ショパンの生涯 誕生前
1787年
◆主な出来事◆
16歳のニコラス(ニコラ)・ショパン(ショパンの父),フランスからポーランドへ渡る。◆社会的・芸術的な出来事◆
モーツァルト『ドン・ジョバンニ』プラハで上演◆日本の出来事◆
松平定信が寛政の改革に着手1789年
◆社会的・芸術的な出来事◆
フランス革命おこる。1790年
◆日本の出来事◆
「古事記伝」の最初の五巻が刊行される1792年
◆日本の出来事◆
大黒屋光太夫と共にロシアのラクスマンが根室に来航,通商を要求する1793年
◆社会的・芸術的な出来事◆
ポーランド,第二次分割。1794年
◆社会的・芸術的な出来事◆
コシチュシュコの蜂起。ニコラス(ニコラ)・ショパン(ショパンの父)がワルシャワ市民兵として戦いに参加。1795年
◆社会的・芸術的な出来事◆
ポーランド,第三次分割。1802年
◆主な出来事◆
ニコラス(ニコラ)・ショパン(ショパンの父),ジェラゾヴァ・ボーラに赴き,スカルベック(スカルベク)伯爵家の家庭教師となる。スカルベック家の遠い親戚であるユスティナ・クジザノフスカ(クシジャノフスカ,ショパンの母)と出会う。
◆社会的・芸術的な出来事◆
ベートーヴェン「ハイリゲンシュタットの遺書」ペテルブルグにフィルハーモニー協会が設立される。
1806年
◆主な出来事◆
6月2日,ニコラス(ニコラ)・ショパン,ユスティナ・クジザノフスカ(クシジャノフスカ)と結婚する。◆社会的・芸術的な出来事◆
ベートーヴェン『交響曲第4番』『ヴァイオリン協奏曲』1807年
◆主な出来事◆
長女ルドヴィカ生まれる。◆社会的・芸術的な出来事◆
ワルシャワ公国成立。ベートーヴェン『熱情ソナタ』
◆日本の出来事◆
箱館奉行を廃止し,松前奉行を置く。ショパンの生涯 フレデリック・ショパン 誕生 神童ショパン
1810年
◆主な出来事◆
1810年3月1日,フレデリック・フランチシェク(フランソワ)・ショパンは夫妻の2人目の子として,ワルシャワから46km西にあるマゾフシェ県のジェラゾヴァ・ヴォーラ(ジェラゾヴァ・ヴォラ)村で生まれた。*生年月日には諸説あり。
10月 父ニコラスがワルシャワのサスキ宮殿内にある高等中学校の校長だったサミュエル(サムエル)・リンデから,フランス語教授に誘われる。
家族でワルシャワに移住し,サスキ宮殿内に住むことになる。
ショパン家はエリート学生のための寄宿塾を営み,寮生たちはショパンの幼友達となる。
◆社会的・芸術的な出来事◆
ナポレオン,フランツ1世の娘のマリー・ルイーズと結婚。ロベルト・シューマン生まれる(6月8日)。
ベートーヴェン『エグモント序曲』
1811年:ショパン1歳
◆主な出来事◆
イザベラ(次女)生まれる。◆社会的・芸術的な出来事◆
ベネズエラ,独立宣言。フランツ・リスト生まれる(10月22日)
◆日本の出来事◆
ゴローニン事件1813年:ショパン3歳
◆主な出来事◆
エミリア(三女)生まれる。◆社会的・芸術的な出来事◆
プロイセン,ナポレオンに宣戦。フランクルト会議開かれる。
リヒャルト・ワーグナー生まれる(5月22日)。
ジュゼッペ・ヴェルディ生まれる(10月10日)。
1814年:ショパン4歳
◆主な出来事◆
姉ルドヴィカにピアノを習い始める。1815年:ショパン5歳
◆主な出来事◆
ウィーン会議,ポーランド第四次分割。ワーテルローの戦い。
1816年:ショパン6歳
◆主な出来事◆
チェコ生まれの音楽家アダルベルト・ジヴニー(ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ)のもとで,本格的にピアノを習い始める。◆社会的・芸術的な出来事◆
ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』シューベルト『交響曲第5番』
1817年:ショパン7歳
◆主な出来事◆
最初の作品ポロネーズト短調を完成させる。高等中学校の移転にともない,ショパン一家はサスキ宮殿からカジミェシュ宮殿へ転居。
◆作品◆
ポロネーズ ト短調 BI.1 KK.IIa-1ポロネーズ 変ロ長調 BI.3 KK.IVa-1
変奏曲 調性不明
舞曲 調性不明
軍隊行進曲 調性不明 BI.2
◆社会的・芸術的な出来事◆
ヴァルトブルク宣言バイロン『マンフレッド』
クレメンティ『グラドス・アド・パルナッスム』
1818年:ショパン8歳
◆主な出来事◆
2月24日にラジーヴィウ宮殿(ラジヴィウ宮殿)で初めての公開演奏会。曲目はギロヴェッツの『ピアノ協奏曲』。モーツァルトの再来としてサロンの人気者となる。◆作品◆
ポロネーズ 調性不明◆社会的・芸術的な出来事◆
アーヘン会議。バイロン『ドン・ジュアン』
1820年:ショパン10歳
◆主な出来事◆
1月,当時 最も偉大な歌手の一人だった,マダム・カタラーニの前で演奏し,記念に金時計を贈られる。◆作品◆
マズルカ ニ長調 BI.4 KK.Anh.Ia-1 *ショパンの作品であるか疑わしい◆社会的・芸術的な出来事◆
フランスで個人の自由が制限される。ミズーリ協定。
ミロのヴィーナスが発見される。
ショパンの生涯 少年ショパン
1821年:ショパン11歳
◆主な出来事◆
ピアノのテクニックは向上し,既にジヴニーの指導するところではなくなる。この頃より作曲に対する興味が強くなる。
◆作品◆
ポロネーズ 変イ長調 BI.5 KK.IVa-2◆社会的・芸術的な出来事◆
ナポレオン死す。ペルー独立。
ウェーバー『魔弾の射手』ベルリンで上演。
メンデルスゾーン,ゲーテを訪問。
◆日本の出来事◆
伊能忠敬『大日本沿海輿地全図』1822年:ショパン12歳
◆主な出来事◆
ワルシャワに移って以来初めて,ショパン生誕の地であるジェラゾヴァ・ヴォーラ(ジェラゾヴァ・ヴォラ)を訪れる。初めてエルスナー(ユゼフ・エルスネル)のレッスンを受ける。
