゃんとショパンは全部黒鍵で作っていたわけです。
なぜこのようなデマ情報が蔓延してしまっているのかというと,
間違えた楽譜が蔓延しているからです。
なぜ間違えた楽譜が広まっているかというと,ミクリ版,そしてコルトー版という権威ある出版譜が,
「弾きやすくする」ことを目的に改変した譜面を広めてしまったためです。
ショパンの練習曲集は,革新的なピアノ演奏技術,演奏法を世に示すという崇高な使命をもって誕生しました。
「弾きやすいように変えてしまおう」というのは,ショパンの練習曲集においては冒涜行為です。
「黒鍵のみ」でここまでのクオリティの作品を作ることの難しさは,ちょっと考えれば分かることです。
ショパンの弟子であったミクリや,ショパン演奏の第一人者とされるコルトーが,ショパンの偉業を汚すような譜面を作ってしまったことは大変残念なことです。
自筆譜も初版も,右手旋律は一音たりとも白鍵を弾いていない
ショパン自筆のフランス初版のための清書原稿,各国の初版,すべて内声部は左手で弾くようになっていて,右手の指が白鍵に触れることは一切ありません。
いつも勝手な変更を加えているドイツ初版でさえ,このままでは演奏しにくいのは分かった上でそのまま譜面を作っています。
一音だけでも右手で白鍵を弾いてしまうと,この歴史的な偉業が霞んでしまうからでしょう。
ショパンは生徒の楽譜に内声部を左手で演奏することを明記している
「ショパンも,実際は内声部を右手で弾いていたんじゃないの?」という方がおられるかもしれないですが,ショパンは弟子にも内声部を左手で弾かせていました。
カミーユ・デュボワがレッスンで使っていたフランス初版に,ショパン自身が指遣いを書き込んでいます。
それを見ると,内声部を2音とも左手の1指(親指)で弾くように,という指示になっています。
黒鍵しか弾かない芸術作品という偉業を讃えるべき
黒鍵のエチュードといいながら,一箇所だけ白鍵を弾くところがあるなどと,
面白おかしく解説する情報が溢れています。
音楽関係の肩書をもった方が得意げにこの間違った解説をしていることが多く,
『黒鍵』のエチュードの歴史的価値が歪められています。
音楽関係の看板を背負って文章を書くときは,せめて自筆譜や初版などの原典資料を確認してから文章を書くべきです。
ショパンは一音たりとも白鍵を使わずに,黒鍵だけで芸術作品を成立させてしまいました。
この事実を,せめて音楽関係者だけでも正しく認識し,この歴史的偉業を正しく伝えてほしいと願います。
「黒鍵のエチュードといいながら,左手は白鍵を弾きまくっている」という観点で,
黒鍵のエチュードをイジって面白がっているようなことも多いですが,
何故そこまでして,黒鍵のエチュードを笑い者にしたがるのでしょうか・・・
黒鍵だけの芸術作品を作ってしまった!
ということで前置きが長くなりましたが,
なんとショパンは黒鍵しか使わない作品を作ってしまいました!
しかも奏でられる音楽はチャーミングで,すぐにたくさんの人々を虜にしてしまいました。
高速で駆け回る右手旋律はキラキラと輝かしく響き,
右手と左手,色々な音域で魅力的な旋律があちこちで見え隠れします。
現代においても,ショパンの作品の中でも特に人気の高い作品の一つになっています。
出版直後から多くのピアニストのレパートリーとなり,後世ではたくさんの編曲が作られました。
ゴドフスキーは『黒鍵』のエチュードの編曲をなんと8曲も書いています。
これらの編曲については後ほど解説します。
他の楽器への編曲もたくさん作られています。
以前,マリンバが黒鍵のエチュードを弾いているのを聴いたことがありますが,メチャクチャかっこ良かったです。
黒鍵だけの作品を書いてしまう,というアイデアは,
ショパンが『黒鍵』のエチュードを作曲しなかったとしても,
いつかは誰かが思いついてやっていたと思います。
しかし『黒鍵』のエチュードほど魅力的な作品を,
果たしてショパン以外の作曲家が作曲できたでしょうか。
ショパン以降,黒鍵だけの作品は誰も作っていません。
当サイト管理人が勉強不足なだけかもしれませんが,少なくとも『黒鍵』のエチュードように広く知れ渡っている作品は,この200年間ただの1曲も作られていません。
「黒鍵だけの作品」というアイデアで考えられる最高傑作をショパンがいきなり作ってしまったので,
後世の作曲家は「黒鍵だけの作品」を作ることができなくなってしまったのでしょう。
ショパン自身はつまらない曲だと謙遜していた?
ショパン自身は『黒鍵』のエチュードをあまり高く評価していなかったと言われています。
本当にショパンは『黒鍵』のエチュードを面白くない作品だと思っていたのでしょうか?
1839年4月25日,ショパンはマルセイユからパリにいるフォンタナへ手紙を書いています。
その手紙の中に,クララ・ヴィークが『黒鍵』のエチュードを演奏会で弾いたことについての記述があります。
その手紙の内容ですが,
ヴィークはぼくのエチュードを見事に弾いただろうか。
それにしても彼女はなぜ他の曲を選ばなかったのだろうね。
あの曲が黒鍵だけでできているということを知らない人たちが聴いてもつまらないだけではないか。
この手紙を受けて「ショパン自身は黒鍵のエチュードをあまり高く評価していなかった」「ショパン自身は黒鍵のみを使うという点をのぞけばつまらない曲だと思っていた」などと多くの人に解説されてきました。
本当にショパン自身は『黒鍵』のエチュードを面白みがない作品だと思っていたのでしょうか?
例えばバッハのフーガは反行や拡大,縮小,ストレッタなどの技法により,何声もの声部が緻密に重ねられて作られていることを知らない人が聴いても,その作品の価値はほとんど伝わらないでしょう。
例えばベートーヴェンの交響曲は一つの主題が分割,展開,発展されて何度も繰り返し使われていることを知らない人が聴いても,その作品の価値の半分も伝わらないでしょう。
同じように,ショパンの文面から感じられるのも『黒鍵』のエチュードの価値が正しく伝わらないことへの憂慮です。
『黒鍵』のエチュードには”黒鍵のみで作られている”という特別な価値があり,その価値が正しく伝わらずに,ただの普通の曲として評価を受けることを心配しているわけです。
「ショパン自身はあまり高く評価していなかった」なんてことは決してなかったと当サイト管理人は考えます。
画期的なアイデアで作った自信作だからこそ,正しく評価を受けたかったのです。
Op.10-5『黒鍵』の練習課題
練習課題はズバリ「黒鍵の奏法」です。
鍵盤楽器が誕生して以来,作曲家も演奏家も黒鍵(古くは黒鍵が白色で白鍵が黒色の場合が多かったですが)を忌避する傾向にありました。
モーツァルトの時代までは指を立てて指先で演奏するのが主流でした(いわゆる「ハイフィンガー奏法」)。
指を立てて演奏する場合,指先の狭い面積で針のように打鍵することになります。
指先で黒鍵を弾こうとすると,隣の白鍵へ指が滑り落ちてしまうことが多いです。
黒鍵は弾きづらい,というのが暗黙の共通認識になっていました。
ベートーヴェンの作品をみても,変ニ長調とか嬰ト短調のように調号の多い曲はほとんどありません。
いや,もしかして全くないのでは・・・?
