ショパンの代表作のひとつ,練習曲Op.10-12『革命』のエチュードのすべてをひとつの記事にまとめました!
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*2021年5月録音
◇Op.10-12『革命』単独再生
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
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ショパン 練習曲(エチュード) Op.10-12『革命』 概要
- ショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【概要と目次】
- ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 概要の章に練習曲集全体の概要をまとめています。
- 海外での呼び名の章に練習曲集全曲の海外での呼び名をまとめています。
- 各曲の練習課題の章に練習曲集全曲の練習課題をまとめています。
- ショパンの指づかいにショパンの運指法をまとめています。
- ショパン作品一覧ではショパンの全作品を一覧表にまとめています。
『革命』のエチュードとして 一般にもよく知られる ショパンの名曲
エチュード Op.10-12『革命』は,ショパンの作品の中でも 特によく知られた名曲の一つです。
映画,ドラマ,ゲームなど様々なメディアで頻繁に使われています。
この曲がショパンの作品であることを知らなくても,この曲を聴いたことがない という人はいないのではないでしょうか。
旅中にあり シュトゥットガルトに滞在中だったショパンのもとに “ロシア軍の総攻撃によってワルシャワが陥落した” との報せが届きます。
絶望のあまり狂わんばかりになったショパンが,その激情に駆られるままに作曲したのが『革命』のエチュードだと伝えられています。
『革命』のエチュードは,海外でも ‘Revolutionary'(革命) と呼ばれています。
『革命』のエチュードにまつわる ドラマティックなエピソード
ショパンが練習曲集を作曲したときの時代背景は,以下の解説記事をご覧ください。
*ショパンが練習曲集を作曲したのは主にパリ時代になります。
『革命』のエチュードについては,下の解説記事も参考になります。
この項では『革命のエチュード』にまつわる ドラマティックなエピソードを紹介します。
この一般にもよく知られた逸話ですが,後年に脚色・捏造されたものである可能性があります。
しかし長年 真実だと思われてきたエピソードであり,現在でも演奏家や聴衆の多くは『革命のエチュード』を弾いたり聴いたりするときには この劇的な逸話を思い浮かべています。
事実であるかどうかは置いておいて,一般によく知られているエピソードを この項ではご紹介します。
事実がどうであったのか,どのように脚色・捏造されているのか,については別の記事 “ショパンの手紙 20才~21才 ~革命,そしてパリ到着まで~” で詳しく解説していますので,ぜひこちらもご覧ください。
祖国からの旅立ち
1830年11月2日 ショパンはワルシャワを発って演奏旅行へ旅立ちます。
演奏家,作曲家として西ヨーロッパの主要都市に活躍の場を広げるための旅立ちでした。
当初の予定では ウィーンとイタリアが主な目的地でした。
出発前には 初恋の人コンスタンツィア・グラドコフスカと会い,手帳に詩を書いてもらっています。
コンスタンツィアからの指輪をはめ,祖国の土が入った銀の杯を携え,頼りになる友人ティトゥスとともに ショパンは旅立ちます。
2度と祖国の土を踏むことのない運命にあったとは,このときのショパンには知る由もありませんでした。
ウィーンへは1829年の夏に一度訪れていて,ウィーンで開いた2回の演奏会は大好評となり 華やかなデビューを飾っていました。
11月23日 ショパンはとうとう約1年と3ヶ月ぶりにウィーンに到着します。
前年にウィーンで浴びた賞賛の声がまだ記憶に新しく,旅の途中立ち寄ったヴロツワフ,ドレスデンでも人々から惜しみない賛辞を捧げられ,自信と希望に胸を高鳴らせながらウィーンの地を踏みました。
革命 勃発
ウィーン到着後まもなく 11月29日に『11月蜂起』が勃発します。
当時ポーランドはロシア,プロイセン(ドイツ),オーストリアの三国に分割支配されていました。
ワルシャワはロシアの統治下にありました。
ロシアの圧制の中,フランスの7月革命の成功をうけて気運が盛り上がり,ワルシャワ市民が立ち上がったのです。
報せを受けたティトゥスは愛国心を燃やしてすぐにワルシャワへ向かいます。
ショパンも同行を望みますが,生来身体が弱いショパンはティトゥスに説得され ウィーンに残ります。
その後,特別郵便馬車でティトゥスを追いかけますが,追いつくことができず,断念して一人ウィーンへ戻りました。
父ニコラスからも「音楽家として祖国に仕えるために,とくに自重するように」との手紙が届きます。
失意のウィーン
ウィーンに残ったショパンは失意の中にありました。
ショパンは,ウィーンの劇場や出版社,芸術家,市民たちが腕を広げて彼の再遊を待ちかねていると信じていました。
しかし実際は,1年以上も前の 音楽シーズンからはずれた8月に,心には迫るが静かでつつましい演奏をしただけの若いポーランド人の記憶は,ウィーンの街からすっかりなくなっていました。
加えて,一流ピアニストの来演が重なっていたため,聴衆は無名のピアニストに関心を示しませんでした。
またポーランドの支配者側であるオーストリアのウィーンでは11月蜂起により反ポーランドの風潮が高まっていました。
さらに,当時ウィーンではシュトラウスとランナーによる「ワルツ合戦」と称される激しい競合が盛り上がっており,この影に隠れてショパンは注目を集めることができませんでした。
ショパンは人々の記憶の短さと 社会情勢の変化が個人の運命を容赦なく翻弄するはかなさを 経験します。
ショパンはウィーンで演奏会を開いたり,曲を出版したり,といった当てがはずれてしまい,
ウィーンでの音楽活動をあきらめ,パリへ向かうこととなります。
1831年7月20日 ショパンは友人クメルスキーとともにウィーンを発ち,ミュンヘンを経由して,シュトゥットガルトへと向かいました。
ワルシャワの陥落と ショパンの心の叫び
9月8日 シュトゥットガルトにいたショパンは,ついにロシア軍による総攻撃にワルシャワが陥落し 蜂起が失敗に終わったことを知ります。
ショパンの耳に入るのは「ロシア軍の総攻撃によりワルシャワが陥落」したという情報だけ。具体的にどういった状況なのか,家族や友人,知人は無事なのか,確かな情報はやってきません。
不安から酷い妄想に苛まれ,そのやり場のない心の叫びを書き遺したとされる手記が伝えられています。
郊外は破壊された。ヤス,ウイルスはおそらく塹壕で戦士した。捕虜となったマルセルが見える。ソウィンスキーが野蛮な人の手に! モスクワが世界を支配するのだ。神よ,汝は存在しないのか。汝はそこに在りつつ,復讐をしない。汝もまたロシア人なのか。
哀れな父上,老いたる父上は飢えたやもしれず,母上はパンが買えないかもしれない。ロシアの兵士たちに乱暴される姉妹たち。母上は,ロシア人に骨までも穢されるのを見るために娘たちを生んだのですか。彼女の墓(*亡き妹エミリアの墓)は敬重されただろうか。あの墓の上には何千の屍骸が蹂躙されている。彼女(*コンスタンツィア・グラドコフスカのことだとされる)はどうだろうか。哀れな娘はロシア人の手中にあるのだろう。ロシア人が彼女の首を締めている。ああ,わが生命よ。ぼくはここに一人でいる。ぼくの許に来たまえ。ぼくは貴女の涙を拭おう。痛手を癒やして昔を思い出そう。ロシア人がいなかった日々のことを。ロシア人がいてもそれはただ貴女に気に入りたいと思うわずかな人々で,貴女はぼくがいたために笑ってあしらっていた昔のことを。おそらくぼくにはもう母さんがいないかもしれない。ロシア人が殺してしまったかもしれない。姉妹たちは狂おしく抵抗する。父上は絶望してどうすることもできない。ぼくはここにいて何もできない。ぼくはただ唸り,苦悶し,絶望をピアノに向けることしかできない。神よ,大地を震わして,我々を助けぬフランスに懲罰を下しまたえ。
ぼくのベッドには屍骸が横たわっているだろう。しかし嫌悪することはできない。屍骸は父も母も姉妹もティトゥスも知らないし,恋人もいない。その舌は語ることができない。屍骸はぼく同様に色彩がなく,ぼく同様に冷たい。
シュトゥットガルトの塔の時計が時を打った。この瞬間,幾つかの新しい屍骸ができているだろう。子を失う母たち,母を失う子たち。多くの悲嘆と,多くの悦び。良き屍骸と悪しき屍骸。徳も悪も一つであり,屍骸になれば姉妹である。それならば死こそ最善の行為である。では何が最悪か。それは誕生だ。世に生まれてきたことを憤るのは正しい。ぼくの存在は何の役に立つのだ。なぜならぼくの足にはふくらはぎがない。屍骸にはあるだろうか。屍骸もふくらはぎを持たない。だから数学的にぼくと屍骸は兄弟なのだ。彼女はぼくを愛してくれたのか,それともそのように装っていただけなのか。そうだ,いや,そうではない,いや,そうだ,いや,そうではない,指から指へ,そうだ,彼女は確かにぼくを愛している。では彼女の好きにさせよう。
