ショパンが少年時代に使っていたピアノ
ショパン少年時代のピアノはF1からF7までの73鍵
ショパンの生家にあるショパンのピアノ
ショパンが少年時代に使っていたピアノが,ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォーラにあるショパンの生家に置かれています。
ショパンが少年時代に使っていたピアノはF1からF7までの73鍵のピアノだったことがわかります。
ショパン少年時代の作品の音域
ロンド ハ短調 Op.1
1825年,ショパンが15才のとき,
ポーランドでのローカルな出版ではありましたが,ショパンの作品がはじめて印刷,出版されました。
そんな記念すべき作品「1」のロンドの譜面をみてみると,ショパンは最低音から最高音まで,ピアノの音域をめいいっぱい使っていたことがわかります。
ポロネーズ 嬰ト短調
1822年~1824年,ショパン12才から14才までのあいだで作曲されたとされている作品です。
この作品でも,ピアノの音域をめいいっぱい使って作曲しています。
ポロネーズ ニ短調 Op.71-1
1825年~1827年,ショパン15才から17才までのあいだで作曲されたとされている作品です。
この作品でもF1からF7まで使われています。
ショパンのめぐまれた環境
ベートーヴェンは,1805年作曲の熱情ソナタや1806年作曲の協奏曲第4番を,F1からC7までの68鍵の範囲で書いています。
そして,1809年作曲のピアノ協奏曲『皇帝』とピアノソナタ『告別』はF1からF7までの73鍵の範囲で書かれています。
ベートーヴェンには,最先端のピアノが真っ先に届けられたはずです。
ベートーヴェンが1809年ごろ手に入れた楽器が,少なくとも1822年,ショパン12才のときにはショパンの手許にあったということです。
家庭環境や先生,友人に恵まれていたショパンですが,ピアノにも恵まれていました。
ワルシャワ郊外のフランス語教師の家庭の少年に,これだけの環境がそろっていたことはまるで奇跡のようです。
ショパンの天才が埋もれずに開花した背景には,こういった恵まれた環境があったことが大きかったといえます。
ショパン16歳,新しいピアノとの出会い
ショパンのピアノはC1からF7までの78鍵盤
ポロネーズ 変ロ短調『別れのポロネーズ』
ポロネーズ 変ロ短調,通称『別れのポロネーズ』には,D♭1の音が出てきます。
これはショパンの少年時代のピアノでは演奏できない音です。
マジョルカ島でショパンが使用したピアノ
マジョルカ島のヴァルデモーザ修道院には,ショパンが使用したピアノが展示されています。
ショパンがマジョルカ島で使用していたピアノの音域は,C1からF7までの78鍵だったことがわかります。
ショパンが,ジョルジュ・サンドとともにマジョルカ島に滞在していたのは,1838年11月8日から1839年2月13日まで。
ショパンが28才のときになります。
ショパンの生年月日は1810年の3月1日。
1839年3月1日の29才の誕生日をむかえる直前までマジョルカ島にいたことになるわ。
幻想ポロネーズOp.61
幻想ポロネーズOp.61はショパンが作曲した最後の大作で,
1845年,ショパン35才の作品です。
幻想ポロネーズでも,ショパンはC1からF7までの音域で作品を完成させています。
ショパンが1826年以降に作曲した作品はすべてC1からF7の音域の中
ショパンは1826年,16才のときにはじめて『別れのポロネーズ』でF1~F7の音域をこえるD♭1音を使っています。
このとき,C1からF7までの78鍵のピアノを手に入れたと考えられます。
ショパンがマジョルカ島で使用したピアノもC1からF7までの78鍵でした。
そして,生涯,C1からF7までの音域を逸脱する曲を書いていません。
ショパンがその短い生涯のほとんどの時期を,C1からF7までの78鍵のピアノとともにあったことがわかります。
ショパンはピアノの音域をめいいっぱい使っていた!
ショパンの主な大曲の音域を見てみよう!