調べたくなってきました(笑
無意識なのか,意識してなのか,ベートーヴェンも黒鍵を避けていたと言えるでしょう。
皆さんの中にも,ピアノを習いたてのころに,黒鍵を弾くことに苦手意識を持っていた方が多いのではないかと思います。
比較してショパンは,嬰ヘ長調や変ト長調,変ホ短調など調号の多い作品もたくさん書いています。
主要作品に絞れば,ニ短調やト長調,ニ長調の作品よりも多いぐらいです。
そういえば主要作品に絞った調性ランキングは作成していませんでしたね。
近日中にランキング記事を作成します!
調号が増えれば,それだけ黒鍵を弾く機会が増えます。
ショパンの作品を演奏するにあたって,黒鍵を自在に演奏する技術は必須といえます。
『黒鍵』のエチュードは右手は黒鍵しか弾きません。
普段は白鍵の演奏を担当することの多い1指(親指)や5指(小指)も,黒鍵しか弾きません。
そしてショパンは,1指や5指で黒鍵を弾くことをなるべく避けようなんてことはなく,
他の指と同様に,1指と5指も積極的に演奏に参加させています。
特に「親指で黒鍵を弾く」ことを厭わないというのは革新的な奏法でした。
1指と5指,特に1指(親指)で黒鍵を自在に演奏する巧緻性を身につけることが,
『黒鍵』のエチュード最大の練習課題と言えます。
『黒鍵』のエチュードを繰り返し反復訓練し,意のままに『黒鍵』のエチュードを演奏できるようになったとき,1指と5指も他の指と同じように違和感なく黒鍵を弾くことができるようになっているでしょう。
『黒鍵』のエチュードの運指については次の章でさらに解説します。
Op.10-5『黒鍵』 運指
ショパンの運指の研究にもエキエル版が便利!
ショパンの指づかい(運指法)を研究するときにもエキエル版が重宝します。
エキエル版では
- ショパン自身が初版譜に記譜した指づかいは太字
- 編集者(エキエル氏)が追加提案した指づかいは斜体
- ショパンが生徒のレッスン譜に書き込んだ指づかいは(太字)
というふうに明示されていて,めちゃくちゃ便利です!
エキエル版ですが,2021年5月より日本語版が順次発売されています!
2021年秋には,練習曲集の日本語版が発売になるようです!
『黒鍵』のエチュードは,ショパン自身が書いたフランス初版のための清書原稿が遺されています。
ショパンの自筆譜を見ると,指遣いも丁寧に記譜されています。
1指(親指)で黒鍵を弾く指遣いが頻繁に書き込まれています。
大バッハの次男エマヌエル・バッハは,親指による指越えと指くぐりを重要だとし,親指で黒鍵を弾くことは禁止していました。
親指で黒鍵を弾くことは,現代でも避けられる傾向にあります。
しかし,ショパンは臆することなく黒鍵の演奏に親指を使っています。
ショパンは親指が持つ音の個性を重視した
ショパンは情感を込めて鳴らしたい音は,親指に担当させることがあります。
黒鍵だろうと構わず親指を使いますし,親指を連続で使うこともあります。
同じ音型を繰り返すときは同じ指づかい
ショパンは同じ音型を繰り返すときには,同じ手の形のまま腕のポジションだけを移動させ,同じ指づかいを繰り返すように指示することが多いです。
同じ音型を繰り返す場合でも,音型の中の黒鍵と白鍵の配置によって指づかいを変えるのが普通です。
しかしショパンは黒鍵だろうが白鍵だろうが構わず同じ指づかいを繰り返します。
このとき,親指が黒鍵を弾くことを避けることはありませんでした。
各指が自然とそれぞれの個性をいかした音を出していれば,すべての音型が同じ音色で奏でられることになります。
『黒鍵』のエチュードにも同じ指遣いを繰り返す箇所があります。
例えば中間部。
ずっと同じ指遣い,というわけではありませんが,ボジション移動だけしながら,1指を起点に下から上へ順番に音を鳴らすだけなので,大変弾きやすい運指です。
さらにはコーダ。
同じ指遣いを繰り返すことで,速いテンポでも安定した打鍵を続けることができます。
20才の青年が突如生み出した運指法
以上のように,ショパンは多くの作品で当たり前のように親指で黒鍵を弾いています。
その最たるものが『黒鍵』のエチュードです。
その後生み出される多くの傑作で使われる革新的な指遣いを,
ポーランドを発つ前に作曲され,パリに到着して間もなく出版された『黒鍵』のエチュードが,
既に先駆的に具現化していたのです。
この独特な運指法は先人から受け継いで発展させたようなものではありません。
ショパンが突如生み出した運指法です。
しかも,年月をかけて少しずつ形作られたものではなく,
20才の青年が突然生み出しています。
これは驚きです。
ショパンは文字通り天才だったと言えるでしょう。
Op.10-5『黒鍵』 海外での呼び名
『黒鍵』のエチュードは海外でも ‘Black Keys'(黒鍵)の愛称で親しまれています。
この作品の呼び名は,これ以外はありえないですよね。
シンプルで,かつショパンの作曲意図が正しく伝わる,良い呼び名です。
作曲時に使用していたピアノ
- ショパンがエチュードの作曲で使用したピアノについての詳細な解説は,ショパン エチュード【ショパンが作曲に使用したピアノ】をご覧ください。
- ショパンの使っていたピアノの音域では,ショパンがその生涯で使っていたピアノの音域について解説しています。
『黒鍵』のエチュードはOp.10-6とセットで作曲され,1830年の夏ごろにはほぼ完成していたと考えられています。おそらく1829年から1830年にかけて作曲されています。
ポーランド時代の作品になりますから,作曲時に使用していたピアノはウィーン式アクションのピアノだということになります。
『黒鍵』のエチュードはまさにウィーン式アクションのピアノのために作曲されたような作品です。
現代ピアノの3分1程度の力で明るく輝かしい音が鳴ったというウィーン式アクションのピアノで演奏される『黒鍵』のエチュードは,高音域の黒鍵が明るくクリアに輝くように鳴り響いたことでしょう。
作品番号,調性,作曲年
ショパンが練習曲集を作曲したときの時代背景は,以下の解説記事をご覧ください。
*ショパンが練習曲集を作曲したのは主にパリ時代になります。
Op.10-5『黒鍵』のエチュードは変ト長調で,Op.10-6は平行調の変ホ短調です。
Op.10-1ハ長調とOp.10-2イ短調も平行調の関係になっていて,それぞれセットで作曲されています。
上記4曲は,1830年,ショパンが20才のときに作曲されたと考えられています。
1830年11月2日にポーランドを発ってから,1831年の10月にパリに到着するまでのあいだは旅中にありました。
これら4曲は,ショパンがポーランドを発つ直前,1830年夏ごろの作曲だとされています。
音楽の都ウィーンでの成功を半ば確信していた20才のショパンは,耳の肥えたウィーンの聴衆を驚かせてやろうという意欲をみなぎらせながら,これらの作品を作ったに違いありません。
ショパンは1年前にウィーンでの演奏旅行を成功させており,確かな自信がありました。
その後のショパンは,というと,
1830年11月2日,初恋の人コンスタンツィアに書いてもらった詩と,祖国ポーランドの土の入った銀の杯を手に,ショパンはポーランドを旅立ちます。
まさか2度と祖国の土を踏むことがない運命にあるとは,このときのショパンは思ってもいなかったでしょう。
ウィーン到着後まもなく11月29日に11月蜂起が起こります。
フランス7月革命の成功をうけて,ポーランド国民は独立の好機だと信じて各地で武器を手にとりました。
愛国心の燃え上がるフレデリックですが,生来体が弱かったため,家族・友人からウィーンに留まるように促されます。
ウィーンの劇場や出版社,芸術家たちが腕を広げてショパンの再訪を待ち構えていると信じていましたが,実際はウィーンの人々から若いポーランド人の記憶はすっかりなくなっていました。
当時ウィーンはシュトラウスとランナーによる「ワルツ合戦」が盛況で,ショパンのことなど見向きもしません。
また,オーストリアのウィーンはポーランドの支配者側であり,11月蜂起により反ポーランドの風潮が高まっていました。
ショパンは失意の中,革命騒ぎのポーランドに戻ることもできず,流されるようにパリへ向ったのでした。
『黒鍵』のエチュードは変ト長調
『黒鍵』のエチュードは変ト長調で書かれています。
変ト長調は嬰ヘ長調と異名同音調で,ショパンが前奏曲集Op.28で選んだのは嬰ヘ長調でした。
つまり,前奏曲集Op.28では変ト長調は使われていないのですが,
変ト長調も嬰ヘ長調もショパンのお気入りの調性だったようで,
こんなにも調号の多い調にもかかわらず,たくさんの作品を書いています。
- 変ト長調の作品は6曲,ショパンの作品であることが疑わしい作品を入れると7曲
- 嬰ヘ長調の作品は4曲,ショパンの作品であることが疑わしい作品を入れると5曲
こんなにも書き遺しています。
ショパンの変ト長調の作品
『黒鍵』のエチュード以外の,ショパンの変ト長調の作品は以下の通りです。
- エチュード『蝶々』Op.25-9 1832年(ショパン22才)作曲
『黒鍵』と『蝶々』が同じ調性であることを利用して,ゴドフスキーは『黒鍵』と『蝶々』を同時に演奏する編曲を作っています。後述します。 - 即興曲第3番Op.51 1842年(ショパン32才)作曲
