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※当サイト管理人,”林 秀樹”の演奏です。2020年11月25日録音。
◆Op.28-17のみ再生
◆24曲全曲再生リスト
ショパン 前奏曲 Op.28-17 概要
ショパンが愛した変イ長調
ショパンは様々な調を用いて,258曲もの作品をのこしました。
258曲のうち,2つの教会音楽と,3声のカノン,軍隊行進曲の4曲は調性が不明です。
調性の確認できる254曲のうち,なんと28曲,作品全体の11%もの作品でショパンが使用した調性があります。
ショパンが最も多くの作品に使った,その調は,変イ長調でした。
そのうち20曲には作品番号がつけられており,18曲は生前に出版されています。
そして,Op.28-17もその変イ長調で書かれています。
美しい,だからこそ気高く悲しい
和音連打の伴奏の上で,牧歌的な美しいメロディが奏でられます。
和声的にも凝った作りになっています。
のどかで柔らかな響きが心地よい作品です。
この曲が単独で演奏されたならば,穏やかなきれいな曲である,という印象しかないでしょう。
しかし,魔王の技のごとき超絶技巧で圧倒される第16番と,恐ろしい音響世界の第18番に挟まれ,第17番からも美しい悲壮感が漂います。
前奏曲集も終盤になり,奇数番号の長調の作品が美しさを増すごとに,気高い悲しさが深みを増していきます。
変イ音が何度も打ち鳴らされる
最終部では,第15番”雨だれ”で終始鳴らされていた「変イ音」が,低音部で地響きのように何度も打ち鳴らされる中,美しい旋律が霧の中のように淡く聴こえ,やがて消えていきます。
ショパン 前奏曲 Op.28-17 構成
フランス初版では4ページにわたる規模の大きな作品
8分の6拍子,Allegretto。
フランス初版では,前奏曲集で唯一,4ページにわたっています。
(他の作品はすべて3ページ以内におさまっています。)
演奏時間も4分ほどかかる作品です。
前奏曲集の中では,第15番”雨だれ”,第13番についで,規模の大きな曲です。
ロンド形式に近い構成
序奏─A1(p)─A2(f)─B1─A1(ff)─B2─A1(pp)─A2(pp)─コーダというロンド形式に近い分かりやすい構成です。
Aの部分は4回繰り返されるのですが,一回目はp(ピアノ),二回目はf(フォルテ),三回目にff(フォルテシモ)となり,最後はpp(ピアニシモ)で演奏されます。
単純な繰り返しではなく,繰り返されるたびに表情が大きく変わります。
sotto voce / perdendosi
最後,ppでA部が演奏されるときにはsotto voce(;ささやくように,音量を抑えて)の指示があります。
さらに最後84小節目にはperdendosi(;ペルデンドシ,だんだん遅く、そしてだんだん弱く。しだいに消えるように)の指示があり,淡く消えるように作品が終わります。
ショパン 前奏曲 Op.28-17 版による違い
5小節目 ドイツ初版だけ大きく違う
ドイツ初版のみ,左手の和音からA♭音が消えていたり,メロディの音が違ったりしています。
これはドイツ初版の間違いでしょう。
11小節目,勝手に追加されたG音
各初版すべて同じで違いがありません。
しかし,コルトー版をみると,2拍目の右手に,勝手にG音が追加されています。
現在出版されているたくさんの楽譜の中には,コルトー版と同じようにG音が追加されているものが少なからずあります。
このG音があるかないかの違いだけで,かなり印象の違った演奏になります。
ショパンの意思を尊重するならば,G音はない方が良いです。
19小節目,Fに♯をつけるか,つけないか
自筆譜も各初版も,5つ目のF音に♯がありません。
しかし,ミクリ版やコルトー版など,後世に出版された楽譜にはF音に♯が追加されています。
このF音には♯をつけたほうが,和声が美しく響きます。
♯をつけて演奏するべきだと思います。
11小節目~,36小節目~のペダル指示
11小節目f(フォルテ)の指示の後,そして35小節目ff(フォルテシモ)の指示の後,ショパンはペダル指示をあえて記入していません。
ペダルをまったく使用せずに演奏してしまうと貧弱な音になってしまいます。
実際はペダルを使用して演奏することになります。
現在出版されているほとんどの楽譜では,常識的なペダル指示が追加されています。
ショパンがあえてペダル指示を記入していなかったという事実は作品を研究する上で重要です。
ただでさえ音数の多い分厚い和音が連続する作品です。
fやffの場面でペダルを踏みすぎると派手な大音量となってしまいます。
それはこの作品の雰囲気に合っていません。
ペダル指示を記入していないのは,あまりペダルを踏み込みすぎて過度な大音量とならないように,というショパンからのメッセージです。
エキエル版では,ショパンの指示が忠実に再現されています。
原典版としての役割を果たしていますね。
43小節目,アルペッジョ?♮?
