Op.10-1の解説記事では,とくに”和声分析”に力を入れました。
ぜひご覧になってください!
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*2021年5月録音
◇Op.10-1単独再生
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
- ショパン 練習曲(エチュード) Op.10-1 概要
- ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 原典資料
ショパン 練習曲(エチュード) Op.10-1 概要
- ショパン エチュード(練習曲集)Op.10,Op.25【概要と目次】
- ショパン エチュード(練習曲集)Op.10 Op.25 概要の章に練習曲集全体の概要をまとめています。
- 海外での呼び名の章に練習曲集全曲の海外での呼び名をまとめています。
- 各曲の練習課題の章に練習曲集全曲の練習課題をまとめています。
- ショパンの指づかいにショパンの運指法をまとめています。
- ショパン作品一覧ではショパンの全作品を一覧表にまとめています。
ショパンの練習曲の中でも特に難曲とされている
Op.10-1は,難曲ばかりの練習曲集の中でも,特に演奏が難しい作品です。
4オクターブにわたる上昇と下降を繰り返す右手は,9~11度もの広い音域のアルペッジョをという超高速のテンポで最初から最後まで弾き続けます。
和声が変化するたびに,アルペッジョを構成する音は目まぐるしく変化します。
- 上昇アルペッジョは1245指または1235指
- 下降アルペッジョは5421指または5321指
とずっと同じ運指を繰り返すのですが,和声が変わるたびに,指と指の間の音程が様々に変化します。
終始手を大きく広げたまま演奏している中,時々刻々と最適な手の広げ方に変化し続けなければなりません。
その手の拡張は最大で,1指-2指間で7度,4指-5指間で5度も広げることになります。
同じ和声が2小節にわたって続く場面がほとんどで,同じ和声が続く間は構成音が変わりません。
例えば冒頭1~2小節目の間は,広い音域にわたって「C音,E音,G音(ドミソ)」しか鳴らされません。
一つでも音を外してしまうと,かなり目立つことになります。
たった一つのミスタッチが致命傷になりかねません。
中規模~大規模作品の一部分なら,多少のミスがあっても,作品全体を通してトータルで完成された演奏にまとめることができます。
しかしショパンの練習曲は同じ音型を数分間繰り返すだけで終わってしまいます。
曲が終わるまで途切れることなく難易度の高い音型が繰り返されるので,最後まで緊張と集中力を切らす瞬間がありません。
たった一つのミスが演奏そのものの失敗につながる難しさがあります。
和声が変わるたびに手の形が変化し続ける
1~2小節目と3小節目を比較してみます。
一見すると同じ音型を繰り返しているだけですが,実際に演奏するときには手の形を大きく変化させなければなりません。
テンポはですから1小節を弾くのにかかる時間はたったの1.36秒です。
瞬時に最適な手の形に変化し続けなければなりません。
11小節目と13小節目です。
11度の広さに広げていたと思ったら,その1.36秒後には9度の大きさに縮めなければなりません。
特に,4指-5指間が4度も開いていたのが,瞬時に2度に変わります。
31小節目と35小節目。
4指で白鍵を弾いた直後(だと0.085秒後!)に5指で黒鍵を弾くパターンです。
31小節目は4指-5指間がなんと5度(減5度)も離れています。
ピアノの鍵盤は黒鍵が白鍵よりも奥にあります。
人の手を鍵盤にのせると,4指が奥に,5指は手前になります。
黒鍵と黒鍵のあいだの狭いスキマを4指で弾いたり,4指を丸めて折りたたんで弾いたりなど,
普段はやらないような打鍵の工夫をしなければ弾くことができません。
75小節目では1指で黒鍵を弾いたあとで,235指で白鍵を弾きます。
人の手を鍵盤にのせると,1指は他の指よりもかなり手前になります。
手前にある親指で奥にある黒鍵を弾き,その後23指という長い指で白鍵を弾くのはかなり弾きづらいです。
42~44小節目は音型のパターンが変わります。
1235指で弾くパターンが続きますが,小節の変わり目で一箇所だけ4指を使うところがあります。
ここも大変弾きにくい箇所です。
疲労との戦い
Op.10-1の難しさは,何よりも「疲れる」ことです。
右手を大きく広げたまま,休むことなく速いテンポでアルペッジョを弾き続けるのは大変です。
脱力が上手くできず,筋肉に力を入れて演奏してしまうと,たちまち腕がこわばってしまいます。
手が大きく,筋力のある方ならば力まかせに弾き通すことも可能かもしれませんが,
それだと気品にかけた荒々しい演奏になってしまいます。
気品が漂う美しい演奏をするためには,柔らかく大きく広がる右手,体幹の安定,全身の脱力,柔軟性が欠かせません。
イスの高さや姿勢,肘の角度やタッチ(手の形,指と鍵盤との接地面積,鍵盤の押し下げ方,鍵盤から指を離すタイミング)も大きく影響します。
柔らかく大きく広がる右手,体幹の安定,全身の脱力,柔軟性,さらにはイスの高さ,姿勢,肘の角度やタッチというのは,ピアノ演奏の根本的な基礎土台といえます。
多少演奏フォームが崩れていても,大抵の作品は問題なく演奏できます。
しかしOp.10-1は,演奏フォームが少しでも崩れていると疲労がたまり,思うようにコントロールができなくなり,演奏が崩れます。
Op.10-1を,余裕をもって優雅に演奏できるかどうかは,こうしたピアニストとしての素養が備わっているかどうかが試されることになります。
ピアノ演奏の基礎土台となる素養は一朝一夕に身につくものではありません。
ピアニストとして,芯となる確かな素養が見についているかどうかが試されるため,
Op.10-1は屈指の難曲となっています。
Op.10-1を疲れを感じずに演奏できるようになったとき,
ピアニストにとって最も重要な素養を身につけることができるのです。
高い芸術性を備えた反復訓練
ショパンの練習曲集は,練習課題の反復訓練という教則本としてのスタイルを維持しながら,
高い芸術性も兼ね備えているという,唯一無二の稀有な存在です。
Op.10-1も譜面を見ただけだと,チェルニーやハノンの教則本と見た目に違いはありません。
しかし,その教則本のような譜面から奏でられる音楽は,まごうことなき一級の芸術作品です。
Op.10-1がここまで高い芸術性を備えているのは,細部まで凝って作られた和声によるところが大きいでしょう。
”和声分析”の章で詳述します。
Op.10-1の練習課題
《Op.10-1練習課題》
右腕が疲労しない奏法の習得。
具体的には,体幹の安定と全身の脱力,手指の拡張と柔軟性。
ショパンの練習曲集は芸術作品であるとともに,ピアノのメカニックを習得するための教則本でもあります。
Op.10-1の譜面をみると,アルペッジョが練習課題であるように見えます。
確かにアルペッジョの練習のための作品であることは間違いないのですが,
最大で11度もの広い音域のアルペッジョを,しかもという超高速のテンポで演奏することなど,他の作品ではほぼあり得ません。
4指と5指は最大で5度の広がりが求められます。
和声が変わるたびに各指間の広がり具合も様々に変化するため,非常に弾きにくいです。
このような特殊な技術を習得しても,他の作品で生かす機会などなさそうです。
ところが,Op.10-1を正しく反復練習すると,右手が柔らかく広がるようになります。
「疲れない」弾き方で,しかもという超高速のテンポでOp.10-1が演奏できるようになったとき,
体幹が安定し,肩・肘・手首が脱力され,柔軟性が身につきます。
イスの高さや演奏姿勢,肘の角度,タッチなどピアノ演奏の基本が崩れていては,Op.10-1を気品高く演奏することはできません。
少しぐらい演奏フォームが崩れていても,多くの作品は演奏可能です。
しかしOp.10-1は少しでも演奏フォームが崩れていると疲労がたまり,演奏が崩れます。
Op.10-1をきれいに演奏することを目指すことで,正しい演奏フォームを手に入れることができます。
Op.10-1は単なるアルペッジョの練習曲ではなく,ピアノを演奏する際の基礎土台となる素養を身につけるための練習曲なのです。
海外では‘Waterfall'(滝)と呼ばれる
Op.10-1は英語圏では‘Waterfall'(滝)と呼ばれているそうです。
しかし,Op.10-1は「上がってから下がって」と上昇と下降を繰り返すので「滝」のようには感じません。
なぜ英語圏では‘Waterfall’と呼ばれるのでしょうか。