父上,母上,どこにおいでですか。だが待て,待つのだ,しかし涙が,長く流れなかった涙が,ああ長い間,あんなにも長い間,ぼくは涙を流さなかったのに,なんと悦ばしく,なんと惨めに,もしぼくが惨めだったらぼくは悦べない,しかもそれは懐かしい,これは不思議な状態だ。けれど屍骸はこうなのだ。それはより幸福な生命に移されるから悦び,去ってゆく人生を悔いて悲しいのだ。それはちょうどぼくが泣きやめたときと同じように感じることだろう。それは感情が瞬間的に死んだのだ。一瞬,ぼくの心の内に死んだ。いや,心が瞬間ぼくの内に死んだ。ああなぜ永遠にそうではないのだ。それならばより堪えやすいのに。独りだ。独りっきりだ。ぼくの惨めさは言いつくし難い。この感情にどうして堪えられるだろう。
極度の不安と絶望がショパンに見せた 凄絶な妄想が書き記されています。
次々と戦死し捕虜となる友人たち。
乱暴される姉ルドヴィカと妹イザベラ,蹂躙される妹エミリアの墓,敵兵の手中にある初恋の人。
ポーランドの援護に動かなかったフランスを呪い,神がロシア軍の行いを許したことに幻滅しました。
流されるようにパリへ
ショパンは9月中旬にパリへ向けて出発しました。
ロシア軍に蹂躙されているであろうワルシャワに向かうこともできず,たとえウィーンと同じ残酷な運命が待っているとしても,パリ以外に向かうべき先が見つかりませんでした。
両親や友人の生死さえ不明な不安を抱えながら,運命に流されるようにパリへ向かいます。
途中で友人クメルスキーはベルリンへ向かったため,苦悩と旅に疲れ切っていたショパンは一人孤独でした。
そして9月末~10月初旬に,有力者への紹介状もなく,旅銭も心もとない青年は,不安を胸にパリに到着します。
心の叫びが昇華された『革命』のエチュード
『革命』のエチュードは,パリに到着した直後,つまりは1831年の終わり頃に書かれた作品だと考えられています。
シュトゥットガルトの手記に書かれたような心の叫びが『革命』のエチュードに昇華されているとされています。
“スケルツォ 第1番 ロ短調 Op.20” や,“24の前奏曲 Op.28 の24番 ニ短調 Op.28-24” も,この激情が反映されている とされています。
名曲『革命』のエチュード
『革命』のエチュードは,数あるショパンの作品の中でも 特に名曲として一般にも広く知られています。
理由はいくつかあります。
- 先にご紹介した ドラマチックなエピソード
- そのエピソードを強烈に印象づける『革命』という標題
- 強く印象に残る劇的で圧倒的な 作品・音楽そのものの魅力
音楽にあまり興味のない一般にも 広くこの作品が知られているのは,先にご紹介したドラマチックなエピソードや『革命』という標題が大きく影響しています。
しかし,作品・音楽そのものに魅力がなければ名曲として存在し続けることはできません。
そもそも『革命』のエチュードに関するドラマチックなエピソードは後年に捏造されたものである可能性が高いです。
『革命』という標題もショパン自身がつけたものではありません。
*ショパンは自身の作品に標題をつけることを嫌っていました。
作品そのものに劇的な魅力が備わっていたからこそ,後年にドラマチックなエピソードが生まれ,『革命』という標題がつけられたのです。
『革命』のエチュードは最初から最後まで 強く印象に残る劇的な場面が続き,聴く者を圧倒します。
作品全体に配置された劇的な音楽こそが『革命』のエチュードを不朽の名曲たらしめています。
Op.10で唯一の序奏
『革命』のエチュードには,Op.10の12曲の中で唯一 序奏がつけられています。
『革命』のエチュードの序奏は 8小節にもおよぶ長大なもので,やがて打ち鳴らされる主題への期待が大きく膨らまされます。
長大でドラマチックな序奏により心を掴まれ,満を持して打ち鳴らされる主題によって 心を撃ち抜かれることになります。
打ち鳴らされる属七の和音
『革命』のエチュードは最初の1音目から劇的です。
ハ短調の属七の和音であるG7の和音が強烈に打ち鳴らされて 曲が始まります。
鮮烈で劇的な始まりです。
高速で下降する左手
強打された属七の和音に続き,左手が高速で下降音型を演奏します。
崩れ落ちていくような音響世界は,左手で高速音型を演奏するという 技術的難易度の高さも相まって,劇的で強烈な印象を与えます。
属七和音の繰り返しが緊張感を高めていく
ハ短調の属七和音である強烈なG7から始まり,劇的な高速の下降音型を経て 主和音であるCmへと 音楽的に解決されますが,主和音ははっきり鳴らされません。
G7からCmへの解決が3回繰り返されるのですが,主和音がはっきりと鳴らされることがないため 属七の和音の緊張感がずっと続きます。
G7からCmへの解決を繰り返しながら G7の和音が3度ずつ上昇していくことで 緊張感が増していき,最後は両手ユニゾンにより 4オクターブもの音域を一気に駆け下り,まるで世界全体が崩壊するかのような劇的な音響世界となります。
執拗に焦燥感が駆り立てられる
急流のごとき両手ユニゾンの下降音型によって 劇的な序奏はクライマックスを迎えましたが,それでもなお 主題には到達しません。
両手ユニゾンによる演奏は続きます。
方向感の定まらない両手ユニゾンは濁流のように激しく渦巻きます。
なかなか主題に到達せずに 低音で激しくうごめき,執拗に焦燥感が駆り立てられていきます。
そして ようやく序奏を終えて,怒涛の主部へと入ります。
激流のような左手伴奏
8小節にわたる長大な序奏を終え,激流のような左手伴奏が始まり 主部へと突入します。
ここでようやく左手伴奏がハ短調の主和音を重厚に奏でるため,明確に音楽的解決を迎え,
キタ――――――― !!!!
といった感じで 心が振るわされます。
広い音域にわたる怒涛の低音部アルペッジョに心を奪われます。
心に突き刺さるような主題
長大な序奏と 激流のような低音部アルペッジョを経て,満を持して主題が高らかに打ち鳴らされます。ショパンが生み出した数多くの旋律の中でも 特に有名なテーマのひとつです。
『革命』のエチュードの主題が打ち鳴らされる瞬間は キタ――――――― !!!! と心が熱くなります。
長大な序奏によってお膳立てが入念になされ,怒涛の低音部アルペッジョにのって 高音部で打ち鳴らされる主題は 心に深く突き刺さります。
強音と弱音との対比
『革命』のエチュードは聴く者の感情を大きく揺さぶります。
『革命』のエチュードはによる力強い表現が印象に残りますが,実はや sotto voce(;ひそやかな声で) などの指示も多数書かれています。
交互にあらわれる強音と弱音の大きな振幅によって なんともやるせない感情に 胸の内がかきむしられます。
また,弱音との対比によって より強音が情熱的に心に迫ってくるのです。
プロの演奏でも『革命』のエチュードのや sotto voce が蔑ろにされ,単調にで弾き続けているような演奏も多いです。
そして,ショパンの指示どおりの演奏以上に 説得力のある表現となっている演奏はありません。
激情を叫ぶような 心に突き刺さる主題ですが,2回目に奏でられるときには弱々しく弱音で奏でられます。
運命の力に蹂躙され,心が折れ,敗北に打ちひしがれるその姿に心が動かされます。
タイによる表情付け ~ため息のモチーフ~
プロの演奏でも,ほとんどのピアニストが このタイを無視して演奏してしまっています。
前項で,強・弱の対比によって感情が大きく揺さぶられると書きましたが,
さらに弱の部分で “ため息の動機” が使われていることが,大きな効果を生み出しています。
古来より多くの作曲家が用いてきた ”ため息のモチーフ” ですが,ふっと音が下に下ることで,切なさや儚さ,静かな憂いが噛み締められます。
『革命』のエチュードでも “ため息の動機” が 運命に逆らえない無常感を感じさせ,大きな感情の起伏を生み出しています。
という激情の叫び。
その直後訪れる ため息の動機による虚無感。
長い序奏によって心の準備を促された後に奏でられるこの旋律は万人の心を打ちます。
中間部 ~感情が内面へと埋没していく~
ハ短調ではじまった主部は変ロ長調で終わり,中間部では嬰ト短調に転調します。
そして1小節ごとに 嬰ト短調 → 嬰ニ短調 → 嬰ヘ短調 → 嬰ハ短調 → ・・・ と次々に転調を繰り返します。
中間部で調号の変更はありませんが,♭系の調だった主部から,中間部では♯系の調に転調されています。
譜面を見ても,中間部に入ってから臨時記号♯やが多数書き込まれていることが確認できます。
♭系から♯系に転調することで,音楽の心への響き方が大きく変化します。
♭系の短調と♯系の短調から感じ取るものは人それぞれで,それは主観的な感情になりますが,心の内のありかたが大きく変化することは間違いありません。
共感覚が備わっているならば,音楽から感じられる音の色彩そのものが大きく変化します。
主観的な解釈を押し付けることはできませんが,当サイト管理人は ♭系の主部は感情が外部へ強く発露しているのに対して,♯系の中間部ではより内面に深く埋没しているように感じます。
経過部 ~序奏の再現~
中間部が終わったあと,序奏が再現されます。
序奏がほぼそのまま演奏されるのですが,序奏ではだったものがとなり,打ち鳴らされる属七の和音も3度上へ変化しています。
序奏よりもより一層 焦燥感・切迫感をつのらせた上で,再現部へと入ります。
複雑なリズムに展開される再現部
再現部では,主題が形を変えて再び現れます。
旋律がより込み入ったリズムに変奏されています。
旋律のリズムが複雑になったことで,ストレートに心に突き刺さるような力強さはなくなり,
嘆き,悲しみ,動揺,混乱,不安,絶望,錯乱といった より内面的な心の動きが感じられます。
推移部 ~激情のあとの静寂~
再現部が終わり 推移部へと入り,となって最後のクライマックスを迎えます。
*推移部までを再現部に含めることもできます。
しかし→→と急速にエネルギーを失い,興奮が萎えていきます。