◆作品◆
ポロネーズ 嬰ト短調 BI.6 KK.IVa-3 *1822~1827年ごろの作曲◆社会的・芸術的な出来事◆
ギリシャ,トルコより独立。シューベルト『交響曲 未完成』
1823年:ショパン13歳
◆主な出来事◆
ショパン,高等中学校に入学。エルスナー(ユゼフ・エルスネル)から本格的な指導を受けるようになり,「和声法」「対位法」等を学ぶ。
慈善音楽会に出演。ワルシャワの新聞雑誌に「リストを凌駕する天才がワルシャワにいる。リストのいるウィーンをうらやむ必要はない」と讃えられる。
様々な音楽に触れ,特にオペラを好むようになる。
◆社会的・芸術的な出来事◆
アメリカでモンロー宣言。シューベルト『美しい水車小屋の娘』
1824年:ショパン14歳
◆主な出来事◆
夏休みを利用し,シャファルニア(シャファルニャ)に向かう。ヴィスワ河(ビスワ川)に沿って北上し,田園に親しむ。同時に,ポーランドの民族音楽に触れ,強い関心を抱く。
シャファルニアではカルクブレンナーのピアノ協奏曲を演奏して喝采を受ける。
◆作品◆
マズルカ 変イ長調 BI.7 ※Op.7-4の第1草稿,1830-31年に加筆。マズルカ イ短調 BI.8 ※Op.17-4の第1草稿,1831-33年に加筆。
ワルツ ハ長調 KK.Vb-8 ※ルドヴィカの作品目録第4ページ第4番
◆社会的・芸術的な出来事◆
ギリシャ戦争起こる。フランスのルイ18世死亡に伴い,シャルル10世が即位。
ベートーヴェン,ウィーンで『交響曲第9番』初演。
1825年:ショパン15歳
◆主な出来事◆
ヤヴォーレクが主催する慈善演奏会に出演し,モシェレスの協奏曲を弾いて「ワルシャワで最高のピアニスト」と絶賛される。5月と6月に新しい楽器,エアロパンタレオンを演奏。これを聴いたロシア皇帝アレクサンドル1世が,ショパンにダイヤの指輪を与える。
8月に再び旅行に出てシャファルニアをはじめ,グダニスクまで足を伸ばす。
この年作曲したロンドに初めて作品番号をつけ,Op.1として出版する。
◆作品◆
ポロネーズ ニ短調 Op.71-1 *1825~1827年ごろの作曲ロンド ハ短調 Op.1
マズルカ ハ長調
ワルツ 調性不明
◆社会的・芸術的な出来事◆
ロシア皇帝アレクサンドル1世の死去に伴い,若いニコラス1世が即位。プーシキン『ポリス・ゴドノフ』
◆日本の出来事◆
異国船打払令(外国船打払令)ショパンの生涯 青年期 ワルシャワ音楽院
1826年:ショパン16歳
◆主な出来事◆
7月に高等中学校を卒業。健康がすぐれないため,父とイザベラを除いた家族4人でドゥシニキ・ズドルイ(バート・ライネルツ)に旅行し静養。
音楽学校に通うことを決心し,9月にワルシャワ音楽院に入学。エルスナー(ユゼフ・エルスネル)に師事する。
◆作品◆
マズルカ 変ロ長調 BI.16 KK.IIa-3マズルカ ト長調 BI.16 KK.IIa-2
マズレック 調性不明 *マズルカト長調BI16と同一作品か?
ポロネーズ 変ロ短調「別れのポロネーズ」BI.13 KK.IVa-5
ロンド・ア・ラ・マズル ヘ長調 Op.5
ドイツ民謡「スイスの少年」による変奏曲 ホ長調 BI.14 KK.IVa-4
3つのエコセーズ Op.72
ワルツ ハ長調 BI.12B KK.Vb-3 ※ルドヴィカの作品目録第3ページ第1番
4手用の変奏曲 ヘ長調 BI.12a KK.Vb-2 ※ルドヴィカの作品目録第2ページ第10番
4手用の変奏曲 ニ長調 BI.12A KK.IVa-6 ※一部欠落。エキエルによる補筆版あり。
◆社会的・芸術的な出来事◆
トルコ軍,ミソロンギを占領。パナマ会議が開かれる。
シューベルト『死と乙女』
ウエーバー『オベロン』
メンデルスゾーン『真夏の夜の夢』
ウェーバー,ロンドンで死す。
1827年:ショパン17歳
◆主な出来事◆
4月10日,妹のエミリアが亡くなる。結核が死因だといわれている。一家はワルシャワ大学と通りを挟んだ向かいにある,クラシンスキ宮殿の南館に移り住む。
9月,音楽院の2年生に進級する。
*夏休みにポメラニアへ旅行したとされているが,一次資料は存在しない。
◆作品◆
マズルカ イ短調 Op.68-2ノクターン ホ短調 Op.72-1
葬送行進曲 ハ短調 Op.72-2
ワルツ 変イ長調 KK.Vb-4 ※ルドヴィカの作品目録に収録。
ワルツ 変イ長調 BI.21 KK.IVa-13
コントルダンス 変ト長調 BI.17 KK.Anh.Ia-4
モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の「ラ・チ・ダレム・ラ・マノ」による変奏曲 変ロ長調 Op.2
アンダンテ・ドレンテ 変ロ短調 BI.17B KK.Vb-1
エコセーズ 変ロ長調 KK.Vb-9 ※ルドヴィカの作品目録第4ページ第4番
◆社会的・芸術的な出来事◆
トルコ軍がアテネに侵入。ロンドン条約締結。
ベートーヴェン,ウィーンで死す。
シューベルト『冬の旅』
ベリーニ『海賊』
1828年:ショパン18歳
◆主な出来事◆
ワルシャワでフンメルのリサイタルを聴き,彼に傾倒する。夏休み,アンナ・スカルベックの招きに応じ,マゾフシェ県のサンニキを訪れる。
9月,初めての国外旅行。博物学者のヤロツキと共にベルリンに向かう。2週間滞在する。その間,多くのオペラを観る。カール・フリードリヒ・ツェルターやメンデルスゾーンなど著名人らと出会う。
アントニンにアントニ・ラジヴィウ公を訪ね,滞在する。
オーケストラ付きの作品を書く。
◆作品◆
ポロネーズ 変ロ長調 Op.71-2ポロネーズ ヘ短調 Op.71-3
ロンド ハ長調 Op.73A
2台ピアノのためのロンド ハ長調 Op.73B
ピアノソナタ ハ短調 Op.4