英雄ポロネーズやバラード4番と同じ1842年の夏に書かれた傑作です。 - ワルツOp.70-1 1832~1835年ごろの作曲
- 歌曲「私のいとしい人」Op.74-12 1837年(ショパン27才)作曲
- ポロネーズ KK番号IVa-8 1830年(ショパン20才)ごろ作曲
- コントルダンスAnh.Ia-4 1827年~1830年ごろの作曲
*ショパンの作品であることが疑わしい作品です。
こうやって並べてみると,変ト長調の作品は1830年前後に書かれた曲が多いですね。
明るく輝きに満ちた作品や,ノスタルジアあふれる作品など名曲ばかりです。
Op.10とOp.25,全24曲の調性と作曲年の一覧表
ウィーン式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は青太字に,
イギリス式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は緑太字で表示しています。
No. | Op. | - | BI | 調性 | 作曲年 | 19才 | 20才 | 21才 | 22才 | 24才 | 25才 | 26才 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | 1 | 59 | ハ長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
2 | 10 | 2 | 59 | イ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
3 | 10 | 3 | 74 | ホ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
4 | 10 | 4 | 75 | 嬰ハ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
5 | 10 | 5 | 57 | 変ト長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
6 | 10 | 6 | 57 | 変ホ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
7 | 10 | 7 | 68 | ハ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
8 | 10 | 8 | 42 | ヘ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
9 | 10 | 9 | 42 | ヘ短調 | 1829年 | 19才 | ||||||
10 | 10 | 10 | 42 | 変イ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
11 | 10 | 11 | 42 | 変ホ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
12 | 10 | 12 | 67 | ハ短調 | 1831年 | 21才 | ||||||
13 | 25 | 1 | 104 | 変イ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
14 | 25 | 2 | 97 | ヘ短調 | 1835年 | 25才 | ||||||
15 | 25 | 3 | 99 | ヘ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
16 | 25 | 4 | 78 | イ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
17 | 25 | 5 | 78 | ホ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
18 | 25 | 6 | 78 | 嬰ト短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
19 | 25 | 7 | 98 | 嬰ハ短調 | 1836年 | 26才 | ||||||
20 | 25 | 8 | 78 | 変ニ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
21 | 25 | 9 | 78 | 変ト長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
22 | 25 | 10 | 78 | ロ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
23 | 25 | 11 | 83 | イ短調 | 1834年 | 24才 | ||||||
24 | 25 | 12 | 99 | ハ短調 | 1835年 | 25才 |
メトロノームによるテンポ指定
ショパン エチュード【ショパンが指定したテンポ】の解説記事では,ショパンが指定したテンポについて詳細をまとめています。
ショパンがフランス初版に書いた速度指定は,です。
やのように1拍を6等分した音符を,
当サイトでは便宜上24分音符と呼ぶことにします。
クラシック音楽では一般的な呼び方ではないですが,音楽ゲームで使われている用語です。
ということは,24分音符が1分間に696回も打鍵されることになります。
1秒間あたりだと11.6回。
1小節を演奏するのにかかる時間はたったの1.03秒。
1分間あたりの打鍵回数が700回前後になると,人間の運動能力の限界となります。
『黒鍵』のエチュードの打鍵回数は,ショパンの練習曲の中でも指折りの速さになります。
ショパンの練習曲を,1分間あたりの打鍵回数の順に並べてみます。
ショパン指定のテンポ通りに演奏すると,Op.25-11『木枯らし』のエチュードがダントツの速さになりますが,このテンポで演奏するのは人間には不可能です。
全盛期のポリーニやアシュケナージなど技術のあるピアニストは前後で演奏しています。
このテンポでの1分間あたりの打鍵回数は696回となり『黒鍵』のエチュードと同じ速さになります。
こう並べると『黒鍵』のエチュードのテンポ指定がいかに速いかが分かりますね。
『革命』や『大洋』は伝統的にショパン指定のテンポより遅く弾かれることが多いですが,
『黒鍵』のエチュードは伝統的にもショパン指定通りのテンポで演奏されます。
ショパンの練習曲は,ショパンの指定テンポが速いため,
伝統的にショパン指定のテンポ通りに弾く曲は,特に演奏が難しい場合が多いですが,
『黒鍵』のエチュードはテンポが速いわりに弾きやすい曲です。
アシュケナージのようにゆっくり弾いているピアニストもたくさんいますが,
技術的な問題で遅く弾いているわけではなく,演奏者の好みでゆっくり弾いているだけでしょう。
『黒鍵』のエチュードが速いテンポのわりに弾きやすいのは,
速いパッセージの右手が黒鍵しか弾かないためです。
ピアノの黒鍵は,鍵盤どうしが離れているため,ミスして隣の黒鍵を弾いてしまうということが起こりにくいです。
また,高さの違う黒鍵と白鍵を弾くのではなく,同じ高さにある黒鍵だけを弾くので,手の高さが常に一定に保たれることで打鍵が安定します。
さらには,音程が広く離れた音へ飛ぶことも少なく,手を大きく広げなければならない箇所も少ないです。
弾きやすいわりに演奏効果の高い作品なので,ピアニストにとっては練習しがいのある曲です。
ショパンが記譜した発想記号・速度記号
ショパン エチュード【ショパンが記譜した演奏指示】の解説記事では,ショパンが練習曲集に記譜した演奏指示をまとめています。
練習曲集Op.10はショパンの他の作品と比べて,演奏指示がたくさん書かれていることも特徴の一つです。
Op.10-5『黒鍵』のエチュードも,11個もの演奏指示が書かれています。
brillante;華やかに,輝かしく
冒頭に「brillante;華やかに,輝かしく」と書かれています。
これ以上ないぐらい,的確な演奏指示だと思います。
初版出版の直前まで違う演奏指示だった
『黒鍵』のエチュードは,ショパン自身の書いたフランス初版の清書原稿が遺されています。
その清書原稿の冒頭には,まったく違う演奏指示が書かれていました。
brillanteの指示はなく,Vivaceやも書かれていません。
代わりに「leggieriss. et legatiss.;とても軽やかに,そしてとてもなめらかに」と書かれています。
フランス初版の清書原稿ですから,初版出版の直前まで,違う指示が書かれていたことになります。
leggieriss.(=leggierissimo)はleggiero(軽く,優美に)の最上級,
legatiss.(=legatissimo)はlegato(音の間に切れ目を感じさせないように滑らかに)の最上級です。
最終的には消されたわけですが,leggieroとlegatoが同時に書かれているのは珍しいのではないでしょうか?
leggieroとlegatoって,同時に表現可能なのでしょうか?