激情のあとの静寂,絶望のあとの落ち着きに支配され,smorz.( = smorzando;だんだん遅く、そしてだんだん弱く。消えるように。)となってコーダへと入ります。
余韻の残る終わり方
smorz.を経てコーダに入りsotto voce(;ひそやかな声で。ひそひそと。)となり完全な静寂が訪れます。
低音部にはの指示も書かれています。
はショパンが滅多には書き込まなかった特別な指示です。
このまま悄然と意気消沈して消えるように終わりそうなところですが,最後の最後に ed appassionato となります。
さらに最後はハ長調となってピカルディ終止で曲を終えますので,派手で華やかな最後となりそうです。
ベートーヴェン以来,ハ短調から始まりハ長調へ向かうのは,高らかに勝利を歌い上げる定石でした。
しかし『革命』のエチュードは深く余韻が残る終わり方となっています。
F → Fm → Csus4 → C という和声進行の終止になっていて,サブドミナントⅣからトニックⅠへ移るアーメン終止になっています。
コーダはヘ短調→ハ長調の繰り返しになっていますので,最後はヘ短調に転調されているように錯覚されます。
ヘ短調の中でドミナントⅤのCで曲が終わったかのように感じるため,完全に曲が終結したように感じず,深く余韻が残る終わり方になっています。
この最後のところに,自筆譜ではが書き込まれていました。
しかしフランス初版では強弱記号が書かれていません。
音量を抑えて余韻を残すような演奏が指示されていると考えることもできます。
しかしカミーユ・デュボワがレッスンで使用していたフランス初版には ショパン自身がを書き込んでいます。
音量を極端に抑えるような演奏は想定されていないことがわかります。
なお,エキエル版では自筆に書き込まれていたが( )付きで印刷されています。
エキエル版は研究用資料として一級品です。
以上のように,一見すると『革命』のエチュードは 高速アルペッジョの左手伴奏の上で 右手オクターブの旋律を奏でているだけの 単純な作りに見えますが,実際は数多くの音楽的仕掛けによって 劇的で強く印象にのこる作品となっています。
Op.10-12『革命』調性と作曲年
『革命』のエチュードにまつわる ドラマティックなエピソードの項で既に書きましたが,パリに到着した直後,つまりは1831年の終わり頃に書き上げられたと考えられています。
作曲の背景については『革命』のエチュードにまつわる ドラマティックなエピソードの項をご覧ください。
練習曲集はハ短調で締めくくられる
ショパンの練習曲集は Op.10 も Op.25 も ハ短調で締めくくられます。
ショパンの練習曲集は 両方とも 12曲で構成されています。
そして,Op.10もOp.25も 12曲目,最後はハ短調の作品によって劇的に締めくくられます。
「暗さ」「悲壮感」「怒り」をストレートに表現できるハ短調は,『革命』のエチュードの調性としても最適でしょう。
というよりも,ベートーヴェンの『運命』交響曲と ショパンの『革命』エチュードが 現代人のもつ ハ短調のイメージを作り上げたといえるかもしれません。
ハ短調の作品は,同主調であるハ長調に転調することで 大きな喜びを表現することも可能です。
『大洋』のエチュードはハ短調からハ長調への帰結が効果的に用いられています。
革命のエチュードも最後はハ長調で終わっていますが,アーメン終止によって余韻がのこる終わり方となっています。
ショパンはハ短調を比較的多く用いました。
ショパンが遺した全作品 258曲のうち,調性が確認できる作品は254曲ですが,そのうちの12曲,4.72%はハ短調で書かれています。
12曲のうち,9曲にはショパン自身が作品番号をつけています。
ショパンが15才のときに はじめて作品番号をつけて出版した ロンドOp.1 もハ短調で書かれています。
ショパンが18才のときに書き上げた 初めての大作である ピアノソナタ第1番Op.4もハ短調で書かれています。
なお,ピアノソナタ第1番Op.4は,ショパンが生前に作品番号をつけて出版することを決めていたにも関わらず,出版が死後になってしまった唯一の作品です。
作品番号Op.4をつけて作曲の先生エルスナーに献呈されましたが,出版社が若い作曲家の作品の出版を渋ったため,結局出版されたのはショパンの死後になってしまいました。
Op.10とOp.25,全24曲の調性と作曲年の一覧表
ウィーン式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は青太字に,
イギリス式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は緑太字で表示しています。
表のヘッダー「作曲年」または「BI」をクリックして並び替えてご覧いただくと,
ショパンがエチュードを作曲した順番に並び替えることができます!
No. | Op. | - | BI | 調性 | 作曲年 | 19才 | 20才 | 21才 | 22才 | 24才 | 25才 | 26才 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | 1 | 59 | ハ長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
2 | 10 | 2 | 59 | イ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
3 | 10 | 3 | 74 | ホ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
4 | 10 | 4 | 75 | 嬰ハ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
5 | 10 | 5 | 57 | 変ト長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
6 | 10 | 6 | 57 | 変ホ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
7 | 10 | 7 | 68 | ハ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
8 | 10 | 8 | 42 | ヘ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
9 | 10 | 9 | 42 | ヘ短調 | 1829年 | 19才 | ||||||
10 | 10 | 10 | 42 | 変イ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
11 | 10 | 11 | 42 | 変ホ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
12 | 10 | 12 | 67 | ハ短調 | 1831年 | 21才 | ||||||
13 | 25 | 1 | 104 | 変イ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
14 | 25 | 2 | 97 | ヘ短調 | 1835年 | 25才 | ||||||
15 | 25 | 3 | 99 | ヘ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
16 | 25 | 4 | 78 | イ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
17 | 25 | 5 | 78 | ホ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
18 | 25 | 6 | 78 | 嬰ト短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
19 | 25 | 7 | 98 | 嬰ハ短調 | 1836年 | 26才 | ||||||
20 | 25 | 8 | 78 | 変ニ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
21 | 25 | 9 | 78 | 変ト長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
22 | 25 | 10 | 78 | ロ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
23 | 25 | 11 | 83 | イ短調 | 1834年 | 24才 | ||||||
24 | 25 | 12 | 99 | ハ短調 | 1835年 | 25才 |
Op.10-12『革命』の練習課題
ショパンの練習曲集は その芸術性の高さから忘れられがちですが,演奏技術を反復訓練するための教則本としても一級品です。
『革命』のエチュードの譜面を見ると,左手の高速パッセージ・アルペッジョのための練習曲に見えます。
それは確かにそうなのですが,ショパンの他の練習曲と同様に ただそれだけの練習曲ではありません。
『革命』のエチュードを正しい姿勢で反復練習することで,手指の拡張と脱力,柔軟性というピアノ演奏に重要な素養を身につけることができます。
右手の訓練に比重が置かれているショパンの練習曲集の中にあって,『革命』のエチュードは左手がしっかりと訓練されるため 重要な訓練課題となります。