ワルツ ニ短調 KK.Vb-6
ピアノとオーケストラのためのポーランド民謡による大幻想曲 イ長調 Op.13
ヴァイオリン,チェロ,ピアノのための三重奏曲 ト短調 Op.8
ピアノとオーケストラのための演奏会用ロンド「クラコーヴィアク」ヘ長調 Op.14
◆社会的・芸術的な出来事◆
ロシア,トルコに宣戦布告。フランス軍,モレアに遠征。
シューベルト『交響曲 ザ・グレート』
ロッシーニ『オリー伯爵』
シューベルト,ウィーンで死す。
パリ音楽院管弦楽団が組織される。
パガニーニ,イタリア国外の演奏会で成功。
◆日本の出来事◆
シーボルト事件1829年:ショパン19歳
◆主な出来事◆
コンスタンツィア・グラドコフスカ(コンスタンツヤ・グワドコフスカ)に出会い,夢中になる。パガニーニの演奏会が,ワルシャワで開かれる。また,フンメルとも出会い刺激を受ける。
7月に音楽院を卒業し,友人とウィーンに旅行する。
7月末にウィーンに到着する。
ウィーンでの2回の演奏会(8月11日,18日)で大好評を博し,音楽家として自信を強める。曲目は『演奏会用ロンド クラコーヴィアク』と『ラ・チ・ダレム・ラ・マノによる変奏曲』。 ウィーンでは,チェルニーなど著名な音楽人と知り合う。 プラハ,ドレスデンを経て,ワルシャワに帰る。
◆作品◆
エチュード ヘ長調 Op.10-8エチュード ヘ短調 Op.10-9
エチュード 変イ長調 Op.10-10
エチュード 変ホ長調 Op.10-11
マズルカ ハ長調 Op.68-1
マズルカ ヘ長調 Op.68-3
マズルカ イ短調 BI.45 *Op.7-2の第1草稿
マズルカ ニ長調 BI.31 KK.IVa-7 *マズルカ BI.71 KK.IVb-2の 第1草稿
マズルカ ト長調 *歌曲「どんな花,どんな花冠」と同一作品か?
ポロネーズ 変ト長調 BI.36 KK.IVa-8
ワルツ ロ短調 Op.69-2
ワルツ 変ニ長調 Op.70-3
ワルツ ホ長調 BI.44 KK.IVa-12
ワルツ 変ホ長調 BI.46 KK.IVa-14
変奏曲「パガニーニの思い出」イ長調 BI.37 KK.IVa-10
ピアノとチェロのための序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 Op.3
歌曲「願い」Op.74-1
歌曲「彼女の好み」Op.74-5
歌曲「どんな花,どんな花冠」BI.39 KK.IVa-9
フルートとピアノのための,ロッシーニのオペラ「シンデレラ」の主題による変奏曲 ホ長調 BI.9 KK.Anh.Ia-5 *ショパンの作品かどうか疑わしい
◆社会的・芸術的な出来事◆
ロシア・トルコ戦争が集結し,ギリシャが独立。アメリカ大統領に,ジャクソンが就任。
イギリスでカトリック教徒解放令。
ロッシーニ『ウィリアム・テル』
バルザック『人間喜劇』を書き始める。
メンデルスゾーン,バッハの『マタイ受難曲』を復活演奏。
1830年:ショパン20歳
◆主な出来事◆
3月17日,ワルシャワで公開演奏会を開く。曲目は「ピアノ協奏曲 ヘ短調」。さらに1週間後に,第2回目の演奏会を開く。曲目はピアノ協奏曲ヘ短調に加えて,演奏会用ロンド「クラコーヴィアク」。全て,絶賛を浴びる。
「ピアノ協奏曲 ホ短調」に着手する。
コンスタンツィアへの想いがつのり,悩む。
8月は,ジェラゾヴァ・ヴォーラで過ごす。
10月,ワルシャワで,コンスタンツィアの賛助出演を得て,告別演奏会を開く。曲目は「ピアノ協奏曲 ホ短調」「ポーランドの主題による大幻想曲」他。
11月2日,ワルシャワを発って,ティトゥスと共にウィーンに向かう。これを最後に,2度と祖国へ戻ることはできなかった。途中,ヴロツワフにて演奏会を開く。
11月23日,ウィーンに着く。
11月29日,ワルシャワで革命の火の手が上がり,ただちにティトゥスはワルシャワに引き返す。
ウィーンでは様々な当てがはずれてしまい,失意の中 パリ行きを決断する。
◆作品◆
エチュード ハ長調 Op.10-1エチュード イ短調 Op.10-2
エチュード 変ト長調「黒鍵」Op.10-5
エチュード 変ホ短調 Op.10-6
マズルカ 嬰ヘ短調 Op.6-1
マズルカ 嬰ハ短調 Op.6-2
マズルカ ホ長調 Op.6-3
マズルカ 変ホ短調 Op.6-4
マズルカ 変ロ長調 Op.7-1
マズルカ イ短調 Op.7-2
マズルカ ヘ短調 Op.7-3
マズルカ 変イ長調 Op.7-4
マズルカ ハ長調 Op.7-5(エキエル版ではOp.6-5)
ノクターン 変ロ短調 Op.9-1
ノクターン 変ホ長調 Op.9-2
ノクターン ロ長調 Op.9-3
ノクターン ヘ長調 Op.15-1
ノクターン 嬰ヘ長調 Op.15-2
ノクターン 嬰ハ短調 「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」BI.49 KK.IVa-16
ワルツ ホ短調 BI.56 KK.IVa-15
ワルツ 変イ長調 KK.Vb-5
ワルツ 変ホ長調 KK.Vb-7
歌曲「酒の歌」Op.74-4
歌曲「消えろ!」Op.74-6
歌曲「使い」Op.74-7
歌曲「つわもの」Op.74-10
歌曲「魔力」BI.51 KK.IVa-11
ピアノ協奏曲 ヘ短調 Op.21
ピアノ協奏曲 ホ短調 Op.11
レント 調性不明
◆社会的・芸術的な出来事◆
ポーランドで11月蜂起(11月29日)パリで7月革命。シャルル10世に代わり,ルイ・フィリップが王となる。
ヨーロパ中に,コレラが大流行する。
フランス軍,アルジェを占領。
メンデルスゾーン『交響曲 宗教改革』
ベルリオーズ『幻想交響曲』
スタンダール『赤と黒』
ユゴー『エルナニ』
ショパンの生涯 パリ時代
1831年:ショパン21歳