自筆譜の43小節目の2拍目の最初の音が読み取りづらいです。
でも,よく見てみると,アルペッジョと♯が重なって記譜されていることが読み取れます。
エキエル版では正しく印刷されています。
しかしアルペッジョが薄く書かれているため,各初版では消されてしまいました。
さらには,アルペッジョと重なった♯が♮のようにみえるため,フランス初版とイギリス初版では♯のかわりに♮が印刷されています。
ショパンは,ジェーン・スターリングのレッスンで使用されていたフランス初版には,♮を♯に書き直していて,カミーユ・デュボワ(旧姓オメアラ)のレッスンで使用されていたフランス初版にはアルペッジョを書き加えています。
44~45小節目,48~49小節目 勝手にタイが追加されている
自筆譜や初版にはなかったタイが,ミクリ版やコルトー版で根拠なく追加されています。
これら権威ある出版譜がタイを追加してしまっため,現在ではタイが追加された楽譜がたくさん出版されてしまっています。
53小節目,ショパンが書き込んだp
カミーユ・デュボワ(旧姓オメアラ)のレッスンで使用されていたフランス初版の53小節目に,ショパンはp(ピアノ)を書き込んでいます。
演奏の際の参考になりますね。
ショパン 前奏曲 Op.28-17 自筆譜を詳しく見てみよう!
全景
前奏曲集の中では,3番目に長大な作品です。
自筆譜でも3ページにわたって書かれています。
細かな修正の跡がたくさんのこっています。
最後までこだわって推敲を重ねた様子がわかります。
冒頭
- ローマ数字でⅩⅦ
- Allegretto
- p;ピアノ
- 拍子は塗りつぶして8分の6拍子に書き直されています。
元々は2分の2拍子だったように見えます。 - 同じ和音を連続で演奏する場面が多いので,繰り返し記号が多用されています。
- いつものようにペダル指示も丁寧です。
8~25小節目 fではペダルなし
f(フォルテ)の場面では,あえてペダル指示が書かれていません。
音量を大きくし過ぎないように,というショパンの意図がうかがえます。
元々1拍ごとに書き込まれていたクレッシェンド(<)やディミヌエンド(>)が消されて,crescendo – – – やdim.- – – に書き直してあります。
19小節目は,1小節まるごと書き直されています。
他にもよく見ると,そこかしこに細かな修正がの跡がのこっています。
33~45小節目 ffではペダルなし
ff(フォルテシモ)の場面でも,意図的にペダル指示が書かれていません。
ここにも,訂正の跡が多数のこっています。
46~65小節目 訂正の跡が多数
ここも訂正の跡が多数のこっています。
小節をまたいで,タイで音をつなげる箇所では,それと分かるように,はっきりとタイが書き込まれています。
書店に並ぶ出版譜の多くは,勝手な判断でタイをつけたり,つけなかったりしています。
タイで音をつなげるべき箇所がどこなのか,自筆譜から読み取ることができますね。
65小節目にはpp(ピアニシモ)とsotto voceの指示が書き込まれています。
65小節目1拍目の低音A♭音には,あるべきfz(フォルツァンド)を書き忘れています。
66小節目~最後 A♭音にfz(フォルツァンド)
65小節目から,低音のA♭音が11回鳴らされます。
それらにはfz(フォルツァンド)が書かれています。
84小節目からはperdendosi – – – – が最後まで続いていて,淡く消えるように終わります。
88小節目終わりのセンツァ(ペダルを離す記号)が塗りつぶされて消されています。
88小節目に踏まれたダンパーペダルは,作品の最後まで踏まれたままになります。
ここにも訂正の跡が多数のこっています。
ショパンが最後まで何度も推敲を重ねていた様子が伝わってきます。
ショパン 前奏曲 Op.28-17 演奏上の注意点
エキエル版がおすすめ!