また『革命』のエチュードは 左手だけでなく右手も同様に鍛えられます。
ショパンが意図していたであろう訓練課題を習得するためには,ショパン自身が設定したというテンポ指示で演奏できるようになるまで練習を重ねる必要があります。
メトロノームによるテンポ指定
ショパン エチュード【ショパンが指定したテンポ】の解説記事では,ショパンが指定したテンポについて詳細をまとめています。
ショパンの練習曲はすべてメトロノームによるテンポ指定が書かれている
ショパンの練習曲集はすべての曲にショパン自身がメトロノームによるテンポ指定を書き込んできます。特筆すべき特徴です。
そして,ショパンが書き込んだテンポ指示は 人間の運動能力の限界といえる速さです。
ショパンの練習曲は ショパンの作品の中でも特に演奏が難しいですが,
その最大の理由はメトロノームによってテンポが指定されているからでしょう。
本来はメトロノームによるテンポの指示が書かれていたとしても生真面目に従う必要はありません。
ショパンがどういった表現を求めているのか,メトロノームの指定テンポからショパンの意図をくみ取って演奏表現することが重要です。
音楽から感じられる速さは物理的なテンポだけで決まるわけではありません。
アーティキュレーション(フレージング)やデュナーミク(強弱),ペダリング,タッチの軽さ・重さ,リズムの鋭さ,休符の長さ等々によって 感じ取れる速さの印象は大きく変わります。
しかし,その芸術性の高さから忘れてしまいそうになりますが ショパンの練習曲はあくまでも『練習曲』です。
ショパンの練習曲集はメカニズムを習得するための反復訓練を目的とした曲集です。
発展途上にあったピアノという楽器の可能性とショパン独自の演奏法が具現化されています。
メカニズムの習得のためにも,そして画期的な奏法の表現のためにも,
指定のテンポを守って演奏することは不可欠といえます。
『革命』のエチュードは伝統的に 指定テンポよりやや遅く演奏される
『革命』のエチュードは名曲として,多くの演奏家に演奏され,多くの聴衆の耳に入り,多くの録音が残されてきました。
その歴史の中で「技術的に弾きやすいテンポ」での演奏が一般に受け入れられ,現代では「ややゆっくりと演奏すること」が当たり前になっています。
Op.25-1『エオリアン・ハープ』,Op.25-11『木枯らし』,Op.25-12『大洋』も同様の理由で 現代ではやや遅いテンポで演奏される傾向にあります。
『革命』のエチュードは,”ショパンの練習曲の中では比較的演奏が容易” “見かけの印象ほどは難易度が高くない” “意外と弾きやすい難曲・誰にでも弾ける難曲” などと紹介されることがあります。
これは伝統的に『革命』のエチュードがショパン指定のテンポよりも遅く演奏されることが理由でしょう。
アマチュアのピアニストが演奏を楽しんだり,既に技術の完成されたピアニストが説得力ある解釈でもって ゆっくり演奏したりするのは,もちろん問題ありません。
しかし高い技術を備えることを目指して研鑽を積んでいるピアノ学習者は,一度はショパン指定のテンポで演奏できるように訓練をしておくべきでしょう。
『革命』のエチュードのテンポが決定されるまでの変遷
『革命』のエチュードの自筆譜(フランス初版の元になったショパン自身が記譜した清書)を ストックホルムの音楽文化財団が所蔵しています。
この自筆譜には,と記譜されています。
そして,フランス初版を出版する際に,ショパン自身がに変更しています。
はと同じテンポですので,自筆譜(清書原稿)と比べて 実際に出版されたフランス初版では 若干テンポをさらに速めていたことがわかります。
自筆譜(清書原稿)が書かれたのは1832年9月から1833年3月のあいだとされていて,フランス初版が出版されたのは1833年の6月です。
出版直前のたった数ヶ月のあいだに,ショパンは 校正作業を通してテンポ指定を細かく修正していたわけです。
ショパンのテンポ指定への強いこだわりが感じられます。
ショパンがこだわって決定したテンポ指定を,安易に蔑ろにしてはなりません。
Op.10-12『革命』運指
ショパンの運指の研究にもエキエル版が便利!
ショパンの指づかい(運指法)を研究するときにもエキエル版が重宝します。
エキエル版では
- ショパン自身が初版譜に記譜した指づかいは太字
- 編集者(エキエル氏)が追加提案した指づかいは斜体
- ショパンが生徒のレッスン譜に書き込んだ指づかいは(太字)
というふうに明示されていて,めちゃくちゃ便利です!
エキエル版ですが,2021年5月より日本語版が順次発売されています!2021年秋 2022年には,練習曲集の日本語版が発売になるようです!
ショパンの作品は机上の産物ではなく,ショパン自身が鍵盤に触れながら手指を動かして 実際に演奏するために作曲されています。
ショパンは運指も丁寧に書き込んでいて,ショパンの精神・息づかいを感じ取ることができます。
ショパン以前のピアニストや作曲家は,力の弱い指,とくに4・5指(薬指と小指)を鍛えて5本の指の力を均等にしようと努力しました。
しかしショパンはそれぞれの指が自ずから持って生まれた個性を演奏に十分活かし,音色の多様性を引き出してニュアンス豊かに演奏する運指法を生み出しました。
ショパンが記譜した運指を研究することで,ショパンが各音に込めた音色や思いを伺い知ることができます。
『革命』のエチュードの自筆譜(フランス初版の元になったショパン自身が記譜した清書)を ストックホルムの音楽文化財団が所蔵しています。
この自筆譜には運指はほとんど書き込まれていません。
ところが,フランス初版には運指が綿密に書かれています。
練習曲集のフランス初版の出版には 最後までショパン自身が関わっていましたから,
この運指はショパン自身の意図が反映されていると考えられます。
エキエル版ではショパン自身が記譜した運指は太字,編集者(エキエル氏)が印刷した運指は斜体になっています。
自筆譜や初版などの資料が手元になくても作品研究ができるため大変便利です。
たとえ自筆譜や初版など原典資料があったとしても,複数の資料を持ち出して 開いて見比べる作業は大変ですから,エキエル版の存在には改めて感謝しかありません。
作曲時に使用していたピアノ
- ショパンがエチュードの作曲で使用したピアノについての詳細な解説は,ショパン エチュード【ショパンが作曲に使用したピアノ】をご覧ください。
- ショパンの使っていたピアノの音域では,ショパンがその生涯で使っていたピアノの音域について解説しています。
ポーランド時代にショパンが使っていたピアノはウィーン式アクションのピアノでした。
パリに移り住んだあとはイギリス式アクションのピアノを使っています。
『革命』のエチュードは1831年,ショパンがパリに到着した直後に完成した作品だとされています。
1830年11月にポーランドを発ったあと パリに流れ着くまでのあいだ,ショパンは旅中にありました。
そのため『革命』のエチュードはポーランド時代に書き始められていたと考えられます。
つまり,『革命』のエチュードはウィーン式アクションのピアノによる演奏を想定して作曲されています。
『革命』のエチュードは 左手で高速パッセージを弾き続けるため,技術的な難しさもさることながら 左手が疲れてしまう作品です。
タッチの軽いウィーン式アクションのピアノならば,ずいぶんと楽に演奏できたかもしれません。
また『革命』のエチュードには ショパンはペダル指示を書き込んでいません。
ウィーン式アクションのピアノだと,ペダルを使いすぎると乱暴な響きになってしまったのかもしれません。
ショパンの作品は指を伸ばしぎみにして,指の腹で打鍵し,腕や肩の重さを鍵盤に伝える奏法(いわゆる重力奏法)で演奏するのが定石です。
しかし『革命』のエチュードはウィーン式アクションのピアノが想定されていますから,指先でカタカタと叩くような打鍵(いわゆるハイフィンガー奏法)が適しています。
現代ピアノの能力をフルで発揮して 重力奏法で迫力たっぷりに演奏してしまうと,本来ショパンが意図していた曲想とは違った演奏になります。
『革命』のエチュードのもつ曲想やエピソードが影響して重々しい演奏になりがちですが,
やや軽く 硬質感のある音色で演奏するのが 本来のあるべきスタイルだ ということになります。
ショパンが記譜した発想記号・速度記号
ショパン エチュード【ショパンが記譜した演奏指示】の解説記事では,ショパンが練習曲集に記譜した演奏指示をまとめています。
ショパンの練習曲集には,ショパンの他の作品と比較して 発想記号や速度記号などの演奏指示がたくさん書かれています。
特にOp.10の作品にはたくさんの演奏指示が書かれています。
『革命』のエチュードにもたくさんの演奏指示書かれていて,
特に強弱記号が多数書かれています。
たった2分ほどの作品に なんと強弱記号が24個も!書かれています。
これは練習曲集24曲の中でも最多です。
情熱的な作品である『革命』のエチュードにはや,
- con fuoco;熱烈に。火のように。
- con forza;力を込めて。
- ed appassionato;そして,情熱的に。激しく
のように力強い演奏指示が多数書かれています。
しかしや,
- sotto voce;ひそやかな声で。ひそひそと。
- smorz. = smorzando;だんだん遅く、そしてだんだん弱く。消えるように。rit.+dim.。
も書き込まれていて,強と弱の対比が『革命』のエチュードを演奏するときの肝となります。
ゴドフスキー『ショパンのエチュードによる53の練習曲』
ゴドフスキーといえば “For the left alone” !