ショパンの主な大曲,バラード,スケルツォ,ソナタ,幻想曲の音域を確認してみましょう。
バラード第1番ト短調Op.23
1835年,ショパン25才の作品です。
D1からF7までの音域で作曲されています。
バラード第2番ヘ長調Op.38
1839年,ショパン29才の作品です。
D1からE7までの音域で作曲されています。
バラード第3番変イ長調Op.47
1841年,ショパン31才の作品です。
C1からF7までの音域で作曲されています。
バラード第4番ヘ短調Op.52
1843年,ショパン33才の作品です。
C1からF7までの音域で作曲されています。
スケルツォ第1番ロ短調Op.20
1834年,ショパン24才の作品です。
C♯1からE7までの音域で作曲されています。
スケルツォ第2番変ロ短調Op.31
1837年,ショパン27才の作品です。
C1からF7までの音域で作曲されています。
D♭1とF7を同時に打ち鳴らすところがあります。
これは,当時のピアノの最低音の半音上の黒鍵と,最高音の白鍵を同時に鳴らす和音です。
この和音は現代のピアノで弾いても,もちろん強烈な印象が残りますが,
作曲当時はピアノ鍵盤の両端を同時に鳴らしているのだと思うと,さらにインパクトがありますね。
スケルツォ第3番嬰ハ短調Op.39
1839年,ショパン29才の作品です。
C1(B♯1)からF7までの音域で作曲されています。
なお,現在では,B♭0とG♭7も使用して演奏するのが一般的となっています。
後述します。
スケルツォ第4番ホ長調Op.54
1842年,ショパン32才の作品です。
C1(B♯1)からF7(E♯1)までの音域で作曲されています。
ソナタ第2番変ロ短調Op.35
1839年,ショパン29才の作品です。
C1からE7までの音域で作曲されています。
なお,現在では,第1楽章の最後で,B♭0音も使用するのが一般的となっています。
後述します。
ソナタ第3番ロ短調Op.58
1844年,ショパン34才の作品です。
C1からF7までの音域で作曲されています。
幻想曲ヘ短調Op.49
1841年,ショパン31才の作品です。
C1からF7までの音域で作曲されています。
幻想曲では最低音C1や最高音F7が多用されています。
なお,現在では,B♭0音も使用するのが一般的となっています。
後述します。
ショパンは調性に関係なくピアノ音域をめいいっぱい使っていた!
上の例にはあげていませんが,1828年,18才のときに作曲したソナタ第1番Op.4もC1からF7まで,ピアノ鍵盤の端から端までめいいっぱい使って作曲しています。
バラード,スケルツォ,ソナタ,幻想曲で使われている音域をまとめると,次のようになります。
マズルカなどの小品では狭い音域で作曲しているものもたくさんあります。
しかし,規模の大きな作品では必ずといって良いほど,鍵盤の端から端まで,ピアノの音域をめいいっぱい使って作曲しています。
しかも,これは作曲年や調性に関係ありません。
ショパンは作曲家であるとともに,当代最高峰のピアニストの一人でした。
ショパンの作品は,ショパン自身や,ピアノ愛好家たちが実際に演奏するための作品です。
ショパンは作品を書くときには,何度も推敲を重ねました。
和音の響き,ペダル,指遣いなど,実際にピアノを弾いて,試行錯誤を繰り返して,何度も書き直した上で作品を完成させています。
当時の最先端のピアノで,芸術的頂点を探り出す中で,鍵盤の端から端までめいいっぱいの音域が使われた作品にたどり着くのは自然なことだといえます。
ショパンはピアノの音域不足を創意工夫で乗り切っていた!
エチュードOp.10-1 25小節目
エチュードOp.10-1では,最初から最後まで,同じパターンの音型が続きます。
しかし,25小節目だけ,そのパターンが崩れてしまっています。
この曲を弾いていて(聴いていて),違和感を覚えていた方も多いのではないでしょうか。
なぜショパンがこのように書いたのか。理由は明らかです。
ピアノの鍵盤がF7までしかなかったことが理由です。
もしもG7まで鍵盤があれば,ショパンはきっと上の譜例のように書いていたはずです。
現代の88鍵のピアノでは,”本来あるべきだった形”で演奏することも可能です。
”本来あるべきだった形”で実際に弾いてみると,スムーズに音楽が流れます。
”本来あるべきだった形”の響きを確認したのち,改めてショパンが書きのこした通り弾いてみると,ショパンが「これしかない」と言えるような最善の解答にたどり着いていることに驚きます。
F7まで78鍵のピアノで演奏するならば,ショパンが書きのこした奏法以上の弾き方はないでしょう。
現代のピアノでは,”本来あるべきだった形”で演奏することも可能です。
しかし,ショパンが創意工夫でたどり着いた奏法の完成度があまりにも高いため,現代においても,ショパンが譜面に書きのこしたとおりに演奏されています。
スケルツォ第3番 嬰ハ短調Op.39
心の中で響きが聞こえる!