そもそもleggieroって,non legatoとほぼ同じように演奏表現しますよね?
と書きながらふと思い出して,ブルグミュラー(懐かしい!)の「25の練習曲」をめくってみると・・・
ありました!
molto legato e leggiero と書いてありますね。
試しに,久しぶりにこの曲を弾いてみましたが,
この作品の場合はおそらく8分音符をlegatoにつないで,32分音符のターンをleggieroに演奏するのでしょう。
それにしても,メトロノームのテンポ指定がメチャ速いですね。
標題は「優しく美しく」と書いてありますが,このテンポで優美に弾くのは結構難しいですよ。
一方『黒鍵』のエチュードですが,leggieroとlegatoをどうやって同時に演奏表現しますか?
legatoかleggieroか,どちらかしか表現できませんよね??
ショパンも同じように感じたのか?出版譜にはlegatoのみ記譜されています。
legatoが3回も書かれている
legatoかleggieroか。ショパンが選択したのはlegatoでした。
3小節目にlegato,33小節目にsempre legatissimo,そして67小節目にもlegatoを書いています。
leggieroなら弾きやすかったのですが・・・
ショパンが選んだのはlegatoでした。
まぁ,ほとんどのピアニストがlegatoは無視してlggieroで弾いていますが。
ポリーニの歴史的録音はちゃんとlegatoで弾いています。さすがです。
当サイト管理人が録音した参考演奏動画もちゃんとlegatoで演奏しているので安心してください!
legatoということは,打鍵したあと,少なくとも次の音を打鍵するまでは鍵盤を指で押さえたままにするということです。
ペダルは左手のアーティキュレーションと連動するため,右手のlegatoを助けるためにペダルを使うことはできません。
これだけの速さで打鍵を繰り返しながら,legatoに演奏するというのは,かなり難易度が高いです。
とはいえ,Op.10-1やOp.10-2に比べれば,まだ弾きやすいです。
右手が黒鍵しか弾かず,しかも手を大きく広げる箇所が少ないからですね。
delicatiss. = delicatissimo(delicatissimamente);極めて繊細に
曲の終盤,65小節目に「delicatiss. = delicatissimo(delicatissimamente);極めて繊細に」と書かれています。
ショパンの作品の演奏では「繊細さ」は常に必要な要素です。
ショパンの作品では,演奏指示が書かれていなくても「繊細に」演奏するのは暗黙の了解と言えます。
そんな中,わざわざ「delicatiss.」と書かれているわけですから,
これ以上ないほどの「繊細な」表現が求められています。
強弱記号が23個も書かれている
やなどの強弱記号が,なんと23個も書かれています。
練習曲集24曲の中でも,Op.10-12『革命』のエチュードの24個に次いで,2番目に多いです。
しかし,Op.10-4のようにダイナミックレンジの広いデュナーミク(強弱による表現法)が求められているわけではなく,
「大きな音」と「小さな音」を明確に対比させるように指示されているだけです。
冒頭の主題が6回出てきます。
この主題がとを対比させるように作られていて,この主題が6回出てくることで,それだけで強弱記号が12個も書き込まれています。
そのため強弱記号が増えているだけで,Op.10-4のように強弱による演奏表現(デュナーミク)が重要というわけではありません。
『黒鍵』のエチュードはポーランド時代の作品であり,ウィーン式アクションのピアノで書かれています。
ウィーン式アクションのピアノは現代ピアノの3分の1という軽い力で音が鳴りましたが,
強弱の変化をあまりつけることができませんでした。
求められているのは,「大きい」か「小さか」を明確に弾きわけることだけ,と考えて良いでしょう。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-5『黒鍵』 編曲の数々
『小犬のワルツ(子犬のワルツ)』もそうですが,世界中で愛されている作品というのは,後世のたくさんの人々に編曲されています。
人気曲である『黒鍵』のエチュードもまた,数多くの編曲が生み出されています。
ゴドフスキー『ショパンのエチュードによる53の練習曲』
ゴドフスキーは『黒鍵』のエチュードの編曲をなんと8曲も!書いています。
ゴドフスキーの『 ショパンのエチュードによる53の練習曲』は全部で5巻に分かれているのですが,
その第1巻の半分は『黒鍵』のエチュードで占められています。
順番に見ていきましょう。
ゴドフスキー編『黒鍵』のエチュード[1];右手と左手の逆転
右手と左手の役割を完全に逆にしてしまいました!
シンプルで分かりやすい編曲ですが,当然のように原曲より格段に難しくなります。
原曲よりは格段に難しくはなりましたが,ゴドフスキーの『ショパンのエチュードによる53の練習曲』の中では,飛び抜けて弾きやすい曲です。
右手と左手が逆になっているだけで,対旋律が追加されたり,凝った和声にするために音が追加されたり,ということがないため,ゴドフスキーの作品の中ではかなり弾きやすい曲です。
弾きやすいわりに,弾けば観客ウケけすること間違いなし。
しかも左手の器用さを身につける訓練にもってこい。
原曲の『黒鍵』のエチュードが弾けるようになった,その次は,
ぜひこの曲を練習してみてください。
ゴドフスキー編『黒鍵』のエチュード[2];白鍵のエチュード
楽譜には「Study on the white keys」と書かれています。
『白鍵のエチュード』ですね。
「黒鍵も使っているじゃないか!」と思われるかもしれませんが,
ハ長調に転調されることで,左手は見事に白鍵ばかりを弾いています。
単純にハ長調に転調するだけなら良いのですが,
両手であわせて速いパッセージを弾かないとダメですし,
凝った内声部があちこちに書かれていて,大変弾きにくいです。
特にコーダの直前が演奏困難なレベルで難しいです。
「今から「白鍵のエチュード」を弾いちゃうぞ!」とか言えばウケそうですが,
当サイト管理人は以前練習をしたことがありますが,弾けるようにはなりませんでした。
ゴドフスキー編『黒鍵』のエチュード[3];タランテラ
次はイ短調に転調され「タランテラ」にアレンジされています。
舞踏的な中に寂寥感も漂う素晴らしい編曲ですが,
実際に演奏するのはメチャクチャ難しいです。
ゴドフスキー編『黒鍵』のエチュード[4];カプリッチョ
今度はイ長調に転調され,草原をスキップしているような爽やかなカプリッチョです。
この曲も演奏するには相当な技術が必要です。
ゴドフスキー編『黒鍵』のエチュード[5];右手左手の逆転&上昇下降の対称形
原曲と同じ調に戻りました。
最初にご紹介したNo.7と同じで,原曲の右手と左手の役割が逆転しています。
さらにNo.11では,速いパッセージの動き方が原曲と対称形になっています。
どういうことかと言いますと,
原曲の右手が上昇するように弾いていたところは,左手で下降するように弾き,
原曲の右手が下降していたところは,左手で上昇するようになっています。
それだけなら難易度はそれほど変わらないのですが,
No.7と比べて右手がかなり複雑になっていて,格段に弾きにくくなっています。
キラキラと輝くような右手が美しい編曲ですが,これも実際に演奏するのは大変難しいです。
ゴドフスキー編『黒鍵』のエチュード[6];上昇下降の対称形
No.12も原曲と同じ変ト長調。
さらには,原曲の速いパッセージをそのまま右手で弾きます。
しかしその右手は,No.11と同じで上昇と下降がきれいに原曲と対称形になっています。
この曲もそれだけなら原曲と難易度が変わらないのですが,
左手がポリリズム(ヘミオラ)になっていて,動きも複雑なので原曲よりは格段に難しくなっています。
ゴドフスキー編『黒鍵』のエチュード[7];左手1本で黒鍵のエチュード
ゴドフスキーといえば「For the left Hand alone」ですね。
左手のみで演奏しますから原曲よりは音の厚みはなくなっていますが,
それでも聴いているだけでは左手だけで弾いているとはわからないほど広い音域でちゃんと音が鳴ります。
とくに中間部は,とても左手だけで弾いているとは思えないほど,
原曲とそっくりな音楽が流れます。
『黒鍵』と『蝶々』の同時演奏!