『革命』のエチュードも 左手だけで演奏するバージョンが作られています。
左手のみで『革命』のエチュード!というキャッチーなコンセプトから,一部界隈(体育会系ピアノ編曲の世界)で人気のある作品です。
当サイト管理人も 若いころには ちょっとした集まりでウケを狙って よく弾いていました。
ゴドフスキーの作品には,他にも 左手で『黒鍵』のエチュード,『黒鍵』と『蝶々』の同時演奏!というキャッチーな作品がありますが,この2曲はかなりの演奏技術を要します。
比べて,この『革命』のエチュードの左手編曲は,ゴドフスキーの作品の中では突出して弾きやすい作品です。
ゴドフスキー作品の入門曲としてオススメです。
嬰ハ短調に転調されているため,原調であるハ短調のストレートな暗さから,味わいと深みのある幻想的で水墨画のような曲調に変化しています。
また,嬰ハ短調に転調されたことで手指が鍵盤に収まりやすく,弾きやすくなっています。
低音から高音まで広い音域の音が鳴らされるため,左手だけで演奏しているとは思えない豊かな音楽となっています。
なお,アマチュアピアニストが趣味で楽しむのでしたら,左手のための作品で 右手を使っても良いわけです。
両手を使えば技術的な難しさに悩むことなく,作品の魅力にふれることができます。
プロの演奏を聴くことは もちろん素晴らしい体験ですが,実際に自分の手でピアノの音を鳴らして作品を楽しむことは格別な時間となります。
ゴドフスキーの作品はアマチュアピアニストが気軽に楽しむことが中々できませんが,左手のための作品を両手で演奏するというのは,楽しみ方の一つだと思います。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-12『革命』原典資料
ショパン エチュード【原典資料】の解説記事では,ショパンの練習曲集全体の,初版や自筆譜,写譜などの原典資料について詳細をまとめています。
ショパンの自筆譜
フランス初版の原稿として ショパン自身の手によって書かれた清書を,ストックホルムの音楽文化振興財団が所蔵しています。
1832年9月から1833年3月のあいだに書かれたものだとされています。
詳しくは『自筆譜を詳しく見てみよう!』の項をご覧ください。
信頼できる原典資料~フランス初版~
パリ,M.Schlesinger(M.シュレサンジュ),1833年6月出版。
めずらしく,ショパンは校正にしっかりと関わっています。
この頃のショパンは,パリなどヨーロッパの主要都市でデビューしたばかりの新人作曲家でした。
後年のように友人に任せっきりにするのではなく,ショパン自身が校正にちゃんと関わっていました。
練習曲集Op.10のフランス初版は,信頼できる一次資料です。
なお,練習曲集Op.10は フランツ・リストに献呈されています。
練習曲集Op.10を見たリストが初見で弾こうとするも上手く引けず,
これを悔しがったリストは練習をし,数週間後には見事な演奏を披露。
これに感動したショパンはOp.10の練習曲集をリストに献呈した,
という逸話が残されています。
他の初版
ドイツ初版
ライプツィヒ,F.Kistner(F.キストナー),1833年8月出版。
フランス初版の校正刷り(ゲラ刷り)をもとに作られています。
いつも勝手な判断で譜面を変えてしまい,しかも「原典版」として後世の出版譜に多大な影響を与えているドイツ初版ですが,幸いなことに『革命』のエチュードには特別手を加えている箇所はありません。
イギリス初版
ロンドン,Wessel & C°(C.ウェッセル),1833年8月出版。
フランス初版をもとに作られています。
原典資料としてはあまり価値がありません。
ショパンの生徒がレッスンで使用していたフランス初版
ショパンの生徒がレッスンで使用していたフランス初版が3種類現存しています。
- カミーユ・デュボワが使用していたフランス初版(フランス版の第三版)
パリのフランス国立図書館所蔵 - ジェーン・スターリングが使用していたフランス初版(フランス版の第二版)
パリのフランス国立図書館所蔵 - ショパンの姉,ルドヴィカが使用していたフランス初版(フランス版の第三版)
ワルシャワのショパン協会所蔵
ジェーン・スターリングとルドヴィカが使用していたフランス初版にはショパンの書き込みは遺されていません。
カミーユ・デュボワが使用していたフランス初版には ショパン自身の書き込みが多数遺されています。
詳しくは『自筆譜を詳しく見てみよう!』の項をご覧ください。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-12『革命』構成
分かりやすい三部形式
ショパンの練習曲集Op.10,Op.25の24曲はすべて三部形式で書かれています。
崇高な芸術作品でありながら決して難解ではなく,分かりやすい構成で作られているところは,
ショパンの作品の魅力の一つです。
『革命』のエチュードも明確な三部形式で書かれています。
左手も右手も同じような音型が続きますので 譜面を見ただけでは主部と中間部の境界がわかりませんが,
音にしてみると 和声の変化によって明確に構成が感じ取られます。
主部が♭系の調性で,中間部は♯系の調性に色分けされていて,その和声の変化は見事に色鮮やかです。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-12『革命』出版譜によく見られる間違い
ショパンの作品といえば,膨大な種類の楽譜が出版されていて,出版譜を互いに見比べてみると違いだらけで ,どの楽譜が本当に正しい譜面なのか分からない,というのが特徴です。
ショパン自身が意図していたものとは違う,間違えた譜面が一般に広く浸透してしまっていることも珍しくありません。
エキエル版が登場するまでは,たとえ原典版(ウィーン原典版,ペータース原典版,ヘンレ原典版)でも手放しで信頼するようなことはできず,自筆譜や初版などの資料と比較して検討する必要がありました。
ところが,幸いなことに『革命』のエチュードは伝統的に受け継がれている間違いはなく,どの出版譜でも問題なく ショパンが本来意図していた原典と変わりない譜面になっています。
いくつか原典版(エキエル版)以外の出版譜を使用するときの注意点を書きますが,ショパンの他の作品ほどは気にする必要はありません。
マレにですが,音符を間違えている楽譜も販売されています。
特に56小節目冒頭の音を間違えている楽譜は比較的よく見かけます。
手元の楽譜の音がおかしいと感じたときは,原典版を確認した方が良いでしょう。
拍子記号
自筆譜を見ると2分の2拍子になっていますが,各国初版では4分の4拍子になっています。
現在出版されている出版譜のほとんどが4分の4拍子となっています。
Op.10のフランス初版の出版にはショパン自身が深く関わっていましたから,4分の4拍子がショパン自身による最終的な決定であると考えることもできます。
しかし,自筆譜のように2分の2拍子のほうが『革命』のエチュードの曲想にあっていると思います。
エキエル版も2分の2拍子になっています。
実際には2分の2拍子と4分の4拍子で演奏が大きく変わることはありませんから,特に気にする必要はないかと思います。
ペダル指示
ショパンの自筆譜を見ると,ペダル指示がまったく書かれていません。
フランス初版など各国初版も同様で,ペダル指示がまったく書かれていません。
ショパンはペダル指示も熟考を重ねて記譜しています。
ショパンがペダル指示を書いていない,というのは 書き忘れているわけではなく,意図的にペダル指示を書き込んでいないのです。
これは,暗にショパンが「ペダルを極力使用しないように」と指示していることになります。
現在出版されている原典版にはペダル指示が書かれていませんが,雑多に出版されている多くの楽譜にペダル指示が書かれています。
ミクリ版やコルトー版など,権威ある校訂版にもペダル指示が書かれています。
ミクリ版やコルトー版などの校訂版(解釈版)は原典版ではなく,校訂者が「このように演奏するべきだ」と解釈した奏法を譜面にしたものですから,ミクリ版やコルトー版が間違えている,というわけではありません。
『革命』のエチュードを演奏するときに,まったくペダルを使用せずに演奏すると乾いた貧相な音になってしまいます。
実際には豊かな音を響かせるために,あまり踏み込みすぎないように気をつけながら,ペダルを使用することになります。
ミクリ版やコルトー版などに印刷されている ショパン演奏の第一人者によるペダル解釈は,実際に『革命』のエチュードを演奏するときに大変参考になります。
ただし,ショパン自身は(意図的に)ペダル指示を書き込んでいなかった,という事実は十分に考慮する必要があります。
強弱記号
コルトー版などの校訂版(解釈版)では,スラーやアクセントなどアーティキュレーション,発想記号や速度記号,強弱記号などが多数改変されていることがありますので,注意が必要です。
例えばコルトー版は,コルトーの解釈で,コルトーのように演奏するための譜面です。
ショパンが本来意図していた原典の演奏とは異なります。
一例で コーダを見てみますと(上の譜例),81小節目のを印刷する場所が原典版とコルトー版では半拍ずれています。
たった半拍のずれですが,実際に演奏してみると大きく異なった演奏になります。
最後の4和音も,コルトー版では “pesante;重々しく” が書かれていたり,スタッカートがマルカートに変えられてアクセントも追加されていたりと,原典版とはニュアンスが大きく改変されています。
なお,コルトー自身の演奏を確認するとコルトー版が見事に再現されています。
*You Tubeで見つけた動画を貼り付けておきます。
ショパンの作品は著作権が切れていますから,どのような解釈で演奏するのも演奏者の自由ですが,
ショパンが本来意図していた演奏を追い求めるのであれば,原典版,もしくは自筆譜と初版の研究が必須となります。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-12『革命』自筆譜を詳しく見てみよう!