◆主な出来事◆
タールベルクの演奏会を聴く。ウィーンで演奏会も開けないまま無為に日々を送るが,ニデツキら,ポーランド人音楽家や,マルファッティ医師らと親交を結ぶ。
4月頃からパリ行きを計画するが,なかなか出国できない。
7月20日,ウィーンを発ちミュンヘンに向かう。演奏会で旅費を稼ぎ,雑誌に称賛する記事が掲載される。
9月8日,シュトゥットガルトで,ワルシャワが陥落し蜂起が失敗に終わったことを知る。
9月末ないしは10月はじめにパリに到着する。
カルクブレンナー,ロッシーニらの音楽家と会う。
亡命してきたポーランド人のとりまとめであったチャルトリスキ公と出会う。
ポワソニエール大通り27番地の5階に居を構える。
シューマンの主催する「音楽新報」に「ラ・チ・ダレム・ラ・マノによる変奏曲」を絶賛する批評が掲載される。
◆作品◆
バラード ト短調 Op.23エチュード ハ短調『革命』Op.10-12
スケルツォ ロ短調 Op.20
華麗なる大円舞曲 変ホ長調 Op.18
華麗なるワルツ イ短調 Op.34-2
歌曲「悲しみの川」Op.74-3
歌曲「許婚者」Op.74-15
歌曲「リトアニアの歌」Op.74-16
華麗なる大ポロネーズ Op.22 のポロネーズ部分 ※アンダンテ・スピアナートの部分は1834年
◆社会的・芸術的な出来事◆
1月,ポーランド議会が独立宣言するも,革命軍はロシア軍に鎮圧され,11月蜂起は挫折する。リヨンをはじめ,ヨーロッパ各地で暴動が起きる。
エジプト軍,シリアに侵入。
ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』
ベリーニ『ノルマ』
マイヤベーア『悪魔のロベール』
1832年:ショパン22歳
◆主な出来事◆
2月25日,パリのプレイエル・ホール (サル・プレイエル) にてデビュー・リサイタルを開く。リスト,メンデルスゾーンらが聴きにくる。5月20日,第二回演奏会。
経済的に行き詰まり,将来に不安を感じる。アメリカへの移住を考え始めるが,
ロスチャイルド家の夜会を転機に,演奏会やレッスンの依頼が来はじめ,経済的問題は一挙に解決する。
シテ・ベルジェール4番地の2階へ引っ越す。
パリとロンドンで初めて楽譜を出版する。
ベルリオーズ,フィールドに会う。
◆作品◆
エチュード ホ長調「別れの曲」 Op.10-3エチュード 嬰ハ短調 Op.10-4
エチュード ハ長調 Op.10-7
エチュード イ短調 Op.25-4
エチュード ホ短調 Op.25-5
エチュード 嬰ト短調 Op.25-6
エチュード 変ニ長調 Op.25-8
エチュード 変ト長調「蝶々」 Op.25-9
エチュード ロ短調 Op.25-10
マズルカ 変ロ長調 Op.17-1
マズルカ ホ短調 Op.17-2
マズルカ 変イ長調 Op.17-3
マズルカ イ短調 Op.17-4
マズルカ ニ長調 BI.71 KK.IVb-2
マズルカ 変ロ長調 BI.73 KK.IVb-1
ロンド 変ホ長調 Op.16
演奏会用アレグロ イ長調 Op.46 *元々ピアノ協奏曲として作曲されたが,第1楽章のみピアノ独奏曲として1841年に完成。
◆社会的・芸術的な出来事◆
秘密結社「若きイタリア」が結成される。フランス軍,アントワープを占領。
イギリスで選挙法改正。
ゲーテ『ファウスト 第2部』完成。
バルザック『風流滑稽譚』
サンド『アンディアナ』
メンデルスゾーン『ピアノ協奏曲 ト短調』
ゲーテ,ヴァイマールで死す。
1833年:ショパン23歳
◆主な出来事◆
高級住宅街であるショセ・ダンタン通り5番地へ引っ越す。3月23日の演奏会では,ショパン,リスト,ヒラーがバッハの『3つの鍵盤楽器のための協奏曲」を共演。
4月2日,ベルリオーズ主催の音楽会でリストと共演し,これを機会に,社交界の有名人らと親交を結び,サロンの人気者となる。
ハリエット・スミッソンのための慈善演奏会に出演,リストと共演。
夏はブリュッセルで数日過ごした後,フランショームと共に トゥーレーヌで過ごす。
デルフィーヌ・ポトツカ伯爵夫人のピアノをレッスンする。
◆作品◆
マズルカ ハ長調 BI.82 KK.IVb-3ノクターン ト短調 Op.15-3
華麗なる変奏曲 変ロ長調 Op.12
ボレロ ハ長調 Op.19
チェロとピアノのための,マイヤベーアのオペラ「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲 ホ長調 BI.70 KK.IIb-1 ※チェロパートはフランショーム作
◆社会的・芸術的な出来事◆
イギリスで工場法が制定され,児童の工場での労働が取り締まられるようになる。ヨハネス・ブラームス生まれる(5月7日)。
プーシキン『エフゲニー・オネーギン』
サンド『レリア』
メンデルスゾーン『交響曲 イタリア』
◆日本の出来事◆
天保の大飢饉(1833年-1839年)1834年:ショパン24歳
◆主な出来事◆
自ら亡命者となる決断をし,二度と祖国ポーランドに戻ることができなくなる。F.ヒラーと共に,メンデルスゾーンの招きで,ライン音楽祭へ出かける。
ジュネーズ滞在中のヴォジニスキ家より,ショパンあてに招待状が来る。
マリア・ヴォジニスカに,新作のワルツを贈る。
12月,ベルリオーズ主催の音楽会で「ピアノ協奏曲 ホ短調」を演奏。
クリスマスには,プレイエル・ホール (サル・プレイエル) で,リストらと共に演奏会を開く。
◆作品◆
エチュード イ短調「木枯らしのエチュード」Op.25-11マズルカ ト短調 Op.24-1
マズルカ ハ長調 Op.24-2
マズルカ 変イ長調 Op.24-3
マズルカ 変ロ短調 Op.24-4
マズルカ 変イ長調 BI.85 KK.IVb-4
幻想即興曲 嬰ハ短調 Op.66