当サイト管理人による演奏動画です!
*2021年8月25日録音
出ました!
右手で『蝶々』のエチュード,左手で『黒鍵』のエチュードを弾いてしまうという編曲です!
『黒鍵』と『蝶々』を同時に演奏するというキャッチーなアイデアのため,
ゴドフスキーの作品の中では一般にも知られている作品です。
タイトルの「Badinage」はフランス語で「からかい,軽い冗談」という意味です。
「軽い」冗談というタイトルとは裏腹に,演奏技術を要する難曲です。
右手で『蝶々』を弾きながら,左手で『黒鍵』を弾くんですからね。
『黒鍵』のエチュードや『蝶々』のエチュードに取り組んだことのある方なら,
その難しさは想像できるでしょう。
No.47となっていますが,途中に「No.12A」とか「No.15A」とかを挟んでいるので,
このNo.47が52曲目,曲集の最後から2番目の曲になります。
No.47とNo.48,つまりは最後の52曲目と53曲目は,ショパンのエチュードを2曲同時に演奏する編曲となっています。
今,こうして記事を書きながらゴドフスキーの『黒鍵』のエチュードを見比べると,
このNo.47がダントツで難しいですね。
当サイト管理人は若い頃「弾きたい」一心でNo.47を猛練習をしたため,弾けるようになっています。
なので,このNo.47はゴドフスキーの作品の中では弾きやすい曲だと思っていました。
認識を改めないといけませんね。
難しいとはいっても,右手と左手が複雑に絡み合う箇所はほとんどないので,
右手で『蝶々』が弾けて,左手で『黒鍵』が弾ければ,あとは合わせるだけです。
『黒鍵』と『蝶々』という人気曲を同時に演奏する編曲ですから,
万人受けするキャッチーで演奏効果バツグンの編曲になっています。
ゴドフスキーの作品の中でもオススメの作品の一つです。
アムラン『黒い想念のために』
マルクアンドレ・アムラン(Marc-André Hamelin)による編曲です。
アムランは上記ゴドフスキー「ショパンのエチュードによる53の練習曲」の全曲録音を成し遂げています。
単に全曲を録音するだけなら,プロのピアニストなら可能かもしれませんが,
アムランの演奏は隅々まで完璧です。
奇をてらったような表現は一切なく,細部まで楽譜に忠実で,
何より音楽が自然に流れています。
これだけの難易度の作品を「大変そう」「難しそう」と感じさせることなく,
美しい音楽を奏でています。
ポリーニのショパン練習曲集のアルバムに匹敵する,歴史的な録音です。
1ヶ月ほど前にネット上で探したときは見つからなかったのですが,
先ほどアマゾンを検索していたら見つけました!
Godowsky: Complete Studies on Chopin’s Etudes
最近の若い人(こんな言い方をするようになったらいよいよオッサンですね・・・)はCDをあまり聴かないのかもしれませんが,このCDだけは買っておいて損はしないです。
アムランはピアニストとしてだけでなく,作曲家としても活躍しています。
アムランが2009年までに完成させた「短調による12の練習曲」という曲集の第10番は,
『黒鍵』のエチュードの編曲になっています。
『pour les idées noires 黒い想念のために』という標題がつけられています。
一応嬰ヘ短調で書かれていますが,調性感はあまりなく,クラスターなども多用されていて,
『黒い想念』という標題がピッタリの,オドロオドロしい曲です。
毒々しい雰囲気の奥から,間違いなく『黒鍵』のエチュードが聴こえてくるのが面白いです。
バリバリの現代曲よりは音楽として聴きやすく,でも現代曲のカッコ良さは持っている,という,
バランス感覚の良い作品です。
ヨゼフィー Rafael Joseffy 編曲
小犬のワルツの編曲でもご紹介したラファエル・ヨゼフィによる編曲です。
ショパン作品の出版譜の編集者として名前が知られています。
ゴドフスキーの譜面を見た後ですと,片手で演奏するための譜面に見えますが,
ヨゼフィの編曲は両手で演奏します。
右手と左手で交互に(交互というか,右→左→右→右→左→右・・・ですね)弾くようになっています。
高音が輝くように響くきれいな編曲ですが,演奏がメチャクチャ難しいわりに演奏効果に乏しく,
練習する気力があまりわかない作品です。
フィリップ Isidore Philipp 編曲
こちらも小犬のワルツの編曲でもご紹介した,フィリップの編曲です。
小犬のワルツでは,左手だけでメロディと伴奏を演奏する指示なのに,メロディと伴奏をまとめて「m.s.(左手で)」と一言書いただけで,その奏法や運指を譜面に示さない,という,
まるでフェルマーの最終定理のような譜面をのこしていました。
演奏者への無茶振りは『黒鍵』のエチュードの編曲でも健在です。
冒頭,黒鍵のエチュードの速いパッセージを6度の重音に変えています。
そりゃぁ,この譜面通り弾けたらさぞ素晴らしい音楽になりそうですけど,
これって,Vivaceで弾けますか??
その後2オクターブの跳躍が何度も出てきます。
リストのラ・カンパネラでも2オクターブの跳躍は,弾けるか弾けないかのギリギリの難易度ですよ?
ラ・カンパネラはAllegrettoで16分音符ですが,
黒鍵のエチュードはVivaceで24分音符です。
これはいくらなんでも演奏不可能ではないでしょうか?
以前公開した当サイト管理人の「ラ・カンパネラ」の演奏動画がありますので,良かったらお聴きください。
ついでに「ため息」の演奏動画もありますので,良ければこちらもどうぞ!
さらにリストの作品から「メフィスト・ワルツ」の演奏動画も公開しております!