ショパン自筆の清書原稿
全景
ショパンらしい丁寧な記譜です。
音符だけでなく,強弱記号や発想記号,アーティキュレーションなど綿密に書き込まれていて,作品として完成した状態の譜面です。
冒頭
清書原稿であるショパンの自筆譜と,実際に出版されたフランス初版では細かな違いがたくさんあります。
冒頭部分では,テンポ指定と拍子記号が変えられています。
自筆譜ではだったものが,フランス初版ではに変えられています。
自筆譜にのみ記譜が残された演奏指示
自筆譜には記譜されていたものの,その後フランス初版の出版時には ショパン自身の手で消されたり変更さりたりした演奏指示が多数あります。
2小節目 energico / cresc.
2小節目。
自筆譜には energico;力強く と Crescendo の指示が書かれていましたが,その後の出版譜では消されています。
5小節目 fz / con forza
5小節目。
自筆譜にはが書かれていましたが,出版譜では消されています。
また,自筆譜にはcon forza;力強くと書かれていましたが,出版譜では con fuoco;熱烈に。火のように。 に変えられています。
10小節目 appassionato
10小節目。
自筆譜では右手主題がはじめて打ち鳴らされるところに appassionato;熱情的に が書かれていましたが,出版譜では消されています。
27小節目 付点リズム
27小節目。
自筆譜では2拍目の後半が付点リズムになっていますが,出版譜では通常のリズムになっています。
各初版やミクリ版,コルトー版,原典版なども通常のリズムで印刷されていますが,
まれに付点リズムになっている出版譜もあります。
ここは主部の最後の部分になります。
付点リズムで演奏すると,いったんの終了感が現れますので,付点リズムで演奏するのも悪くないと思います。
27小節目 右手旋律にタイ
27小節目。
自筆譜では高音のD♭音がタイでつながれています。
各初版,原典版など現在出版されている譜面ではタイが消されています。
ここは出版されている譜面のように,タイをつけずに 4拍目のD♭音も鳴らした方が良いです。
30小節目 32小節目 右手付点リズム
30小節目と32小節目。
自筆譜では4拍目の付点リズムが,他の同様な箇所よりも 鋭いリズムになっています。
各初版,原典版など現在出版されている譜面では,他の箇所と同じリズムで統一されています。
30・32小節目だけ,他よりもリズムを鋭く演奏すると,
対比されて,29小節目と31小節目の付点リズムが柔らかくなり,旋律の動きと合致するため,
この奏法も悪くありません。
しかしショパン指定のテンポでは32分音符を演奏するのは不可能です。
ここは出版されている譜面のように,全て同じリズムで統一して良いでしょう。
37小節目 fz
37小節目。
自筆譜にはが書かれていますが,各国初版にはが印刷されています。
ミクリ版やコルトー版にはが書かれています。
これはフランス初版の印刷ミスだと考えられます。
自筆譜の通りが正解でしょう。
54小節目 タイ
54小節目~55小節目。
各国初版やエキエル版など原典版では,高音のA♮音がタイで結ばれています。
ミクリ版やコルトー版など多くの出版譜ではスラーが書かれています。
自筆譜へのショパンの書き込みは,タイともスラーともとれる曖昧な書き方になっています。
ショパンの普段のタイの筆跡は つり鐘のように形の整った小さな弧を描くようなものです。
ショパンが54小節目に書き込んだ歪んだ弧は,ショパンの普段のスラーの筆跡に近いです。
当サイト管理人は,これはタイではなくスラーが正解だと考えています。
当サイト管理人が公開している参考演奏動画でも,スラーとして演奏しました。
最後 83小節目 fff
曲の最後,83小節目。
自筆譜にはが書かれていましたが,出版譜では消されています。
マルカートもスタッカートに変えられています。
自筆譜と比べて出版譜ではやや力を抑え,過度に壮大になりすぎないようになっています。
しかし,カミーユ・デュボワのレッスン譜にはショパン自身がを書きこんでいますから,あまり力を抜きすぎるのも違う,ということになります。
訂正の跡
『革命』のエチュードでは,左手部分を大きく修正した跡がいくつか遺されています。
生徒の楽譜へのショパン自身の書き込み
既に書きましたが,ジェーン・スターリングとルドヴィカが使用していたフランス初版にはショパンの書き込みは遺されておらず,
カミーユ・デュボワが使用していたフランス初版には ショパン自身の書き込みが多数遺されています。
カミーユ・デュボワの使っていたフランス版の第三版
カミーユ・デュボワが使用していたフランス初版(フランス版の第三版)をパリのフランス国立図書館が所蔵しています。
ショパン自身の鉛筆による書き込みが多数書き遺されています。
特に,運指の書き込みや修正がたくさん書かれています。
6~7小節目,運指の書き込み
6~7小節目。
左手の運指が追加されています。
12小節目,運指の書き込み
12小節目。
右手に運指が追加されています。
D→E♭をレガートにつなげるための運指だと考えられます。
18小節目,運指の書き込み
18小節目。
左手に運指が追加されています。
25小節目,運指の修正
25小節目。
フランス初版の 5-2-3 と間違えて印刷された運指を,5-3-2 と修正する書き込みです。
40~41小節目,運指の修正と書き込み
40小節目。
元々フランス初版に印刷されていた運指を変更する書き込みです。
生徒であるカミーユ・デュボワの特性にあわせて運指を変えたのでしょう。
エキエル版では,元々フランス初版に印字されていた運指も,カミーユ・デュボワのレッスン譜にショパンが書き込んだ運指も,両方とも確認できるようになっています。
41小節目。
左手に運指が追加されています。
57小節目,運指の書き込み
57小節目。
右手旋律に運指が追加されています。
67小節目,運指の修正
フランス初版に 4 → 4 と間違えて印刷されている運指を 4 → 3 に修正する書き込みです。
69小節目,スラーの書き込み
69小節目。
右手旋律にスラーが追加されています。
73~74小節目,運指の書き込み
73~74小節目。
左手に運指が追加されています。
79~80小節目,運指の書き込み
79~80小節目。
左手に運指が追加されています。
83小節目,ffの書き込み
83小節目。
何かが書き込まれています。
この書き込みをスラーである,とする研究者もいるようですが,
当サイト管理人は,これはだと考えています。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-12『革命』演奏の注意点
遅いテンポなら比較的弾きやすい名曲
多くの名曲を遺したショパンですが,数あるショパンの名曲の中でも
『革命』のエチュードをいつか弾いてみたい,と憧れるピアノ学習者は多いのではないでしょうか。
『革命』のエチュードはショパン指定のテンポで演奏しようとすると,
ショパンの作品の中でも最難関の難曲となります。
しかし『革命』のエチュードは伝統的にやや遅いテンポでの演奏が一般に認められています。
むしろ,ショパン指定のテンポより遅く演奏することの方が一般的です。
遅いテンポならば,格段に弾きやすくなります。
一見 超絶技巧に思える左手の速いパッセージも,ショパンが遺した指遣いに従えば 大変弾きやすくできています。
手を大きく広げなければならない場面もないため,手が小さい奏者でも比較的弾きやすいです。
ある程度ピアノが弾けるようになってきたら,小学生でも練習が可能です。
『革命』のエチュードを弾いてみたい,という強い動機があれば練習にも精が出るでしょうし,ショパンの練習曲を繰り返し訓練することは,ピアノの演奏能力全体の押し上げにもつながります。
当サイト管理人も,ショパンのエチュードの中で最初に熱心に取り組んだのは『革命』のエチュードでした。
ただし,速く弾こう,大きな音を出そう,と無理に力を入れて練習を重ねると,腱鞘炎などの恐れがあります。
また,無理に力が入っている状態というのは,いわゆる “脱力” ができていない状態です。
脱力ができていない状態で繰り返し練習を重ねると,その良くない演奏姿勢を身体が覚えてしまいます。
十分すぎるぐらい遅いテンポで,決して力まず,大きな音を出そうとしない。
このことをよく意識して練習してください。
できればピアノの先生について,無理な弾き方になっていないかチェックしていただきながら練習をした方が良いと思います。
ここから,本格的にピアノを勉強している方へ向けて,ああだ,こうだ,と書いていきますが,ピアノ技術の上達途上にある方は気にされず,難しいことは考えずにショパンの名曲を楽しんでください。
ショパン指定のテンポは守られるべき
先に書いたとおり,アマチュアのピアニストが演奏を楽しむのでしたら,ショパン指定のテンポにこだわる必要はありません。
また,プロの演奏家ならば 説得力のある明確な意図を持って 遅いテンポで演奏で演奏することもあるでしょう。
しかし,ショパンの意図に忠実な演奏を目指すのでしたら,ショパン指定のテンポは守られるべきです。
プロの演奏家も,最終的に選択するテンポはどうであれ,一度はショパン指定のテンポで弾けるようになっておくべきです。
音楽表現としても,テンポが遅くなると どうしても粘着質でドロドロした暗さが出てしまい,
安物の愛憎劇の挿入歌のようになってしまいます。