ポロネーズ 嬰ハ短調 Op.26-1
ポロネーズ 変ホ短調 Op.26-2
アンダンテ・スピアナート ト長調 Op.22 ※ポロネーズ部分は1831年に作曲
カンタービレ 変ロ長調 BI.84 KK.IVb-6
プレピュード 変イ長調 BI.86 KK.IVb-7
◆社会的・芸術的な出来事◆
スペイン市民戦争。イギリス,植民地での奴隷制廃止。
ミツキェヴィッツ『パン・タデウシュ』
バルザック『ゴリオ爺さん』
シューマン『謝肉祭 Op.9』
ベルリオーズ『イタリアのハロルド』
シューマン「音楽新時報」を創刊。
◆日本の出来事◆
水野忠邦,老中となる。1835年:ショパン25歳
◆主な出来事◆
2月,3月と相次いで,エラールとプレイエルのホールで演奏会を開く。8月,湯治で滞在中の両親に会うため,カールスバートへ赴く。3週間滞在する。両親とは生涯最後の再会となる。
パリへ戻る道すがら,ドレスデンのヴォジニスキ家を訪問する。マリア・ヴォジニスカに魅了される。ドレスデンを発つ日,マリアにワルツを贈る。
ライプツィヒのメンデルスゾーンのもとで,シューマン,クララ・ヴィークに会う。
帰途,ハイデルベルクで喀血。パリではショパン死亡のデマまで流れる。 年末,パリに戻る。
ショパンの繊細な演奏スタイルは大きな会場では効果が上がらず,次第にステージ恐怖症となり演奏会から遠ざかっていく。
パリでタールベルクの演奏が話題となり,リストと比較しながらパリ市民が盛り上がる。
◆作品◆
エチュード 変イ長調『エオリアン・ハープ』Op.25-1エチュード ヘ短調 Op.25-2
エチュード ヘ長調 Op.25-3
エチュード ハ短調『大洋』Op.25-12
マズルカ ト長調 Op.67-1
マズルカ ハ長調 Op.67-3
マズルカ 変ロ長調 KK.Ve-4 *ポーランド国家ドンブロフスキのマズルカの後半部分を編曲したもの。
ノクターン 嬰ハ短調 Op.27-1
ノクターン 変ニ長調 Op.27-2
ワルツ 変イ長調 Op.34-1
ワルツ 変イ長調「別れのワルツ」 Op.69-1
ワルツ 変ト長調 Op.70-1
◆社会的・芸術的な出来事◆
フランスで9月法制定。これによって,不穏な動きや過激な活動が検閲されるようになる。ドニゼッティ『ランメルムーアのルチア』
シューマン『ピアノ・ソナタ 第1番』『交響的練習曲』
ショパンの生涯 マリアとの破局 ジョルジュ・サンドとの出会い
1836年:ショパン26歳
◆主な出来事◆
3月,マリーエンバートへの旅を計画。4月,エラール・ホール (サル・エラール) での演奏会。
7月,マリーエンバートへヴォジニスキ家を訪ねる。その後ドレスデンへ移動する。9月6日にマリアに求婚するが,ヴォジニスカ夫人の助言もあって,秘密にする。
パリへ戻る途中,ライプツィヒでシューマンと会う。
ショセ・ダンタン通り38番地の高級アパートへ引っ越し,結婚生活に備える。
リストとの交流が頻繁になる。
11月,リストとマリー・ダグーが一緒にアパートを借りていた,オテル・ド・フランスにて,ショパンとジョルジュ・サンドが初めて出会う。
◆作品◆
バラード ヘ長調 Op.38 ※1839年完成エチュード 嬰ハ短調 Op.25-7
マズルカ ハ短調 Op.30-1
マズルカ ロ短調 Op.30-2
マズルカ 変ニ長調 Op.30-3
マズルカ 嬰ハ短調 Op.30-4
ノクターン ロ長調 Op.32-1
ノクターン 変イ長調 Op.32-2
プレリュード ト長調 Op.28-3 ※1836-38年
プレリュード ニ長調 Op.28-5 ※1836-38年
プレリュード ロ短調 Op.28-6 ※1836-38年
プレリュード イ長調 Op.28-7
プレリュード 嬰ヘ短調 Op.28-8 ※1836-38年
プレリュード ホ長調 Op.28-9 ※1836-38年
プレリュード ロ長調 Op.28-11 ※1836-38年
プレリュード 嬰ト短調 Op.28-12 ※1836-38年
プレリュード 嬰ヘ長調 Op.28-13 ※1836-38年
プレリュード 変ホ短調 Op.28-14 ※1836-38年
プレリュード 変ニ長調『雨だれの前奏曲』Op.28-15 ※1836-38年
プレリュード 変ロ短調 Op.28-16 ※1836-38年
プレリュード 変イ長調 Op.28-17
プレリュード ヘ短調 Op.28-18 ※1836-38年
プレリュード 変ホ長調 Op.28-19 ※1836-38年
プレリュード ハ短調 Op.28-20 ※1836-38年
プレリュード ト短調 Op.28-22 ※1836-38年
プレリュード ヘ長調 Op.28-23 ※1836-38年
プレリュード ニ短調 Op.28-24 ※1836-38年(一説では1831年に着手)
歌曲「指輪」 Op.74-14
歌曲「舞い落ちる木の葉」 Op.74-17
◆社会的・芸術的な出来事◆
ポーランド,ポアチエ宣言。ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世),権力獲得に失敗。
パリの凱旋門完成。
テキサス州独立。
マイヤベーア『ユグノー教徒』
ディッケンズ『ピクウィック・ペイパーズ』
シューマン『幻想曲 ハ長調』
1837年:ショパン27歳
◆主な出来事◆
悪性のインフルエンザにかかる。マリア・ヴォジニスカ,婚約を破棄する。
7月,プレイエルと共にロンドンへ向かう。
◆作品◆
アンプロンプチュ 変イ長調 Op.29マズルカ 嬰ト短調 Op.33-1
マズルカ ハ長調 Op.33-2 *多くの版ではOp.33-3となっている
マズルカ ニ長調 Op.33-3*多くの版ではOp.33-2となっている
マズルカ ロ短調 Op.33-4
ノクターン ハ短調 BI.108 KK.IVb-8