それは中間部の終盤の”5度の滝”が所以となります。
上の譜例は中間部の終盤(37~48小節目)です。
D7ドシラG7ファミレCM7シラソFM7・・・と,5度下へ下る和声進行が12回も(!)繰り返されています。
5度下への和声進行を何度も繰り返す様子から,‘Waterfall'(滝)と呼ばれているのでしょう。
作曲時に使用していたピアノ
- ショパンがエチュードの作曲で使用したピアノについての詳細な解説は,ショパン エチュード【ショパンが作曲に使用したピアノ】をご覧ください。
- ショパンの使っていたピアノの音域では,ショパンがその生涯で使っていたピアノの音域について解説しています。
Op.10-1はウィーン式アクションのピアノで作曲された
Op.10-1は1830年,ショパンが30才のときの作品です。
ショパンは1830年の11月にはポーランドを発ち,翌年にはパリに移り住むことになりますが,
ポーランドを発つ前に,ウィーン式アクションのピアノで作曲されたことになります。
屈指の難曲として知られるOp.10-1ですが,打鍵に必要な力が現代のピアノの3分の1程度だったというウィーン式アクションのピアノでは随分と弾きやすかったのかもしれません。
ウィーン式アクションのピアノは強弱の変化があまりつかなかったということなので,
逆にいうと,タッチに気をつけなくても均一な音に揃えやすい,ということになります。
やはりウィーン式アクションのピアノならばOp.10-1も随分と弾きやすかったのだろうと思います。
ウィーン式アクションのピアノは明るくクリアな音が鳴る楽器でした。
Op.10-1を演奏するときは,軽く明るい音色を出すようにした方が良いでしょう。
体重をのせて重い音を出すのは,Op.10-1のもつ気品の高さが失われるのでやめた方が良いです。
ショパンが使っていたピアノの鍵盤は細かった
当サイト管理人は日本人のわりには手が大きく,無理をすれば11度を押さえることができますが,それでもOp.10-1を演奏すると「もっと大きな手がほしい」と感じます。
現代のピアノのオクターブ(白鍵7個分)の幅は約165mmです。
ショパンが使っていたピアノはオクターブが154mmだったといいます。
当時のピアノならOp.10-1も随分弾きやすかったのではないかと思います。
現代のピアノは高身長で手の大きな男性ピアニストにあわせて規格されています。
現代のピアノは日本人にとっては鍵盤の幅が広すぎるように思います。
日本のピアノ制作会社は日本人の体格にあわせたピアノを作っても良いのではないでしょうか。
ショパンが使っていたピアノの音域
上図はショパンがマジョルカ島で使用していたピアノです。C1からF7までの78鍵だったことがわかります。
ショパンは16才ごろから78鍵のピアノを使っていて,生涯を終えるまでC1からF7までの範囲で作品を書いています。
78鍵では音域が足りなくなることがあり,ショパンは創意工夫で音域の不足を補っていました。
Op.10-1の25,26小節目ですが,ここだけ上昇→下降のパターンが崩れています。
何故ここだけ音型を変えているのか,和声的に何か意味があるのか,と考えてしまいますが,
理由は明らかで,ピアノの鍵盤がF7までしかなかったことが理由です。
もしもG7まで鍵盤あれば,ショパンはきっと上の譜例のように書いていたはずです。
現代の88鍵のピアノでは本来あるべきだった形で演奏することも可能です。
実際,本来あるべきだった形で演奏するとスムーズに音楽が流れます。
本来あるべきだった形の響きを確認したあとで,改めてショパンが書き遺した通り弾いてみると,ショパンが「これしかない」といえるような最善の解答にたどり着いていることに驚きます。
F7までしかない78鍵のピアノで演奏するとしたら,ショパンが書き遺した奏法以上の弾き方はないでしょう。
現代のピアノでは本来あるべきだった形で演奏することもできますが,
ショパンが創意工夫でたどり着いた奏法の完成度があまりにも高いため,
現代でもショパンが書き遺したとおりに演奏されています。
作品番号,調性,作曲年
ショパンが練習曲集を作曲したときの時代背景は,以下の解説記事をご覧ください。
*ショパンが練習曲集を作曲したのは主にパリ時代になります。
祖国ポーランドを後にする直前に作曲された意欲作
Op.10-1は1830年,ショパン20才のときに作曲されました。
1830年の11月にポーランドを発ち,1831年10月にパリに到着するまでは旅中にありましたので,
Op.10-1が作曲されたのは,祖国ポーランドを後にする直前だっただろうと思われます。
Op.10の練習曲集は,祖国ポーランドを出て活躍の場を西ヨーロッパに広げようとしていた時期に作曲されています。
本格的に作曲した作品としては,フランスやドイツ,イギリスといった当時の主要国で初めて出版された作品です。
「練習曲」とは,新しい奏法や演奏技術を紹介し,メカニズム(演奏するためのテクニック)を反復訓練するための教則本であり,鑑賞するための作品ではありませんでした。
ところがショパンはただの反復訓練を芸術作品に高めてしまいました。
以降「練習曲」というのは反復訓練のための教則本ではなく「高い演奏技術を要する芸術作品」のことをさすようになりました。
若干20才そこそこの青年が発表した作品が「練習曲」の概念を変えてしまったのです。
シューマン,リスト,アルカン,ドビュッシー,ラフマニノフ,スクリャービンなど,多くの作曲家が練習曲を書いています。
これらの作曲家がのこした「練習曲」は反復訓練のための教則本としての側面は薄れてしまっています。
単一の練習課題を反復訓練するというスタイルが維持された芸術作品となると,唯一無二,ショパン練習曲集だけでしょう。
ピアノという楽器がいよいよ完成に近づいていた時代で,新しい機構や素材によってピアノは進化を続け,次々とニューモデルが誕生していました。
ショパンの練習曲集はウィーン式アクションのピアノからイギリス式アクションのピアノへと大きく変化している途上で作曲されています。
Op.10-1はウィーン式アクションのピアノの先駆的な奏法を示し,ピアノ演奏の未来をあらわしています。
ショパンが多用したハ長調
ショパンが遺した作品で調性が確認できる254曲のうち,実に17曲がハ長調で作曲されています。
これは作品全体の6.69%になり,変イ長調に次いで,2番目に多く使われた調になります。
ただし生前に出版された作品ではハ長調の作品は9曲だけで,しかも小品がほとんどです。
特にショパンが気に入っていた調というわけではなさそうです。
ショパンのハ長調の作品には主要作品がほとんどなく,練習曲Op.10-1はハ長調の作品の中では屈指の名作といえるでしょう。
Op.10とOp.25,全24曲の作品番号と調性,作曲年の一覧表
ウィーン式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は青太字に,
イギリス式アクションのピアノで作曲されたであろう作品は緑太字で表示しています。
No. | Op. | - | BI | 調性 | 作曲年 | 19才 | 20才 | 21才 | 22才 | 24才 | 25才 | 26才 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | 1 | 59 | ハ長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
2 | 10 | 2 | 59 | イ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
3 | 10 | 3 | 74 | ホ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
4 | 10 | 4 | 75 | 嬰ハ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
5 | 10 | 5 | 57 | 変ト長調 | 1830年 | 20才 | ||||||
6 | 10 | 6 | 57 | 変ホ短調 | 1830年 | 20才 | ||||||
7 | 10 | 7 | 68 | ハ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
8 | 10 | 8 | 42 | ヘ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
9 | 10 | 9 | 42 | ヘ短調 | 1829年 | 19才 | ||||||