推敲に推敲を重ねた自筆譜は,読み取りにくいこともあり,
出版されているほとんどの楽譜は,ショパンの意図が正確に反映されていません。
ショパンの意図を忠実に再現した出版譜はエキエル版しかない,と言ってよいでしょう。
この曲を演奏するにあたっては,エキエル版の使用をオススメします!
音が大きくなりすぎないように
音の多い和音を演奏し続けることになります。
気をつけないと,音圧が大きくなります。
特に左手は,低音部の根音と,中音域の和音とを,行ったり来たり,跳躍をし続けます。
左手を移動させた勢いをそのままに鍵盤を叩くと,大きな音が出てしまいます。
特に低音部はちょっと勢いがついただけで,大きな音が出てしまいます。
ピアノの打鍵は,指を鍵盤に接触させてから,静かに鍵盤を押させるのが基本的な弾き方です。
勢いにまかせて低音部を叩いて,ドカン!ドカン!と打ち鳴らさないように気をつけましょう。
また,ダンパーペダルを奥まで踏み込みすぎると,音量が大きくなり過ぎます。
左手低音部の根音が途切れず,ピアノ全体が響きすぎない程度の踏み込み方になるように,耳を澄ませて調整しましょう。
f,ffでは,特にペダルの使用に気をつける
11小節目にf(フォルテ),35小節目にff(フォルテシモ)の指示があります。
広い音域で音数の多い厚い和音が続くので,ちょっと力を入れて,ダンパーペダルを踏み込むと,過度な大音量になってしまいます。
それは,この作品の雰囲気に合いません。
ショパンは,この場面では,あえてペダル指示を書き込んでいません。
もちろん実際にはペダルを使用しますが,ペダル指示を書き込まなかったショパンの意図を感じとって,音量に気をつけながら,最小限に浅く踏むようにしましょう。
43小節目,47小節目のアルペッジョ+短いトリル
アルペッジョと短いトリルが組み合わされた装飾音が2回出てきます。
現在出版されている楽譜のほとんどは,アルペッジョは書かれていません。
しかし,自筆譜をよくみると,明らかにアルペッジョが記譜されています。
ショパンは,カミーユ・デュボワ(旧姓オメアラ)のレッスンで使用されていたフランス初版にアルペッジョを書き加えています。
エキエル版では,ちゃんとアルペッジョが印刷されています。
アルペッジョと短いトリルが組み合わされた装飾音は,いかにもショパンらしいスタイルです。
しかし,意外にショパンの作品にはあまり出てこない装飾音です。
ショパンは,アルペッジョに前打音が組み合わされた装飾音を多用しました。
この奏法に準じて演奏すれば良いでしょう。
前打音の付いたアルペッジョは,アルペッジョを弾いてから前打音を弾きます。
そして,拍と同時に弾き始めます。
トリルの付いたアルペッジョも同じように,拍と同時に弾きはじめ,アルペッジョを弾いてからトリルを演奏します。
タイで音をつなぐ場所,つながない場所
2拍目の音と,次の小節の最初の音が同じ音であるとき,
タイで音がつなげられていたり,いなかったりします。
現在出版されている楽譜は,タイをつける場所がデタラメな楽譜がほとんどです。
エキエル版は,タイをつける場所についても,ショパンの自筆譜が忠実に再現されています。
56小節目,短いトリル
短いトリルは拍と同時に演奏します。
先取りで演奏している演奏者が多いので,要注意です。