スケルツォ 変ロ短調 Op.31
ソナタ 変ロ短調 Op.35 ※第3楽章 葬送行進曲のみ
変奏曲「ヘクサメロン」より第6変奏 ホ長調 BI.113 KK.IIb-2
ラルゴ 変ホ長調 BI.109 KK.IVb-5
歌曲「私のいとしい人」 Op.74-12
◆社会的・芸術的な出来事◆
ヴィクトリア女王,イギリス王位を継承。モールスによる電信の発明。
ディッケンズ『オリヴァー・ツイスト』
カーライル『フランス革命史』
ベルリオーズ『レクイエム』
リスト『巡礼の年』
フンメル,ワイマールで死去。
◆日本の出来事◆
大塩平八郎の乱生田万の乱
モリソン号事件
ショパンの生涯 マジョルカ島への旅
1838年:ショパン28歳
◆主な出来事◆
失恋の痛手から立ち直ると共に,サンドとの間が急速に親密さを増してくる。3月,アルカン主催の音楽会,並びにポーランド難民救済のための音楽会に出演。
10月,サンドと共に,マジョルカ島(マヨルカ島)に静養に向かう。しかし悪天候のため,却って病状が悪化する。
前奏曲集の完成に力を注ぐ。
10月30日 スペイン国境付近でショパンとサンド一行が落ち合う。
11月2日バルセロナに入港。
11月8日マジョルカ島のパルマに到着。ショパン一行が「風の家」と呼んだ別荘を借りてしばらく滞在。
体調を崩したショパンを往診した医者に「結核」であると診断され,別荘から追い出される。
予約しておいたヴァルデモーザ修道院へ移るが,冬の悪天候からショパンは本格的に体調を崩し喀血を繰り返す。
前衛的なサンドの佇まいと,肺病に対する迷信的な恐怖が,島民を異常なほど恐れさせ,食材の買い出しにも苦労する状況に陥る。そんな中でもサンドは逞しく作家としての仕事をこなしながらショパンを献身的に介護する。
◆作品◆
マズルカ ホ短調 Op.41-1 *多くの版ではOp.41-2となっているノクターン ト短調 Op.37-1
ポロネーズ イ長調 Op.40-1「軍隊ポロネーズ」
ポロネーズ ハ短調 Op.40-2
華麗なるワルツ ヘ長調 Op.34-3
歌曲「春」 Op.74-2A
春 ト短調 ※歌曲「春」のピアノ編曲版 Op.74-2B
プレリュード イ短調 Op.28-2 ※一説には1831年に着手
プレリュード ホ短調 Op.28-4
プレリュード 嬰ハ短調 Op.28-10
プレリュード 変ロ長調 Op.28-21
◆社会的・芸術的な出来事◆
メキシコがフランスに宣戦布告。イギリス軍によるアデン占領。
フランクフルト・アム・マインに,ドイツ・モーツァルト財団が設立される。
シューマン『子供の情景』『クライスレリアーナ』
1839年:ショパン29歳
◆主な出来事◆
1839年1月5日 税関に長く押さえされていたショパン愛用のプレイエルのピアノがようやく届き,前奏曲集Op.28の完成に心血を注ぐ。地中海の天候が回復するのを待って,2月になってようやくパルマから船で出港し2月14日にバルセロナへ入港する。
2月22日にバルセロナを出港し,2月24日にマルセイユへ到着。マルセイユに数ヶ月滞在して静養する。
マルセイユに数ヶ月滞在して静養後,6月1日にノアンにあるサンドの別荘に到着する。
自然豊かなノアンでののどかな生活と,サンドによる厳格な体調管理によって体調を取り戻し,精力的に多くの傑作を完成させる。
10月11日 約1年ぶりにパリに戻り,トロンシェ通り5番地の2階へ引っ越す。
サンドはピガール通り16番地に住むことになり,サンドの自宅で過ごすことが多くなる。
秋にはモシェレスがパリのショパンを訪れ,ショパンにピアノ練習曲を注文する。
◆作品◆
3つの新しい練習曲 BI.130 KK.IIb-3アンプロンプチュ 嬰ヘ長調 Op.36
マズルカ ロ長調 Op.41-2 *多くの版ではOp.41-3となっている
マズルカ 変イ長調 Op,41-3 *多くの版ではOp.41-1となっている
マズルカ 嬰ハ短調 Op.41-4 *多くの版ではOp.41-1となっている
ノクターン ト長調 Op.37-2
プレリュード ハ長調 Op.28-1
スケルツォ 嬰ハ短調 Op.39
ソナタ 変ロ短調 Op.35 ※第3楽章「葬送行進曲」は1837年
オクターヴのカノン ヘ短調(未完成)BI.129B KK.IVc-1
◆社会的・芸術的な出来事◆
中国とイギリスの間で,アヘン戦争が始まる。ベルリオーズ『ロミオとジュリエット』
スタンダール『パルムの僧院』
ダーウィン『ビーグル号航海記』
ヴェルディ『サン・ポニファチオの伯爵オベルト』
◆日本の出来事◆
蛮社の獄ショパンの生涯 ノアンでの生活
1840年:ショパン30歳
◆主な出来事◆
サンドとマリー・ダグー夫人との仲が悪くなる。この年の夏はノアンには行かず,パリで過ごす。
ハイネ,ドラクロワらと過ごすうちに夏も去り,出版に,レッスンに,忙しい日々を送る。
◆作品◆
バラード 変イ長調 Op.47マズルカ イ短調 「エミール・ガイヤール」 BI.140 KK.IIb-5
ポロネーズ 嬰ヘ短調 Op.44
ワルツ 変イ長調 Op.42
歌曲「ドゥムカ」 BI.132 KK.IVb-9 ※歌曲「あるべきものなく」Op.74-13の第1稿
ソステヌート(ワルツ)変ホ長調 BI.133 KK.IVb-10
◆社会的・芸術的な出来事◆
ヴィクトリア女王,アルバートと結婚。ルイ・ナポレオン,クーデターに失敗。
シンドラー『ベートーヴェン伝』
シューマン『詩人の恋』
シューマン,クララ・ヴィークと結婚。
パガニーニ死去。
1841年:ショパン31歳
◆主な出来事◆
サンドの住むピガール通り16番地へ同居する。4月26日,プレイエル・ホール (サル・プレイエル) で久々の演奏会を開く。パリでの演奏会は3年ぶりで,曲目は「バラードヘ長調」「ポロネーズイ長調」など自作品ばかり。ショパンが自作をホールで演奏するのは6年ぶりだった。