10 | 10 | 10 | 42 | 変イ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
11 | 10 | 11 | 42 | 変ホ長調 | 1829年 | 19才 | ||||||
12 | 10 | 12 | 67 | ハ短調 | 1831年 | 21才 | ||||||
13 | 25 | 1 | 104 | 変イ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
14 | 25 | 2 | 97 | ヘ短調 | 1835年 | 25才 | ||||||
15 | 25 | 3 | 99 | ヘ長調 | 1835年 | 25才 | ||||||
16 | 25 | 4 | 78 | イ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
17 | 25 | 5 | 78 | ホ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
18 | 25 | 6 | 78 | 嬰ト短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
19 | 25 | 7 | 98 | 嬰ハ短調 | 1836年 | 26才 | ||||||
20 | 25 | 8 | 78 | 変ニ長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
21 | 25 | 9 | 78 | 変ト長調 | 1832年 | 22才 | ||||||
22 | 25 | 10 | 78 | ロ短調 | 1832年 | 22才 | ||||||
23 | 25 | 11 | 83 | イ短調 | 1834年 | 24才 | ||||||
24 | 25 | 12 | 99 | ハ短調 | 1835年 | 25才 |
メトロノームによるテンポ指定
ショパン エチュード【ショパンが指定したテンポ】の解説記事では,ショパンが指定したテンポについて詳細をまとめています。
ショパンはOp.10とOp.25のすべての練習曲にメトロノームによる速度指示を書いています。
特筆すべき特徴です。
ショパンの練習曲は,ショパンの作品の中でも特に演奏が難しいですが,
その最大の理由はメトロノームによってテンポが指定されているからです。
本来はメトロノームによるテンポの指示が書かれていたとしても生真面目に従う必要はありません。
ショパンがどういった表現を求めているのか,メトロノームの指定テンポからショパンの意図を汲み取って演奏表現することが重要です。
音楽から感じられる速さは物理的なテンポだけで決まるわけではありません。
アーティキュレーションやデュナーミク(強弱),ペダリング,タッチの軽さ・重さ,リズムの鋭さ,休符の長さ等々によって,感じ取れる速さの印象は大きく変わります。
しかし,その芸術性の高さから忘れてしまいそうになりますが,ショパンの練習曲はあくまでも『練習曲』です。
ショパンの練習曲集はメカニズムを習得するための反復訓練を目的とした曲集です。
発展途上にあったピアノという楽器の可能性とショパン独自の演奏法が具現化されています。
メカニズムの習得のためにも,そして画期的な奏法の表現のためにも,
指定のテンポを守って演奏することは不可欠といえます。
練習曲集は,祖国ポーランドを発ち,西ヨーロッパへ活動の場を広げようとしていた若きショパンの意欲作です。その意気込みはメトロノームで指定されたドンデモない速さのテンポにもあらわれています。
Op.10-1は伝統的にメトロノームの指定テンポを守って演奏される
Op.10-1は難曲ひしめく練習曲集の中でも,特に演奏が難しい作品とされています。
その理由の一つは,伝統的にメトロノームの指定テンポを守って演奏されるからでしょう。
ショパンの練習曲集が出版されてから200年近くが経ちました(記事を書いている現在は2021年です)。
この間,ショパンの練習曲は多くの演奏家によって演奏され,たくさんの聴衆の耳に入り,多くの録音が世にのこされました。
Op.10-12『革命』やOp.25-12『大洋』など,とりわけ演奏機会の多い作品は,年月を経て,
「技術的に弾きやすいテンポ」で演奏することが伝統となっています。
ところが,Op.10-1は伝統的にショパン指定のテンポで演奏されます。
ショパン指定のテンポで演奏することが慣例となっているからこそ,演奏が難しいのだとも言えます。
驚異の指定テンポ
ショパンが指定したテンポは,なんと!
1分間あたり16分音符を704回演奏することになります。
1秒間あたりになおすと約11.7回。
1小節がたったの約1.36秒で演奏されることになります。
これは驚異的な速さです。
参考演奏として,当サイト管理人が指定テンポ通り演奏した録音を公開しています。
よかったらお聴きください。
Op.10-1を指定テンポで,しかもショパンらしいNobleな演奏をするには,ピアニストとしての確かな素養が必要となります。
逆に言えば,ショパン指定のテンポでの演奏を目指すことで,ピアノ演奏の基礎土台となる素養を身につけることができます。
Op.10-1の練習に本気で取り組むとわかりますが,
というショパン指定のテンポは,ほぼ人間の運動能力の限界の速さです。
これ以上速くするのは不可能というギリギリ上限のテンポが指定されています。
ショパンは作曲家であるとともに,フランツ・リストと並び称されるピアニストでした。
ショパンの作品は机上の空論ではなく,実際に演奏されることを考えて,隅々まで科学的に作られています。
例えば,ショパンは強弱記号は主にpとfしか書き込んでいません。ppとffはここぞという場面でしか使いません。pppとfffはめったに使いませんでした。mpやmfはまったくと言って良いほど使いませんでした。
これは,アルベニスが「イベリア」でfffff(fが5個,フォルテシシシシモ?)やppppp(pが5個,ピアニシシシシモ?)まで幅広く使っていたのとは対照的です。
実際,ppppp,pppp,ppp,pp,p,mp,mf,f,ff,fff,ffff,fffffの12段階を明確に(聴いている人間がそれと判別できるように)弾き分けるのは不可能です。
fffffという指示は,陸上選手に「光のように速く走れ!」というようなものです。
ものすごく大きな音量を出すことを求められていることは強く伝わってきますが,科学的な指示とはいえません。
ショパンの強弱の指示は非常に科学的だといえます。
ショパンは強弱の指示だけでなく,ペダルの指示,運指,装飾音など,実際に演奏するための作品として隅々まで科学的に考えて記譜しています。
というテンポの指定も「なんとなくメッチャ速いテンポにしてやろう」といい加減に決めたものではなく,科学的に考え抜いて,熟考の末決められたものなのです。
ショパンが記譜した発想記号・速度記号
ショパン エチュード【ショパンが記譜した演奏指示】の解説記事では,ショパンが練習曲集に記譜した演奏指示をまとめています。
ショパンの練習曲集は,ショパンの他の作品に比べて,発想記号や速度記号などの演奏指示がたくさん書かれています。
これもショパンの練習曲集の特徴の一つです。
特にOp.10にはたくさんの演奏指示が書かれています。
ところがOp.10-1は演奏指示が5箇所に書かれているのみ。
これは24曲ある練習曲集の中でも,最も少ない数になります。
*クレッシェンドとディミヌエンド,スラーやタイ,アクセント,フォルツァンド,フェルマータ,ペダル指示,メトロノームによるテンポ指定は数に入れていません。
発想記号・速度記号は冒頭のAllegroとlegatoのみ。
強弱記号もfが3箇所に書かれているのみです。
cresc.とdim.そしてアクセントが和声と密接に関係しているため,
他の作品以上に,これらの指示も重要となります。
”和声分析”の章で詳述します。
ゴドフスキー『ショパンのエチュードによる53の練習曲』
当サイト管理人がショパンと同じぐらい愛している作曲家ゴドフスキーは,ショパンの練習曲をもとに革新的なピアノ演奏技術の集大成ともいえる『ショパンのエチュードによる53の練習曲』をのこしています。
ゴドフスキーはOp.10-1をもとに2曲の練習曲を書いています。
ゴドフスキー『ショパンのエチュードによる53の練習曲』No.1
ゴドフスキーの『ショパンのエチュードによる53の練習曲』は特に左手の訓練を重視しています。
『ショパンのエチュードによる53の練習曲』No.1ではショパンの練習曲Op.10-1の練習課題を両手で訓練するように編曲されています。