速いテンポでなければ『革命』のエチュードがもつ 格調の高い崇高な世界観は表われません。
”脱力” が最重要
『革命』のエチュードを練習する際に 一番心がけなければならないのは “脱力” です。
無理に力んだ状態で練習を重ねると腱鞘炎などの恐れがあります。
「脱力」が身についていない奏者が,無理に力んで「速く弾こう」「大きな音を出そう」とすると無駄に力が入り,余計に筋肉が思い通り動かなくなり,音色(≒音量)を自在にコントロールすることができなくなります。
演奏が上手くいかないだけなら良いのですが,無理な弾き方を続けると手指を痛める恐れがあります。
練習していて 少しでも指が痛いとか 筋肉に疲労がたまるような感覚があるならば,早急に弾き方を見直した方が良いです。
“脱力” の自己診断 = “いつまでも疲れない” 弾き方
きちんと脱力できているかどうか,正しい演奏姿勢が保たれているか,はセルフチェックできます。
脱力を伴った正しい演奏姿勢が保たれているかどうか,それは “いつまでも疲労せずに” 演奏できているかどうかで判断できます。
すぐに疲れがたまってしまって,筋肉がこわばり,演奏が上手くコントロールできなくなってしまうような弾き方で反復訓練をしてしまうと,
悪い演奏姿勢が身体に定着してしまうとともに,腱鞘炎など手指を痛めてしまう危険性があります。
正しい演奏姿勢が保たれていると,長時間弾き続けても疲れを感じることがなく,手指や腕に痛みを感じることもなく,迫力ある大音量も 繊細なピアニシモも,速いパッセージも 叙情的なゆるやかな旋律も,軽やかなレッジェーロも なめらかなレガートも,自由自在に演奏が可能となります。
正しい姿勢が身についていないピアノ学習者は,よほど意識して練習をしない限り,『革命』のエチュードを弾いていると左手に疲れを感じてしまうのではないかと思います。
少しでも疲れや痛みを感じてしまうならば,正しい演奏姿勢が保たれていない,という証拠になります。
正しい演奏姿勢とは どのような姿勢なのか。
これは,生まれもった体格は誰ひとりとして同じではないため,最適な演奏姿勢というのも各人各様です。
そのため,憧れのピアニストや,尊敬するピアノの先生の弾き方を真似しても,それが自分にとっても最適な演奏姿勢となるとは限りません。
脱力された状態を保つ,というのは 実は難しいことではありません。
何も気負わずリラックスして自然体で佇んでいるとき,自然と脱力された状態になります。
脱力された自然体の状態は,生まれつき備わっているものです。
無理に「速く弾こう」「大きな音を出そう」「いい格好をしよう」「できもしないことを無理にやろう」と思わない限り,自然に脱力された状態は保たれているはずです。
遅いテンポで練習
『革命』のエチュードで自然体が崩れてしまうのは,
無理に「速く弾こう」と身構えてしまうのが最大の原因です。
例えば,上の譜例は 唱歌『ちょうちょう』のピアノ譜ですが,
ある程度ピアノが弾ける方でしたら,この譜面の通りに弾いたとき,意識せずに全身が “脱力” できているかと思います。
“脱力” は 気負いながら,無理して,身構えて演奏したときに崩れるのです。
もちろん,『革命』のエチュードを,『ちょうちょう』を弾くときと まったく同じ”脱力”された状態で演奏するというのは難しいでしょう。
しかし,『革命』のエチュードでさえも,『ちょうちょう』を弾くのと同じ”脱力”された状態で演奏できることは,目指すべき演奏技術の到達点となります。
無理に速く弾こうとすると,どうしても筋肉に力が入ります。
力んでしまっている,ということは脱力ができていないことになります。
脱力ができていない状態で反復訓練をすると,その良くない演奏姿勢を身体が覚えてしまいます。
速く弾きたい気持ちをおさえて,無理のないテンポ,遅すぎるほどのテンポで練習を重ねるのが最良の練習法です。
演奏に際して身構える必要のない,一切気負うことのない,全身が脱力して筋肉が力むことがない,十分に遅いテンポで繰り返し練習します。
「憧れのピアニストの演奏のように速く弾いてみたい」「遅いテンポで練習をしたって,いつまでも速いテンポで弾けるようにならないのではないか」と焦る気持ちはわかります。
しかし遅いテンポで繰り返し練習することが,結局は上達への早道となります。
遅いテンポで弾いていても,弾いているうちに どうしても速くなってしまうのではないかと思います。
メトロノームの使用をオススメします。
ぐらいのテンポで(ではなくてです),全身が脱力できているか,上半身や肘,手首がくねくね動いていないか,自分の身体の状態をよく確かめながら,正しい演奏姿勢を身体に覚え込ませていきましょう。
不用意に大きな音が出てしまったり,打鍵がカスって音が弱くなったりする箇所は,演奏がうまくコントロールできていないところになります。
手指の形や運指など,入念にチェックしましょう。
メトロノームにあわせて,意識せずに自然と正しいフォームで演奏ができるようなったら,少しだけテンポを速めて,同じように練習します。
そして少しずつメトロノームのテンポを ほんの少しずつ速くしていきます。
イスの高さから見直してみる
どうしても疲労がたまってしまったり,ミスタッチがなくならなかったりするときは,
イスの高さや,イスの位置(鍵盤との距離),座る姿勢,肘の角度や手の形,打鍵直前に指が鍵盤に触れているか 離れているか,背筋の曲がり具合 など,基本的なことから見直した方が良いかもしれません。
同じ人間でも生まれついた体格は違います。
手の形や腕・指の長さ,肩幅,胴の長さなど,まさに十人十色です。
自分にとっての最適な演奏フォームを模索してください。
信頼できるピアノの先生に相談をするのも良いかと思います。
また,日本人で右利きの方は,日頃から左手でお箸を使うようにすると 左腕の脱力の良い訓練ができます。
ペダルを使いすぎない
ショパンの自筆譜を見ると,ペダル指示がまったく書かれていません。
フランス初版など各国初版も同様で,ペダル指示がまったく書かれていません。
ショパンはペダル指示も熟考を重ねて記譜しています。
ショパンがペダル指示を書いていない,というのは 書き忘れているわけではなく,意図的にペダル指示を書き込んでいないのです。
これは,暗にショパンが「ペダルを極力使用しないように」と指示していることになります。
現在出版されている原典版にはペダル指示が書かれていませんが,雑多に出版されている多くの楽譜にペダル指示が書かれています。
ミクリ版やコルトー版など,権威ある校訂版にもペダル指示が書かれています。
ミクリ版やコルトー版などの校訂版(解釈版)は原典版ではなく,校訂者が「このように演奏するべきだ」と解釈した奏法を譜面にしたものですから,ミクリ版やコルトー版が間違えている,というわけではありません。
『革命』のエチュードを演奏するときに,まったくペダルを使用せずに演奏すると乾いた貧相な音になってしまいます。
実際には豊かな音を響かせるために,あまり踏み込みすぎないように気をつけながら,ハーフペダルを使用することになります。
ミクリ版やコルトー版などに印刷されている ショパン演奏の第一人者によるペダル解釈は,実際に『革命』のエチュードを演奏するときに大変参考になります。
ただ,ショパン自身は(意図的に)ペダル指示を書き込んでいなかった,という事実は十分に考慮する必要があります。
重々しくなり過ぎず,軽いタッチで
『革命』のエチュードはウィーン式アクションのピアノで書かれたと考えられます。
ショパンの作品は指を伸ばしぎみにして,指の腹で打鍵し,腕や肩の重さを鍵盤に伝える奏法(いわゆる重力奏法)で演奏するのが定石です。
しかし『革命』のエチュードはウィーン式アクションのピアノが想定されていますから,指先でカタカタと叩くような打鍵(いわゆるハイフィンガー奏法)が適しています。
現代ピアノの能力をフルで発揮して 重力奏法で迫力たっぷりに演奏してしまうと,本来ショパンが意図していた曲想とは違った演奏になります。
『革命』のエチュードのもつ曲想や 劇的なエピソードが影響して重々しい演奏になりがちですが,
やや軽く 硬質感のある音色で演奏するのが 本来のあるべきスタイルだ ということになります。
根音となる左手伴奏の最低音や,アクセント・がついている音を,過度に重厚に響かせないようにした方がよいでしょう。
リズムは譜面通り正確に
『革命』のエチュードはどうしても技術的に難しい左手に意識が集中してしまい,
右手の旋律は気の向くまま 乱暴に大音量で叩きつけるだけ,という演奏も多いです。
『革命』のエチュードの右手旋律は 大変複雑なリズムでできています。
ショパンが細部まで緻密に作り込んでいます。
『革命』のエチュードの自筆譜は きれいに清書された最終的な原稿しか遺されていません。
しかし,ショパンの普段の作曲姿勢から想像すると,『革命』のエチュードでも,書いては消し,書いては消し,幾度となく書き直し,推敲を重ねて最終的な譜面にたどり着いたハズです。
演奏者はショパンの労力に敬意を払い,細部まで丁寧に ショパンの譜面を再現することに注力するべきです。
譜面通り正確に演奏するのが基本ですが,機械的に杓子定規に演奏しては音楽になりません。
ショパンの作品では,
- テンポ・ルバート
- 自然なテンポの揺れ(アゴーギク)
が重要です。
ショパンの作品ではテンポ・ルバートが重要であることは広く知られています。