夏はノアンで過ごす。
同郷の親友,ヤン・マトシニスキが結核で重態となる。
バッハのパリ版の校訂をする。
◆作品◆
マズルカ ト長調 Op.50-1マズルカ 変イ長調 Op.50-2
マズルカ 嬰ハ短調 Op.50-3
マズルカ イ短調 「ノートルタン」BI.134 KK.IIb-4
ノクターン ハ短調 Op.48-1
ノクターン 嬰ヘ短調 Op.48-2
プレリュード 嬰ハ短調 Op.45
幻想曲 ヘ短調 Op.49
ワルツ ヘ短調 Op.70-2
フーガ イ短調 BI.144 KK.IVc-2
タランテラ 変イ長調 Op.43
歌曲「美しき若者」 Op.74-8
◆社会的・芸術的な出来事◆
音楽版権法がドイツ連邦会議で可決。ポオ『モルグ街の殺人』
1842年:ショパン32歳
◆主な出来事◆
スクワール・ドルレアン 9 番地へ引っ越す。同時にサンドはスクワール・ドルレアンの5番地へ引っ越す。
同じスクワール・ドルレアンに住むマルリアニ夫人の部屋に集まって食事をする生活が長く続く。
2月21日,プレイエル・ホール (サル・プレイエル) でリサイタルを開いたその夜,ワルシャワでは,ジヴニーが亡くなる。
4月,ヤン・マトシニスキが死亡する。 この頃,精神的につらい時期を過ごす。
夏,ノアンに行く。精神的安定を回復し,作曲への意欲が湧く。この夏書かれた作品には「英雄ポロネーズ」や「バラード ヘ短調 Op.52」など中期の代表作が多い。
◆作品◆
バラード ヘ短調 Op.52即興曲 変ト長調 Op.51
ポロネーズ 変イ長調「英雄ポロネーズ」 Op.53
スケルツォ ホ長調 Op.54
◆社会的・芸術的な出来事◆
アヘン戦争終結。パリのマドレーヌ寺院完成。
グリンカ『ルスランとリュドミラ』
テニスン『アーサー王の死』
ゴーゴリ『死せる魂』
ニューヨークに,フィルハーモニー協会が設立される。
◆日本の出来事◆
天保薪水給与令1843年:ショパン33歳
◆主な出来事◆
4月,再びノアンに行く。この年は小品の作曲が多い。結核が進行し,見るからに衰弱する。
年末に,一時危篤状態となる。
◆作品◆
マズルカ ロ長調 Op.56-1マズルカ ハ長調 Op.56-2
マズルカ ハ短調 Op.56-3
ノクターン ヘ短調 Op.55-1
ノクターン 変ホ短調 Op.55-2
子守歌 変ニ長調 Op.57
モデラート(アルバムの綴り)ホ長調 BI.151 KK.IVb-12
ワルツ イ短調 BI.150 KK.IVb-11
◆社会的・芸術的な出来事◆
イギリス,ナタル(アフリカ西南部)を併合。ワーグナー,ドレスデンの宮廷楽長となる。
メンデルスゾーン,ライプツィヒ音楽院を創立。
ワーグナー『さまよえるオランダ人』
ドニゼッティ『ドン・パスクワーレ』
ディッケンズ『クリスマス・キャロル』
1844年:ショパン34歳
◆主な出来事◆
引き続き,健康状態が思わしくない。一時期回復するが,歩くのがやっとという状態。それでもアルカン主催の音楽会に出演。5月,父ニコラス死去。結核が原因だとされている。この精神的打撃により,フレデリックの病状が再び悪化。回復を願って,今年もノアンへ赴く。
7月,姉ルドヴィカがワルシャワから到着。14年ぶりの再会だった。これにより元気を回復し,ピアノソナタロ短調に着手。
◆作品◆
ソナタ ロ短調 Op.58◆社会的・芸術的な出来事◆
モロッコでフランス戦争。メンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲』
ヴェルディ『エルナニ』
ベルリオーズ『楽器法』
デュマ『三銃士』『モンテ・クリスト伯』
◆日本の出来事◆
オランダ国王ヴィレム2世,徳川家慶に親書を送り開国を勧告ショパンの生涯 破局へ向かう二人
1845年:ショパン35歳
◆主な出来事◆
健康状態は良好ではない。春,例年通りノアンに行くが,サンドの家の内紛に巻き込まれ,不快な日々を送る。
苦境のなか,後期の傑作を生み出している。
5月,愛弟子であったカルル・フィルチが15歳の若さで亡くなる。
11月,パリに戻るが,風邪をこじらせる。
◆作品◆
マズルカ イ短調 Op.59-1マズルカ 変イ長調 Op.59-2
マズルカ 嬰ヘ短調 Op.59-3
幻想ポロネーズ 変イ長調 Op.61 ※1845-46年
舟歌 嬰ヘ長調 Op.60 ※1845-46年
歌曲「二つの死」 Op.74-11
歌曲「愁い」 Op.74-13
ワルツ 変ニ長調「小犬のワルツ」 Op.64-1 *1846年の作曲かも(1840年ごろから作曲されていた可能性もある)
「2つの作品」から前奏曲 ヘ長調 KK.Anh.Ia-2
「2つの作品」からアンダンティーノ ニ短調 KK.Anh.Ia-3
◆社会的・芸術的な出来事◆
アイルランドで大飢饉。ワーグナー『タンホイザー』
メリメ『カルメン』
シューマン『ピアノ協奏曲』
1846年:ショパン36歳
◆主な出来事◆
5月,ノアンに行き,作曲に専念する。ノアンで過ごすのはこれが最後となる。ショパンとサンドとの仲が次第に険悪になりはじめ,10月,ショパンは単身パリに戻り,サンドは1人ノアンに残る。
Op.59から62までを出版する。
◆作品◆
マズルカ ロ長調 Op.63-1マズルカ ヘ短調 Op.63-2
マズルカ 嬰ハ短調 Op.63-3
マズルカ イ短調 Op.67-4
ノクターン ロ長調 Op.62-1
ノクターン ホ長調 Op.62-2
ワルツ 嬰ハ短調 Op.64-2
ワルツ 変イ長調 Op.64-3
ギャロップ「マルキ」KK.IVb-13
ブーレー ト長調 BI.160B KK.VIIb-1
ブーレー イ長調 BI.160B KK.VIIb-2
教会音楽 調性不明 KK.Va-1