技巧的に飛躍的に難しくなったことはもちろん,和声に厚みが出て,Op.10-1の美しい和声をより堪能できる作品に仕上がっています。
ゴドフスキー『ショパンのエチュードによる53の練習曲』No.2
『ショパンのエチュードによる53の練習曲』No.2ではショパンの練習曲Op.10-1を左手だけで演奏するように編曲されています。
「左手だけで演奏できるように編曲」というとおフザケのネタ作品のように感じますが,
ゴドフスキーの編曲は変ニ長調に転調され,エレガントで夢のように美しい作品となっています。
ゴドフスキーの編曲はどの作品もショパンらしい詩情が失われておらず,
繊細でNobleな叙情性が深められていてすばらしいです。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 原典資料
ショパン エチュード【原典資料】の解説記事では,ショパンの練習曲集全体の,初版や自筆譜,写譜などの原典資料について詳細をまとめています。
ショパンエチュードOp.10 初版と献呈
- 献呈;フランツ・リスト
- フランス初版 パリ,M.Schlesinger(M.シュレサンジュ),1833年6月出版
- ドイツ初版 ライプツィヒ,F.Kistner(F.キストナー),1833年8月出版
- イギリス初版 ロンドン,Wessel & C°(C.ウェッセル),1833年8月出版
フランツ・リストに献呈されています。
練習曲集Op.10を見たリストが初見で弾こうとするも上手く引けず,
これを悔しがったリストは練習をし,数週間後には見事な演奏を披露。
これに感動したショパンはOp.10の練習曲集をリストに献呈した,
という逸話は有名です。
フランス初版は珍しくショパン自身がちゃんと校正に関わっています。
決定版としての資料価値が高く,ショパンの作品でここまで信頼できる原典資料が存在するのは珍しいことです。
ドイツ初版は勝手な解釈による変更が多数加えられていて,その改変が後世の出版譜に受け継がれてしまいました。
現在出版されている楽譜のほとんどが,ドイツ初版の勝手な変更を受け継いでしまっています。
ドイツ初版はOp.10-1でも出版社の勝手な判断で間違えた譜面をつくってしまっています。
46小節目の右手の最後の音ですが,フランス初版が間違えてD音(レの音)にしてしまっています。
フランス版の第二版を出版する際に,ショパン自身がG音(ソの音)に修正しています。
レ♮のままでは和声的に汚い音がします。
そこでドイツ初版では勝手な判断で♯をつけてレ♯にして出版してしまっています。
幸いこの間違いは後世の楽譜に受け継がれることがなく,現在出版されている楽譜のほとんどは正しい譜面になっています。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 構成
分かりやすい三部形式
ショパンの練習曲集Op.10,Op.25の24曲はすべて三部形式で書かれています。
崇高な芸術作品でありながら決して難解ではなく,分かりやすい構成で作られているところは,
ショパンの作品の魅力の一つです。
Op.10-1は最初から最後まで同じ音型を延々と繰り返す作品です。
パッと譜面を見ただけでは何かしらの構造を持つようには見えません。
しかしショパンの見事な和声により性格の鮮やかな構造を持ち,三部形式になっています。
- 主部A;ハ長調
- 中間部B;中間部はさらに3つのパーツに分かれています。
- 中間部[1]B1;イ短調に転調
- 中間部[2]B2;複雑な転調を繰り返す
- 中間部[3]B3;”滝”のように5度下への推移を繰り返す
- 再現部A’;ハ長調
- コーダ;減七和音の半音階進行
同じ音型を繰り返すだけなのに,和声の変化によってこれだけ明瞭な三部形式を構成していることは驚きです。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 和声分析
Op.10-1は最初から最後まで,同じ音型が延々と繰り返されるだけの作品です。
にも関わらず高い芸術性を備えている理由のひとつは,その素晴らしい和声進行にあるでしょう。
今回はOp.10-1のコード進行を詳しく紹介します。
当サイト管理人は専門家ではないので,表面的な和声分析しかできません。
また,解釈におかしなところがあるかもしれませんのでご了承ください。
譜例の中でのように表示しているのはコードネームです。
トニックは赤色,ドミナントは青色,サブドミナントは緑色で表示します。
3小節目以降も拍の頭にアクセントつける
原典版では3小節目以降,右手のアクセントが省略されていますが,
1~2小節目と同様に,拍の頭にアクセントをつけます。
右手の和音の中でも,アクセントがつけられる拍の頭の音は和声的に重要な音になります。
3小節目以降,アクセントが省略されている中,とりたててアクセントが記譜されている音がいくつかあります。
とりたててアクセントが記譜されている音は,和声の中でも特に重要な音になります。
ショパンのペダル指示は和声とも重要に結びついている
ショパンはペダル指示も推敲を重ね,熟考の末書き込んでいます。
普通はペダルを踏みかえるところで,ペダルを踏んだままにしていたり,
ペダルの指示を書き込んでいない(=暗にペダルを使用しないように,という指示)ところがあったりします。
一見するとおかしなペダル指示に見えますが,ショパンは深い考えのもとペダル指示を書き込んでいますから,演奏者はショパンのペダル指示を忠実に守るべきです。
Op.10-1では,ショパンのペダル指示は特に和声との結びつきが強いです。
主部 ハ長調
1~2小節目,冒頭と最後のハ長調の和音の違い
冒頭
冒頭の和声は,朝の元気な挨拶のように,
ハ長調の和音がハ長調だよ!と明るく元気に響きます。
そして,何かが始まりそうな期待感が高まります。
これは,ハ長調の主和音「ドミソ」のミにアクセントがつけられて強調されるからです。
「ドミソ」のミは半音下げてミ♭にするだけでハ短調に変わってしまいます。
このミはハ長調であることを決定づける音です。
12曲(24曲)の練習曲集のはじまりにふさわしい,わくわくするような冒頭の和声です。
最後
最後の和声もハ長調ですが,冒頭の和声とは違って,落ち着いた雰囲気があります。
これは,ハ長調の第Ⅰ音であるドの音が強調されているからです。
ショパンらしい静かで穏やかな終わり方です。
3~5小節目,ドッペルドミナント・倚音
ベース音が第Ⅰ音のドの音から下属音のファの音に移ることで,力強く盛り上がります。
C(Ⅰ)→F(Ⅳ)→G(Ⅴ),という定型的な和声の動きですが,和声的に凝ったことをしています。
あいだにドッペルドミナント(ドミナントのドミナント)であるD7がはさまれて,ベース音がファ→ファ♯→ソと動いてさらに音楽が盛り上がります。
3小節目以降はアクセントが省略されていますが,ドッペルドミナントのD7の和声の中で,非和声音のミの音にはアクセントがつけられます。
1~3拍目のあいだ,D7の根音であるレの音が省略されています。
4拍目にようやくレの音が出てきますが,非和声音のミの音が倚音(装飾音,前打音のようなもの)として働き,レの音にきれいに繋がります。
6~8小節目,ベース音をあえてG音に,増5度がかっこいい
ドッペルドミナントを再度はさんで,サブドミナント→ドミナント→トニックと定型的な和声の動きとなりますが,ここでも凝った和声になっています。
ト長調のドミナントであるD7が再度出てくるので,ト長調に転調したようにも聞こえます。
ベース音をあえてG音に
サブドミナントは本来F(ファラド)の和音ですが,サブドミナントマイナーのFm(ファラ♭ド)が使われています。
さらにFmにレの音が入れられてFm6(ファラ♭ドレ)と凝った和音になっています。
さらにさらに,Fmのベース音は本来F音(ファの音)ですが,ショパンはあえてベース音を次のG7の根音であるG音(ソの音)に変えています。
ためしに,7小節目のベース音を本来そうあるべきF音(ファの音)に変えて演奏してみてください。
冒頭から盛り上がり続けてきた音楽が,さらに一層盛り上がりを見せます。
ちょっと盛り上がりすぎて,このまま曲そのものが大団円を迎えてしまいそうになります。
ショパンはベース音をドミナントのG音(ソの音)に変えることで,ハ長調への音楽的解決を早目に予感させつつ,ここまで盛り上がってきた音楽をいったん落ち着かせて,さらに音楽が続くことを期待させています。
そして,早目に鳴らされたベース音のG音(ソの音)が保続されて,次のG7のベース音にもなっています。
augコード(増5度,第Ⅴ音の上方変位)がかっこいい!