テンポ・ルバートでは自由に揺れ動く旋律に引きずられることなく,伴奏のテンポは正確に保たれます。
しかし正確なテンポといっても,機械的に一定のテンポを保つわけではありません。
音楽が自然に流れるためには,自然なテンポの揺れ(アゴーギク)も重要です。
例えば,フレーズの開始は徐々にテンポを上げていき,フレーズの終わりは徐々にテンポを緩めて終えるのが基本です。
テンポ・ルバートとアゴーギクという音楽演奏の基本がきちんとなされている上で,
ショパンが書き遺したメロディの複雑なリズムを正確に演奏することになります。
付点リズムを鋭く
右手旋律には付点リズムが多用されています。
この付点リズムが甘く曖昧になってしまうと,間の抜けた印象になります。
特に序奏(経過部)の付点リズムは音域の広い跳躍を伴うのでリズムが甘くなりがちです。
属七の連続で緊張感を高める場面ですから,譜面通り正確な鋭い付点リズムが重要です。
ショパンが綿密に構築した再現部の旋律
再現部の右手旋律は,ショパンが特にこだわりをもって綿密に構築されています。
『革命』のエチュードの再現部ではテンポを大きく揺らしながら演奏するのが一般的です。
テンポを揺らすのは正解なのですが,テンポが大きく揺れ動くといっても,
当たり前のことですがとが同じ速さになってはいけません。
どんなにテンポが揺れ動いていたとしても,
相対的には遅く,は速く弾きます。
自然なフレージングを疎かにしない
『革命』のエチュードには,アクセント,クレッシェンド,ディミヌエンド,スラー,タイ,スタッカートなどのアーティキュレーションが事細かく書かれています。
細かなアーティキュレーションは自然な音楽演奏のためには重要です。
プロっぽい演奏とアマチュアっぽい演奏との違いは,自然なフレージングが備わっているかどうかできまると言えます。
一流のピアニストは ちょっとした音階や分散和音,何気ないフレーズを弾いても,美しい音楽が奏でられます。
逆に,指が速く動いて 難しいパッセージを巧みに弾ける奏者でも,
シンプルな作品では その演奏がたどたどしくなってしまうこともあります。
デュナーミク(音量の強弱による音楽表現法)とアゴーギク(テンポやリズムの変化による音楽表現法)による,自然で流れるようなアーティキュレーション(フレージング)はピアノ演奏にとって最も重要な技術です。
『革命』のエチュードには,「そんなことは当然だから」と普段なら省略されているような演奏指示が,ショパン自身の手で事細かに記譜されています。
ショパンの演奏指示を忠実に守って反復訓練することによって自然なフレージングを身につけることができます。
横に長いアクセント
ショパンは横に長いアクセントを多用しましたが,『革命』のエチュードにも横に長いアクセントをたくさん書いています。
上の譜例は冒頭ですが,ここでも横に長いアクセントが拍子感を生み出す重要な役割を果たしています。
ごくマレに間違えてディミヌエンドが印刷されている楽譜もありますので注意が必要です。
また,ほとんどの楽譜では横に長いアクセントではなくて,普通のアクセント( > )が印刷されています。
横に長いアクセントも普通のアクセントも大きな違いはありませんが,
奏者が譜面を見たときの印象が大きく変わり,少なからず演奏表現にも違いが生まれます。
なお,エキエル版はアクセント記号などの図形的な形,譜面のどこに配置するかなど,ショパンの筆跡を忠実に再現しています。
ショパンはアクセント記号など 何かを譜面に書き込むときには,譜面の図形的な見た目が演奏者に与える心理的影響もよく考えた上で記譜していました。
エキエル版はショパンが完成させようとしていた譜面の絵面が再現されていて,
やはりエキエル版はすばらしいです。
左手伴奏の自然な演奏
上の譜例は序奏が終わって主部に入ったところの ショパンの自筆譜です。
ここでも,普段なら当たり前すぎて書かないような演奏指示があえて書かれています。
左手の伴奏ですが,
- フレーズの始まり,音が高くなっていくときは cresc. & accel.
- フレーズの終わり,音が低くなっていくときは dim. & rit.
と演奏するのは,ごく当たり前の自然な奏法です。
そんな当たり前なことを,ショパンはわざわざ事細かく書いてくれています。
ショパンがここまで念入りに書き遺した演奏指示ですから,演奏者は蔑ろにはできません。
左手の最低音は各和声の根音です。
ポップミュージックではベース音をドカン!と派手に鳴らすのが通常ですが,
根音を強く叩くような音楽はショパンのスタイルではありません。
最低音を大きな音で鳴らさず,自然な音楽の流れに従って高音へ向けてクレッシェンドさせます。
ただし根音は重要な音ですから,強打はしないものの 和声を支えるようにしっかりと響かせます。
また,右手と左手で cresc. と dim. が逆になる箇所が出てきます。
ピアノ上級者なら特に指示がなくても当たり前にやっていることですが,自然なフレージングが身についていないピアノ学習者には難しい箇所です。
繰り返し練習することで,こういったフレージングが意識せずに自然と演奏できるようになっていきます。
指示がないところも自然なフレージングを意識する
上の譜例は7~8小節目です。
ここには cresc. dim. の細かな指示は書かれていませんが,
- 音が高くなっていくときは cresc. & accel.
- 音が低くなっていくときは dim. & rit.
という自然な抑揚は重要です。
ピアノ上級者になると無意識にこういった自然な演奏ができるようになります。
タイを蔑ろにしない
右手旋律はリズムだけでなく,スラーやタイ,スタッカートなどアーティキュレーションも緻密に書かれています。
細かなアーティキュレーションを無視して激しく叩きつけるような演奏も多いです。
特にタイは,プロの演奏家でもよく蔑ろにしています。
ショパンの自筆譜をみると,タイであることを殊更強調するかのように濃く・太く記譜されています。
ピアノ演奏者は,タイを濃く・太く強調して書いたショパンの気持ちをちゃんと受け止めるべきです。
前述しましたが,これは “ため息の動機” と呼ばれるもので,
という激情の叫びと,ため息の動機とが合わさることで,
万人の心を打ち,『革命』のエチュードを不朽の名曲たらしめています。
弱音こそ重要
『革命』のエチュードは情熱的な表現が印象に残りますが,その鍵になるのは弱音です。
弱音との対比があるからこそ,強音が心に迫ってくるのです。
『革命』のエチュードは力を込めて「大きな音を出そう」とばかりしているような演奏も多いですが,
強音に力を込めることばかり意識すると,乱暴で騒々しい演奏になってしまいます。
弱音の音量を十分におさえることに意識を向けることでフォルテも引き立ちます。
右手アルペッジョの奏法
『革命』のエチュードは ショパンの作品には珍しく,装飾音がほとんど書かれていません。
2箇所だけ,右手アルペッジョが使われています。
ショパンの “右手アルペッジョ” は拍と同時に弾き始めます。
拍と同時に弾き始めることで打撃音がやわらぎ,豊かな和音が響きます。
拍よりも先取りで弾いてしまうと,一番高い音に強烈なアクセントがついてしまい,ショパンのスタイルから外れてしまいます。
特に55小節目の右手アルペッジョは音域も広く,先取りで弾いてしまうと強烈な打撃音が発生します。
そして伝統的に名ピアニストたちが先取りでの演奏をし,膨大な録音をのこしてきたため,先取りでの演奏が一般に浸透してしまっています。
ポリーニの歴史的録音は装飾音も正しい奏法で演奏していて,録音されたのが1974年(1972年?)ということを考えると,さすがの一言です。
最後の4和音
最後は,現代ピアノの能力をフルで発揮して大音量で終わりたい気持ちになります。
たしかに自筆譜にはが書かれていました。
しかし出版譜では消されています。
最後の4分音符の2つの和音にも,自筆譜ではマルカートが書かれていましたが,出版譜ではスタッカートに変えられています。
フランス初版の出版にはショパン自身が最後まで関わっていますから,
校正作業を通して,曲の最後が過度に派手になりすぎないように変更を加えたことが分かります。
最後はアーメン終止になっていますから,音量を抑え気味にして余韻を持たせて終わらせるのが正解だと考えられます。
しかし,カミーユ・デュボワのレッスン譜にはショパン自身がを書きこんでいますから,あまり力を抜きすぎるのも違う,ということになります。
いずれにせよ,過度な大音量で壮大になりすぎないように,少し力を弱めて余韻を持たせて終わるのが良いでしょう。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-12『革命』実際の演奏
当サイト管理人 林 秀樹の演奏です。2021年5月録音
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*2021年5月録音
◇Op.10-12『革命』単独再生
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
本来,練習曲集は12曲(もしくは24曲)全曲を通して演奏するべきなのですが,
原典に忠実な録音を残すために,1曲ずつ何回も(ときには100回以上も)録り直して録音しました。
演奏動画を録音したときの苦労話はショパンの意図に忠実な参考演奏動画【練習曲集Op.10】をご覧ください。
今回は以上です!