65小節目から最後までずっとpp
65小節目にpp(ピアニシモ)が書かれています。
ppは24曲の前奏曲集にたったの7回しか出てきません。
ppはショパンにとって特別な指示です。
フランス初版ではまるまる1ページ,26小節,約1分半のあいだ,ずっとppで演奏することになります。
こんなにも長く,ショパンがppを指示するのはめずらしいことです。
65小節目には,sotto voce(;ささやくように,音量を抑えて)の指示もあります。
さらに,84小節目から最後の90小節目まで,perdendosi(;ペルデンドシ,だんだん遅く、そしてだんだん弱く。しだいに消えるように。)の指示も書き込まれています。
時が止まったような,静寂の美があらわれます。
演奏可能な範囲で,極限まで音量を抑えて演奏します。
シフトペダル(ソフトペダル,左ペダル)を奥まで踏み込んでしまって良いでしょう。
極限まで音量を抑えた中でも,フレーズのはじめはクレッシェンド,フレーズの終わりはディミヌエンドです。
静寂の世界ですが,メロディは浮き上がって聴こえなければなりません。
フォルツァンドを叩きすぎない
”雨だれの前奏曲”で終始鳴らされていたA♭音が,低音で11回鳴らされます。
すべてfz(フォルツァンド)の指示が書かれています。
フォルツァンドはフォルテではありません。
特に,ショパンのフォルツァンドの指示(ショパンはスフォルツァンドsfzやリンフォルツァンドrfzは使いませんでした)は,大きな音を出しなさい,という指示ではありません。
静寂の美の極致の世界の中で,鳴り響くフォルツァンドです。
ピアノが静かに心地よく鳴り響いて,深く印象に残るような音を心がけます。
決して鍵盤を叩きつけたり,暴力的な大音量を出したりしないようにしましょう。
89小節目の前打音
前打音は拍と同時に演奏します。
88小節目からペダルを踏んだまま
88小節目の終わり,ショパンはわざわざセンツァ(ペダルを離す記号)を塗りつぶして消しています。
88小節目に踏まれたダンパーペダルは,最後,音が消えるまで踏んだままにします。
ダンパーペダルを深く踏んでいると,89小節目の前打音によって,音が濁ります。
前打音へ向かってクレッシェンドの指示もありますから,よけいに,この前打音は響きすぎる危険があります。
また,現代のピアノはダンペーペダルを踏んでいると,長時間,音が消えません(現代のピアノはすごい!ですね)。
ダンパーペダルは,低音のA♭音がプツリと途切れてしまわないように気をつけながら,徐々に踏み込み方を浅くしていきます。
ダンパーペダルの影響は,低音ほど強くなります。
前打音を弾くころには,低音のA♭音の響きが失われず,かつ,前打音によって音が濁らない程度の絶妙な踏み込み方になっているのがベストです。
ショパン 前奏曲 Op.28-17 実際の演奏
当サイト管理人の演奏です。
※当サイト管理人,”林 秀樹”の演奏です。2020年11月25日録音。
◆Op.28-17のみ再生
◆24曲全曲再生リスト
本来,前奏曲集は24曲全曲を通して演奏するべきなのですが,今回は各曲の解説が目的なので,1曲ごとに区切って演奏を公開していきます。
ショパンの意図を忠実に再現しようとしています。
(なかなか難しいですが・・・)
ぜひ,お聴きください!
今回は以上です!