早々とドミナントのベース音であるG音(ソの音)が鳴らされていました。
予期させられていたとおり,ドミナントのG7(ソシレファ),属七の和声となります。
属七から主調への音楽的解決は,これまた定型的な和声の動きですが,
4拍目のD♯音(レ♯音)がかっこよく響きます。
3小節目以降,右手の拍の頭のアクセントが省略されていますが,
こののD♯音(レ♯音)には,とりたててアクセントが記譜されています。
ハ長調に解決する直前に響く増5度の和声(Gaug7)により,
ハ長調に解決したときの喜びが一層強くなります。
9~11小節目,ベース音を上げ第Ⅲ音を省略して曲調を落ち着かせる
9小節目で主調のハ長調に戻ってきました。
増5度の和声からのハ長調への解決なので,音楽的喜びが自然と湧き上がります。
ハ長調へ戻ってきた9~10小節目は冒頭の1~2小節目と全く同じです。
その後F(ファラド)の和声へ移るのも同じです。
ところが,11小節目のF(ファラド)の和声は,3小節目のF(ファラド)の和声よりも,
随分と落ち着いて響きます。
3小節目ではベース音として下属音のF音(ファの音)を鳴らすことで音楽が大きく盛り上がりました。
11小節目のベース音はA音(ラの音)に変えられています。
さらに右手の構成音はドとファだけでできていて,第Ⅲ音のラの音が出てきません。
11小節目は間違いなくF(ファラド)の和声なのですが,和声が明確ではなく淡く聞こえます。
このように,ベース音をA音(ラの音)に変え,右手の構成音から第Ⅲ音のラの音をはずすことで,
冒頭の和声進行よりも,落ち着いた雰囲気になっています。
12~16小節目,susコードが終止感を弱めさらなる続きを期待させる
その後ドッペルドミナントをはさんで,ドミナントのGからトニックのCへ至り,
いったん音楽が終止を迎え,三部形式の主部が終わります。
音楽はいんたん終止形を迎えますが,まだまだ続きが聴きたくなる期待感に満ちています。
最後のCの和音が転回形(最高音がミの音)になっている不完全終止であることも理由の一つですが,
それ以上に,susコードがあいだにはさまれることで,音楽の終止を弱め,まだまだ曲が続く期待感を高めています。
15小節目の和声はCsus2ではなくて,C9(Cadd9)かもしれません。
中間部[1] イ短調に転調
17小節目,イ短調に転調
Op.10-1は最初から最後まで同じ音型が繰り返されるので,楽譜をパッと見ただけだと,特に切れ目なく音楽が続いているように見えます。
しかし,17小節目にはイ短調に転調されるため,ガラッと曲調が変わり,中間部に入ります。
イ短調に転調した最初の和音ですが,Am(ラドミ)にF音(ファの音)が加わったAm6(ラドミファ)となっています。さらに,右手の構成音からは根音のA音(ラの音)が抜かれています。
Amの和音にファの音が加えられ,ラの音が抜かれることで,イ短調の柔らかく陰りある曲調がさらに淡い響きになっています。
18~21小節目,反復進行とペダルによる濁り
中間部は静かに始まりましたが,反復進行により一気に盛り上がります。
イ短調の第Ⅵ音であるF音(ファの音)が効果的に使われています。
18小節目と20小節目はペダルを踏み変えない指示となっています。
ショパンの指示どおりペダルを踏んだままにすると,
左手のベース音が濁ります。
ペダルを踏み変えれば,この濁りがなくなり響きはスッキリします。
ショパンはあえて音色を濁らせることによって,イ短調の陰りのある切ない響きをより際立たせています。
反復進行の末にたどりつくFM7の和声が美しいです。
22~24小節目,ドッペルドミナントの増6度の響きとsus4
その後ドミナントのE(ミソ♯シ)で半終止となりますが,ドッペルドミナントやEsus4の和声が途中に入るという凝った和声進行になっています。
22小節目のドッペルドミナントはB7(シレ♯ファ♯ラ)のⅤ音が下方変位した,B7(♭5)(シレ♯ファ♮ラ)になっています。
この和音のレ♯とベース音のファの音が増6度の音程で印象的に響きます。
イ短調のドッペルドミナントB7→ドミナントEと推移してきたので,再びAmになりそうですが,
その予想は見事に裏切られます。
中間部[2] 色彩豊かに複雑な転調を繰り返す
ここから和声進行が複雑です。当サイト管理人なりに和声分析をしていますが,この解釈で正しいかどうか自信はありません。
簡単には分析が出来ないような凝った和声進行になっているからこそ,200年の時を経ても色褪せない色彩豊かな作品となっているのでしょう。
25~28小節目,突然のA7(イ長調)
Amに戻るという予想は裏切られ,A7となります。
一時停止してじっくり考えれば,
イ長調に転調したのかな?
ハ長調に戻ったのかな?
と考えることもできます。
しかしという指示を守って演奏していると,1小節はたったの1.36秒で通り過ぎます。
調性がどうなってしまったのか,この一瞬では判断できません。
直後,「ソドラミ」という和声が聞こえてくるので,やっぱりイ短調のままかな?とも感じます。
と思っていると,D7からG7へと進みます。
これはハ長調のドッペルドミナント→ドミナントなのでCハ長調への結びつきが強く,
ハ長調に戻ったことがはっきりします。
D7のF♯(ファ♯)は重要な音で,この音をF(ファ♮)に変えるとイ短調に戻ってしまいます。
このファ♯音はハ長調に戻ったことを決定づける音です。
このファ♯音には倚音(前打音のようなはたらきをする非和声音)がつけられていて,
G音(ソ)→F♯(ファ♯)→F♮(ファ♮)ときれいにつながります。
このあと主調のCハ長調へ戻るのですが,直前のドミナントにsusコードがはさまれることで,
Cに戻ったときの終止感が弱く,まだまだ色々なことが起こりそうな期待感が膨らみます。
29小節目,ヘ長調に転調?