動画の宣伝を挟んでしまいましたが,続きです。
このあたりも,かなり弾きにくいです。
テンポを多少落としてゆっくり弾けばもちろん演奏可能ですが,
ゆっくり弾いてしまったら黒鍵のエチュードの魅力がなくなってしまいます。
ゴドフスキーの編曲もたしかに難しいのですが,ゴドフスキーは音の配置,指遣いなど,実際に演奏するための作品として隅々まで配慮が行き届いています。
フィリップの編曲は,確かに譜面通り音を出すことができたら楽しそうな編曲ですが,
机上の産物としか思えません。
チャベス Carlos Chávez「Left Hand Inversions of Five Chopin Etudes」
カルロス・チャベスによる編曲です。
チャベスはメキシコの作曲家で,当サイト管理人は名前ぐらいしか知りませんが,
現代の作曲家の中ではメジャーな方ではないでしょうか。
ショパンの練習曲の右手課題を左手に「Inversions 反転」させた作品を5曲書いています。
1950年の作曲のようです。
Op.10-1,Op.10-2,Op.10-5,Op.10-7,Op.25-9の右手を左手に「反転」させた作品となっています。
ゴドフスキーのNo.11と同じ発想ですね。
ゴドフスキーの秀逸な編曲が既に存在しているにも関わらず,この曲を作曲した動機が分からないですが,右手も原曲の左手をそのまま反転させただけなので,ゴドフスキーの編曲よりは随分と弾きやすい曲です。
Alphonse Seutin 「ショパンのエチュードによる左手のための4つの練習曲」
不勉強な当サイト管理人は,作曲家の名前の読み方がわかりません・・・(汗
Op.10-2とOp.10-5,Op.10-7,Op.25-2の右手練習課題を,左手で演奏するように編曲されています。
1839年にフランスで出版されているようです。
特にこだわって作られたようなところもなく,ほぼ機械的に原曲の右手と左手を入れかえただけの作品です。
右手が単純なので,ゴドフスキーのNo.11と比べるとかなり弾きやすいです。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-5『黒鍵』原典資料
ショパン エチュード【原典資料】の解説記事では,ショパンの練習曲集全体の,初版や自筆譜,写譜などの原典資料について詳細をまとめています。
ショパンの自筆譜
ショパン自筆によるフランス初版の清書原稿を,ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
詳細は「自筆譜を詳しく見てみよう!」の項目でご紹介します。
信頼できる原典資料~フランス初版~
パリ,M.Schlesinger(M.シュレサンジュ),1833年6月出版。
めずらしく,ショパンは校正にしっかりと関わっています。
この頃のショパンは,パリなどヨーロッパの主要都市でデビューしたばかりの新人作曲家でした。
後年のように友人に任せっきりにするのではなく,ショパン自身が校正にちゃんと関わっていました。
練習曲集Op.10のフランス初版は,信頼できる一次資料です。
他の初版
ドイツ初版
ライプツィヒ,F.Kistner(F.キストナー),1833年8月出版。
フランス初版の校正刷り(ゲラ刷り)をもとに作られています。
いつも勝手な判断で譜面を変えてしまい,しかも「原典版」として後世の出版譜に多大な影響を与えているドイツ初版です。
『黒鍵』のエチュードでも,ドイツ初版の大きな間違えを,多くの楽譜が受け継いでしまっています。
4,12,52小節目
ドイツ版の第二版が,勝手に音を変えてしまい,現在出版されているほとんどの楽譜がこの間違いを受け継いでしまっています。
最後の和音
これもドイツ初版が勝手にアルペッジョを右手の和音にもつけてしまい,現在出版されている多くの楽譜に受け継がれてしまっています。
イギリス初版
ロンドン,Wessel & C°(C.ウェッセル),1833年8月出版。
フランス初版をもとに作られています。
原典資料としては特に価値がありません。
ショパンの生徒がレッスンで使っていたフランス初版
ショパンの生徒がレッスンで使用していたフランス初版が3種類現存しています。
- カミーユ・デュボワが使用していたフランス初版
パリのフランス国立図書館所蔵 - ジェーン・スターリングが使用していたフランス初版
パリのフランス国立図書館所蔵 - ショパンの姉,ルドヴィカが使用していたフランス初版
ワルシャワのショパン協会所蔵
カミーユ・デュボワのレッスン譜には,ショパン自身の書き込みが多数遺されています。
ジェーン・スターリングの楽譜には4箇所だけ,そしてルドヴィカの楽譜には1箇所だけ,ショパンが書き込みをしています。
詳細は「自筆譜を詳しく見てみよう!」の項目でご紹介します。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-5『黒鍵』構成
分かりやすい三部形式
ショパンの練習曲集Op.10,Op.25の24曲はすべて三部形式で書かれています。
崇高な芸術作品でありながら決して難解ではなく,分かりやすい構成で作られているところは,
ショパンの作品の魅力の一つです。
主部1~16小節目–中間部17~48小節目–再現部49~66小節目–コーダ67小節目~
アナリーゼの必要などまったくなく,一度聴いただけで誰でも作品の魅力が理解できます。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-5『黒鍵』出版譜によく見られる間違い
4,12,52小節目の9番目の音はE♭(ミ♭)が正解
4,12,52小節目ですが,右手の9番目の音は「E♭(ミ♭)」が正解です。
多くの出版譜で「D♭(レ♭)」になっています。
事の発端はフランス初版のミス
事の発端は,フランス初版が4小節目だけ間違えてD♭(レ♭)にしてしまったことから始まります。
カミーユ・デュボワのレッスン譜ではショパン自身が訂正している
このフランス初版の間違いは,ショパン自身の手で訂正されています。
カミーユ・デュボワがレッスンで使用していたフランス初版の4小節目に,
ショパン自身が訂正した跡が遺されています。
ドイツ初版,イギリス初版は,フランス初版と同じ譜面
フランス初版の校正刷りを元に作られたドイツ初版も,
フランス初版をもとに作られたイギリス初版も,
フランス初版と同じ譜面になっています。
つまりは,4小節目だけ間違えてD♭(レ♭)になっていて,
12小節目と52小節目は正しくE♭(ミ♭)になっています。
ドイツ第二版が全部D♭(レ♭)にしてしまった
しかし,現在出版されている楽譜のほとんどが,
3箇所とも間違えてD♭(レ♭)になっています。
これは,ドイツ版の第二版が全部D♭(レ♭)に,勝手に変えてしまったことが原因です。
そしてこのドイツ版の勝手な変更が,ミクリ版やコルトー版など権威ある出版譜に受け継がれ,
現在では間違えた楽譜が大量に生産されています。
24小節目,G♭(ソ♭)が正解
ここは間違えている楽譜はほとんどありませんが,もしかするとE♭(ミ♭)になっている楽譜があるかもしれません。
47小節目,左手の1拍目
ここも,間違えている楽譜があるかもしれません。
左手1拍目の真ん中の音はD♭(レ♭)が正解です。
65小節目の左手はいくつかの奏法が考えられる
フランス初版は前打音+音域の広い和音
65小節目の左手ですが,フランス初版では上の譜例のように,前打音+音域の広い和音となっています。
ミクリ版もフランス初版と同じになっています。
現在出版されている楽譜の多くは,この譜面と同じになっています。
しかし,この左手の和音はよほど大きな手でなければ届きません。
ショパンは演奏不可能な譜面を書くことはありません。
ショパンが使っていたピアノの鍵盤の幅は,現代のピアノよりも狭かったそうです。
現代のピアノはオクターブが約165mmですが,
ショパンが使っていたピアノはオクターブが約154mmだったとのこと。
ショパンの死の直後に,彫刻家のクレサンジェが顔(デスマスクですね)と手の型をとったものが遺されています。
「ショパンの手は小さかった」とよく言われます。
たしかにヨーロッパの白人男性としては手が小さい方かもしれませんが,
日本人の手と比べると特別小さな手ではなさそうです。
現代ピアノだとギリギリ10度が届くぐらいの大きさでしょうか。
ショパンが当時使っていたピアノならば,余裕を持って10度が届いたのではないかと思います。
とはいっても,この65小節目の和音は届かなかったと思います。
自筆の清書原稿にはアルペッジョが書かれていた
ショパン自筆のフランス初版の清書原稿では,アルペッジョが書かれています。
ショパンはフランス初版の校正にも関わっていますから,最終的にはアルペッジョを消したのだと思いますが,印刷漏れである可能性もあります。
カミーユ・デュボワのレッスン譜には指遣いが書き込まれている
カミーユ・デュボワがレッスンで使っていたフランス初版には,ショパン自身が指遣いを書き込んでいます。
よくみると,一番下のD♭音を「1」A♭音を「4」で弾く運指になっています。
これをきちんと譜面に書き表すと,コルトー版のようになります。
では,実際にはどのように演奏するのが良さそうでしょうか。
この場面ではアルペッジョでやわらかく弾くのがショパンのスタイル
ショパンはアルペッジョを使うのは,広い音域を演奏するためという理由ももちろんありますが,
何よりも,やわらかく和音を鳴らすために使っていました。
カミーユ・デュボワの譜面に書かれた指遣いも,アルペッジョで演奏をするための指遣いだと考えられます。
ということで,エキエル版の譜面を最後に紹介します。
当サイト管理人も,この譜面が一番ショパンらしいスタイルだと思います。
ポリーニをはじめ,多くの一流ピアニストも,ここの和音はアルペッジョで演奏しています。
実際の奏法については「演奏の注意点」の項目で解説します!