自筆譜やフランス初版をみると,同じ下降音型が繰り返し出てきますが,一箇所だけ,他と違っているところがあります。
理由は明らかで,当時のピアノにはG♭7がなかったことが理由です。
この部分は,G♭7だけが演奏不可能なので,この音ひとつだけを省略すれば当時のピアノでも演奏可能でした。
しかし,ショパンはG♭7だけではなく,周囲の音をごっそり省略しています。
ピアノが弾けるかたは,G♭7だけ省略した場合と,ショパンが完成させた譜面とを,弾き比べてみてください。
ショパンがのこした譜面通りに演奏すると,鳴っていないはずのG♭7が心の中で聞こえます。
同じ音型が何度も繰り返されてきたあとなので,脳がかってに予測して,ありもしない音が聞こえるような錯覚をおこします。
G♭7だけを省略して弾いてみると,左手のB♭6音が耳に残り,心の中のG♭7音は聞こえてきません。
- もっと高次元の理想の響きがあるはずだと「気づく」ことができ
- その理想の響きにたどり着くまで「試行錯誤を繰り返す」ことができる
そんなショパンの天才だからこそ,到達することができた響きです。
心のなかで淡く響くG♭7音は,ショパンでなければ響かせることができなかった音です。
現代のピアノではG♭7音を使用して演奏するのが一般的
ショパンが創意工夫でたどり着いた,神業のような譜面ですが,現代のピアノではそんな工夫は不要です。
現代のピアノではG♭7音を使用して,音型を省略せずに演奏するのが一般的です。
現代のピアノではB♭0音も使用するのが一般的
同じスケルツォ第3番の別の箇所です。
自筆譜や初版をみると,低音のB♭音だけ,オクターブ演奏の指示がありません。
理由は明らか。
当時のピアノにB♭0音がなかったことが原因です。
現代のピアノでは演奏が可能なので,B♭0音も使用して演奏するのが一般的です。
現代では音域を広げて演奏されているショパンの作品
ソナタ第2番 変ロ短調Op.35 第1楽章
ソナタ第2番,第1楽章の最後のところです。
左手オクターブの和音が,B♭→E♭→B♭→E♭と下降を続け,最後はfff(フォルテシッシモ)に至ります。
ショパンはfffをめったに使いません。
ショパンの作品の中では,ごくごくまれに登場する,最大音量です。
このfffに到達したとき,低音の音域不足のため,左手オクターブの和音が1オクターブ上の音に戻ってしまいます。
ピアノは,低音ほど弦が太くなるので,音量が大きくなります。
最大音量を出したい場面で,音域不足から1オクターブ上の音に戻ってしまうのは不自然です。
これは,天才ショパンでも解決策が見つからなかったようです。
現代ピアノではB♭0音も演奏可能なので,B♭0音も使用して演奏するのが一般的です。
幻想曲 ヘ短調Op.49
幻想曲でも,低音の音域不足が原因で,ショパンの苦肉の策がのこっています。
現代のピアノではB♭0音を使用して演奏されています。
ショパン最晩年のピアノ
ショパンが晩年手にしたピアノはC1からA7までの82鍵
ショパンが晩年に使用していたピアノをみると,C1からA7までの82鍵のピアノだったことがわかります。
ショパン最晩年の大曲,舟歌 嬰ヘ長調Op.60(1845~46年,ショパン35才の作品)には,これまで高音の限界だったF7音より半音上の,F♯7音が使われています。
せっかくA7音まで音域の広がったピアノを手にしたショパンですが,体力と気力が急激に衰えます。
最晩年の作品は小品ばかりで,作品の数も少なくなりました。
音域の広がったピアノが,ショパンの作品の世界をさらに広げることはできませんでした。
現代のピアノはA0からC8までの88鍵
現代のピアノはA0からC8までの88鍵。
A0の周波数は約28Hzで,C8の周波数は約4186Hzです。
ヒトが音階として感じとることができる音域のすべてをカバーしているといって良いでしょう。
現代の88鍵のピアノを,音楽が泉のごとく湧き出ていた少年ショパンに与えることができていれば。
そう思わずにはいられません。
今回は以上です!