ハ長調のドミナントに戻ってきました。
しかしC(ドミソ)ではなくC7(ドミソシ♭)の和声になっていて,
ヘ長調のドミナントのようにも聞こえます。
しかし,最後の音がB♭音(シ♭)からC音(ド)に変えられていて,
ヘ長調には転調しません。
ヘ長調には転調しませんでしたが,このあと色々な調に転調を繰り返します。
30小節目,変ロ短調に転調
突然のE♭m6です。
何度も繰り返し音を出して,時間をかけて分析すれば変ロ短調に転調したのだろう,と考えることができますが,
演奏中はほんの一瞬のことなので「なんか,曲調が変わったぞ!?転調したのかな??」と思っているうちに通り過ぎていきます。
31~32小節目,変ホ短調に転調
変ロ短調の属七F7へと移り,変ロ短調だったことがより鮮明に感じられます。
属七F7からは,変ロ短調の主和音B♭m(シ♭レ♭ファ)への結びつきが強く感じられます。
しかし,ここも突然A♭mに転調されます。
時間をかけて考えれば,どうやら変ホ短調に転調したようだとわかります。
演奏中は「なんか,また転調したっぽいぞ!?」と感じるだけで一瞬で通り過ぎます。
33~36小節目,ニ短調に転調して半終止
変ホ短調の属七B♭7となり変ホ短調E♭m(ミ♭ソ♭シ♭)への結びつきが感じられますが,
さらに転調されてE7(♭5)に推移します。
33小節目では低音のベース音が曲中で初めてオクターブではなく単音になります。
ベース音が単音持続音→オクターブとなるので,自然と音楽がcresc.になります。
その後,A(ラド♯ミ)につながるので,ニ短調のドッペルドミナント→ドミナントの和声進行になっています。
ニ短調に転調されたのだろうと解釈できます。
ニ短調のドミナントA(ラド♯ミ)で半終止となります。
彩り鮮やかな転調の繰り返し
このように,中間部の中盤では次から次へと転調を繰り返します。
多色鉛筆をパッとばらまいたような豊かな色彩が広がります。
ハ長調から変ロ短調への転調などはかなり強引な転調だと思うのですが,
スムーズに溶けるように調が移行していて,違和感は覚えません。
ショパンの作曲技術はやはり天才です。
中間部[3] 5度下への推移を見事に繰り返す
ここから,セブンスコードが5度下への推移を12回(!)連続で繰り返します。
その反復進行(ゼクエンツ)は圧巻です。
Op.10-1のハイライトと言えるでしょう。
Op.10-1は英語圏では ‘Waterfall’「滝」と呼ばれています。
5度下への推移を繰り返す様子から,この呼名が生まれたのでしょう。
37~40小節目,ハ長調に転調,倚音,アクセント,ゼクエンツ
D7→G7の動きは,ハ長調のドッペルドミナント→ドミナントなので,ハ長調に転調されたことがわかります。
D7→G7→CM7→FM7と5度下へ下り続けるのですが,D7→G7とCM7→FM7が反復進行(ゼクエンツ)になっているので,反復されている感じがより強められています。
M7(メジャーセブンスコード)が美しく響きます。
ベース音が単音→オクターブとなっていて自然とフレーズが発生するようになっています。
倚音が効果的に使われていて「ド→シ」「シ→ラ」が副旋律のように奏でられます。
ショパンは「ド→シ」の「シ」と「シ→ラ」のラにアクセントをつけて,
アクセントがつけられた音が主音であることを明示しています。
41~44小節目,反復進行で5度下へ下がり続ける
まだまだ5度下へ下がり続けます。
Bm7(♭5)を経て,Em7→Am7→Dm7→G7→CM7→FM7と5度下へ下がり続けます。
41小節目までは1小節ごとに5度下へ下っていたのが,
42小節目からは2拍ごとに,まさに「滝」のようにどんどん5度下へ下っていきます。
45~48小節目,イ短調に転調,ペダルの効果
Op.10-1では,ショパンはトニックに解決するときに落ち着きをもたせるようにしています。
しかしトニックBm7(♭5)である45小節目にはフォルテが書き込まれています。
その後B7→Eと和声が進みます。これはイ短調のドッペルドミナントとドミナントです。
イ短調に転調したことがわかります。
イ短調に転調しているとすると,41小節目のBm7(♭5)はイ短調のサブドミナントとしても働いていることになります。
ショパンは41小節目にフォルテを書き込むことによって,
41小節目をハ長調のトニックとして落ち着かせるのではなく,
イ短調のサブドミナントとしての役割を強調しようとしているのではないかと思います。
ドッペルドミナントB7→ドミナントEとイ短調へ強く向かおうとしますが,
最後に短くハ長調の属七であるG7が鳴らされ,Dim.で落ち着いた曲調の中,一気に主調のハ長調へ戻され,再現部に入ります。
効果的なペダルの使用
ショパンは45,46小節目ではペダルを踏んだままにするように指示しています。
普通は4拍目でペダルを踏みかえてベース音のB音(シの音)にアクセントをつけてしまいます。
ショパンのペダル指示を守ることで,4拍目に不用意にアクセントをつけることなく,
和声の中に溶け込ませることができます。
また,47小節目で踏まれたペダルは48小節目の2拍目で離してしまい,48小節目の3拍目以降はDim.の指示と共に,ペダルを使用しないように,ショパンは指示しています。
ここもショパンの指示を守ることで,ハ長調の属七であるG7が静かながら明瞭に鳴らされ,落ち着いた雰囲気の中,ハ長調へと気持ちよく解決することができます。
再現部
49小節目,穏やかにハ長調へと解決
48小節目でDim.とノンペダルの効果によって,穏やかで落ち着いた曲調でハ長調へと解決し,再現部に入ります。
49~59小節目は,1~11小節目とまったく同じ繰り返しになるので,和声の解説は省略します。
60~62小節目,
再現部に入って,49~59小節目は1~11小節目と全く同じでした。
60小節目に初めて変化があらわれます。
60小節目では3拍目と4拍目のE音(ミの音)に♭がつけられ,4拍目のミ♭の音にはアクセントがつけられています。
また,4拍目にベース音A♭(ラ♭)が追加されています。
♭を追加しただけですが,それだけで短調になったような感じがして,大きく曲調が変化しています。
その後の61~62小節目は13~14小節目と全く同じなのですが,
60小節目が変化したことによって,61~62小節目も違うように感じます。
63~66小節目,イ短調に転調?
D7(レファ♯ラド)→B7-5(シレ♯ファラ)→E(ミド♯シ)がイ短調のドミナント→ドッペルドミナント→ドミナントになっているので,イ短調に転調されようとしていることになります。
途中,F7(ファラドミ♭)がはさまっていて,一瞬,変ロ短調に転調されたようにも聴こえます。
67~68小節目,イ短調からハ長調にもどる
イ短調のサブドミナントDm7がハ長調のサブドミナントとして働き,ハ長調の属七であるG7となり,しっかりとハ長調に戻ります。
69小節目~,コーダ,減七の和音が続出,半音階進行
69小節目からコーダになります。
69小節目からコーダに入りますが,減七の和音(dimコード)が多用されています。
上の譜例の色を塗ったところはすべて減七の和音が使われています。
ピンクで塗った3箇所と,紫で塗った2箇所はまったく同じ構成音からなる減七の和音でできています。
また,最高音として鳴らされる音が,G音(ソ)からはじまって,F♯(ファ♯)→F♮(ファ♮)→E(ミ)と半音階で下っていき,最後はC(ド)→B(シ)→C(ド)と終止形(カデンツ)を奏でて,しっかりとハ長調に解決されます。
69~72小節目,反復進行
dimコードは,アクセントがつけられている最高音を根音だと考えて名前をつけました。
コーダがはじまると,反復進行(ゼクエンツ)により,半音階進行がより強調されます。
デクレッシェンドのように見えるは,ショパンがよく記譜していた横に長いアクセントです。
3小節目から右手拍の頭のアクセントが省略されていましたが,
コーダに入って,ショパンはあらためてアクセントをつけるように念押ししています。
73小節目~最後,穏やかながら大満足のハ長調での全終止
最後はFm6→G7→Cと,しっかりと終止形(カデンツ)を奏でて,音楽的喜びとともにハ長調へと解決されます。
最後のハ長調の和音は最高音がC音(ド)になっていて,音楽が完全に全終止を迎えます。
ハ長調に解決する前のドミナントに「Dim.」が書き込まれているところにも注目です。
穏やかに静かに落ち着いてハ長調の全終止の喜びを感じとりましょう。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 出版譜によく見られる間違い
ショパンの作品のほとんどは,長い年月をかけて様々な出版社がコピーと改竄を繰り返して,間違いだらけの楽譜になってしまっています。
しかしOp.10-1は和声が緻密に作り込まれていて,少しでも間違いがあると目立ってしまいます。
初版の間違いも修正され,現在出版されている楽譜は間違いのない正しい楽譜ばかりです。
これはショパンの作品では大変めずらしいことです。
多くの楽譜は4分の4拍子になっていますが,エキエル版は2分の2拍子になっています。
当サイト管理人も2分の2拍子の方が,この作品にはふさわしいと思います。
Jozef Linowskiという人物の写譜をワルシャワのショパン協会が所蔵しています。
この写譜は2分の2拍子になっています。
ショパンの自筆譜から写譜したものだと思われますので,少なくとも元々は2分の2拍子だったのだと思います。
フランス初版の原稿となったショパン自身の清書原稿が失われてしまっているのが残念です。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 自筆譜を詳しく見てみよう!