66小節目,右手は白鍵を弾きません!
前述しましたが,66小節目はほとんどの出版譜がのような譜面になっていて,
内声部を右手が弾くようになっています。
実際に演奏するときに,このように弾くのは構いません。
しかし,ショパンは「右手旋律では1音たりとも白鍵を使わない」という制限を自ら背負い,
見事成し遂げています。
ショパンの自筆譜を見るとのように,内声部はすべて左手で弾くように書いています。
フランス初版もこの通りに作られました。
カミーユ・デュボワのレッスン譜を見るとというように指遣いをショパン自身が書き込んでいます。
内声部のE♭(ミ♭)とG♭(ソ♭)を左手の1指(親指)で弾くように,という運指です。
これを見やすくきれいに仕上げた譜面をエキエル版でみることができます→。
鍵盤の幅の広い現代のピアノでは,手の小さい日本人にはこの弾き方は難しいかもしれません。
本来はであることを知った上で,のように演奏するのは,まったく問題ありません。
しかし,最初からショパンがこの譜面を書いていたという勘違いがあると,
ショパンの歴史的偉業が霞んでしまいます。
72小節目,G♭(ソ♭)が正解
間違えている楽譜はほとんどありませんが,もしかするとE♭(ミ♭)になっている楽譜があるかもしれません。
74小節目,右手和音にはアルペッジョ「なし」
最後の和音ですが,ショパンは右手にはアルペッジョをつけていません。
しかし現在出版されているほとんどの楽譜でアルペッジョがついているのではないかと思います。
ドイツ初版が恣意的に右手にもアルペッジョをつけてしまったものが,
現代の出版譜に受け継がれてしまっています。
この和音にアルペッジョをつけるのはショパンらしいスタイルなので,問題ありません。
しかし,アルペッジョをつけるとき,ほとんどの演奏者が弾き方を間違えています。
「演奏の注意点」で解説します。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-5『黒鍵』自筆譜を詳しく見てみよう!
ショパン自筆の清書原稿
ショパン自身が書いたフランス初版の清書原稿が遺されていて,
ワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
全景
いつものように丁寧に記譜されていて,大変読みやすい譜面です。
最終的な清書原稿ということもあり,書き直しの跡もほとんどありません。
演奏指示やペダル指示はまだ少なく,最後の校正作業で追加されたものと思われます。
運指は既に多数書き込まれていて,フランス初版に印刷されている運指とほぼ同じです。
冒頭
vivaceの指示やはまだ書かれていません。
leggieriss. et legatiss.と書かれていますが出版時には消されています。
運指が丁寧に記譜されています。
最終的にフランス初版に印刷された運指とまったく同じです。
ショパンはインクで記譜するので,消しゴムで消したりはできません。
普段は塗りつぶして書き直しているのですが,
『黒鍵』のエチュードでは丁寧に削り取って書き直している跡が多数遺っています。
削り取って修正した跡
丁寧に削り取って訂正している跡をみると,『黒鍵』のエチュードの譜面づくりへの強いこだわりが感じられます。
「なんとなく弾きやすいから」とか「なんとなくこの方が響きが良いから」と軽い気持ちで譜面を変更してしまうのは,この丁寧な仕事に対する冒涜です。
大きな修正跡
ショパンが記譜した運指
ショパンは『黒鍵』のエチュードの自筆譜にたくさんの運指を書き遺していますが,
その中からいくつか拡大してご紹介します。
生徒の楽譜へのショパン自身の書き込み
ショパンの姉,ルドヴィカの使っていたフランス初版
ショパンの姉,ルドヴィカの楽譜には1箇所だけショパンの書き込みが遺されています。
なお,ルドヴィカが使っていたのは,正確にはフランス版の第三版だそうです。
フランス初版の31小節目には誤植があるのですが,そのミスを訂正する書き込みです。
間違えたG♭(シ♭)をD♭(レ♭)に修正しています。
ジェーン・スターリングが使っていたフランス初版
スターリングの楽譜には,フランス初版の誤植の訂正が3箇所と,運指が1箇所書き込まれています。
なお,スターリングが使っていたのは正確にはフランス版の第二版だということです。
カミーユ・デュボワの使っていたフランス初版
カミーユ・デュボワがレッスンで使っていたフランス初版には,ショパンが多数の書き込みを遺しています。
なお,デュポワが使っていたのは正確にはフランス版の第三版だということです。
主部です。ショパン自身による指遣いや誤植の訂正の書き込みです。
中間部から60小節目まで。
カミーユ・デュボワの楽譜を見ていると,まるで自分がショパンからレッスンを受けているような気がして心が浮き立ちます。
ここから4小節の間に書き込みが集中しています。
ここも書き込みが多いですね。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-5『黒鍵』演奏の注意点
leggieroではなくlegato でも”明るく輝かしい音”で
『黒鍵』のエチュードはleggieroで演奏するピアニストも多いですが,
ショパンの指示はlegatoなので,ショパンの指示を守るべきです。
しかし,何より優先されるのは”明るく輝かしい音”を響かせることです。
ショパンが冒頭に「brillante;華やかに,輝かしく」と,普段あまり書かない演奏指示を書いています。
「brillante」が何よりも優先されます。
legatoに演奏することでやわらかい音色になってしまってはいけません。
『黒鍵』のエチュードはウィーン式アクションのピアノで作られています。
ただでさえ明るくクリアな音が鳴ったというウィーン式アクションのピアノに対して,
取り立てて「brillante」という指示が書かれているわけですから,
最大限”輝かしい”音を鳴らさなければいけません。
明るくクリアな音を響かせるために,
leggieroで演奏するという選択肢もあるかもしれません。
しかしショパンの指示を蔑ろにせず,legatoに弾く努力はするべきでしょう。
理想は,硬質で明るくクリアで輝くような音を響かせた上で,legatoに演奏することです。
指を伸ばすか,立てるか
△どちらかというと,やわらかい音を出すのに適している。
◎安定して打鍵できる。
○明るくクリアな音が出しやすい。
×黒鍵から指先が滑り落ちそうになる危険がある。
当サイト管理人は普段は指を伸ばしてピアノを弾いています。
普段は指を伸ばして弾いている演奏者でも,指を立てて弾くことはあります。
逆に,普段は指を立てて弾いている方でも,指を伸ばして弾くこともあるでしょう。
では『黒鍵』のエチュードでは,どちらの手の形が最適なのでしょうか。
結論から書くと「人それぞれ」だと思います。
生まれ持った体格は誰ひとりとして同じではなく,最適な演奏姿勢も各人各様です。
同じ人でも,体重が変わったりすれば,最適な手の形は変わるかもしれません。
皆さんにも最適な弾き方・手の形があるはずですので,
指を伸ばしてみたり,立ててみたり,イスの高さを変えてみたり,試行錯誤しながら自分にとって最適な手の形を探してみてください。