教会音楽 調性不明 KK.Va-2
チェロ・ソナタ ト短調 Op.65 ※1845年着手
◆社会的・芸術的な出来事◆
ポーランドでクラコフ蜂起,ガリツィア農民運動起こる。アメリカ,メキシコと戦争。
ベルリオーズ『ファウゥトの劫罰』
メンデルスゾーン『エリア』
サンド『ルクレチア・フロリアーニ』
◆日本の出来事◆
アメリカ使節ジェームズ・ビッドル,相模国浦賀に来航し通商を要求1847年:ショパン37歳
◆主な出来事◆
パリでインフルエンザが流行する。 次第に,床についていることが多くなる。創作意欲が急速に衰える。サンドの娘,ソランジュが,彫刻家のクレサンジェと結婚する。
サンド家の家庭争議で,ショパンがソランジュ側についたため,ショパンとサンドは訣別する。
◆作品◆
歌曲「メロディー」 Op.74-9◆社会的・芸術的な出来事◆
フランスで世情不安が続く。ロシア軍,コーカンドを占領。
メンデルスゾーン,ライプツィヒで死去。
ヴェルディ『マクベス』
E.ブロンテ『嵐が丘』
C.ブロンテ『ジェーン・エア』
ショパンの生涯 晩年・最期
1848年:ショパン38歳
◆主な出来事◆
健康状態は更に悪化し,咳と喀血,それに加えて神経痛に苦しめられる。2月16日,フランショーム,アラールと3人で,パリでの最期のリサイタルを開く。
3月4日,ショパンとサンドが偶然顔を合わせる。二人の最後の出会いとなる。
4月,ジェーン・スターリング嬢の招きでイギリスに向かう。
4月19日にパリを出発して,翌日20日にロンドンに到着。
5月15日,ヴィクトリア女王の前で,御前演奏を行う。 自作のマズルカやワルツなど数曲を演奏した。
6月23日,サートリス夫人の自邸で,ショパンのロンドンデビューコンサートが開かれる。
7月7日にはロード・ファルマス伯爵のサロンで,ロンドンでの2回目の公演。友人のポーリーヌも歌手として出演。
ロンドンでもレッスンに励むが,熱心な生徒に恵まれることはなかった。
8月5日,スターリング家が所有するスコットランドのエディンバラ近郊にあるカルダー邸へ。
8月28日,マンチェスターで大規模な演奏会。
9月にはスターリング家の所有するスコットランドのグラスコー近郊にあるジョンストン城へ。
9月27日,グラスコーにて演奏会。同郷の愛弟子チャルトリスカも来ており,元気づけられる。
10月にはスターリング嬢の親戚の館,キア・ハウスへ。
喀血に悩まされながら,体調が悪い中での強行軍が続き,体力も精神力も限界を迎える。
10月3日,エディンバラで演奏会。ショパンにとって生涯で一度きりのソロ・リサイタルとなった。
この頃には,体力は階段の上り下りもできないほど弱っており,精神面でも幻覚を見るようになるほど疲れ果てていた。
11月16日,ロンドンのギルドホールでポーランド難民のための演奏会。これがショパンの生涯最後の公開演奏となる。愛弟子チャルトリスカも出演。
喀血を繰り返し,けいれんを起こしながらもパリへ向かう。
11月24日にパリについたときには歩くのもままならぬほどのやつれようで,友人に抱えられながら なんとか自宅へたどり着き,そのまま病床に倒れる。
◆作品◆
ワルツ ロ長調 BI.166 KK.Va-3◆社会的・芸術的な出来事◆
ポーランドのポズナニとガリツィアで,民族運動勃発。2月22日,パリで2月革命。
ルイ・フィリップが退位し,ルイ・ナポレオンがフランス共和国大統領となる。
シシリーで暴動。
デュマ・フィス『椿姫』
ワーグナー『ローエングリン』
1849年:ショパン39歳
◆主な出来事◆
ロンドン行きですっかり健康を害し,そのため,ほとんど寝たきりになる。回復の見込みはなくなるが,それでも病床で作曲する。
病苦による苦痛だけでなく,経済的にも追い込まれていく。
ジェーン・スターリング嬢をはじめ,多くの友人から多額の援助をう受ける。
春,ピアノ入門書を書き始める。*未完
6月に流行したコレラのため,カルクブレンナー,そしてマダム・カタラーニが相次いで亡くなる。
コレラの流行を避けるため,医者の勧めで郊外のシャイヨ通り74番地へ引っ越す。
8月,姉ルドヴィカが,再びパリに来る。
9月,ヴァンドーム広場12番地の7部屋もある大きなアパートに引っ越す。ここが生涯最後の住居となり,この部屋で息を引き取ることになる。
10月12日,死期が近いと判断され,友人であったアレクサンダー・イェウォヴィッツキ神父が呼ばれ,「終油の秘蹟」を受ける。
10月15日,ポトツカ夫人が見舞いに訪れ,イタリアのアリアを歌って聴かせる。ポトツカ夫人の歌が,ショパンの聴いた最後の曲となった。
衰弱が激しく,話ができないほど。
幻覚や妄想にさいなまれうわ言をつぶやき,事切れたかと思いきや 再び息を吹き返すということが何度か繰り返えされる。
10月16日には親しいものたちを側に呼んで,死後のことをいろいろと頼む。
10月17日,午前2時,フレデリック・ショパン死亡。呼吸困難で,息をひきとる瞬間まで大変苦しんだとのこと。
臨終に居合わせたクレサンジェが,ショパンのデスマスクを作り,左手の型をとった。
葬儀は,10月30日,マドレーヌ寺院にて行われ,遺言に従って,モーツァルトの「レクイエム」が,パリ音楽院管弦楽団および合唱団によって演奏された。
遺骸は,ペール・ラシェーズの墓地に埋葬される。
心臓は姉ルドヴィカの手により故国ポーランドに移され,ワルシャワの聖十字架協会内の壁の中に安置されている。
◆作品◆
マズルカ ト短調 Op.67-2マズルカ ヘ短調 Op.68-4 *ショパン最後の作品
◆社会的・芸術的な出来事◆
パリで内乱続く。パリでコレラが大流行。
オーストリア軍,ブタペストを占領。
ワーグナー,チューリッヒへ亡命。
フーゴー・リーマン生まれる。
フェルディナンド・ヒラーが,ケルン市の音楽指揮者となる。
マイヤベーア『予言者』