残念ながら,Op.10-1はショパンの自筆譜が失われてしまっています。
ワルシャワのショパン協会が所蔵している手書きの清書が自筆譜かもしれないと言われていましたが,
現在ではJozef Linowskiという人物が写譜したものであることが判明しています。
Jozef Linowskiの写譜はOp.10-1とOp.10-2を写譜したもので,1830年11月2日の日付が書かれています。
1830年11月2日はショパンがティトゥスと共にワルシャワを出国した,まさにその日になります。
最終的な完成版であるフランス初版とほとんど同じ譜面になっています。
1830年11月2日はショパンがワルシャワを出国した当日ですので,
ショパンがワルシャワを発つ前にOp.10-1はほぼ完成していたことがわかります。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 演奏の注意点
”疲労しない”演奏スタイルを習得するための練習曲
Op.10-1は一見すると単なるアルペッジョの練習曲に見えます。
しかし実際はピアニストとしての芯の部分,基礎土台となる素養を磨き上げるための練習曲です。
正しい姿勢で反復訓練を積むことで大きな恩恵を得ることができます。
正しい姿勢で演奏できているかどうかは,”疲労せずに”演奏できているかどうかで判断できます。
すぐに疲労がたまってしまって,上手く演奏がコントロールできなくなるような弾き方で反復訓練をしても,悪い演奏姿勢が定着してしまうだけです。
”疲労せずに”Op.10-1を何回も繰り返し演奏できるような,正しい演奏フォームで反復訓練を積みましょう。
最も重要なのは”脱力”
最も重要なのは”脱力”です。
全身の筋肉を常に意識しながら演奏し,全身の筋肉を弛緩させます。
少しでもどこかの筋肉に力が入っていると,Op.10-1を無理なく演奏することはできません。
イスの高さから見直してみる
どうしても疲労がたまってしまったり,ミスタッチがなくならなかったりするときは,
イスの高さや,座る姿勢,肘の角度や手の形など,基本的なことから見直した方が良いかもしれません。
同じ人間でも生まれついた体格は違います。
それぞれが違う指紋を持っているように,手の形や腕・指の長さ,肩幅,胴の長さなど,まさに十人十色です。
自分にとっての最適な演奏フォームを模索してください。
体幹の安定~上半身が左右に動かないように~
4オクターブにわたって右手が上昇と下降を繰り返します。
それにともなって,多少上半身が左右に動いてしまうのはしかたないのですが,
上半身が傾きすぎると姿勢が崩れます。
腰から肩まで,上半身をドシッと構えてあまりくねくね動かさず,
上昇音型では右腕を上半身から離していき,下降音型では右腕を上半身に近づけてくるようにすると,
全体の音色が安定します。
上半身を安定させようとして力が入ってしまうと逆効果です。
脱力は重要です。
全身の力を抜いて,自然体で上半身を安定させましょう。
右手の手のひらは鍵盤と平行に保つ,肘を上下に動かさない
アルペッジョの演奏には手首の回転が大切です。
だからと言って,目に見えるほど手首が回転してしまっているのはやり過ぎです。
アルペッジョに限らず,ピアノを弾くときに手のひらが鍵盤と平行に保たれていることは重要です。
手首や肘がくねくねと動いてしまっているようだと音が安定しません。
手首や肘を動かさないために力を入れてしまっては逆効果です。
繰り返しになりますが,脱力は重要です。
しっかりと全身を脱力させて,自然に肘と手首が地面と平行に保たれるようにしましょう。
ある程度身体が成長してから練習する
小学生がショパンのエチュードを全曲演奏!などということが珍しくない時代になりました。
そんな小さな身体で,無理してショパンのエチュードを演奏してしまって,もっと身長が伸びて体格が変わったときに大丈夫なのかと心配になります。
Op.10-1は人間の運動能力の限界の中で,肉体の使い方の最適解を模索する作品です。
小学生の小さな身体で最適解が見つかったのならば素晴らしいことですが,身体が成長するとそれは最適解ではなくなってしまいます。
ショパンの作品の根底にあるのはバッハとモーツァルト,そしてハイドンです。
身体がある程度成長するまでは無理にショパンの練習曲に取り組まず,
バッハとモーツァルトを丁寧に勉強して,音楽的素養を伸ばしておくべきだと思います。
オススメの練習方法
[1]遅いテンポで”ゆっくり”練習
「憧れのピアニストの演奏のように速く弾いてみたい」「遅いテンポで練習していたら,いつまでたっても速いテンポで弾けるようにならないのではないか」という気持ちは良くわかります。
しかし,無理に速く弾こうとすると,どうしても筋肉に力が入ってしまいます。
力が入ってしまっているということは脱力ができていないことになります。
脱力ができていない状態で反復訓練をすると,その良くない演奏姿勢を身体が覚えてしまいます。
速く弾きたい気持ちをおさえて,筋肉に力が入らないぐらいの無理のないテンポで練習しましょう。
どうしても弾いているうちに速くなってしまうと思いますので,
メトロノームの使用をオススメします。
ぐらいのテンポで,全身が脱力できているか,上半身や肘,手首がくねくね動いていないか,自分の身体の状態をよく確かめながら,正しい演奏姿勢を身体に覚え込ませていきましょう。
メトロノームにあわせて,意識せずに自然と正しいフォームで演奏ができるようなったら,少しだけテンポを速めて,同じように練習します。
そして少しずつメトロノームのテンポを速くしていきます。
[2]和声ごと(1~2小節ごと)に区切って繰り返し練習
一見すると,同じことを延々と繰り返しているだけに見えますが,
和声が変わるたびに,違う演奏技術が必要になります。
例えば1~2小節目が完璧に弾けるようになったからといって,
3小節目も弾けるようになるわけではありません。
1~2小節目と3小節目,4小節目でそれぞれ和声が変わりますから,
それぞれ反復訓練が必要です。
無意識に自然体でその箇所が完璧に弾けるようになるまで,和声ごと(1~2小節ごと)に区切って繰り返し練習をすると良いです。
[3]pppで練習
ピアノは小さな音で弾くほうが難しいです。
ピアニッシモで弾けるようになれば,フォルテで弾くのは簡単です。
ピアニッシモで弾いていると,不用意に大きな音が出てしまったり,打鍵が弱すぎて音が鳴らなかったりするところが出てくると思います。
そういった箇所が,演奏が上手くコントロールできていないところになります。
練習が不十分な場所が見つかったら,ピアニッシモでも美しく演奏できるようになるまでしっかりと反復練習しましょう。
[4]目隠しをして練習
ある程度ピアノが弾ける方でしたら,ちょっとした作品を目隠しで演奏するのは難しくないと思います。
しかしOp.10-1を目隠しで弾くのはめちゃくちゃ難しいです。
手の開き具合,指や上半身,腕の位置など,各和声に最適な演奏姿勢が無意識に自然と取れるようになっていないと,目隠しで演奏することはできません。
反復練習をしながら,ある程度弾けるようになってきたら,最終試験のつもりで目隠しをして弾いてみてください。
視覚に頼らずに弾けるようになっていれば,最適な演奏姿勢を身体が覚えている証拠になります。
右手の指遣いを守る
ショパンの練習曲はすばらしい音楽作品であるとともに,ピアノ演奏技術を身につけるための教則本でもあります。
Op.10-1からピアノ演奏技術の恩恵を受けるためには,ショパンが指定した指遣いを忠実に守らなければなりません。
Op.10-1から得られる恩恵は,単なるアルペッジョの演奏技術ではなく,ピアノ演奏の素養そのものです。
せっかくですから,Op.10-1からの恩恵を十二分に受け取れるように,指遣いを守って練習しましょう。
音楽的にもショパンの指遣いを守ることで美しいアーティキュレーションが自然と生まれます。
指遣いを変えてしまうと,フレージングも変わってしまいます。
音楽的にも指遣いを変えてしまうのは,もってのほかです。
上昇はcresc.下降はdim.