ペダルは左手の演奏表現のために使う
『黒鍵』のエチュードの音楽的な中核は左手にあります。
左手にはスタッカートやスラー,アクセントなどアーティキュレーションが丁寧に書かれています。
左手のアーティキュレーションと共同で音楽を作り上げるために,ダンパーペダルは使われるべきでしょう。
右手をレガートに演奏するためにペダルを使ってしまうと,左手の演奏表現のためにペダルが使えなくなってしまいます。
右手は演奏表現は運指だけで実現し,ペダルは左手の演奏表現のために使いましょう。
ダイナミックレンジの広いデュナーミクは想定されていない
『黒鍵』のエチュードはウィーン式アクションのピアノで書かれています。
ダイナミックレンジの広いデュナーミク(音の強弱による演奏表現)は想定されていません。
『黒鍵』のエチュードはやなどの強弱記号が23個も書かれていますが,
「大きい」か「小さい」かを明確にする程度の表現に抑えておきましょう。
やも書かれていますが,現代ピアノのダイナミックレンジをフルで発揮すると,
作曲当時のスタイルから逸脱しますし,『黒鍵』のエチュードの曲想にもあいません。
手首を回転させすぎない
右手の旋律は,上がって・下がってをずっと繰り返します。
右手旋律の奏法は,トレモロの奏法と同じになります。
トレモロの奏法(『黒鍵』のエチュードの右手の奏法)では手首の回転が大事とよく言われます。
その通りなのですが,目に見えるほど手首が回転して(揺れて)しまっているのはやり過ぎです。
手が鍵盤と平行に保たれていないと音色が安定しません。
当サイト管理人は手の甲に消しゴムを載せて『黒鍵』のエチュードを弾く練習をしたりもしました。
今でも手の甲に載せた消しゴムを落とさずに『黒鍵』のエチュードが弾けます。
左手のアルペッジョの奏法
『黒鍵』のエチュードには”左手のアルペッジョ”が何度か出てきます。
ショパンの装飾音は基本的には拍と同時に演奏しますが,
左手低音部のアルペッジョは先取りで演奏します。
ショパンの作品では装飾音を先取りで演奏することはあまりありません。
ショパンの装飾音は間違えて先取りで演奏される場合が多いので,
左手低音部のアルペッジョは正しく先取りで演奏されることが多いです。
ショパンの作品を深く勉強し,ショパンの装飾音は拍と同時に演奏されることが分かっている演奏者の方が,左手のアルペッジョも拍と同時に弾きはじめるのが正しいと思ってしまうことがあると思います。
左手のアルペッジョは例外的に先取りで演奏するので気をつけてください。
拍よりも先取りで鳴らされるべき音は,和声の根音である一番下の音だけです。
最低音以外の音は,重ねたときにより和声が美しく響くように右手の音と重ねます。
8小節目
8小節目のアルペッジョは,一般的には上の「一般的な奏法」の譜例のように演奏されています。
奏法として間違えてはいませんが,無理に音を詰め込んでいるので,
テンポが揺れてしまったり,音が鋭くなってしまったりする危険性があります。
ショパンがアルペッジョを使うのは「音をやわらかく響かせるため」なので,
あわててアルペッジョを演奏するあまり,強いアクセントがついてしまってはいけません。
上の譜例の「推奨される奏法」のように演奏するのがベストです。
当サイト管理人も「推奨される奏法」で演奏します。
65小節目,アルペッジョとして演奏する場合
65小節目の左手をアルペッジョとして演奏する場合の奏法です。
「一般的な奏法」はやはり間違えてはいませんが,無理に音を詰め込んでいるので,
テンポが揺れてしまったり,音が鋭くなってしまったりする危険があります。
「推奨される奏法」のように演奏するのがベストです。
当サイト管理人も「推奨される奏法」で演奏します。
65小節目,前打音として演奏する場合
65小節目の左手を前打音として演奏する場合の奏法です。
ショパンの装飾音は拍と同時に弾きはじめるのが普通ですが,
低音符の前打音は先取りで演奏します。
これも「一般的な奏法」ではテンポが崩れて音が鋭くなる危険がありますので,
「推奨される奏法」の方が良いです。
84小節目,左手のみアルペッジョで演奏する場合【原典版】
最後のアルペッジョは,ほとんどの出版譜がドイツ初版の間違えを受け継いで右手にもアルペッジョをつけていますが,
正しくは,左手だけにアルペッジョをつけます。
最低音のG♭(ソ♭)が拍より先取りで鳴らされていれば,
残りのD♭とB♭(レ♭とシ♭)はどこで鳴らしても大丈夫です。
84小節目,右手もアルペッジョで演奏する場合【一般に普及しているバージョン】
現在出版されているほとんどの楽譜が,最後の和音は右手にもアルペッジョがついています。
右手のアルペッジョはドイツ初版が勝手につけたもので,ショパンがつけたものではありません。
ドイツ初版が勝手につけたアルペッジョが後世のほとんどの楽譜に受け継がれてしまっているのです。
とはいえ,右手の和音にもアルペッジョをつけるのはショパンらしいスタイルです。
右手と左手,両方の和音にアルペッジョをつけて演奏しても問題ありません。
ショパンの”両手アルペッジョ”の記譜法
ショパンが”両手アルペッジョ”を譜面に記譜するときは,上図のように2種類の記譜法を使いましたが,
両者に奏法(弾き方)の違いはありません。
と書いてあってものように弾くという意味ではありません。
そもそもショパンの”両手アルペッジョ”ではのように右手と左手を同時に弾きはじめるような弾き方はしません。
また,と書いてあってもというように,下から上へ順番に音を鳴らしていくとは限りません。
ショパンの”両手アルペッジョ”の奏法(弾き方)
ショパンの”両手オクターブ”の奏法は上記のようになります。
オクターブが重ならないように,やわらかく美しく響く重ね方を選択します。
『黒鍵』のエチュードの最後の和音の場合
上図の「推奨される奏法」が良いでしょう。
上図の「△」のように弾くと,アルペッジョが下から上へ6連符となり,かなりの速さで打鍵しなければならなくなるため,不必要にアクセントがついてしまう可能性があります。
「×」のように弾くと,B♭(シ♭)音が重なってしまい,オクターブが不自然に目立ってしまうので,この弾き方はダメです。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-5『黒鍵』 実際の演奏
当サイト管理人 林 秀樹の演奏です。2021年5月録音
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*2021年5月録音
◇Op.10-5『黒鍵』単独再生
◇ショパン/ゴドフスキー”Badinage” *黒鍵と蝶々の同時演奏!
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
本来,練習曲集は12曲(もしくは24曲)全曲を通して演奏するべきなのですが,
原典に忠実な録音を残すために,1曲ずつ何回も(ときには100回以上も)録り直して録音しました。
ゴドフスキー編曲”Badinage”(黒鍵と蝶々の同時演奏!)の演奏動画も公開しています!
演奏動画を録音したときの苦労話はショパンの意図に忠実な参考演奏動画【練習曲集Op.10】をご覧ください。
今回は以上です!