ショパンは和声的に重要な箇所をのぞいて,cresc.やdim.を書いていません。
しかし,音型が上昇するときはcresc.下降するときはdim.するのが自然です。
Op.10-1はミスタッチせずに譜面通り音を鳴らすだけでも大変なので,こういった当たり前のことを忘れがちです。
左手ベース音を歌うように
Op.10-1は和声進行が見事ですが,左手ベース音も大変美しいです。
不用意にドカンドカンとベース音を鳴らすのではなく,ベース音の美しい動きを感じて歌うように奏でてください。
上の譜例は,当サイト管理人が冒頭のベース音を弾くときの指遣いです。
手の小さな方には難しいのかもしれませんが参考になさってください。
上の譜例は41小節目から,中間部の最後のところ,”5度の滝”の後半部分です。
ベース音を自然に歌おうとすると,右手と左手でcresc.とdim.が逆になります。
意識してしっかり練習しておかないと難しい箇所です。
3小節目以降も拍の頭にアクセントつける
原典版では3小節目以降,右手のアクセントが省略されていますが,
1~2小節目と同様に,拍の頭にアクセントをつけます。
アクセントがつけられる拍の頭の音は,和声の中で重要な要素ですので,
しっかりとアクセントをつけるようにしましょう。
ウィーン式アクションのピアノで作曲されている
デュナーミクによる音楽表現は想定されていない
Op.10-1はウィーン式アクションのピアノで作曲された作品です。
ウィーン式アクションのピアノは強弱変化がつけにくい楽器でした。
デュナーミク(強弱の変化)による音楽表現は想定していなかった作品ということになります。
現代のピアノでは幅広く音量の変化をつけることができますが,
Op.10-1の演奏では,音量の変化をあまりつける必要はありません。
現代のピアノの表現力をいかしてダイナミックレンジの広い演奏をすると,
当時のスタイルからは逸脱してしまうことになります。
実際ショパンも,冒頭と35小節目,45小節目にfの指示を書いているだけで,他の強弱記号は書き込んでいません。
中間部に入るところでpにしたり,再現部に入るところでffにしたり,といった音楽表現は不要だということです。
軽く明るい音色で演奏しよう
ウィーン式アクションのピアノは軽く明るい音が鳴ったはずですので,
Op.10-1の演奏では全体を通してクリアな音で演奏するのが良いでしょう。
冒頭に「legato;音の間に切れ目を感じさせないように滑らかに」とありますが,現代のピアノでレガート奏法(次の音を鳴らすまで,前の音を指で押さえ続ける奏法)で演奏をするとくぐもった音になってしまうかもしれません。
そもそも,Op.10-1をレガート奏法で演奏するのは無理ですよね・・・
全曲を通してペダルを使用しますから,手指のコントロールに頼らなくても音は繋がります。
音を繋げることよりも,一つ一つの音を確実に打鍵し,硬質で明瞭な音を出すようにすると良いでしょう。
いわゆる重力奏法で演奏してしまうと,音が重くなってしまうのでやめておいた方が良いです。
低音ベース音は控えめに
ウィーン式アクションのピアノでは低音はあまり響かなかったと思われます。
現代のピアノでは迫力のある低音を出すことができますが,それをしてしまうと当時のスタイルから外れてしまうことになります。
上品なショパンの作品には,低音を過度に響かせる演奏は似つかわしくありません。
特にウィーン式アクションのピアノで作曲された作品は低音を控えめにした方が良いです。
鍵盤を叩きつけてしまうとショパンの作品にふさわしくない打撃音がします。
指を鍵盤につけてから静かに打鍵し,強すぎず,しかし芯のある音で,前述したように大きなフレーズを歌うように低音ベース音を豊かに歌いあげましょう。
中々上手く演奏できないときはハイフィンガー奏法を試してみよう
ショパンの作品は重力奏法(肩から指先へ重量を伝えるか伝えないかで音色を変化させる奏法)で演奏するのが定石ですが,ウィーン式アクションのピアノで作曲された作品については,ハイフィンガー奏法(指を立てて指先の力だけで打鍵する奏法)の方が弾きやすい可能性があります。
Op.10-1が中々上手く演奏できない方は,ハイフィンガー奏法を試してみると良いかもしれません。
dim.の指示を見逃さない
再現部の冒頭や,曲の最後のハ長調に解決する場面では,ffで派手にかっこよく演奏したい気持ちになるかもしれません。
ショパンは釘を差すように,ハ長調に解決する直前にdim.を書き込んできます。
静かに落ち着いて,穏やかにハ長調に解決するのがショパンのスタイルです。
決して大音量にならないように,ハ長調の安らぎを感じましょう。
アクセントを見逃さない
1~2小節目で拍の頭にアクセントをつけるように指示したあと,
3小節目以降はアクセントの記譜が省略されています。
3小節目以降にも,取り立ててアクセントがつけられた音がありますが,
どれも和声的に重要な音ばかりです。
アクセントを見逃さず,他の音よりもより一層丁寧に大切に鳴らすようにしましょう。
ペダル指示にも忠実に
ショパンはペダル指示も熟考の末書き込んでいます。
Op.10-1では基本的に和声ごとにペダルを踏みかえるのですが,
普通はやらないようなペダル指示を書いている箇所がいくつかあります。
中間部に入ってすぐの18小節目と20小節目です。
18小節目のベース音「ラ」と20小節目のベース音「ソ♮」は非和声音(経過音)です。
音が濁らないようにペダルを踏みかえるのが普通ですが,
ショパンは意図的にペダルを踏んだままにするように指示しています。
中間部の最終部分,45~46小節目です。
4拍目の右手が休符となり左手のベース音だけが鳴らされます。
ペダルを踏みかえてベース音の「シ」をドカン!と打ち鳴らしたくなりますが,
ショパンはペダルを踏みかえないように指示しています。
つまり,4拍目のベース音「シの音」は大音量で打ち鳴らすのではなく,和声の中に溶け込ませるという指示になります。
中間部の終わり,48小節目です。
4拍目だけE(ミソ♯シ)からG7(ソシレファ)に和声が変わっています。
普通はペダルを踏みかえるのですが,ショパンはペダルを踏みかえるのではなく,4拍目はペダル「なし」を指示しています。
dim.の指示とともにペダル「なし」の指示にも忠実に従うことで,
再現部でハ長調に解決したときの穏やかで落ち着いた雰囲気がより一層際立つことになります。
ショパン 練習曲(エチュード)Op.10-1 実際の演奏
当サイト管理人 林 秀樹の演奏です。2021年5月録音
当サイト管理人,林 秀樹の演奏動画です。
自筆譜や写譜,原典版などをご覧いただきながら演奏を楽しんでいただけるようにしています。
できるだけ原典に忠実な演奏を心がけています。
アマチュアピアニストの演奏なので至らぬ点もたくさんあると思いますがご容赦ください!
*中間部の終わりから再現部のはじめにかけてミスタッチを連発しています・・・
*2021年5月録音
◇Op.10-1単独再生
◇Op.10 12曲連続再生
◇Op.25 12曲連続再生
本来,練習曲集は12曲(もしくは24曲)全曲を通して演奏するべきなのですが,
原典に忠実な録音を残すために,1曲ずつ何回も(ときには100回以上も)録り直して録音しました。
演奏動画を録音したときの苦労話はショパンの意図に忠実な参考演奏動画【練習曲集Op.10】をご覧ください。
今回は以上です!